第1話『禁足の橋、その先へ』
――東京都内、あるワンルームアパート
時計の針が午後8時ちょうどを指した瞬間、私は冷蔵庫から取り出したばかりのレモンサワーを片手に、パソコンの前に腰を下ろした。
YouTubeチャンネル「VOID WALKERS」のライブ配信が、いよいよ始まる。
お気に入り登録してからずっと追いかけてきた企画――“謎に満ちた消えた村”。これまで散発的に更新されてきた調査動画はどれも興味深く、しかしどこか決定打に欠けるものだった。それが今夜、ついに場所が特定されたらしく、初のリアルタイム潜入が行われるという。
パソコンの画面が切り替わり、いつものオープニング映像が流れ出す。懐かしく、少し不穏なBGMが鳴るなか、画面には「LIVE」の赤い文字が点滅していた。
「うわっ……まさか……!?」
画面右下のサムネイルに、見覚えのある顔が映っていた。
そう、「もりまる」だ。ホラー系YouTuberとして活動する2人組。まさかこのタイミングで、私のもう一つの“推し”が出てくるなんて……思わず、テンションが上がる。
しかし、同時に気づいたことがあった。いつもの3人組のうち、佐竹くんの姿がない。カメラの角度のせいだろうか?と思ったが、コメント欄にはすでに視聴者の声が次々と書き込まれていた。
「佐竹くんは?」「今日いないの?」「体調不良?」「まさか、怖くてお休みとか?(笑)」
コメントの波に飯村が気づいたのか、少し表情を緩めて話し始めた。
「みなさん、こんばんは! 今宵も《VOID WALKERS》をご視聴いただきありがとうございます。いつもの飯村です。そして――」
画面がパッと切り替わり、懐中電灯の明かりを受けて並ぶ3人の姿が映った。
「佐伯です。……えーと、今日はですね、ちょっと急な展開なんですけども」
「そうなんです。急遽コラボすることになりまして……なんと、もりまるチャンネルの2人が来てくれました!」
「うわぁぁ、マジで!?」と私はひとり画面に向かって声を漏らす。
自己紹介が続く。
「もりまるチャンネルの丸山です。いや〜、ほんと急なお誘いだったんですけど、自分らもずっとこの企画を見てたんで……出れるって聞いた瞬間、すぐ飛びつきました!」
「同じく、森山です。……普段の撮影よりも、正直緊張してます。今日はよろしくお願いします」
画面に映る4人の顔は、どこか張り詰めたような表情をしていた。冗談を言ってはいても、笑い声はどこかぎこちない。空気が……重い。佐竹くんがいないことと、関係あるのだろうか。
やがて、飯村が“例の儀式”について説明を始める。
「これから僕たちが渡るのは、“禁足地”へ続く橋です。先にお伝えしておきますが、ただの肝試しではありません。情報提供者の話では、この村に入るには、特別な手順が必要なんです」
飯村の言葉に合わせて、画面には簡易な図解が表示された。
《その村へ入るには、奇数月の奇数日、午後8時8分に、“橋”を渡る必要がある》
《人の形に切った木片に「人無(ひとなく)や、亡き者無」と書き、自身の血痕を滲ませ、それを口にくわえて渡る》
《村に入った後、話すのは構わないが、“何か”に出会っても返事をしてはいけない》
《名前を呼ばれても、決して答えてはならない》
《そして、名前を知られてはならない》
背筋がすっと冷えるような、奇妙なルール。
だが、そこに“リアル”な説得力があるからこそ、彼らは今も視聴者に支持されているのだ。
私は一度パソコンから目を離し、冷蔵庫から作り置きの煮物を取り出す。日本酒と藻塩も用意し、冷奴にひとつまみ――さぁ、準備完了。
――同時刻 某県山中・旧〇〇村付近
「現在、午後8時6分です。あと2分で、儀式を始めます」
飯村の声が震えないよう努めていたが、その眉間には皺が寄っていた。
佐伯はというと、深呼吸を繰り返し、足を交互に踏みならしながら気持ちを落ち着けている。
森山は無言で空を見上げ、丸山はやや落ち着きなく手をすり合わせていた。
4人は、それぞれの木片を確認し、口にくわえる準備を始めた。
カメラはヘルメットに固定され、映像と音声は全世界に配信中。スタッフは車の横で待機させ、橋の先には絶対について来させないようにしている。
「佐竹のようなことは、もう二度と起こさせない――」
飯村は、心の中でそう誓いながら、静かに一歩を踏み出した。
午後8時8分、きっかりの時刻。
列は飯村、丸山、森山、佐伯の順に並び、4人は無言のまま、禁じられた橋へと足を踏み入れた。
――東京都内、あるワンルームアパート
「さあ、これから何が始まるのかな」
独りごとのように呟きながら、私は画面を見つめる。
YouTubeライブの向こうでは、4人のYouTuberが今まさに“禁足の橋”を渡ろうとしていた。画面越しでも分かるほど、彼らの表情には緊張が滲み出ている。けれど、私はどこか冷静に、いや、それ以上に静かに――その光景を見守っていた。
用意しておいた冷奴に藻塩を一つまみ振りかけ、日本酒をゆっくりと口に含む。冷えた飲み口が、ほんのりと喉を湿らせていく。
「楽しみだけど、……気をつけてね」
再び、呟く。
この言葉に込めたのは、ただの視聴者としての感想ではなかった。
あの村に“何があるのか”、私は知っている。
正確には――知ってしまったのだ。
数年前のある出来事。偶然か、あるいは必然か。
手にした古い地図、消された地名、聞こえてしまった“誰かの名前”。
それがどこか、あの場所と繋がっているのだと確信している。
だからこそ、彼らの映像に初めてその“橋”が映ったとき、背中をぞっとするような寒気が走った。そこが、あの村への道であると、直感が叫んでいた。
私は何も語らない。ただの視聴者のふりをして、冷奴を口に運ぶ。
だが、知っている者としての祈りを込めて。
「無事に、みんな帰ってこれたらいいわね――」
画面の中で、4人が橋を渡り終えようとしていた。
ヘルメットカメラの光が、ゆらゆらと闇の中を照らしている。
映像が揺れるたび、かつての記憶もまた、私の中でざわついた。
あの村は、“ただの場所”じゃない。
あの橋は、“ただの道”じゃない。
踏み込めば、何かがこちらを見ている――そんな気配が、確かにある。
日本酒をまた一口。
それは、警告の意味でもあり、弔いの意味でもあった。
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