デートDay2 悪い青春とか体験してみる?
陽が沈んで、辺りがどんどん暗くなっていく。
それにつれて私の心もどこか沈んでいくような感覚が広がっていった。
颯馬くんの手が私の手をしっかりと握っている。その温かさに少しだけ安堵しながら、でも心の中には言葉にできない何かがうずまいている。
人混みの中を颯馬くんと無言で歩いていく。その歩幅が合っている気がして、不思議と安心する。私たちだけがどこか遠くへ行ってしまうような気がして、周りの喧騒が次第に薄れていった。
まぶしく光るネオン街を抜け、寂れた商店街に足を踏み入れた瞬間、目の前の景色が一変した。ここはもう、昔あったであろう賑やかさもない。ただ静寂と、時の流れだけがある場所。颯馬くんは、そんな場所に迷い込むことを選んだようだった。
それから、颯馬くんは並んだシャッターの間の道を進んで、一つの廃れたビルの非常階段を上りはじめた。カンカンと音がする。
「ここ、入っていいの?」
誰もいないかチラチラと周りを確認して、私は後ろから問いかけた。
見た感じは誰もいないけど、ここはきっと立ち入り禁止の場所だ。
私の声は、暗闇にすぐに飲み込まれていった。
「土地開発のためとか言って、近いうち、ここ一帯はなくなるらしい。だから、もうここら辺には誰もいないんだ」
階段を上がりながら、颯馬くんはそう答えた。
止まることなく段差を何段も超えていく。
彼の後ろ姿がどこか頼もしくて、でもどこか儚い。
「ここに居る間だけはAちゃんと俺だけの世界になるってことだよ」
颯馬くんの言葉が、私の耳に静かに響いた。
どのくらい階段を上がったか、分からなくなった頃、私たちはそのビルの屋上に到着した。
周りにはここより高い建物がなくて、夜空が大きく広がっていた。
それに向こう側にはキラキラと光る街が見える。
私と颯馬くん以外、みんなが消えた世界。
少しの風が、頬を撫でる。
「真っ暗だね」
私はぼそりと呟いた。
この屋上はライトがないから暗い。
「暗いからいいんだ」
颯馬くんがガタガタと何かをやってると思ったら、どこからか水の入ったバケツを持ってきた。
「それどうするの?」
訝しげに颯馬くんを見てしまう。
暑くなってきたからって、頭から水をかぶるバケツチャレンジとかしないよね?
「じゃじゃーん」
私の視線を物ともせず、颯馬くんは後ろに隠し持っていた何かを前に出した。
でも、暗くて、あまり見えなくて、私は近付いてそれを見た。
「花火? 季節的に早くない?」
颯馬くんの手にあったものは家庭用花火セットだった。
定期考査が終わって、まだ六月だ。
夏の花を咲かせるには早い。
そう考えて、颯馬くんと出会ってから結構な時間が経ったことに気が付いた。
「Aちゃんと夏まで一緒にいられるか分からないから先に準備してた」
その言葉に、また胸がぎゅっとなる。
先を考えて行動してるのは颯馬くんだけだ。
私は、この時間がずっと続くと信じてしまっている。
颯馬くんがマッチで灯した一本の白いロウソク。
その光に照らされた彼を見ていると、幻なんじゃないかと思えてくる。
「はい」
手持ち花火を手渡され、颯馬くんの手に導かれるようにロウソクの火に近づけた。
幻なんかじゃない。
「わぁ……」
はじける赤とオレンジ色の光。
バチバチと爆ぜ、その小さな火の花があまりに綺麗で、私の口から声がもれた。
颯馬くんも両手に花火を持って、それに着火する。
棒の先から緑の光が激しく吹き出して、喧嘩の強い彼が持っていると剣みたいに見えた。
「ふふっ」
思わず、想像して笑ってしまう。
あ、と思って視線を向けると、颯馬くんも笑って私を見ていた。
「綺麗……」
照れ臭くなって視線を手元に移す。
まばゆい火花は大きくなくても綺麗で、楽しくて……。
時間はすぐに過ぎていった。
「本物が見られるといいね」
最後の線香花火に火を灯したとき、私はそう言ってしまった。
消えてほしくないから、小説の完成を先延ばしにする。
そんな汚い考えは持っていないけれど、出来ることなら、もっと一緒に居たい。
それは、今のこの瞬間が永遠に続いてほしいという、私の心の叫びだった。
「どうかな……」
颯馬くんは静かに答えた。横顔がとても綺麗。
彼の言葉には、何か深い意味が込められている気がした。私の心がわずかに揺れる。
あまりに見つめすぎたのか、ふいに彼が私のほうを見た。
「Aちゃんって、また可愛くなったよな」
ふっと笑う顔に心臓を持っていかれそうになった。
「気付いて……」
思わず、小さな声で言ってしまう。
私がおしゃれをしても、どうでもいいんだと思ってた。
「気付いてたよ。でも俺が素直に反応していいものなのかと思って」
颯馬くん、また儚い笑みを浮かべてる。
お姉ちゃんとしての気持ちと戦ってるのかもしれない。
「あ……」
二人の線香花火がほぼ同時に地面に落ちた。
線香花火もとても儚い。
「私が消えてしまったら、どうする?」
光を失った線香花火を見つめながら私は小さくこぼした。
意地悪な質問だと分かっているけれど、心のどこかで彼が答えてくれることを、私は望んでいた。
でも、やっぱり、聞くべきじゃなかった。
「ごめん、意地悪な質問だった」
視線を外すことなく、また小さく続けた。
これは意地悪で残酷な質問だ。
人を試すような醜い質問。
でも、お姉ちゃんと、颯馬くんと、私も一緒に消えたいと思ってしまう。
だって、もういいじゃん。
楽しみもないし、自分に出来ることもないし。
「……っ」
突然、横からガバッと颯馬くんに両手を握られて、私は息をのんだ。
そちらを向くように手を引かれる。
強い瞳と視線が合った。
「私が消えるまで俺がAちゃんのこと絶対に守るから。どこにも行かないで」
「颯馬くん……」
ずるいよ、消えてしまうのはそっちなのに。
また泣きたくなってくる。
今日、喧嘩してたときの颯馬くんはお姉ちゃんの面影が一ミリもなかった。
颯馬くんごとお姉ちゃんが消えてしまうのか、颯馬くんの中からお姉ちゃんだけが消えてしまうのか。
颯馬くんの言葉が、私の心を掴んで離さなかった。彼の目に宿る強い意志が、私を少しだけ救ってくれるような気がしてしまう。自分が消えることを恐れながら、それでも彼が私を守ろうとしてくれる。その矛盾が胸に刺さった。
「寂しくなったら、今日のこと、思い出して」
そう言いながら、颯馬くんはロウソクの火をふっと吹き消した。
◆ ◆ ◆
「Aちゃん……! こんな時間に帰ってきて、どこ行ってたの……!」
家に帰ったのは夜の九時過ぎで、うちの門限はギリ七時だから玄関の扉を開けた瞬間にお母さんが怒りと心配半々の表情で立っていた。後ろに立っているお父さんの顔に怒りはなくて、ただ心配している顔をしていた。
「やっぱりまだお姉ちゃんのこと気にして……」
そう言いながら、お母さんは私のことをぎゅっと抱きしめた。
私がお姉ちゃんのことで気に病んでると思ってる?
間違ってないよ。でもね
「違うの。ごめんなさい……、ちょっとやってみたいことがあって……」
颯馬くんに繋ぎ止められたんだ。
彼と過ごした時間が、今の私には唯一の救いだった。でも、言葉にすることができなかった。その全てを。
「お願いだから、私たちを心配させないで。あなたまで……」
お母さん、泣いてる。
最後まで言葉を言えないのは、どうして?
私が消えたら、お母さんとお父さんは壊れてしまうだろうか。
「大丈夫、ほんとにごめんなさい」
私はお母さんの背中を優しく撫でた。
お姉ちゃんに会ってる、って言えたら、どんなにいいか……。
その思いを胸に秘めて。
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