第12章『名前のない子どもたち』

 夜が来た。けれど空には星がなかった。


 ウィロークリークの灯りが、ゆっくりと消えていった。

 街灯、信号、玄関の明かり。まるで、一斉に眠るように、音もなく。


 リアムは家の窓から外を見つめていた。

 窓ガラスに映った自分の顔が、ほんの少し“他人”に見えた。


 


 * * *


 


 夢の町は、町の奥へと続いていた。

 ノアの地図には、最後に一つだけ道が追加されていた。


 《ナンバーレス・ストリート(Nameless Street)》


 地図の端に、文字ではなく“点線”で描かれた通り。

 その通りの先に、リアムたちは足を踏み入れた。


 通りの両側には古い家が並んでいたが、どれも窓も扉もなかった。

 代わりに、玄関の上にひとつずつ、空白の名札が打ちつけられていた。


 「ここって……誰かが住んでたの?」


 「……名前を持たなかった子たち、だと思う」

 リアムは答えた。理由はなかった。ただ、そう“わかった”。


 


 * * *


 


 その奥に、空き地があった。

 遊具も何もない。ただ、ぽつんとベンチがひとつ。


 そして——子どもたちがいた。


 5人。誰も喋らず、誰も動かず。

 目だけが、リアムとエミリーを見ていた。


 顔には表情がなかった。だが、目は確かに誰かを探している目だった。


 「……名前を、呼んであげて」

 エミリーがつぶやいた。


 リアムは、ひとりの子の前に立った。


 そして、ゆっくりと名前をつけた。


 「キミは……エイデン」

 次の子に。

 「君は、ハンナ」

 そしてまた。

 「……セス、ミラ、ケヴィン」


 そのたびに、子どもたちの目がわずかに光った。


 名を与えるということは、存在を認めるということだった。


 


 * * *


 


 その瞬間、空き地の空が割れた。


 空からひとつの“記憶の光”が降りてきた。

 それは、町がまだスリープクリークと呼ばれていたころの景色。


 子どもたちの声。走る音。夏の光。

 そして、突然の闇。


 リアムは見た。


 この町には、かつて“名を与えられなかった子どもたち”がいた。

 事故、記録ミス、失踪、そして無視。

 彼らの名前は、正式に記録されることなく町の記憶から落ちていった。


 ——それでも、彼らはここにいた。


 その存在を、夢の町が覚えていた。

 この場所だけが、彼らの“名前のない記憶”を抱え続けていた。


 


 * * *


 


 光がゆっくりと沈むと、子どもたちは静かに微笑んだ。


 誰ひとり、言葉は発しなかった。

 けれど、その場にいた全員がわかっていた。


 「……もう、大丈夫だね」

 エミリーが言った。


 子どもたちは、ベンチに座ったまま、ゆっくりと消えていった。

 まるで“名前のある世界”へと還っていくように。


 


 * * *


 


 帰り道、リアムはふと振り返った。

 もう、ナンバーレス・ストリートはなかった。


 地図を見ても、そこにはただの余白があるだけだった。

 でも、リアムは確かに“誰か”に会った記憶を持っていた。


 「もう、扉の向こうに行くしかない」

 リアムはつぶやいた。


 そして夜空を見上げた。

 そこには、裂け目ではなく、“目”がひとつ浮かんでいた。


 それは、今も名前を持たない存在たちが、眠りの向こうからこちらを見ている証だった。



(第12章・了)

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