第二章:代役のはじまり ― 恋の記憶を辿る

第4話:記憶継承の儀式

翌朝、玲奈は鳥たちの美しい歌声で目を覚ました。窓の外では、エテルナ世界特有の虹色の羽根を持つ鳥たちが、まるで天使の合唱団のように歌っている。その音色は地球の鳥たちとは全く違い、聞いているだけで心が浄化されるような美しさだった。


「おはよう、エテルナ」


玲奈は窓を開けて、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。朝の空気は水晶のように透明で、花々の甘い香りが混じっている。今日から始まる新しい生活への期待と緊張で、胸が高鳴っていた。


ノックの音が響く。


「どうぞ」


扉が開くと、ミカエルが現れた。今日の彼は昨日よりもさらに厳粛な表情をしていて、何か重要な儀式に臨む準備ができていることが伝わってくる。


「おはようございます、玲奈さん。お休みいただけましたか?」


「はい、ぐっすり眠れました。ありがとうございます」


玲奈は素直に答えた。実際、この世界に来てから深い安らぎを感じていた。まるで、本当の家に帰ってきたかのような安心感があった。


「それは良かった。今日は記憶継承の儀式を行います。準備はよろしいですか?」


「はい。でも、少し緊張しています」


「当然です。これから行うことは、とても特別なことですから」


ミカエルは優しく微笑んだ。


「まず、朝食をお取りください。儀式には体力が必要です」


朝食は部屋に運ばれてきた。銀色のトレイに美しく盛り付けられた料理は、まるで芸術品のようだった。パンは雲のようにふわふわで、果物は宝石のように輝いている。紅茶の香りも、地球では嗅いだことのない優雅な香りだった。


「美味しい...」


玲奈は感動しながら食事を取った。一口食べるごとに、体の中に温かなエネルギーが広がっていく。これは単なる食事ではなく、魂を浄化する神聖な食べ物なのかもしれない。


食事を終えると、ミカエルが玲奈を神殿の奥へと案内した。廊下は玲奈の部屋と同じように美しい大理石でできていて、壁には古代の文字が刻まれている。その文字は読めないが、なぜか意味が心に響いてくるような気がした。


「あの文字は何て書いてあるんですか?」


「愛の讃美歌です。『愛こそが世界を創り、愛こそが世界を救う』と刻まれています」


「素敵ですね」


歩きながら、玲奈は神殿の構造に驚いていた。外から見るよりもはるかに大きく、まるで小さな町のような規模だった。廊下の両側には様々な部屋があり、それぞれが特別な目的を持っているようだった。


「こちらが図書館です」


ミカエルが指差した部屋を覗くと、天井まで届く本棚に無数の書物が収められていた。古い羊皮紙の本から、美しい装丁の本まで、様々な書物が静かに並んでいる。


「この世界の歴史や、愛についての知識がすべて収められています。後でご案内しましょう」


さらに奥に進むと、大きな扉の前で止まった。その扉は他の扉とは明らかに違っていた。古い木材でできているが、表面には複雑な魔法陣のような模様が刻まれている。扉の中央には大きな宝石がはめ込まれていて、それが微かに光を放っている。


「ここが記憶継承の間です」


ミカエルは厳粛な声で言った。


「準備はよろしいですか?」


玲奈は深呼吸をした。


「はい。お願いします」


ミカエルは扉に手を置いて、古い言葉で何かを唱えた。すると、扉の宝石が明るく光り、重い扉がゆっくりと開いた。


部屋の中は、玲奈が今まで見たどの部屋よりも神秘的だった。円形の部屋で、天井は高くドーム状になっている。壁面には古代の文字と魔法陣が刻まれていて、それらが微かに光を放っている。


部屋の中央には、水晶でできた祭壇があった。その祭壇の上には、美しい球体が浮いている。球体は透明で、中に星空のような光がきらめいている。


「あれが記憶継承の装置です」


ミカエルが説明する。


「神様の愛された人の記憶が、その中に保存されています」


「すごい...本当に魔法みたい」


玲奈は感動で声を震わせた。


祭壇の周りには、七つの柱が円形に配置されている。それぞれの柱の上には異なる色の宝石がはめ込まれていて、赤、青、緑、黄、紫、白、黒の光を放っている。


「七つの柱は、愛の七つの要素を表しています」


ミカエルが一つずつ説明していく。


「赤は情熱、青は信頼、緑は成長、黄は喜び、紫は神秘、白は純粋、黒は犠牲。すべてが愛には必要な要素です」


「愛って、こんなに複雑なものなんですね」


「はい。しかし、あなたなら理解できるでしょう」


ミカエルは玲奈を祭壇の前に導いた。


「では、始めましょう。祭壇の前に立ってください」


玲奈は指示に従って祭壇の前に立った。すると、足元の床にも魔法陣が浮かび上がった。それは玲奈を中心とした美しい円形で、古代の文字で囲まれている。


「目を閉じて、心を空にしてください。そして、愛について考えてください」


玲奈は目を閉じた。心を静めて、愛について思いを巡らせる。家族への愛、友人への愛、そしてまだ見ぬ人への愛。様々な愛の形が心に浮かんでくる。


「愛とは何でしょうか?」


ミカエルの声が響く。


「愛とは...相手の幸せを願うこと」


玲奈は心からの答えを口にした。


「愛とは...一緒にいることで心が満たされること」


「愛とは...相手のために自分を犠牲にできること」


玲奈の言葉に呼応するように、七つの柱の宝石が次々と光り始めた。そして、中央の球体も美しく輝き始める。


「素晴らしい。あなたの心は愛を理解しています」


ミカエルが古い言葉で呪文を唱え始めた。その言葉は耳慣れないものだったが、なぜか玲奈の心に響いてくる。まるで、魂の奥底で理解している言葉のような気がした。


突然、球体から光の筋が伸びて、玲奈の額に触れた。


「あ...」


玲奈の意識に、突然映像が流れ込んできた。


最初に見えたのは、美しい庭園だった。色とりどりの花が咲き乱れ、噴水の水が踊っている。その庭園を、一人の人影が歩いている。


その人は、この世のものとは思えないほど美しかった。長い髪は絹のように滑らかで、瞳は深い海のように美しい。でも、その美しさは外見だけではない。魂の美しさ、心の純粋さが外にあふれ出ているような、そんな美しさだった。


「エルシア...」


玲奈の口から、自分の知らない名前が出てきた。それが神様の愛された人の名前だということが、なぜか分かった。


映像は続く。エルシアが花に水をやっている場面、小鳥たちと戯れている場面、星空を見上げて微笑んでいる場面。どの場面でも、エルシアは純粋で美しい心を持った人として描かれている。


そして、神様が現れる場面が映し出された。創世神アリエルは光に包まれた美しい存在で、エルシアと出会った瞬間から深く愛するようになった。


二人の愛は純粋で美しいものだった。お互いを大切に思い、相手の幸せを心から願っている。一緒にいる時の幸せそうな表情、離れている時の切ない表情。すべてが玲奈の心に流れ込んでくる。


でも、やがて悲しい場面が現れた。エルシアが病気になり、だんだんと弱っていく。神様は必死に彼女を救おうとするが、どうすることもできない。


最後の場面で、エルシアは神様に微笑みかけて言う。


「あなたと出会えて、本当に幸せでした。この愛を、永遠に忘れないでください」


そして、エルシアは光となって消えていく。残された神様の悲しみが、玲奈の心にも激しく響いてくる。


「あ...ああ...」


玲奈の目から涙が流れ落ちた。それはエルシアの記憶と感情が、玲奈の心に流れ込んできたからだった。愛する人との幸せな時間、そして別れの悲しみ。すべてを自分のことのように感じている。


映像が終わると、玲奈の心の中にエルシアの記憶が定着した。彼女の好きだった花、好きだった音楽、好きだった場所。すべてが玲奈の記憶の一部となっている。


でも同時に、玲奈は自分自身でもあった。谷口玲奈としての記憶と感情も、しっかりと残っている。二つの人格が、一つの心の中で共存している不思議な感覚だった。


「これで、記憶継承は完了しました」


ミカエルの声で、玲奈は現実に戻った。


「どのような気分ですか?」


「不思議な感覚です。エルシアさんの記憶が私の中にあるのが分かります。でも、私は私のままです」


「それで正しいのです。あなたはエルシアになるのではなく、エルシアの記憶を持った玲奈として生きるのです」


玲奈は胸に手を当てた。心の中で、二つの心が優しく響き合っているのを感じる。


「エルシアさんは、本当に美しい人でしたね」


「はい。神様が愛されたのも分かります」


「でも、どうして亡くなってしまったんですか?」


ミカエルの表情が暗くなった。


「それは...神様の力をもってしても変えることのできない、運命だったのです」


「そんな...」


「だからこそ、神様は深く悲しまれ、この世界は崩壊し始めているのです」


玲奈は再び涙を流した。今度は自分自身の感情からの涙だった。


「でも、あなたがいる限り、まだ希望はあります」


ミカエルは玲奈の肩に手を置いた。


「エルシアの記憶を持つあなたなら、きっと新しい愛を育むことができるでしょう」


「私、頑張ります」


玲奈は決意を込めて答えた。


「では、明日からいよいよ始まりますね」


「何が始まるんですか?」


「あなたの相手となる方との生活です」


玲奈の心臓が高鳴った。


「どんな方なんですか?」


「それは明日のお楽しみです。きっと、素敵な方ですよ」


ミカエルは意味深に微笑んだ。


記憶継承の間を出ると、玲奈は神殿の庭園を散歩した。エルシアの記憶のおかげで、庭園の花々の名前が分かる。あの青い花はアクアローズ、あの黄色い花はゴールデンベル。すべてがエルシアの愛した花々だった。


噴水のそばで立ち止まると、水の音が心を落ち着かせてくれる。エルシアもこの場所が好きだったことが分かる。ここで神様と初めて出会ったのだということも。


「明日からは、私の番なんだ」


玲奈は空を見上げた。エテルナの空は美しく晴れ渡っていて、希望に満ちているように見える。


「エルシアさん、私、頑張ります。あなたの想いを無駄にしないように」


風が吹いて、花びらが舞い散った。まるでエルシアが答えてくれているかのようだった。


夜が更けて、玲奈は自分の部屋で日記を書いた。


『今日、記憶継承の儀式を受けました。エルシアさんという美しい人の記憶が、私の中に流れ込んできました。神様がこの人を愛したのがよく分かります。


でも同時に、とても悲しい物語でもありました。愛し合っていたのに、運命によって引き離されてしまった。神様の悲しみが、私の心にも痛いほど伝わってきます。


明日からは、私がエルシアさんの記憶を持った玲奈として、新しい恋を始めることになります。相手の方がどんな人なのか、とても楽しみです。でも、少し緊張もしています。


うまくやれるかな。でも、やってみます。世界を救うために、そして自分自身の幸せのために。』


日記を閉じて、玲奈は窓の外を見た。星空の美しさは地球では見ることのできないもので、一つ一つの星が宝石のように輝いている。


明日からの新しい生活への期待と不安を胸に、玲奈は眠りについた。心の中では、エルシアの優しい記憶が、玲奈を見守ってくれているような気がした。

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