都市ピレーネと妨害の始まり
ピレーネ南西にて①
都市ピレーネの朝は早い。冒険者が仕事に出る前にオープンしなければ、来る客を来なくなり店の売上が大きく左右するからだった。
ピレーネは円形の石レンガで城壁が建設された都市である。北東、北西、南東、南西に巨大な城門が築かれ、堀を埋め尽くすように流れている川は一種の芸術だ。
その中でも南西の都市は、城門を出て道なりに進むと王都と隣接していることもあり、ピレーネ南西は特に冒険者の出入りの多さが顕著である。すでに南西の街並みには明かりが灯っていた。
鍛冶屋からは金属を打つけたたましい音が聞こえ、魔導書専門店の店主であるお婆さんは持ち前の魔法で魔導書の上に付着した埃を取り払っている。まるで一つの祭りが始まる前のようにも思える。
その中の青果店を営む建物の路地裏、そこには一人の漆黒に紫色の紋様が施されたフードを着る少女が涙で顔をくしゃくしゃに汚しながら座り込んでいた。
レナは涙と悲しみを心の奥底に必死に堪えてグエルたちと別れた宿の反対側まで走ってきていた。喉元まで耐えていたレナであったが、付近に誰もいないことを知ると、遂に限界を迎えて外でありながら赤子のように泣き叫んでいたのである。
レナの口内にはまだ気味の悪い味が残っていた。パーティーメンバーの悪魔とも呼べる表情、愛犬の見るも無惨な姿、そしてその奇怪な味。忌まわしき記憶が反芻するたびに嗚咽が止まらなくなる。
(なんで……あんなに優しかったみんなが酷いことするの……)
口ではグエルに復讐を誓ったレナであったが、家族同然として過ごしてきたメンバーには思い入れも信頼もまだ残っている。今までの光景が全て夢や幻ですぐに覚めることも期待していた。しかし、いくら痛みを与えても何度も吐いても一向に覚める気配は無い。むしろその痛みが現実であると告げているようだった。
「誰か!助けてーーーー!!」
レナがただ呆然と蹲っていると、レナのいる更に奥の路地裏から叫び声が上がる。切羽詰まる助け声は反響しているのか何度も叫んでいるのか、レナの耳に幾度も入ってくる。
「そこのフードの人、助けっ……いやっ」
助けを求める声の主はレナにどんどん接近していた。しかし、もう少しでレナの元に辿り着くという間際、声は突然途切れる。
何事かと不安になったレナは顔を上げる。助けを求める声の正体は少女だった。いやあどけない愛らしい声とは裏腹にレナの小柄な体格に比べたら一回りも大きくどちらかというと彼女といえる。その彼女が着ているのはフリルが特徴的な冒険者ギルド受付嬢の制服だ。ウルフヘア―にセットされたオレンジ髪は彼女を大人びさせている。
彼女が突然声を途切れさせた原因もすぐに理解できた。明らかにガラの悪い男二人が彼女を取り囲んで押さえつけていた。口元は容赦なく閉ざされて彼女は涙を浮かべている。
「なーこいつ捕まえて何になるんだ?」
「知るかよ。なんでも北東の管理を任されている伯爵のお坊ちゃまが一目惚れだそうよ」
彼女の両腕を掴む男は下卑た笑みを零している。
レナは彼女の顔を初めて見たが、確かに危うくうっとり見惚れてしまうような童顔の持ち主だ。
「たったそれだけの理由だけでこんな大金寄こすのかよ」
「こういう汚れ仕事は俺たちみたいな奴にしか出来ないからな。それにこの女に一目惚れする理由も分かるぜ。なあ、少し味見しても構わないよな?」
「馬鹿!近くに人がいるんだぞ」
口元を塞いでいる男は自由な片手でレナの方を指差す。
「大丈夫だろ。どうせ路地裏に住み着いている浮浪者だ。例え襲ってきても返り討ちにするだけさ」
二人の男は阿吽の呼吸で彼女の服を脱がしてあられもない姿にしようとした矢先、服に触れる前に二人の腕は石のように硬直する。何とか動かそうとして二人の男はある事に気づく。腕だけでなく、頭、首、胴体、腰、足、ありとあらゆる場所が完全に本人の意志で動かせなくなっていた。
「……気持ち悪いです」
ゆっくりと立ち上がると、レナはフードを脱いで右手の手のひらを二人の男へと差し向ける。この一連の所作で二人の男を止めた存在は一目瞭然だった。
一種の気の迷いなのかもしれない。それでもどこの馬の骨かも分からない彼女でもレナは同じく可哀想な目に遭っている彼女を放っておけなかったのだ。
「そこの方、今のうちにこちらへ来てください」
「えっ、うん。分かった」
彼女は男の腕をするりと抜けてレナの横へと近づく。真横にいるとその完璧とも評せる程の美貌は美容や容姿にそこまで興味のそそらないレナですら少々羨ましかった。
「てめえ何すんだ!」
辛うじて動かせた口で男はぎこちなく怒鳴る。
「見ての通り助けてあげただけですが?」
「お前この依頼が誰の差し金か分かっちゃいねえようだな。あの北東の統治を任さられているアルナード伯爵の御曹司、クラックス様だぞ」
ピレーネに来て間もないレナには検討もつかなかったので、横でまだ怯えている彼女に知っているかと目配せすると、彼女は納得したように首肯する。
「この前、アルナード伯爵と冒険者ギルドの視察しに来た時に、突然求婚されたの。あの時はなにがなんだか頭が回らなかったし、別にタイプでもないから断ったのよ。まさかまだ狙っていたなんて」
「きっしょ。いきなりプロポ―ズしてフラれたからって誘拐を依頼するとか頭のネジ何本かイカレてるんじゃないんですか」
「確かに」と、彼女は両手で口を隠してにこやかに笑う。今まで攫われかけていたというのにお気楽な性格だ。
暗く沈んでいたレナの表情にも少し笑顔が戻る。
「攫う理由なんてどうだっていいんだ。ただ俺たちは金が欲しい。頼むよ」
「まだ、あなたたちが優位に立ってると思いですか?微塵も動けていないのに。それに私は今すこぶる機嫌が悪いんです。だから今から行うのは八つ当たりなのは気にしないでくださいね」
レナはきつく鋭く二人の男をい睨みつけると、急に男の腰のちょうど中間、俗に言う股間があらぬ方向に鈍い音を立てながら曲がり始める。
その惨状は説明するまでもなかった。二人の男からは掠れた声しか漏れないが痛みに悶える声に十分であり、動かせないはずの体を必死に動かそうとする姿は苦痛を表現するのに事足りていた。
「まだ攫う気力はありますか?」
レナは封じていた体を自由にする。男は解放されてすぐにするりと体が地面に倒れる。若干痛みに反応して痙攣も起こしていた。気絶していないのが意外なくらいだ。
「てめえ覚えていろよ……」
「まずはその股間を押さえる見っとも無い姿を直してから言ってくれませんか?」
レナがもう一度二人の男にてを伸ばそうとすると、二人の男は顔面を蒼白にさせて痛みも忘れてレナと彼女の反対方向へ逃げ込んでいく。
この後、二人の男が病院で治してもらうまで何時間も待たされたのはレナは知る由も無い。
男が見えなくなると、レナはホッと息をついて再び気分が落ち込む。
悲嘆に暮れるレナの様子を余所に彼女は興奮してレナの体を揺らす。
「すごいよすごいよ。あんな屈強な男が子犬みたいに逃げ出しちゃって。あの時何をしたの?」
「……えっと、その魔法で……」
憂さ晴らしに男を痛めつけた時はアドレナリンとドーパミンが流れて言葉がすらすらと流れてきた。しかし、八つ当たりする対象も消え去って今朝のトラウマを思い出したレナは言葉を詰まらせていた。
「えーどんな魔法で気になる気になる。あっ、ごめん話す順序が逆だったね。助けてくれてありがとう。私ラトナって言うんだー」
彼女、ラトナはレナの肩を触ったまま感謝を述べる。本当に感謝を伝えているのか甚だ疑問な構えだった。
「私、レナ、レナ・スキナードって言います。ラトナさんの言う通り魔法です。内容は、その秘密ということで」
「そうなんだーミステリアスなのも魔法使い感があって良いね。あと私のことはラトナでいいよ。堅っ苦しいのは苦手なんだよね」
「分かった、ラトナ」
うんうんと嬉し気にラトナは頷く。
「そういえばレナはどうしてこんな早朝から路地裏にいたの?私みたいに襲われちゃったら大変だよ」
自虐混じりにラトナは質問する。
あまり気持ちのいい話でもない。それにラトナはついさっき会ったばかりだ。いきなり重たい話をするのも酷であり変である。でも、ラトナの落ち着いた雰囲気と聖母を彷彿させる優しさに少し吐露を零してしまいたいとレナは思ってしまった。
思ってからは早いもので、レナは昨日の夜から今日の早朝までに起きた出来事を勇者パーティーであることと、愛犬を食べたことを除いてラトナに愚痴った。
「酷い!いきなりパーティーを追放させるなんて、それにレナの場法が使いものにならないからって?私を助けてくれたレナは最強だったんですけど」
レナの悲しさで震えて詰まった声の嘆きを聞いて、ラトナは怒りで拳をわなわなと震わせる。赤の他人であるのにも関わらず一緒に怒ってくれるラトナがレナは堪らなく嬉しかった。
「レナはやり返したくないの?」
「もちろんやり返したいよ。でも、長年寝食を共にした仲間だもん。いきなり復讐するだなんて想像できない」
「悪い奴らってのはね、そういう優しい心に漬け込んでくるの。だから一発お灸を据えてやらないとダメなんだよ」
「そうなのかな……うん、でもそうだね。ラトナのおかげで勇気が湧いてきた」
愛犬であったバードの仇を取るべくレナはしっかりと杖を握って決意する。
「そうと決まれば、いい場所があるの。ついてきて」
ラトナはレナのさっきまでの失意のどん底に落ちた表情から決意に満ち満ちた顔つきに変わったことに安堵すると腕引っ張って路地裏の出口へ駆け出した。
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