第一章 衝撃
家に帰るなりドアを勢いよく開けて、ソファにスクールバッグを投げつける。誰もいない家。静かにソファに座り、スマホをいじくる。
「はぁ」
軽く溜め息をつきながらも変わらずスマホを触っている。しーんとした家の中で落ち着かない。
バンッ‼︎
頭を叩かれたような衝撃が走ったかと思えば、視界が黒で塗られ、意識が断たれた。
目の前が途切れる前、私が見たものは、犯人の頼りない立ち方の足に、胴に、それから顔。私は、犯人の顔を、しっかりと見た。
頭から流れる血。玻琉は意識を失ったまま、リビングで倒れ込んでいた。
玻琉が気がつくと、病室にいた。ぱちぱちと瞬きをしながら周りを見渡すと、ベッドの左側に、女性と男性が。
「あ、あの…」
起きあがろうとすると、頭がズキっと痛んだ。イテッと呟くと、女性が慌てて
「あらあら、寝たままでいいのよ」
と私を寝転ばせる。
誰だろう?と思いながら二人を見つめていると、女性は男性と顔を見合わせて下を向き、ハンカチで目元を押さえながら言った。
「私たちは、あなたのお母さんとお父さんよ」
…私には、記憶がない。突き落とされた衝撃で、記憶喪失になってしまったのだ。ただ、全部が全部忘れてしまっているわけではない。自分の名前が西岡玻琉であること、高校から帰ってきたあとに階段から落とされたこと、小さな頃の思い出は、ちゃんと残っている。しかし、所々が抜けていて両親の顔は忘れてしまったのだ。それと──犯人の顔も。誰だったのかも少しも思い出せず、少し後悔。
「お母さんとお父さんなの…?」
目の前の二人はごくりと唾を飲む。
「お父さん…?なの…?」
「…うん。玻琉の、お父さんだよ…!」
男性はにっこりと笑い、そして抱きしめあった。
「…お父さん…?…なあんだー!もう…最初見た時は誰かと思ったよぉ〜!」
どういうわけか急にホッとして、肩の力が抜けた。無性に笑いが込み上げてきて、お母さんとお父さんと笑っていた。
お母さんが思い出したように時計をチラッと確認して、
「ごめんね。お母さん、そろそろ帰らないといけないの」
お母さんは荷物をまとめ始めて申し訳なさそうに病室を出て行った。
残ったのはお父さんと私。病室は個室だからとても静かだ。
沈黙の中、ようやくお父さんが突然話し出した。
「…玻琉。怖かったろ。お父さん、玻琉が無事で本当に安心したよ…。よかった。でも、記憶がなくなっちゃったんだってな。はは、お父さんとの記憶も無くなっちゃったか?」
「忘れないよ!覚えてるよ。…ほら。お父さんこそ覚えてる?私が幼稚園から脱出した話。お父さんさ、会社から出て行って焦って探してくれたよね〜!」
私は懐かしい話に声を弾ませる。
「ああ。…そうだったな。あの時はすごく焦ったよ。もうこんなに大きくなって…」
「あっはは、だよね〜。ご迷惑をおかけしましてすみません…」
物心がついた頃からずっとお父さんっ子で、幼稚園やおばあちゃん家でも絶対「お母さんよりもお父さん!」だった。どこかに遊びに行くときも、雑談するときも、悩み相談も、お父さんじゃないと嫌ってぐらい。反抗期中も、少しのぶつかりはあったけど、変わらず大好きで、ずっとくっつきっぱなし。
「ずっとお父さんを振り回してたもん。いくらお父さんっ子とはいえなかなか問題児だったよね〜…」
えへへ…と頭をぽりぽり。急に恥ずかしくなって下を向いたけど、結局お父さんの方を見た。
「お父さん、昔から面倒見のいいタイプだって言われてたんだ。だから玻琉のことは全然へっちゃらだったよ」
「えーっ、そうなの?」
と、また笑いが起こる。
お父さんとたわいもない会話をして三十分以上。そろそろ時間だということで、病室を後にした。
「じゃあ…お大事に」
「うん!お父さん、バイバーイ!」
さて、と。何をするか…。しーんと静まる部屋は、人がいるのといないのではわけが違う。とりあえずスマホを開いてみるも、もちろんのことラインは来てない。まだ学校の授業中だし、友達にも入院のことを言っていない。期待していなかったはずなのに、期待外れになった気分でスマホを閉じた。ゲームするのもいいけど、なんだかそんな気持ちになれなくて、もう何もしないことにした。読書だって好きじゃないしね。布団でゴロゴロしていると、いつの間にか眠りについていた。
*
玻琉が一人で時間を潰していた間、警察は密かに捜査を進めていた。警察は、まず最初に家宅捜査に行った。
玻琉の家には、父親が会社へ行ってしまったため母親しかおらず、インターホンを鳴らされて玄関まで出てきた母親は相当驚いた。
「警察の者です。西岡玻琉さんのお母様ですか?」
「あぁ、はい…。母の西岡
「家の中を見させてもらっても大丈夫ですか?」
動揺を見せるも、お母さんは、玻琉のためならと、どうぞどうぞと家の中を案内。
「こちらが、玻琉が突き落とされた場所です…」
大勢の人が家中を証拠がないか探し回る。玻琉の母はそれを黙って見ており、それも結構な時間が経っていた。最後の悪あがきのように捜索していると、たったひとつだけの証拠が見つかったのだ。
その証拠とは──指紋だ。指紋の場所から考える仮説としては、玻琉を突き落とした犯人が玻琉の背中を押した拍子に反動でバランスを崩し、手をついてしまった、というもの。
警察は一度家宅捜査をやめて、事情聴取に母・恵を連れて警察署に戻った。身分証明書や指紋など、必要なことを済ませ、いよいよ証言が始まる。
「その日のその時間帯は、いつも通りパートに行っていました。主人だってお仕事で家にはいませんでした。玻琉が帰ってくる時間はいつも留守にしています。だから娘には一人で過ごしてもらっているんです。あの日、私たちが家にいれば、あんなことは起きなかったかもしれないのに…」
お母さんは、涙を流して謝罪をしていたそうだ。
その日の夜には玻琉の父、
しかし、何度やっても思い通りにいかず、仮説を証明できる証拠や犯人像も確証できなかった。
*
「玻琉。今日も来たよ」
「あー!お父さん!」
入院二日目、仕事帰りにお父さんがお見舞いに来てくれて、気分るんるんな私。今すぐにでも飛びつきたい勢いだ。もしかして私ってファザコンなのか?と疑ってしまう。
「どう?調子は」
「超良好!」
「なら良かった」
お父さんはほっと胸を撫で下ろす。
「あっそうだ。今日はいいものがあるぞ」
大きなカバンをゴソゴソとあさる様子をまじまじと見ている。
「お土産⁉︎」
お父さんが出したのは、会社の近くの広場でやっていたという北海道フェアの数々の品物たち。メロンのゼリーに、じゃがいもの何だか分からない食べ物。それにご当地キーホルダーや綺麗な置き物まで。
「やったー!お父さんありがとう、最高だよ!」
「喜んでくれて何より」
お父さんは病室の棚に一つ一つ片付けながら、今日のお父さんの様子を教えてくれた。
「お父さんは営業マンだから。車であちこち行ってるんだよ」
「いいなあ〜。確かによく車で旅行行ったよね。車の運転って憧れる!」
色々と想像する。一人でドライブも憧れるよね。彼氏と車でデート⁉︎なんちゃって。いつか結婚するのかな。そしたら車で家族全員で海とか山とか行けるよね。
「だろ。でも毎日となると案外飽きてくるものだぞ?」
「じゃあお父さん、車が相棒なんだね」
「そうかあ…。その発想はなかったな」
はははは、と、またなぜだか笑い合った。
私が暇にならないようにだろうか。お父さんは、今日あった面白いことや大変だったことなど、色々教えてくれた。私も学校のことを話したり、友達の写真を見せたりして時間が過ぎていった。
「ほらほら!この子、覚えてない?」
「えー、お父さんも歳だからなあ。それに随分と前だろう。うーん…あ、あの子か!」
お父さんとの雑談は本当に飽きない。とてもホッとするし、時間も忘れるほど話を続けられるんだ。
「わ!もうそろそろ帰らなくちゃ。じゃあまたな玻琉」
お父さんとまた別れてしまうのは寂しいけど…。
「うん。また来てね!」
「また明日」
「バイバイ!」
手をひらひらとさせて出ていった。
一人になって急に暇になって、わけもなくプリクラの貼られたスマホを手に取った。ラインのアプリを立ち上げると、幼馴染で親友の
「どれどれ…」
遡って順に見ていくと、いつも通りの碧の様子が窺えた。
『はるー元気?』『って、元気だったら入院してないよねww』
昨日、碧に『今日学校来てなかったのどうしたの?』と聞かれたため、私は仲の良い碧にのみ本当のことを言ったのだ。まさか入院してるとは思ってなかったみたいですごく驚いてたし、事件性があることにももちろん戸惑っていた。
『今日の授業だるすぎ!!!』『マジでさっきまで寝てた』『スマホ触ってんの先生にバレたらどうしよ』
私たちの通う学校は、授業中にスマホを触るのは禁止。先生に見つかったら必ず取り上げられて、次の日の放課後に返されるシステム。
『あ、ヤバい』『バレる』『先生こっち来る‼︎』『むりむりむりむり』『危なかった!セーフセーフ!』
碧ったら何やってるの、と呆れつつ、面白いからニヤけてしまう。わくわくさせて下へスクロールしてみると、
『えマジ無理!また来た!』
と、まだ続いていた。
『ちょ目あったああああ』『助けてこっち来るって!』『完全にうちのこと見てるしこっちきt』
あ。これは没収されたかな…。リスク犯してでもライン送らなくてもいいのに。そういうところが碧は面白くて友達思いで優しいんだろうな。
アプリを閉じて、スマホの電源も切って机にうつ伏せにして置いた。寝転んで布団に潜り込むと、またスマホがブーンと鳴った。誰からだろうと不思議に思って再度アプリを開くと、碧からだった。没収されたわけじゃなかったんだ。
『あっぶなー』『ギリ隠し通した』『さすが私』『やっぱりさすがに授業聞いとくかー』『てことでまた』
ポコン!ポコン!と次々に送られてくるメッセージ。私はゆっくりとキーボードを打ち、優しく送信ボタンを押した。
『はいはい頑張って〜』
もうスマホは見てないかな、とも思ったけど、少しした後にまた、
『りょ!』
というスタンプが送られてきた。
今度こそスマホの電源を切って机に置いた。
することがなくなったのも束の間、昨日に引き続き、頭の検査の時間がやってきた。
「こちらに座ってくださいね〜」
「ここにおかけください」
「楽にしてていいよ」
「こっちを頭にして寝転んでくださいね〜」
色んなところに連れ回され…とは言っても車椅子でだけど、本当にたくさんの検査をした。変な機械に囲まれたところへ入ったり、画面を見たり、図形を書いたり、何これ?というものまであった。
今日は、どうやら記憶以外に抜けているところがないかを調べていたらしい。結果、恐らく記憶喪失以外に異常はないだろうとのことだった。
記憶はまるで戻りそうもない。先生の話によれば、今日思い出すかもしれないし、何かがきっかけで思い出すかもしれないし、永遠に記憶が戻らない可能性も否定できない──とのこと。
正直、記憶喪失になっているからと言って困ることはあまりなかった。確かに、両親の顔を忘れていて落ち込んではいたものの、家族の思い出は抜けていないはず。生活するにおいて大切なことも全部覚えている。たったひとつ、強いて言うならば…犯人の顔をこれっぽっちも覚えていないことだ。犯人の顔を思い出したその暁には、犯人をとっ捕まえて、懲らしめてやりたい。
う〜ん…。犯人…どんな人だ?なんとなく、靄がかかったような映像として記憶に残っているが、さてそれがどんな顔でどんな体型だったか…。
「ああ〜!もう、分かんないよ〜!」
せめて男だったか女だったか。というかそもそも動機は何?私に恨みがある人間ってこと?だとしたら年齢は同級生?でも私心当たりないよ?窓の鍵が空いてたみたいだから、ただの泥棒の可能性もある。
う〜ん、と考えてもあまり意味のないことを考えているうちに時間はどんどん過ぎていった。
気がつくと放課後の時間になっていた。
もうそんな時間に⁉︎とびっくりしていると、突然病室のドアからノックの音がした。コンコンコンコンコンコン…と高速で。こんな常識はずれのノックの仕方は間違いなく碧に違いない。碧はいつ何時でも面白いこと重視の女子高校生だ。…と、それに比べて私はただ碧にくっついて一軍に居座るだけのへなちょこ。
きっとこのセリフを言わない限りずっと続けるんだろうな、と察して、
「どうぞー」
と言った。
「どうもこんにちはー玻琉に会いに来ました〜」
個室なんだから言わなくてもいいってのに。「やっほー玻琉!って、ねえー今、個室なんだからわざわざ言わなくてもいいのにって思ったでしょ」
ぎくっ!さすが碧。昔からの付き合いなだけある。
「よく分かったねー。で、今日はどうしたの?」
「何って…。授業の板書だよ!いらないんだったらあげませーん」
「ください!くださいってば!」
いつもの碧だ。よかったよかった。
「それにしても碧のラインすごかったね」
思い出してスマホを開く。
「あーね!先生酷いよねー鬼畜〜」
「いやいや、授業中にまでラインしてこなくていいから!おかげでこっちがヒヤヒヤしたもん」
碧は「へへっ、ごめんごめーん」と全く反省の色が見られない。
とまあふざけたような親友ではあるけど、ちゃんと授業の内容を教えてくれたり心配してくれたりと優しい一面も。
ついでに今日の面白い学校の話を聞かされた後、「部活しに学校戻んないとだから!」と嵐のように出ていった。部活があるのに学校を抜け出してきたのかと思うと、またクスッと笑えてしまう。
静かな部屋に戻ってしまい、何か今日は楽しいことないかなーと思う一方で、学校が始まったらダラダラできなくなるからいいやと思ってしまう自分もいた。でもまた布団に潜って冷静に考えると暇であることに気付く。いっそのこと、「家出」ならぬ「病院出」でもして抜け出しちゃおうかなと考えたが、さすがにそんなフィクションのようなことはしないでおこうと思い直す。そもそも抜け出したところで何をするんだ。知り合いに会えば病院に連れ戻されるはずだし、病院にバレれば怒られるどころでは済まないだろう。逆に脳の異常かと思われて入院が長引く可能性も捨てきれない。
そう考えると、怪我が治ればあとは退院のみ。やはりそれまで楽しいことはお預けか…。
だるーっと布団の中に身を隠していると、今日三度目のノックをされた。それもキレッキレの硬い音で。
こんな時間に誰だ?と思い、警戒しつつも「は、はい…」と答えると、男性二人が入ってきた。
「あのぉ、人違いでは…?」
見覚えのない二人を見て追い返そうとする私。
そうか。記憶が抜けているだけで、知っている人なのかも。
…いや、こんなおじさんとJKに何の関係があるというのか。
ちゃんと起き上がってジロジロ観察していると、お二人の正体が分かった。
「け、警察…の方々…?ですか?」
なるほどそれなら納得。
「立花と言います」
「あ、えっと
ガタイのいい方が立花さんね。…で、東さんは…新人?警察手帳を開くのもおぼつかない。
「西岡玻琉さんで間違いないですね。事件の時のことをお聞かせください」
立花さんはしゃがみ込んでグイグイ切り込んでくる。今日の検査で異常が他に見つからなかったということを聞き、すぐにこちらへ駆けつけたという。ずっと事情聴取したがっていたのだろう。
私は一刻も早く犯人をとっ捕まえてほしいので張り切って答えた。
「それでえっと、あの時は学校から帰って来てすぐでした。記憶が抜けててあまり覚えてはないんですが、突き落とされる時に犯人の顔を見た気がするんです」
「えっ!見たんですか⁉︎」
まだ話の途中なのに新人警察(っぽい)東さんが急に驚いて尋ねてきた。
「…でもその顔も忘れたんです」
警察二人が「ほう…」と考えている。
「もっと当時のこと、覚えてないんですか?落とされる直前、どこにいて、何をしてたんですか?どうやって突き落とされたんですか?」
「だから分かりませんって!」
そろそろしつこくなってきた。確かにこれは犯罪者でも嫌になるわけだ。
「でも顔は見たんですよね?どうしてそれは覚えてるんですか」
おかしいでしょ、と言わんばかりに聞いてくる。
「それは、落とされる瞬間…というか、見た時に『犯人の顔を見た!』って思ったからです。見た時のことは覚えてないけど、見たっていうこと自体は覚えてるんです!」
「では玻琉さんは顔を見たんですね?犯人の顔を」
しゃがみ込んで顔を覗き込んでくる立花さん。私は、二人の熱量に飲まれてゆっくり寝転ぶ。
「だから見たけど忘れましたって!」
何度も聞いてくるしつこさに飽き飽きしてぷいっとそっぽを向いた。
「…そうですか。今日はこれで。行くぞ」
さっきから怖い警察は、東さんを連れて、帰ってしまった。若い人の方は、なんだかベテランの人に振り回されているみたいで、最後に出ていく前、申し訳なさそうにお辞儀をしてから出ていった。
そして、ガタイのいいベテランの警察の人の第一印象は最悪。正直げっそり疲れてしまった。
*
警察二人が、被害者である西岡玻琉の事情聴取が終わり、警察署に帰ってきた。
「被害者は何て?」
「実はすごいことが分かったんだ」
話を聞いた人たちは、その手があったか、と思いつき、すぐさま実験を再開させた。
前までは、落とし方というものがいまいち分かっていなかった。しかし、今回の証言で、うつ伏せではなく仰向けのまま落とされたことが判明。何度も何度も実験を繰り返すうちに、ようやく指紋の場所や玻琉の当時の記憶が辻褄の合う落とし方がおおよそ確定できた。
そして、その落とし方などから、犯人の大体の身長が分かり、さらにはその犯人像から察するに、この人では?という目処もついた。
翌日、頼んでおいた指紋解析もちょうど届いた。その結果から、予想通り、犯行に及んだ人物の正体が解明したのだ…。
*
「はーる!」
「碧⁉︎なんで⁉︎学校は⁉︎」
現在、平日の朝十時。
「今日は学校の創立記念日だよ?」
そうだった、忘れてた。
「せっかくの休みなのに全く特別感ないの、なんか悲しいな〜…」
「玻琉らしくないションボリ具合だね」
だよね〜。自分でも思ってるもん。どこか我ながら心に傷を負ってるのかな〜なんてこと思っちゃったり?
「よ〜し、玻琉!そんなあなたに…。…じゃっじゃーん!授業ノートでーす」
「ふっ。はっ、は?全然元気づけになってないからー!でもありがとね。そもそもノート書いてくれてるのも碧だし」
碧は小さい頃から変わらないなぁ。ふざけられる場面ではとことんふざけて、みんなを笑わせて。私なんか人前でギャグを言うのも恥ずかしいのに。冗談だって言えないし。
「玻琉、なんか元気ないね。なになに、センチメンタルってやつ?」
「えっ⁉︎私、べべ別にそんなんじゃないよ」
「そう?それならいいけど。私一回帰るからまたねー」
と、いきなり去ってしまった。
…。
「なんだ、また一人じゃん」
やっぱり私、センチメンタルかも。涙ぐんできた。でも大丈夫だもん。というか、入院してからの三日間で異様に疲れてるから仕方ないよね。
誰もいないのに、泣いてることが恥ずかしくなってきて布団の中にすっぽりと入ってしまった。少しの涙を布団に染み込ませて、深呼吸をする。
「きっと犯人は見つかる…だから少しの辛抱だから…」
目をつぶってそんなことを考える。どこかで踏ん切りがついて、力強く目を開いた。
よし!と布団から顔を出したところで、なんとお母さんとお父さんが部屋にやってきた。
「えええ!なんでなんで⁉︎」
私がびっくりして飛び起きると、お母さんが心配してそばに寄ってきた。
「驚かせてごめんねえ。今日は元々学校がお休みの日だったからね、お母さんとお父さんの仕事も休ませてもらってたんだよ」
「なんだー。こんな時間に来るからリストラにでもあったかと思った!」
お父さんがハハハと笑い、お母さんも微笑みながら私をベッドに寝かせた。
「さっき碧も来たんだよ。会わなかった?」
「え!碧ちゃんが?」
「会わなかったよな」
まあ会っても五年以上ぶりだから分からないかも。
「そっかー。今日はなんだかもう一回来そうな勢いだったよ」
「昔から仲良かったものね。碧ちゃんに感謝ねえ」
すると突如お母さんが私から目を逸らして話し始めた。
「玻琉、泣きそうな顔してるけど何かあった?…泣きたい時は泣きなさいね」
「そうだぞ玻琉。お母さんと話してたんだけど、やっぱりセンチメンタルになってるんじゃないかって心配してたんだ」
はあ…。お父さんたちまで碧と同じようなこと言い出して。
「も〜だから大丈夫だってば」
「え〜そう?」
とはいえさっき泣いてたのは事実なんだけどね。
「そうだ玻琉。お父さんのお気に入りの本をあげよう」
ゴソゴソと鞄を漁り、「あった」と、少し古びた小説をもらった。なんとも難しそうな本ではあるが、入院生活は暇だし時間を潰すのに最適だ。
「ありがとう」
本が出てきた鞄のチャックを閉めて、また肩にかけたお父さん。
そういえば二人とも、荷物も下ろさず立って話している。
「このあと用事でも入ってるの?すぐ出れそうな格好だけど」
「あー、実は警察の事情聴取が入ってるんだ」
お父さんが構わず教えてくれると、お母さんが眉間に皺を寄せて「ちょっと」とお父さんを小突いた。
「? そっか…。犯人、早く見つかるといいね。それにしてもお母さんとお父さんは何度も何度も何を訊かれてるの?二人はあの場にいなかったのに…。それも、私が記憶喪失だから…なのかな」
「いや、違う違う、玻琉のせいじゃなくて…」
お父さんが必死になっているところに、「ほら、だから…」と溜め息をつくお母さん。
「は、玻琉は何にも気にしなくていいんだぞ!な、玻琉が気に病むことはない。全部全部…。…。…犯人が悪いんだからな」
犯人が…ね。そうだよね。犯人が犯行しなければ──私を突き落とさなければ、何の問題もなく、のどかでいつも通りの暮らしをしてたはずなのに。
「…」
バツが悪そうにキョロキョロと見渡し、お父さんは沈黙を破る。
「さっ!そうだ、その本読み聞かせでもしてあげようか!」
「えぇっ、これ?」
さっきくれた分厚い本。
「こ、これを読み聞かせ…?」
さすがに有り得ない。考えただけで笑いそう。そもそも小説なのか説明文なのか何なのかすら分からないような本。…題名は…『道』?余計、どっちか分かんないや。
私とお母さんが混乱していると、正気に戻ったお父さんが「あっ」とまたあわあわしている。
「あ、あはは…はは…」
照れて気まずそうにこちらを見られると、また笑いが込み上げてくる。お父さんって、昔からこうだったかも。ちょっと天然っていうか。
「もう、私のことは心配しなくていいから。じゃあね!警察待たせたらまた面倒くさそうだし!早く終わらせてきなよ」
「…だな。ありがとう。玻琉。また来るから」
「お母さんも。私のこと心配しすぎて体壊さないでよ〜?」
「ええ。またね。無理しすぎないように!」
…こんな入院生活もいいかも。でも、早く退院したいのは変わらないけどね!…けど、退院予定ってまだ三ヶ月半先でしょ?カレンダーに丸してある。やっぱり…入院生活耐えられないかも…。
そうは言いつつも、入院を続けていると毎日のように誰か必ず来てくれるから、意外と飽きない。誰が来るのかとワクワクして、もはや入院生活の唯一の楽しみだった。もちろん、今時何でもできる、スマホという文明の力もあるのだが、そう簡単に満足できる私ではない。どうせスマホを触るなら、学校から帰って疲れた体をソファにだらんと寝転ばせて、音楽を流しながら心地よい空間でリラックスしたい。病室という白い部屋ではそうはいかない。自分好みのベッドということでもないし、心も落ち着かないし、いつ誰が来るか分からないんだから。看護師さん?お医者さんの回診?警察?一人でゆっくりするにもできないわけだ。
日に日に元気になっていく中で、みんなに会うことで早く外に出たい欲が増していく日々。
「お母さ〜ん。早く家に帰りたいよう」
「碧、相変わらずラインうるさすぎー。授業聞いといてよ」
「お父さん、今日もありがとう!」
特にお父さんとは会うのが楽しみで楽しみでしょうがない。退院後の生活がますます楽しみになってくる。
「やっほー。お父さーん。ここのところ毎日来てくれてるよね!」
「うん。仕事帰りで申し訳ないけど」
「いやいや、来てくれることが嬉しいんだから。そうだ!嬉しいついでにもう一個嬉しいことがあったの!お母さんにはラインで言ったけど、お父さんには口で伝えたいなと思って」
「おう。何?」
お父さんはニコニコして背筋を整えた。
「私ね、退院が早まるかもしれないって!」
入院から、半月が経ってからのことだった。元の予定である三ヶ月半の入院期間から、二ヶ月弱になるというのだ。
「えーっ!よかったじゃん!」
「でしょ!ふふ。私、お父さんとまた暮らし始めたら記憶喪失戻るかもしれないね〜」
「はは、そうだなあ」
そしたら犯人だって思い出す!警察もあっとびっくり、歴史に名を刻んじゃうかも。
「早くお母さんの料理も食べたいなー。味ももう忘れちゃってるかも、なんて」
…いやいや。実際記憶喪失の当の本人が言うようなギャグじゃなかったな。
「って嘘嘘。冗談だよ。覚えてるし」
てへっ、と笑ってみせると、なんとお父さんは鼻をすすって泣き出したのだ。
「えー、なになに、ちょっとお父さん、お、お父さんてば。そんなに私の冗談きつかった?ごめんってマジで」
隣で私がオロオロしていると、急に立ち直って
「よし!お父さんも玻琉のためにも頑張るぞー!」
とか言い出して。私はさすがに呆れちゃってじーっとお父さんを見つめていると、今度はお父さんがオロオロしている。
「あ、えっと、ごめん。玻琉が元気になって嬉しくなって感極まっちゃって…」
はあ、と溜め息をついて、私は話題を変えようと今日の話を話す。
「…って。こんなことがあったの。すごくない⁉︎」
「ははは、それは面白い」
なんだかんだ、みんなが会いに来てくれるから入院も悪くないって思っちゃうんだよね。犯人が〜とか怪我が記憶喪失が〜とか面倒くさいこともあるけど、今私幸せって感じ!
*
玻琉の両親が、玻琉のお見舞いの後すぐに警察の元へやってきた。二人して「分からない」と言い続けているため、新たな情報は掴めない。
そこで、警察は話を聞き出す質問をやめて、思い切って犯人の話をした。少し前に判明した犯人の正体を。
胸ポケットから写真を取り出す。
「私たちは…犯人はこの人だと思っています」
肩をすくめていた玻琉の母・恵だったが、その写真を見ると、顔をバッと上げて眉間に皺を寄せながら写真を見つめている。これは誰なのか、と言う表情なのか。まさかこの人が、という表情なのか。それともバレてしまった…という表情なのか。
警察は写真をしまい、
「どうですか?」
と聞いた。
「出る言葉がありません」
曖昧な返事が返ってきた。
それに比べて父・大輔だが、写真を見せた途端、警察をちらっと見て目を合わせただけで、果たして写真を見たのかどうかさえ怪しそうだった。しかし、たった一つ、警察にお願いを言った。
「玻琉には、まだ言わないでくれ」
*
それからというものの、変わらず誰かのお見舞いが来てくれることを待っていて、それが当たり前になっていた。
そんなある日のことだった。
もうあの日からどれくらい経ったのだろうか。一学期の夏に突き落とされて、今はちょうど新学期が始まったぐらい。一ヶ月か。
一瞬、心臓が飛び上がった。久々に聞いたこの音。
コンコンコン。
硬く力強い音で。このノックはまさしくあの警察だ。しばらく会っていなかったからか、この二人の存在なんて、一切忘れてしまっていた。
「お久しぶりです西岡玻琉さん」
またあの立花さんね。堅苦しくてちょっと苦手。そしてその隣には頼りない東さん。ぎこちなく笑いぺこっと頭を下げられたのに、私はこの二人に関わるのが面倒に感じてきて、目を合わせただけで無視をした。
「…こんにちは」
少し警戒したが、一応ちゃんと起き上がって、警察の話を静かに聞いた。
なんなんだろう、と疑問ながらに真面目に集中していると、なんと早速今日のメインを切り込んできた。
「今日は、玻琉さんを突き落とした犯人を言いにきました」
…え。犯人、見つかったの?急すぎて心臓がバクバク言っている。あんなに犯人を知りたかったのに、いざとなったら緊張しちゃう。布団を握っている手は、手汗でベタベタしている。私は真剣な眼差しで、警察二人をまじまじと見つめた。
「ご両親には先に伝えました。その時、実はまだ玻琉さんには教えないで、と言われてしまったもので、悩んでいたのですが…。やはり本人には知る権利があるので」
ふーっ、と息を吐き、立花さんも緊張しているのかゆっくりと写真を取り出す。
「玻琉さんを突き落とした犯人は…」
心臓が、ドク…ドク…ドク…と強く跳ねる。キュッと布団を握り締め、覚悟を決めた。
「この人です」
ドクン。
下を向いていたが顔を上げ、写真を一目見た。一瞬だけでも目にしただけで分かった。
私は驚きすぎて声が出なかった。嘘だと信じたかった。見せられた写真が間違いであることを願った。
「だ、だって…。え…?これ…。えっ、本当…なんですか?」
──信じられない。
「検証と指紋鑑定により分かったことなので」
──嫌だ。
どうしてもこの事実を受け入れることはできなかった。
なぜなら私を突き落とした人が…あの…。
私の大好きな──。
大好きな、…お父さん、だなんて──。
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