第12話 お風呂は命の洗濯よ
僕の日常が、全宇宙規模のリアリティショーになってしまった。この悲劇に、僕はどう立ち向かうべきか。いや、それ以前に、だ。海に行って砂と潮でベタベタになったこの体を、どうにかしなければならない。全宇宙の視聴者に、薄汚れたニートの姿をこれ以上晒し続けるのは、僕に残された最後のプライドが許さなかった。
「風呂に入る…!」
僕のその決意は、人類が初めて月に降り立った時の一歩に匹敵するほど、尊く、そして偉大なものだったはずだ。数ヶ月ぶりに風呂釜のスイッチを入れ、お湯が溜まるのを待つ。この一連の行動も、きっと宇宙のどこかで「おお、ついに水浴びをする気になったぞ!」などと実況されているのだろう。プライバシーの死。それは、慣れるにはあまりにも過酷な現実だった。
一番風呂の栄誉は、今日の遠征で最も疲弊した僕がいただく。狭いユニットバスに湯気が満ち、久しぶりの文明の香りに包まれた僕は、心の底から「ふぅ…」と息をついた。この瞬間だけは、何もかもを忘れられる…。
そう思った矢先、バスルームのドアが、カチャリと音を立てて、ほんの少しだけ開いた。
「夏彦、わたくしも、お背中を流し…」
湯気の向こうから、ヴィオレッタが顔を覗かせる。彼女の髪は湯気でしっとりとしていて、頬はほんのり上気している。普段の元気な感じとは違う、その無防備な姿に、僕の心臓が、きゅっと音を立てた。やばい。これは、まずい。しかも、このドキドキも、きっと宇宙の高性能センサーに検知されて、グラフ化されているに違いない!
「いや、大丈夫! 一人で洗えるから!」
僕が慌ててそう言おうと、湯船の中で体勢を変えた、その瞬間だった。僕が、彼女に何か良からぬことをしようと迫ったように見えたのだろう。
ヴィオレッタは、顔をカッと真っ赤に染め、両手で胸元を隠すようにしながら叫んだ。
「け、結婚するまでは、そういうことは、ナシですわ…っ!」
………。
……は?
湯船の中で、僕の思考は完全にフリーズした。
結婚? けっこん? Who? Why? When? 僕の脳内で、英単語が虚しく飛び交う。
「いや、待て待て待て! 落ち着けヴィオレッタ!」
僕は、できるだけ紳士的に、そして穏やかに語りかける。
「まず、『そういうこと』が何を指しているのか、僕には皆目見当がつかないが、断じてそんな気はない。そして、何より、最大の疑問なんだが…」
僕は、湯船から天を仰いだ。
「僕たち、結婚するの!?」
僕の魂のツッコミが、湯気のこもったバスルームに木霊する。
やっとの思いで風呂から上がると、リビングのテレビでは『祝・電撃プロポーズ成功!』という、悪趣味極まりないテロップが、キラキラと輝きながら流れていた。宇宙の解説者たちが「いやー、やりましたね!」「まさか入浴中に決めるとは、彼も大胆だ!」と、大興奮で拍手している。
違う。断じて違う。
僕の知らないところで、僕の人生が、とんでもない速度でラブコメ展開に舵を切っていた。もう、誰か助けてくれ。
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