その障壁が高くとも(瀬尾風澄&聖偲歌)
「偲歌、おはようございます」
私は見知った背中に声を掛ける。するとその人物は勢い良く振り返り、そのキラキラとした瞳に私の姿が映った。
『すぅちゃん!! おはよう!!』
「……早起きだったろうに、元気いっぱいですね」
『えへへ、なれてきたよ~』
私の感想に、偲歌はふふんと笑って胸を張る。私は小さく笑った。
「風澄ちゃん、おはよう」
「あ……おはようございます」
「毎日来てくれてありがとうね」
「……いえ、この時間は、特にすることも無いので」
「そっか。……今日は何か買っていく?」
「あ、じゃあ今日もおまかせで」
「はぁい。……偲歌ちゃん、今日は偲歌ちゃんがやってみる?」
『えっ!? いいの!? ……じゃなかった、いいん、ですか?』
「いいよ。偲歌ちゃんも慣れてきた頃でしょう?」
『うん!! ……じゃなくて、はい!! がんばります!!』
「ふふ、よろしくお願いしますね、偲歌さん」
『まかせてくださいっ』
私がそう声を掛けると、偲歌は慣れない敬語でそう答える。そうして店の奥に引っ込んでいくのを……私は、少し寂しい気持ちで見ていた。
明け星学園を卒業してから、約2カ月が経った。
偲歌は近所にある昔からよく通っていた花屋さんに就職した。店主さんはもうだいぶご高齢であり、店を畳もうと思っていたところで偲歌がたまたま訪れて……と、そういう縁があったのだ。お陰で店主さんも偲歌も、楽しそうにやれている。
私は……私は、大学に行く予定だったのだけれど。……入学直前で、合格取り消しを言い渡されてしまったのだ。
理由はなんとなく分かる。……私が明け星学園の出身だからだろう。あの事件があった明け星学園の生徒で、異能力者だから。名目上は、審査の確認をしたら誤って合格通知を出してしまった、とかいうとんでもないことを書いていたけれど。
抗議をしても無駄だということは、分かっていた。私には何も出来なかった。
支払い済みだった受験料と入学費は返ってきた。返すからもう関わらないでくれ、と言われているようだった。……それは本当に入学直前のことだったから、もう募集を掛けている大学も無くて、私の手元にはただ大量のお金が残っただけだった。
だけど蹲ったままではいけない。私は就職に方向性を切り替え、いわゆる第二新卒として働き口を探し始めた。
……だが、結果が振るうことはなかった。誰もはっきりとは言わなかったが、私が異能力者だから。理由はそれだった。
書類審査で落とされることがほとんどで、面接に進めたとしても「君明け星学園の出身なんでしょ?」だとか「異能力持ちねぇ……」などと面と向かって失礼なことを言われることが多く、当然どこも通らなかった。
私は、何者にもなれなかった。
スマホでネットニュースを見ていると、よくこんな話題を見かけた。「異能力者だと聞いて内定を取り消された」「今まで仲が良かったのに悪口を言われるようになった」。そして文中には必ず、「明け星学園で起こった事件をきっかけに……」が付いている。
それだけ、小鳥遊言葉の起こした事件の影響力はすごかった。
枕に顔を埋める。分かっている。彼女は苦しんでいたのだ。その苦しみを、犯罪行動で表現するしかなかった。理屈は分かる。分かる、けれど。
──小鳥遊言葉さえいなければ、私はこんなに苦しむことはなかった。
そう思ってしまう自分が、醜くて、情けなくて、苦しかった。
私は明け星学園に来ていた。『いっしょにお花とどけに行かない?』と偲歌に誘われたからだった。私は暇を持て余すあまり、車の免許を取得していた。つまり大量の花を運べるのである。
どうやらあの花屋は、昔から明け星学園と契約を結んでいるらしい。校舎に入ってすぐの大広間には華麗な花が活けてあるが、あれもあの花屋のもののようだ。
「瀬尾先輩、聖先輩、お疲れ様です」
そこで見知った声が耳に届く。私たちが振り返ると、そこには現生徒会長の伊勢美灯子さんの姿があった。……最初会った時に感じた初々しさはもうなく、今は大人びた印象を覚える。
『とうこちゃん!! ひさしぶり!!』
「ええ、お久しぶりです。……運ぶ場所、案内しますね。こちらにお願いします」
「ああ、ありがとうございます」
彼女に先導され、私たちは歩き出す。……久しぶりの明け星学園は、数カ月前まで毎日足を踏み入れていた場所なのに、もう知らない場所のようだという感想を受けた。
あれだけ毎日、学校中を駆け回っていたのに。
『さいきんはどう?』
「最近ですか。……忙しくしていますよ。まあ僕以外に生徒会が2人居るので、去年の生徒会よりは楽だと思いますけどね」
『そうなんだ!! ……ムリはしないでね』
「はい、しませんよ。……もう1人で無理はしません」
ならいいよ、と偲歌は笑う。私は一歩後ろで、その会話を聞いていた。
──そこでふと、横を見る。
そこに、いた。
……小鳥遊言葉が。
自分が何をしているのか、分からなかった。気づけば私の目の前には小鳥遊言葉が居て、私はその肩を掴んでいた。
バサッ、と物が落ちる音がする。彼女は無表情で本を読んでいた。たぶん、それが落ちたのだろう。
「──どうして!!」
私の口から、大きな声が溢れ出す。彼女は無表情で、その瞳は虚ろで、その中に泣きそうな私の顔が写っている。
それが余計に、私の中の激情を掻き立てた。
「貴方がっ、貴方が起こしたことのせいで、私がこんなに苦しんでいるのにっ!! ……どうして貴方はそんなに呑気に本なんて読んでいられるんですか!? 私は、私は……!!」
「……」
彼女が、ゆっくり瞼を震わす。瞬きをして、次いで口を動かした。
「……ごめん」
小さな、謝罪。しかしやはりその顔は無表情で、でもどこか苦しそうで、悲しそうで……私は、もうどうすればいいか分からなかった。
「謝ったって……ッ、何も、何も変わらないじゃないですかッ……!!!!」
私の瞳から涙が零れ出す。上手く呼吸が出来なくて、体に上手く力が入らなくて、私は座り込んでしまった。
もう、嫌だった。異能力者だという理由で勉強する機会を奪われることも、労働すら出来ないことも、奇異の目で見られることも、嫌なことを言われることも、嫌な自分を自覚させられることも、私は全く強くないことも。
『すぅちゃん!?』
偲歌は上手くやれているのに、私はそうあれないことも。
「ごめんなさい」
気づけば彼女も、私の隣に座り込んでいた。そして私のことを、優しく抱きしめて。
「ごめんなさい。……私のせいで、ごめんなさい」
淡々とした、でも悲しみのこもった謝罪。繰り返される言葉に、抱きしめられた温もりに、私は涙が止まらなかった。
「もう……もう、やだ、もうやだ、うわぁぁぁぁん……!!!!」
あれだけ憎らしかった相手に抱き着き、私は大きな声で泣く。駆け寄ってきた偲歌も、続いてやって来た伊勢美さんも、何も言わなかった。
「……すみませんでした。少し、ストレスが溜まっていて……」
「いえ……大丈夫です。言葉もそう言うと思います」
逆に、大丈夫ですか? と伊勢美さんが私のことを気遣ってくる。後輩に気を遣わせてしまうなんて、先輩失格だ。
「……大学合格を取り消されて、就職も上手くいかなくて、偲歌は……こうして立派にやっているのにと、焦っていたんです。それを、小鳥遊さんのせいにしようとしました。……本当にごめんなさい」
「……なるほど。まあ言葉のせいなのはそれはそうなので、いいんじゃないですか?」
「……え?」
「良いと思いますよ、言葉のせいで。それは事実だと思います」
私の言葉に、あっけらかんと伊勢美さんが答える。
……まさか、小鳥遊さんを一番大事に思っている伊勢美さんがそんなことを言うとは思わず、私は思わず言葉を失ってしまった。
「僕はそれを償わせるために、傍にいるんですから。彼女が悪いことをして、それで世間に悪いイメージを与えたのは事実です。だから存分に言葉のせいにしてください。……まあそれで逆恨みして、傷つけようとするなら僕が出ますけど、瀬尾先輩はそうじゃないですし」
「……いいん、ですかね」
「いいです」
「……ふふ、そうですか」
まさか、私の嫌な感情を肯定されるとは。思わず笑ってしまう。
……だけど、この苛立ちをぶつけてしまったのは、やはり良くないことだと思う。反省しなければ。
私は小さく深呼吸をすると、笑って伊勢美さんを見つめた。
「私、もう少し頑張ってみようと思います」
『すぅちゃん……』
「それで今度は、小鳥遊さんにいい結果を報告します」
そして言うのだ。貴方の件のことなんて、全然障壁になどならなかったと。
……私の自己満足かもしれないけれど。それでも。
「だから、それまで明け星学園を、小鳥遊さんをよろしくお願いします。伊勢美さん」
私がそう締め括ると、伊勢美さんは優しく微笑む。そして、はい、と頷いてくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます