■早い再会

 早起きをしてなるべく人目につかないよう登校をしたわたしが向かったのは、保健室だ。


 所謂、配慮というやつでテストを保健室で受けさせてもらうことになっていた。


 養護教諭の先生は顔を合わせた瞬間から、「最近どう?」「風邪はひいてない?」なんて笑顔で聞いてくる。わたしはわたしのために用意された机と椅子に腰を掛け、教科書をこれ見よがしに広げて勉強しますアピールをする。


 先生はわたしの意向を察してくれたようで、「テスト頑張ってね」とだけ告げてお喋りをやめてくれた。


 別にこの先生のことが嫌いなわけじゃない。でもどことなくわたしを可哀想な子として見てくるのが耐え難い。


 先生こそ可哀想に。立場上、わたしみたいな生徒にも笑顔で明るく接しなければいけない。わたしがワガママを言わなければ、こんな仕事も増えなかったのに。良い人過ぎてやっぱりちょっと嫌かもしれない。


 テストは思っていたより退屈だった。通える範囲の高校がここくらいしかなかったから、偏差値的にも合わない。楽できていいと思われるかもしれないけど、友達のいないわたしからしたら勉強くらいしかやることがないのだ。それが退屈であったら学校に行く気も削がれるというものだ。


 与えられた時間の半分で問題を解き終わり、わたしは問題用紙の余白に立方体を描いて影を念入りに描き込んでいた。


――そういえば式は美術苦手とか言ったっけ。


 美術が苦手だとこうして落書きもしないのかな。


 式もテスト中のはず。まさかわたしがここにいるとは思ってないだろう。


 ところで式って何年生なのだろう。どっちにしろ学校で会うことはない。


 テストが終わると、わたしは他の生徒が帰宅するまで時間を保健室で潰す。


 廊下から聞こえてくる喧騒はどこか懐かしくも感じる。でも、羨ましいとは思わない。


 喧騒に紛れて保健室のドアをノックする音が聞こえる。あ、やだなと思ったけど遅い。ドアは開かれ、


「こんにちは」


と聞いたことのある声がした。


「式!?」

「やっぱり保健室にいましたね。あ、ほら、やはり美風さんスカート似合いますよ」

「見るな! ていうかやっぱりって何!?」

「私と美風さん、同じクラスなんですよ。まぁ私は転校生なので美風さんが知らないのは無理ないですけどね」


 それなら先に言って欲しかった。つまりこいつはわたしのことをある程度は噂で知っているわけだ。


「わたしのこと知ってて、よく声をかけてきたね」


 思わず立ち上がったわたしはゆっくりと椅子に腰を下ろす。


「知ってたから声をかけたんですよ」


 確かに。


「あら、お友達いるじゃない!」


 わたしたちのやり取りを見ていた先生と、「そうなんですよ」と答える式の二人だけがテンション高い。


「友達もなにも一昨日会ったばかりだけど……」

「一緒にサンドイッチを食べた仲じゃないですか〜」


 そんなことで友達になれたら、学校からイジメはなくなりそうだな。


「で、何で式がここにいるのさ」

「美風さんと一緒に帰ろうと思いまして、迎えに来ました」

「帰る方向違うじゃん」

「一緒にお昼くらい食べましょうよ」


 確かにどこかでお昼を食べようとは思っていたけど……。


「青春ね。どうせあなたたち頭いいんだから、少しくらい遊んできなさい」

「先生もそう思いますよね。行きましょう、美風さん」

「分かったから……もう少ししてからね」


 わたしが窓の外に視線をやると、式は納得したように「はいはい」と呟いた。


「君も物好きだね。何でわざわざわたしに寄ってくるのかな。噂は聞いてるんでしょ」


「だって美風さんは何も悪くないじゃないですか。それに私は美風さんと話していて楽しかったので」


 確かにわたしは何も悪くない。自分で言うのも嫌だけど、わたしは完全なる被害者だ。それでもわたしも第三者視点に立ったら、気持ち悪いと思うし気も使う。だから

周りのやつらを責める気にならない。


 式にいたってはわたしのことを知らない世間知らずだから近づいてきたと思っていたので、なんとも言えない居心地の悪さがある。


「美風さんの席、私の隣なんですよ。今度一緒に授業受けません?」

「やだよ。てか絶対授業まともに受ける気ないでしょ」

「バレました? でも美風さんと授業を受けたいのは本当ですよ」


 さっきまでドアのところにいた式は、いつの間にかわたしの横に来てあまり使い込まれていないスクールバッグを机の上に置いていた。


「テストはどうでした?」

「聞く?」

「みんなテストの後はそんな会話をしていたので真似してみました」

「クラスメイトとしてきなよ」

「私もクラスに友達いないので、そこはお察しいただければと思います」

「は!? そのコミュ力で何で友達いないの?」

「話して楽しそうな人がいなかったんですよ。転校初日からガン無視していたら必然とこうなりましたね」

「君ってわりと気が強いって言うか、肝が据わってるよね……」


 周りから距離を置かれたわたしと、自分から距離を置いた式。似ているようで根本から違う。


「気が強いは昔からよく言われます」

「見た目に騙されちゃいけないよね」

「見た目は清楚で大人しそうでしょう」

「自分で言うな」


 話しているうちに大分生徒は捌けたらしい。そろそろ帰ろうとわたしはリュックを片手に立ち上がる。


 横目で式を見ると、一緒に帰れることがそんなにも嬉しいのか満面の笑みを浮かべていてちょっと引く。


――本当に何でわたしなんだ……?


  ◆  ◆  ◆


 わたしたちが昼食目的に訪れたファミレスは町の外れの方にある。駅近だと同級生に鉢合わせる可能性が大きいので、わざと遠くを選んだ。


 もちろん距離があるため、当たり前のように二人乗りをせがんでくる。人のいない村ならともかく、町で二人乗りはちょっと気が引けたけど、彼女を後ろに乗せることにあまり躊躇いはなかった。


 式はバランスの悪い横乗りで、落ちないようにわたしの腰に腕をしっかり回してくる。暑いけど、嫌いじゃない温もりだ。


「私、ファミレスって初めて来ました」


 やはりいいとこのお嬢様なのかな。


「友達と来たことないの?」

「だから友達なんていないですって」


 もしかして転校前や中学の時とかもいないの? わたしより大分重症じゃないか。


「へぇ、たくさんメニューがあるんですね」


 楽しそうにメニューをめくりながら、式は「美味しそう」と零していた。


 わたしは何にしようかな。窓の外の炎天下を見ると熱々のハンバーグとかはご遠慮したくなる。夏季限定の冷麺にしようかな。


「決まった?」

「はい。このオムライスにします」

「意外と子供っぽいの選んだね」

「食べたいんだからいいじゃないですか」

「ダメとは言ってないよ。ドリンクバーは頼む?」

「ドリンクバーって何ですか?」


 絶対箱入り娘だ。


「ソフトドリンクの飲み放題だよ。ほら、あそこにあるでしょ。あそこから好きな飲み物持ってくれるの」

「美風さんは頼むんですか」

「暑いし頼むつもりだよ」

「じゃあ私も頼みます」


 注文が決まったところで店員さんを呼ぶ。まだこの町にはタッチパネルからの注文方式は浸透していない。


「先に飲み物取ってきていいよ」

「一緒に行ってくれないんですか」

「誰が荷物見てるのさ」

「持っていけばいいじゃないですか」


 式の視線が大して重くないぺたんこのリュックに注がれる。


「はいはい。分かりましたよ」


 荷物を持って元気な式の後を追う。彼女は初めてのドリンクバーに感動しているようで「全部飲んでいいんですか!?」と騒いでいる。全部飲んだらトイレの常連になるぞ。


「コーラ飲んでみたいです!」


 この調子だとコーラも飲んだことなさそうだな。私はコップに氷を入れて、式の分のコーラをポチッと入れてあげた。


「ありがとうございます。入れるのも簡単なんですね」


 わたしはメロンソーダにしよう。ドリンクバーじゃないと飲む機会ないし。


「コーラの味はどうよ」


 席に戻ってコーラに口をつけた式に感想を求めてみる。


「すごく甘いですね」

「そりゃコーラだもの」

「美風さんのはすごい黄緑色ですね」

「メロンソーダだよ。コーラと同じく甘いよ」

「それなら次は普通のお茶にします」

「コーラ苦手だったならわたしが飲むけど?」

「ではお言葉に甘えて」


 わたしは差し出されたコップを受け取り、そのままストローを吸う。すると式は驚いたような顔をしてから、少し頰を赤らめた。


「あ、ごめん。わたしこうゆうの気にしなくて」


 友達のいたことのない式には免疫がなかったみたいだ。でも一度口をつけてしまったのだから二口目も同じだ。


「美風さんって警戒心強そうに見えて、距離感近いですよね」


 そんなことない。こちとら都会育ちだから人並みに知らない人に警戒心を持ち合わせている。式がたまたま同じ学校の生徒だと分かったから、ポッキンアイスだって分けたのだ。


「お茶入れてきますね」


 立ち上がる彼女を見送る。今日は学校だったからかスカートは昨日ほど短くない。


 わたしはコーラを飲み終え、再びメロンソーダへと戻る。やはり炭酸は美味しい。


 一人でドリンクバーを活用できた式は満足そうに、お茶が入ったコップを持って戻ってきた。……よくこんな世間知らずで今まで生きてきたな。カラオケとかも行ったことないんだろう。


「式は普段ジュースって飲まないの?」

「自分では買わないですね。麦茶で十分と言いますか」

「わたしも家では麦茶だよ。安いからいいよねー」


 作るのは面倒くさいけどね。


「美風さんが一昨日くださったアイスはどこに売ってるんですか? アイス売り場を見ても見つからなかったのですが……」

「ポッキンアイス? あれはお菓子売り場だよ。自分で凍らせてるんだ」

「なるほど。美風さんは物知りですね」

「わたしが物知りなんじゃなくて、君が物事を知らな過ぎるんだよ」

「お恥ずかしながら寮暮らしが長かったもので、あまり外のこと知らないんです」

「寮? そういえば転校生って言ってたっけ」


 気になるところでオーダーしていた料理が到着した。わたしたちは「いただきます」をしてから話に戻る。


「何で受験期の今転入してきたのさ」

「うーん。家の事情と言いますか」


 式は歯切れ悪そうにしながら、小さな一口でオムライスを食べる。ちなみに注文が到着した時、オムライスはわたしの前に置かれた。どうせわたしの方が子供っぽいさ。


「寮暮らしはもう必要ないということになったので転入してきた感じです。この学校だったのはたまたまだと思います」

「あとさ、気になってたんだけど」


 わたしは冷麺を啜り、きょとんとしている式に問う。


「わたしたちタメなのにどうして敬語なの」

「これも家の事情です。小さい頃からの癖みたいなものなので気にしないでください」

「やっぱりお嬢様だ」

「家は裕福ですがお嬢様ではないですよ」

「お嬢様は学校サボらないか」

「えぇ。私は優等生でもありませんから」


 彼女から伝わってくる孤独感がわたしに安心感を与えてくれる。彼女の闇がわたしの闇と交わるようでいけない心地よさを感じる。


 きっと式でなければ昨日ピクニックをしていないし、今日も昼食を一緒にしていない。


「優等生じゃないって、サボり自体は一昨日が初めてみたいなこと言ってなかった?」

「サボりは初めてです。でも友達を一人も作らない人間が優等生になれると思いますか」

「思わないね。じゃあ何でサボろうって思ったの」


 初めて会った時はわたしと同じだとか言ってたな。


「根本は美風さんと同じですよ」


 式はお茶を一口飲んでから、わたしを見てニコッと笑う。


「一昨日村に行ったのは美風さんに会うのが目的でした」

「なぜ」

「美風さんの噂を聞いてぜひ友達になれたら……いえ、美風さんとなら友達になれると思ったんです」


 わたしの噂にいいものなんて何も無いと思う。どんな話を耳にしたらそんな思考回路になるんだ。


「噂に聞いていたより良識人で安心しましたよ」

「どんな噂だよ」

「聞きたいですか?」

「いや、いい」


 どうせわたしが把握しているよりもひどい内容になっているのだろう。聞いても気持ちのいいものじゃない。


「噂話なんて気にしないで、私と学校生活エンジョイしません?」

「まさか教師の回し者……?」

「違いますよ。私はそこまで先生に信用されていません。一緒に屋上でサボったりしたいじゃないですか」

「サボりじゃん」


 もしかして式って私より厄介な不良なのでは。


「それに屋上は施錠されているから出られないよ」

「細かいこと言わないでください、もう。中庭でもどこでもいいんですよ」

「学校でわたしといると君も悪い噂流されるよ」

「大丈夫ですよ。すでに悪い噂流されてますから」

「君は強いな」

「強くないですよ。美風さんのこと知るまでサボろうなんて考えられませんでしたし」

「わたしは逃げてるだけだから」


 学校で一人堂々といられる自信がない。


「もう一人じゃないですよ」


 無意識に下がっていた視線がふと上がる。


「それだけは覚えておいてください」

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