第2話『月影に揺れる、あの場所』

――某県山中・旧〇〇村付近


 橋を渡り終えた4人は、ひとまず撮影機材を整えながら、道の先を照らしていた。

 鬱蒼とした木々が道の左右を囲み、風の音すら飲み込むような静けさが広がる。


 「……空気が、違うな」

 森山がぽつりと呟いた。


 「ちょっとだけ、匂いも変わった気がしますね。湿った土みたいな……」

 丸山が足元を確認しながらカメラを振る。


 「なんかさ……村っていうか、**“別の空間に入った”**って感じ、しません?」


 佐伯の声は震えていた。飯村が軽く彼の肩を叩いてから、撮影に向けて言葉を整えた。


 「現在時刻、20時11分。全員、無事に橋を渡りきりました。これより、“消えた村”の調査に入ります」

 「周囲の状況に注意しつつ、もし何か異変があった場合は、すぐに撤退します」


 その言葉は、何よりも彼自身への“言い聞かせ”のようだった。

 彼らの背後では、橋の向こうに“本来の世界”の空気がかすかに揺らいでいた。

 だが、その空間は徐々に閉じていくように――まるで、後戻りできない何かを感じさせる気配を帯び始めていた。


---


――東京都内、あるワンルームアパート


 私は、画面に映る山道の光景をじっと見つめていた。

 4人の照らすライトが、茂みの影を伸ばすたびに、胸の奥に奇妙なざわつきが起こる。

 背筋の奥が、ひやりとするような冷たさを帯びていく。


 ――まるで、何かが近づいてくるような。

 あるいは、何かが“思い出させようとしている”ような。


 視界の隅で画面が揺れるたび、なぜか私は“既視感”に襲われた。


 あの苔むした石段。

 崩れた祠のような構造物。

 誰かが立っていたはずの場所。

 (……知ってる。この景色……知ってる)

 けれど、どうして知っているのかは分からない。

 いや、分からない“ふり”をしてきたのかもしれない。

 あれは夢だった。

 あるいは、昔読んだ小説の記憶。

 そうやって、心の奥に封じ込めてきた。


 だが、今、画面の向こうで彼らが踏み込もうとしている場所に、私の中の“何か”が強く反応している。

 (思い出してはいけない――でも、忘れていてはいけない)

 その矛盾した思考が、冷奴の味をぼやけさせた。



---


――旧〇〇村・中央道付近


 「道が……続いてるな」

 森山が先導し、左手に折れた鳥居のようなものを見つける。


 「神社の跡地かな?でも、妙に歪んでる……」

 丸山がカメラ越しに鳥居の上部をズームすると、そこに一部欠けた文字が見える。


 「“〇ノ社”……何これ、“ナ”じゃなくて“名”?それとも“無”?」


 誰かが呟いたとき、森の奥から、微かな音が聞こえた。

 ……“しゃらん”という鈴の音。

 風もないのに、音だけが、遠くからゆっくりと近づいてくる。


 「おい……聞こえたか? 今の……」


 その瞬間、配信画面が一瞬だけブレた。


 そして、私の部屋の空気も、重く変わった。



---


――東京都内、あるワンルームアパート


 (だめ……これ以上は、だめ)


 私は画面を一度閉じようとして、しかし手を止めた。

 その鈴の音が、耳の奥に残っていたから。


 ……あれは、昔、祖母の家で聞いたことがある音だった。


 夏休みに訪れた田舎。

 藁屋根の家、座敷の奥に飾られていた小さな御神体。

 夜、寝る前に祖母が言っていた。


 「鈴が鳴ったら返事をしちゃいけないよ。あの音は“こっちじゃない場所”から来るからね」


 当時は、ただの怖い話だと思っていた。


 けれど――もしかして、あれは、あの村の話だったのではないか。

 その土地は、地図から消えていた。

 古いアルバムの一枚が、なぜか破り取られていた。

 祖母の実家が、どうしても思い出せなかったのは……本当に「なかった」からなのかもしれない。


 (もしかして、私は――)


 思考の途中で、スマホの画面がふっとノイズに包まれた。


 誰かの顔が、一瞬だけ、映った気がした。

 ……長い髪。口を閉じ、笑わない少女。



---


――旧〇〇村・廃屋前


 「……飯村。今、一瞬ノイズ走らなかったか?」


 「見えたよな、なんか……人、みたいな……?」


 「俺のカメラ……録画は、されてるか……?」


 ざわめく彼らの後ろに、もう一つの“足音”がかすかに混じっていた。

 風も吹かず、葉も揺れず、だが何かが“付いてきている”。

その気配を、彼らはまだ――知らない。

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