第11章『世界の裂け目』

 その日、ウィロークリークは“形”を変え始めた。

 明確なきっかけはなかった。ただ、朝起きて外に出たとき、町の色が少しだけ違っていた。


 通学路の電柱が一本、曲がっていた。

 公園の滑り台の先にあったベンチが消えていた。

 駅前の古い映画館が、看板ごと“別の建物”になっていた。


 エミリーが言った。


 「……町が、夢を見てる」


 リアムはそれを否定できなかった。

 町の記憶そのものが、少しずつ“夢の記憶”に上書きされていくようだった。


 


 * * *


 


 図書館の司書が消えた。

 音楽室のピアノの鍵盤がすべて同じ音を鳴らすようになった。

 夜になると、家々の窓が誰もいないのに灯りはともり、声だけが聞こえてくる。


 町が、目を閉じたまま話し始めている。


 ノアが現れた。

 夢の町ではなく、現実の交差点で。


 「“裂け目”が、開いたよ」

 「どこに?」

 「町の真ん中。……でも、誰にも見えない。目で見るんじゃないからね」


 ノアはリアムに、一冊の本を渡した。

 それは、図書館の古い蔵書の写しだった。


 《スリープ・クリーク 地質調査報告(1961)》

 表紙の裏に、赤いインクでこう記されていた。


 《この土地の下には、ひとつの“記憶層”が眠っている》


 


 * * *


 


 リアムとエミリーは、その夜ふたたび夢の町に入った。

 現実と夢が混じり合い始めた町で、唯一まだ“夢としての姿”を保っていた路地があった。


 夢の町の中心、“名前を持たなかった場所”。


 そこでは、言葉が音にならなかった。

 すべてが静かに、しかし確かに記録されていた。


 「ここが……裂け目の中心」

 リアムが言った。


 空には穴があった。

 星も月もないはずの夜空に、黒い“渦”のようなものがゆっくり回転していた。


 その渦の下、ひとつの影が立っていた。

 今までの影とは違う。

 それは、はっきりとリアムに似ていた。だが、顔だけがまったく違っていた。


 「ぼくは、君のいない世界のリアムだ」

 影は言った。


 「ぼくは、一度も呼ばれなかった。君が名を持つことで、ぼくの場所はなくなった」


 リアムは声を詰まらせた。


 「君が名を持ち、存在を持ち、選ばれた瞬間——

  ぼくは、この“町の裏側”に閉じ込められた」


 エミリーが一歩、前に出た。


 「じゃあ、あなたがリアムじゃないなら、**あなたは誰なの?」

 「……“選ばれなかったリアム”。でも、存在している限り、ここにいる」


 


 * * *


 


 空が割れた。


 風もないのに、建物の壁が軋み、夢の町の地面がひび割れる。

 ウィロークリークという名の“記憶”が、崩れ始める。


 そして、町の上空に**大きな“瞳”**が現れた。


 それは神ではない。

 ただ、名を持たぬ存在たちの意志の結晶。


 「裂け目が完全に開くと、現実の町は夢に沈む」

 ノアの声がどこかから響いた。


 「その前に、選ばなきゃならない。

  この町を、目覚めさせるか。あるいは、夢のまま保存するか」


 リアムは、夢と現実の狭間で立ち尽くしていた。


 名を持つとは何か。呼ばれるとは何か。

 “誰か”になるとは、どういうことか。


 その問いが、町そのものを揺るがせていた。



(第11章・了)

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