■夕立ちと雨宿り

 四日間にも及ぶテストを終え、昨日までと同じように式がわたしを迎えに来た。しかし、急な夕立ちに遭ってしまい、カッパを忘れたチャリ通のわたしは途方に暮れている。


「美風さん」


 式は誇らしげにビニール傘を見せ、


「雨が止むまで私の家に来ませんか」


と誘ってきた。


「いや、それは悪いからいいよ」


 どうせ豪邸だろうし。家の人に気を使うのも面倒くさいし。


「気にしないでください。そんなに遠くないですから」


 式に無理矢理引っ張られる形で、わたしは彼女と相合い傘をすることとなった。わたしは自転車を押し、式が隣で傘をさしてくれる。


「そんなにわたしの方に傾けなくていいよ」

「美風さんが濡れちゃうじゃないですか」

「式だって濡れちゃうじゃん」

「私は帰るだけですからいいんです」


 式が言った通り、彼女の自宅は学校から歩いて十分程度の場所にあったのだが……わたしの予想の斜め上……いや下の光景が待ち受けていた。


「着きましたよ」


 まさかの式の家は単身者用のマンションだった。


「どうぞ、入ってください」

「お邪魔します……」


 部屋の中を見ても明らかに一人暮らし。ちなみに物はほとんどない。


「寮をやめたとか言うから、実家なのかと思った」

「言ってませんでしたっけ。私は家族に放任されているので一人暮らしなんです。気楽ですよ?」

「どうりで堂々とサボれるわけだ」

「美風さんが言います?」


 式が用意してくれたタオルで髪と肩を拭く。


「靴下濡れちゃったから脱いでいい?」

「どうぞ。エアコンの前で乾かしますね」


 他人の家で靴下を干されるのはちょっと恥ずかしいけど、背に腹は代えられない。


「適当に腰掛けてください」

「適当にと言われても……」


 物が無さすぎてなんか座りづらい。わたしは迷った挙げ句、ローテーブルの前に座った。ラグも必要最低限のスペースしかなくて落ち着かない。


「麦茶でいいですよね」

「いや、お茶の前に先に着替えなよ」


 わたしを庇ってくれていたせいで式の制服はびしょびしょだ。


「パジャマしかないので、その、ちょっと恥ずかしいと言いますか」

「は? 部屋着とか私服ないの?」

「部屋着はパジャマで済みますし、外に出かける時は制服で間に合ってますので……」


 麦茶の入ったグラスがテーブルに置かれる。そしてテーブルを挟んで反対側に式は座った。


「なるほど」


 だからサボる時も目立つ制服を着ていたのか。納得する。


「親から仕送りないの?」

「ありますよ。わりと十分過ぎるほど」

「じゃあ買おうよ」

「私服ももう十年ほど着ていなくて……」

「マジ?」

「小学校から寮生活なのでマジです」


 すると式は思いついたように笑顔を浮かべる。


「服を買いに行きたいので、美風さんついてきてください」

「いいけど」


 こんな箱入り娘を一人外に出すことが不安になる。わたしは秒で了承していた。


「次の土曜でいい?」

「学校サボって行かないんですか」

「学校行くかは別として、目立つ場所に早い時間にいたら補導されるよ」

「美風さんって補導されたことあるんですか?」

「補導されそうになって逃げたことはある」


 スーパーの帰り道、たまたまゲーセンの近くを通りかかった時だった。あれ以来サボる時はなるべく村にいるようにしている。


「補導されると親に連絡いきますよね」

「補導の前に学校サボっていたら連絡いくんじゃないの」


 うちの場合は母親がアレなので、担任も連絡したがらない。


「私のところは多分学校からの連絡なんて取り次がないと思うので大丈夫です。さすがに警察はまずいですが……」

「学校からの連絡を取り次がないってどんな家なんだよ」

「使用人のところでストップがかかります」

「使用人って……」

「うちは所謂由緒正しき家柄らしいんですよ。中にいるとよく分かりませんが」


 式はグラスの縁を指でなぞりながら語り出した。


「私には双子の姉がいましてね、彼女が家を継ぐんですよ。私は姉に似ていることもあって邪魔者扱いでして、十八日なる歳まで全寮制の学校に幽閉されてたんです」


「双子の妹ってだけで?」

「はい。当主は一人で十分ですから。高校を卒業したら自分で生きていくように言われてます」


 まるでドラマのような話だ。


「実家で監視されるより今の方がずっと楽なんで、満足していますよ」


 他人の家の事情に口出しをする権利はないがあんまりの待遇だ。式の口振りからすると家族からの愛情もまともに受けたことがないのだろう。


 しかし、式は同情を求めてはいないはずだ。同情されるってのは惨めなものだとわたしは知っている。


「でも一人でいてもつまらないのは確かなので、美風さんが遊びに来てくれるなら嬉しいです!」

「遊びに来るって……遊ぶもの何もないじゃん」


 この部屋には漫画の一冊すらない。

 時間を潰せるものと言えばテレビぐらいだが、わたしがお邪魔する時間に面白い番組がやっているとは思えない。


「まぁ登校した時くらい寄ってもいいかな」

「学校来る気になりました?」

「全然」


 学校は最低限しか行くつもりがない。


「コーラ用意しておきますから」

「コーラごときで釣られないし、麦茶で十分だよ」


 これ見よがしにわたしは麦茶を飲み干した。冷たくて美味しい。


「式は普段何をして時間潰してるの?」

「テレビを流し見するか、動画見たりしてますよ。スマホいじってることが多いですかね」


 わたしの前でスマホを操作する素振りを見せたことがなかったので、これは意外だった。


「動画って何見るの?」

「動物の動画とか、オススメで上がってきたものをボーッと見てるだけですよ」

「それって楽しい?」

「あまり」


 式は一度スマホの画面を点けて、また消した。ロック画面はデフォルトで設定されているもののままだ。こだわりのなさを感じる。


「いいんです。全部、寮にいた時より断然マシですから。美風さんこそ家で何してるんですか」

「わたしはゲーム実況見たり、漫画読んだりしてるかな」


 本当に暇で暇で仕方なければ勉強するくらい。日中は外で時間を潰してるし、ほぼ無趣味だ。


「外にいる時は何をしているんですか?」

「家から持ってきたアイス食べたりしてるよ」

「他は?」

「何も。何もないなーって景色見てるか、居眠りしてるくらい」

「だから外で寝るのは危ないですって」


 前もこんなやり取りしたな。


「君みたいな美人なら危ないかもしれないけど、わたしみたいなのは大丈夫なんだよ」

「美風さん可愛いですよ」

「そりゃどうも」


 美人に言われても嬉しくない。嫌味に聞こえるので、わたしは麦茶のおかわりをせがんだ。式は何も言わずに立ち上がると小さめの冷蔵庫から麦茶が入った容器を取り出してきた。式もちゃんと麦茶作ってるんだ。


「どのくらい飲みます?」

「さっきと同じくらい」


 汗をかいたグラスを差し出す。コポコポと茶色い液体が注がれるのを見ていると、ふとわたしのお腹の虫が鳴った。そういえばお昼はとうに過ぎていた。


「何か食べていきます?」

「悪いよ」

「でもお腹空いたんでしょう。カップラーメンならありますから」

「キミの食生活が不安だよ」


 式は麦茶を戻すついでにカップラーメンが入ったカゴを持ってきた。醤油に味噌に豚骨……エトセトラ、バリエーション豊かだ。


「気にするなら百円で売りますよ」


 わたしはリュックから財布を取り出し、百円玉をテーブルの上に置く。食欲には勝てないよね。


「どれがいいですか」

「味噌で」


 どれが好きかと問われれば、味噌味が好きだ。あと辛くないやつ。


「今お湯を沸かしてきますね」


 何度も彼女を立たせてしまった。キッチンに立つ式を尻目に部屋の中を見回す。飾り気がなくて、必要最低限の家具しかない。ベッドにぬいぐるみの一つでもあれば少しは女の子らしい部屋になるのに。まぁ、わたしの部屋も女の子らしさはないんだけど。


「どうしました、部屋の中ジロジロ見て」

「いや、ほんと何もないんだなぁと思って」

「必要なものは揃ってますから不便はないですよ」

「キミは何を楽しみに生きてるんだ」


 さり気なく放った言葉が式には刺さってしまったらしい。彼女は座る動作を取りやめ、小さな声で「さぁ」と答える。


 そしてどこか冷めた瞳でわたしに問う。


「美風さんこそ何を楽しみに生きているんですか」

「…………」


 毎日楽しいことなんてない。強いて言うなら最近知り合った式と過ごす時間が有意義になっているくらいだ。もちろん言葉にはしない。わたしも真似して「さぁね」と返しておいた。


「式はどのラーメンにしたの」

「私ですか」


 式は台所に置きっぱなしにしていたカップ麺をわたしに見せる。担々麺。辛さ増々とも書いてある。


「辛いの平気なんだ」

「美風さんは苦手なんですか。子供っぽいですね」

「辛さは味覚じゃなくて痛みだからね。わざわざ食べるほどドMじゃないってだけ」

「いいじゃないですか、可愛げがあって」


 話をしているうちに電気ポットのお湯が沸く。二人で慌ててカップ麺の蓋を開け、かやくをぶち込む。お湯を入れてスマホでタイマーをセットして完了。


「美風さんは家で料理するんですか」

「夜は母親が作るからほとんどしないかな。でもキミよりはできると思うよ」


 式の台所には調理器具が見当たらない。普段からカップ麺ばかり食べていると推測できる。


「お母さんの手作りいいですね」

「キミには嫌味に聞こえちゃうかもだけど、別にいいものじゃないよ」


 わたしは母親といたくなくて、わざわざ暑い中外で過ごしているのだから。


「タイマー鳴ったから先に食べるよ」


 わたしの方が一分だけ早い。湯気が漏れる蓋を剥がし、スープの素を入れて割り箸を割る。


 誰かと食べるカップラーメンもかなり久しぶりな気がする。


 式の方もタイマーが鳴って同じように仕上げ作業に入る。液体は真っ赤だ。いくらなんでも辛すぎない?


「一口食べます?」

「絶対いらない」


 わたしは自分の分の味噌ラーメンをすする。ちょっと香辛料が効いたくらいが丁度いい。


 大して会話をすることなく、お互いに麺をすすり終えた。式は赤いスープまで綺麗に飲み干している。わたしはあまりラーメンのスープを飲み切るタイプじゃないから少し残した。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様です。私はお湯を注いだだけですが」

「少しは自炊した方がいいんじゃないの。インスタントばかりじゃ体壊すよ」

「たまにスーパーでお惣菜買いますよ」


 お惣菜ならいいのか……。節約はそこまで執着してなさそうだしな。


「式って包丁で指切りそうだよね」

「包丁くらい使えますよ!」


 猫の手すらできなさそうだ。指先が絆創膏だらけになっている姿が簡単に想像できる。


「なんなら今度カレーでも作りましょうか」


 血だらけのカレーとか食いたくない。そして、さり気なく簡単なレシピを選んできたな。


「レトルトでいい」


 式は不満そうにジト目を向けてくる。ピカピカで調理器具のないキッチンを見せられて何を信用しろというのか。


「そろそろ雨やんだかな」


 わたしは重い腰を中途半端に上げてカーテンの向こう側を覗き込む。先ほどの大雨が嘘のように晴れていた。


「もう晴れちゃいましたか」

「残念そうだね」

「美風さんがここにいる理由は雨宿りじゃないですか」


 冷房も効いているし居心地も悪くない。でも。


「帰るよ」


 式が風邪を引く前にお暇しよう。


 干していた靴下は乾いていなかった。仕方なく玄関でそれを履く。


「気をつけて帰ってくださいね」

「うん」


 生返事をする。どうせ真っ直ぐ家には帰らない。


「じゃあね」

「また」


 後ろで扉が閉まる。わたしと彼女を区切る壁。きっとこのくらいの距離感がちょうどいい。

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