第2話「ナーハナ王国(1)」

さて、家に着いたが、中には誰もおらず男は独身らしかった。バーの中で家族について尋ねたのはまずかったか、とクルレは心の中で思った。

クルレは衣服の土汚れを払って落とすと、ベッドに倒れるように入眠した。その夜は、実際にそうだったよりも、長い時間眠りについたように感じられた。そして、長い長い悪夢を見た━━━━。


彼は眠りから覚め、町を散策することに決めた。やけに霧がかって視界不良だった。すると5、6歳ばかりの少女が路地裏に震えて佇んでいるのを発見した。ひどく痛ましく思えて、帰る家はないのかと尋ねるとこくこく首を振るので男の家に入れることにした。

家に入ってタオルで少女の体を拭いてやり、ふと後ろを見ると男が立っている。少女も立っている。不気味な笑みを浮かべて立っている。自分の今までの些細な悪行を全て見抜いているかのようにこちらを見つめる。

クルレは飛び起きた。どうやら深夜の4時を回っていた。窓が突風で揺れ、胸の動悸が部屋じゅうに響いた。

(ああ、気味が悪かった…ただ、もう1時間すれば日が昇るか。それまで待って、それから…気が乗らないが、町を見て回るしかあるまい)と彼は思案した。

静寂を突き破って床の軋む音がした。誰かがすぐ外にいる。クルレは蝋燭に火をつけて、護身用にナイフを1本持って恐る恐る、それでいて豪胆にドアを開け放った。そこに待ち構えていたのは髪の長い女性だった。いわゆる霊とかいうやつだろうか、いずれにせよ相手は斧をぶら下げていたので、そんな思考の隙はなかった。前後不覚のままクルレは相手にナイフを突き刺した。ナイフをつたって生々しく柔らかい感触がする。手が赤く染まってくる。血の巡りが加速し、体が熱くなるのがひしひしと伝わってくる…。

今度こそ現実か、はたまたこれも夢か。クルレは目を覚ました。いつの間にやらベッドから転げ落ちていた。カーテン越しに柔らかな光が差し込み、小鳥が鳴いている。

ドタドタと廊下を走る音が聞こえ、男が勢いよくドアを開けた。

「大丈夫ですか?大きい音がしましたが…随分うなされていたようですね。朝食を用意してあります。水でも飲んで落ち着きましょう、今持ってきます」

コップの水を一気に飲んで、ある程度気持ちが落ち着いてきた。熱に浮かされたような悪夢だった。


町に出ると昨夜からは想像できないほど繁盛していた。町ゆく人々の笑顔は絶えることなく、楽しげな談笑が聞こえてきて、かの悪夢をも忘れさせてくれた。

八百屋の前の路地裏で2人の会話が耳に飛び込んできた。

「なあ、聞いたか、あの噂」

「なんだ?町のタルシア教徒が離婚でもしたか?」(この町ではタルシア教というのは毛嫌いされているらしい)

「いいや、ここから少し行ったところにナーヒ川ってあるだろ、なんでもあそこできのう大雨があって、洪水が起きたっていうんだ。数人流されたらしい」

「ああ、そりゃあ可哀想に。まあただ、それだけで済んだんだろ?良かったじゃないか!」

「でも、その中の1人に5、6歳の少女がいたらしい」

「それがどうした?」

「出回ってる噂では、その少女がこの町に化けて出るとか何とか」

「うえェ、やめておくれよ、俺はそういう霊だのの話は苦手なんだ」

現在7月、炎天下に立ち尽くしているのに、クルレは寒さで凍えていた。路地の隙間から吹き抜ける風が体を刺した。

彼はさっさと芋がら縄を買って帰ることにした。これが結構日持ちする上に味もそれなりにあって、彼は度の道中こればかり食べていた。それと、昼と夜のための野菜も買って男の家に帰ることにした。

家のドアは開け放しになっていて、不思議に思いつつ入ると置き手紙があった。

ー川の近くの友人が心配なので様子を見に行きます 昼食は作れません 材料は調理場にありますー

台所には人参と小ぶりのかぶに青い玉ねぎ、少し異臭のする鶏肉とコンソメの入った瓶、あとは黒パンの端切れとが置いてあった。先程クルレも野菜を買ってきてしまったので、具沢山のスープを作って食べた。体は温まったが、まだ寒気が残った。

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