理解されなくとも(雷電閃)

 その電話がかかってきたのは、そろそろ雨が降り始めるんじゃないか……という黒い雲が空を覆い始めてからのことだった。


 スマホが震え、俺は画面を見る。出てきていいですか、と伊勢美かいちょうに聞くと、いいですよ。と彼女は微笑みながら頷いた。

 俺は生徒会室から出て、応答ボタンを押す。そして耳に当てた。


せん、どうした? 電話なんて珍しいな」

『や~、ちょっとね……うん……なんて、言えばいいのかな』

「……? どうしたんだよ」


 随分と歯切れの悪い様子だ。いつも思ったことを、その場に適切な言葉にしたうえでポンポンと口から出す彼にしては珍しい。


 ──何か、嫌な予感がした。



『……俺、家に閉じ込められちゃってさぁ……どうしたら、いいかな……』



「は……?」


 頬を冷や汗が流れるのが分かる。背後では、雨が窓を叩き始めていた。





 すぐに伊勢美いせみに早退させてほしい旨のことを告げた。俺の様子がただならぬものだったからか、いいですよ、と彼女からの許可はあっさり下りた。何かピンチだったら頼ってくださいね、という心強い言葉付きで──じゃあ自転車生成してくれないか、という要望をすぐに聞いてもらえて、本当にありがたかった。


 段々強くなっていく雨脚を全て切り裂くように、俺は必死にペダルを漕いだ。スマホに送られた位置情報を頭の中に浮かべながら。


 ……辿り着いたのは、古びたアパートだった。すごく年季が入っていて、言葉を選ばずに言えば、ボロい。

 ここに閃が……? と思いながら、俺はその裏手に回る。正面から行ってもロクなことがないと分かっているからだ。


 ──強い執着心。この場に居るだけで、冷や汗が止まらない。


 閃に、裏手に回った。と連絡を入れる。すると少しして……裏手に備え付けられた窓が、恐る恐る、という様子で開いた。そこから顔を覗かせるのは……見知った顔。


糸凌しりょう……俺……」

「話は後で聞く。ここから出られるか?」


 泣きそうな顔に、弱々しい声。それを全て振り払い、俺はそう尋ねる。一応……人1人は通れそうな大きさだと思うが。閃は、細いし。たぶん行ける。


「出れる、と、思うけど。でも……」

「俺に連絡してきたのは、出たいからじゃないのか?」


 背後を気にする様子の閃に、俺はそう言う。閃は、何も答えなかった。

 ……背筋がゾワゾワする。恐らくだが、これは、もうあまり時間がない。


「閃」


 力を込めて、名前を呼ぶ。導かれるよう、彼は顔を上げた。


「大丈夫、受け止めてやる。──だから、来い」


 手を差し出す。閃はジッとその手を見つめて……そして、ゆっくり、手を重ねた。

 俺はその手を握り──思いっきり、引く!!





 結局、俺は勢いづき過ぎて閃を上にする形で地面に倒れ込んだ。頭を打って割と痛い。雨で地面がぬかるんでいたお陰で、致命傷は免れたが。


「……あははっ、受け止められてないじゃん!!」

「仕方ないだろ、俺はこういう……こういうの担当じゃないんだから!!」


 こういうのは出来る人に任せてた人生だからな……!!


 出てしまえばすっかりいつもの調子だが、時間がない。俺はすぐに起き上り、閃の手を引く。そして見事に補導される形態(※自転車二人乗り。良い子は真似するなよ)を作り出すと、俺は再びペダルを全力で踏み込んだ。





 アパートからかなり離れてきた、というところで俺は漕ぐ力を緩める。……そこでようやく、口を開いた。


「……で、何がどうしたんだよ」

「……」


 閃は、何も言わない。何と言えばいいか、分からないようだった。

 いや……まあ、背後霊の様子で、なんとなく事情は察せてはいるんだが……。


 ……けど、簡単に口を出していいものではない。それに、無理に離させるのは酷だろう。


「……言いたくないなら、言わなくていいけど」

「いや……迷惑、掛けちゃってるし。ちゃんと話すよ」


 だが閃はすぐにそう言った。無理をしていないか、と心配になるが……本人が話すというなら、俺はそれを受け止めよう。


 そしてポツポツと閃が話し始めたのは……自分の家のこと。

 まあ俺が察していた通り。自分の家は母だけの片親で、父は小さな頃に出て行った。それから自分は女性を幸せにするようと言われ続けて、昔から自分のことは自分でこなして、母には自分しかいないから、幸せにしなきゃダメなんだ……と、話が行ったり来たりしているその様子が、彼の混乱を伺わせた。


「俺たち、小鳥遊たかなし先輩に……学校に、閉じ込められたじゃん」

「そうだな」

「それで……今日、母さん、ちょっと不安定な日だったみたいで。もう二度と私の知らないところに行かないでねって。約束するなら、もう学校には行かないでねって。ずっと家に家にいてねって……」


 ……結局、予想通りではあったわけだ。


 俺はブレーキをかけ、自転車を止める。振り返ると、驚いたようにこちらを見つめる閃がいた。


「連れ出して良かったか?」

「え……」

「今ならまだ、クラスメイトに無理矢理連れ出された、って言えるぞ」

「……」


 俺は、今俺がしているのが正しいことなのか、全くもって分からない。

 正しさなど、分からない。だったら俺は──思いの方を大事にしたい。指標に出来るのは、それだけだ。


 閃は少し悩んでいたようだけど……やがて、首を横に振る。俺を見つめ、口を開いた。


「……いいよ、このまま行ってほしい」

「……分かった」


 閃から許可も貰ったわけだし、俺は再びペダルを踏んで自転車を漕ぐ。

 雨が俺たちの体を叩いて、俺たちはそれから何も言わなかった。





 明け星学園に帰ってくる。まあ行く宛ないから、ここになるよな。

 校門に自転車を停めると同時、出てくる影が1つ。危うく轢きそうになって、俺は激しく肩を震わせた。


「わっ、す、すみませっ──」

「──危ないではないですか、こんな雨の中、自転車など!! しかも二人乗り!? 言語道断です!! あり得ません!!」


 げ、と俺は小さく声を出す。そこに立っていたのは──風紀委員長だった。いや、もう2年生に引き継ぎは終わっているはずだから、瀬尾せお先輩と呼ぶべきだな。

 続いてひょっこり出てきたのは、ひじり先輩。いつもの2人組だ。


『しりょうくん、せんくん、こんにちは~。いそいでるみたいだね、どうしたの?』

「……えーっと……」


 顔を真っ赤にして怒る瀬尾先輩とは対照的に、聖先輩は柔らかな口調でそう問いかけてくる。どう答えるべきか、と悩んでいると。


「……はぁ。ここで立ち話をしても仕方がないでしょう。偲歌さいか、一度学校へ戻っても良いですか?」

『うんっ!! もちろんだよ、すぅちゃん!!』

「え? えっと……」

「……2人とも、そのままだと風邪を引きます。とにかく今は、中に入りますよ」


 それだけ言うと、瀬尾先輩は踵を返し、キビキビと歩き出す。俺と閃は顔を見合わせ、慌ててそれに付いて行った。





「台風に巻き込まれるってこんな気持ちなんだな……」

「強風警報の時ってほんと外出ちゃ駄目だね……」

「……何を至極当然のことを言っているのですか」


 俺たちが連れていかれたのは、相談室。……風紀委員の活動拠点となっている教室だった。


 そして俺と閃は……瀬尾先輩の異能力、「風月玄度」をモロに受けたのだ。

 暴風に包まれた俺たちは、雨でずぶ濡れになっていた髪も肌も服も一気に乾かしてもらえて。……ただ、息が全く出来なかった。もう少し長引いていたら間違いなく窒息していた。いや、そうならないように手早く終わらせてくれたんだろうけど。


「それで? 貴方たちは確かに風紀を積極的に乱すような生徒ですが」

「えっ俺たちそんな風に思われてたんですか」

「ですが、先程の行動は貴方たちらしからぬものだったと見受けます。……そうせざるを得ない事情でもあったのですか?」


 瀬尾先輩は、じっと俺たちを見上げる。厳しく鋭い瞳だったが──同時に、慈しみに溢れた瞳だった。

 ただ規律を守るだけでない。その規律の中にある人々の安全を、きちんと見つめてくれる人だった。


 そして、俺たちの状況を──少なからず、悟ってくれている。


「……すみません。それは言えません」


 だけど俺の口から出てきたのは、それを突っぱねる言葉だった。


 俺と瀬尾先輩は、黙って見つめ合う。瀬尾先輩の後ろに立つ聖先輩がアワアワとしていて、きっと俺の後ろに立つ閃も同じような顔をしているのだろうな、ということは容易に想像が出来た。


 そうして見つめ合っていた俺たちだったが……先に逸らしたのは、瀬尾先輩だった。はぁ、と深々とため息を吐いて。


「……分かりました。踏み込まれたくないことだって、ありますもんね」

「……すみません」

「いえ、構いません。……ですがお2人とも、これだけは覚えておいてください」


 瀬尾先輩はどこまでも真っ直ぐな瞳で、告げる。


「私たちは、卒業しようと貴方たちの先輩であり、味方です。何があっても」

「……!」

「ですから、何かあれば頼ってください。些細なことでも良いです。……貴方たちはいつまで経とうと、手のかかる大事な後輩なのですから」


 そう言うと瀬尾先輩は、優しく笑う。俺は思わず吹き出して。


「そんな迷惑かけた覚え、ないですけど」

「貴方、職員室から色んな教室の鍵盗んでいたの、私知っていますからね」

「……」

「え、糸凌?」

「ここに住んでいるから、色んな教室の鍵を持っている方が都合が良いのは分かりますけれど。……次の風紀委員長が許してくれるといいですね」

「…………………………」

「ちょっと糸凌!? えっ!? 犯罪じゃん!?」


 ……や~……いやぁ~……人居ない時にやってたし、バレてないと思ってたんだけどな……。





 とりあえずそこのところはなあなあに誤魔化し、俺たちと先輩たちはそこで別れた。どうやら2人は、学校に置いていた私物を回収しに来ただけらしいし。

 俺と閃は場所を授業を行う教室の一室に移す。相変わらず窓を激しく雨が叩いていた。


「……んで、来たはいいけど、これからどうする?」

「……どうしようね」


 俺が聞くと、苦笑いで閃がそう返してくる。その声色は、どこか他人事だった。


「……俺はさ、この学校が好きだよ」

「……糸凌」

「ここに来たから出会えた人が、沢山いる。かけがえのない人、大事な人たちが。……お前に会えたこととかさ」

「……え~、何、恥ずかしいじゃん」

「お前もそうだろ」


 閃は小さく目を見開く。そして俺から視線を外したが……俺は彼を見つめ続けた。


「俺は今から、酷なことを言う。……ちゃんと居場所を選んだ方がいい。母親の言う通りに家にずっといるのか、それとも、この学校に通い続けるのか」

「……」

「……俺は……」


 強い雨の音がする。激しく窓を叩いて、騒がしい。……俺はその音に負けないよう、はっきりと告げた。


「俺は、閃がいるこの学校が好きだよ」

「……え……」

「……最初は変なヤツだと思った。でも、今ではお前とこの学校で過ごすのが、俺の一番楽しいことになってる。……だから俺個人の想いを言うのなら……閃には、ここにいてほしいよ」


 わがままだけどさ。と付け足して、締めくくる。

 閃は顔を上げて、俺を見つめていた。


「……俺は……」

「……」

「……俺も、この学園が……好きだよ。糸凌、お前と出会って、俺の世界は広がった。なんか、なんて言えばいいかな。……母さんのことは大事だけど、でも、それだけで生きなくても良いって、思えるようになったんだ。俺……」


 閃の瞳から、涙が零れる。しかし彼はすぐにそれを両手で拭って……強い瞳で、俺を見つめた。


「──俺、この気持ち……ちゃんと、伝えてみるよ」


 分かってもらえる気はしないけど、と閃は苦笑いを浮かべて。俺も思わず苦笑いを浮かべた。


「……ああ、応援するよ」


 誰よりも、近くで。


 まあ、その必要はないかもしれないけど……。閃の背中に憑く生霊が薄まっていくのを見ながら、俺はそう思うのだった。

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