第8話 血
弟が大嫌いだった。
昔からすぐ泣くし、甘えん坊で、自分の意見を通そうと親を味方につける。
「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」なんて、ふざけんなよ。先に生まれたくて生まれたわけじゃねえ。
ずるくて、人のものを欲しがる卑しいやつ。
オレの記憶には、そう位置づけられた存在だった。
社会人になって家を出た。電話も住所も教えなかった。
オレはやっと自由になったと思った。
そんな弟が、先に死んだ。まだ四十にもならないのに。
親からの一報に、感情は動かなかった。ただ、「ああ、死んだのか」と思っただけだった。
お通夜の会場には見覚えのある顔が並んでいた。
親戚、昔の近所の人。中には誰だか分からないくらい老けた親の姿もあった。
そして――知らない子どもがひとり、喪服に着られて所在なげに立っていた。
目が合う。妙に視線が刺さる。なにかを伝えたがっているような……。
「宏一叔父さん……ですか?」
話しかけてきたその少年は、小学五年生くらいだった。顔立ちは整っていて、少しだけ猫背。
そして……どこかで見たことのある目の形。
「叔父さんに、これ、渡すように言われてました」
差し出されたのは、封筒だった。中には一枚の写真と、手紙。
写真は、二十年以上前のオレと弟が写っている。まだ子どもだった弟が、にやけながらオレの腕にぶらさがっていた。
あのときの夏、山に遊びに行った日の写真だ。
手紙にはこうあった。
---
> 兄貴へ
ずっと、話したいと思ってた。けど話せなかった。
子どものころ、おれが泣いてばっかりだったのは、兄貴がこわかったんじゃなくて、いなくなるのがいやだったんだ。
家を出ていってからも、どこかで見てくれてたらいいなと思って、結婚して子どもが生まれて、名前もつけるときに迷わなかった。
「宏和」ってつけたよ。
兄貴の名前から一字、もらったんだ。
おれ、ずっと兄ちゃんが好きだった。ありがとう。
またいつか。
――健太
---
目の前の少年が、もう一度小さく頭を下げた。
「お父さん、叔父さんのこと、ずっと探してたんです」
返事ができなかった。声が出なかった。
写真の中の弟の笑顔が、やけにまぶしくて、弟の顔がどんどんぼやけてくる……
ずるくて卑しいやつだと思ってたのは、ただのオレの決めつけだった。
知らないうちに、弟はオレの名前を――こんなにも、大事にしてくれていた。
目の前の少年の目元は、あいつによく似ていた。
いや、昔のオレにも、どこか、似ていた。
目がよく見えないや。なんなんだよ……こんな泣くつもりなんかなかったのによお……弟の顔によく似たこの子の顔をまっすぐ見れなくなった。
ハンカチを持って近づいて、
オレの泪をそっと宏和が救った。
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