第7章『もうひとりの僕』

 リアムは今、自分がどちらの世界にいるのか確信が持てなかった。

 天井の模様、空気の匂い、カーテンの揺れ方——すべてが、どこか“正しくない”。


 目を閉じて、息を吸う。

 音が遅れて届く。

 体がわずかに浮いているような感覚。

 これは夢だ。……たぶん。


 だが、夢にしては現実が遠すぎた。


 


 * * *


 


 夢の町は、昨日と形を変えていた。

 リアムは“そこ”に立っていた。


 地図にあったブラック・ウィンドウ・レーン。

 名前の通り、通りにはいくつもの窓が並んでいる。だが、どの窓も真っ黒で、なにひとつ映っていない。


 風がない。音もない。

 足音すら響かない空間で、リアムは歩いた。


 ふと、前方に“誰か”が立っていた。


 背の高さ、髪の色、シャツのしわ。

 ——自分自身だった。


 もうひとりのリアムは、無表情で立っていた。

 リアムを見ていなかった。むしろ、ずっと昔からそこにいたような目で、世界そのものを見つめていた。


 「……誰だ」

 リアムがそう問うと、その“リアム”は、ゆっくりと口を開いた。


 「ぼくは、おまえの夢が見ている“リアム”だよ」


 「夢が……?」

 「そう。おまえが夢を見ているんじゃない。夢が、おまえを見てる」


 リアムは一歩だけ下がった。

 胸の中で、何かがざらついた。自分の名前が、心の奥で軋む。


 「君は、僕の“影”なのか?」

 「影じゃない。おまえが見失った“本物”だよ」

 もうひとりのリアムは、微笑んだ。


 「目を覚ませ、リアム。夢にいるのはそっちじゃない」


 


 * * *


 


 リアムが目を覚ましたとき、顔に冷たい汗が流れていた。

 ベッドの隣の机。散らばったノート。壁のポスター。全部見慣れているはずなのに、何かが足りなかった。


 引き出しの中に、自分のノートがあった。

 そこに、手書きの文字がある。


 《リアム・サンダース》


 でも、その字が、自分の筆跡じゃないように見えた。


 「ぼくは……誰だ?」


 


 * * *


 


 午後、エミリーと会った。

 図書館裏の木陰で、二人は並んで座った。


 「なんか、変なこと聞いていい?」

 「なに?」

 「私って、リアムの“友だち”だったよね?」


 「え?」


 「……って、自分で訊いておいて変なんだけど。

  今朝から、急に自分がリアムのこと知らなかった気がしたの。小学校で一緒だったっけ?って」


 リアムは何も言えなかった。

 その感覚を、彼も持っていたからだ。


 「記憶が、変わってきてる」

 「違う。**記憶されていたことが、“上書きされてる”**んだよ」

 リアムは答えた。


 「夢の町に行ったとき、ノアが言ってた。“何かを置いてきたら戻れる”って……あのとき、ぼくら、自分自身の“記憶”を一部、向こうに置いてきたんじゃないかな」


 「じゃあ、このままじゃ……」

 「きっと、誰も“本当の自分”を思い出せなくなる」


 


 * * *


 


 その夜。

 リアムはふたたび夢の中で、あの町を歩いた。

 窓はすべて閉ざされ、空は沈黙していた。


 そして再び、“もうひとりのリアム”が現れた。


 今度は言った。


 「今度は、君が僕を夢に見てるんだね」


 その意味を、リアムはすぐには理解できなかった。



(第7章・了)

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