第7話
翌朝目が覚めて、来月からのバイトに長期間で行けなくなる連絡をする。何かあったのかと上司は心配してくれたが、全てこちら側の事情なので申し訳なくなりつつ、知り合いの家にお世話になることになったのだと適当にぼかして伝えた。
洗濯物を回しつつ、棚にぎっしり詰まった本の一冊を手に取った。両親の遺したものだ。父の姿に憧れて、幼い頃は本の虫だった。最近は忙しくて、あまり本は読んでいない。
埃を被りつつある表紙を指で撫でて、開く。ぱりぱり、と固まったのりが剥がれる音がして、古い紙の匂いが少しした。
少し読んだ。
集中しようとしても、理解する速度を文字を目で追う速度が上回って、内容が頭に入って来ない。途中で無駄な思考が入るせいで、物語の中身は何も理解できなかった。
結局何にも集中できないまま、適当に家事をこなして、散らかっている部屋を後にした。
向かう先はもちろんジム。平日の昼間からジムに来る人間などいないと思うかもしれないが、実は富裕層らしき老人たちは平日の方が利用頻度が高かったりする。休日は家族と過ごす時間としているのかもしれない。
若干顔見知りの老婦人に軽く頭を下げて、後に続くようにジムの中に入る。受付で待っていたのは麗奈さんだった。
「こんにちは」
「お待たせしました」
「いえいえ。こちらへ」
連れていかれたのは、マシンがなく少し開けた場所。鏡が一面についていて、ヨガマットが隅に一枚敷いてある。
「色々調べてみてメニューを組んだのですが、少し不安です。何かあれば遠慮なく言ってくださいね」
「わざわざありがとうございます」
ちょっと待っててください、と言った麗奈さんがいそいそと取り出して来たのはデッドリフト用の台だった。重そうにしていたので手伝いつつ、麗奈さんの説明を聞く。
今日は筋力中心のトレーニングらしい。ウェイトを使った瞬発力のトレーニングだ。そして、後日スプリントやサーキットも行うのだという。
「慣れていないとうまく持ち上げられず怪我をしてしまうかもしれないのですが、以前にスナッチをしているのを見たことがありますから。心配はいりませんね」
スナッチというのはバーベルを足元から頭上に一気に持ってくるリフティングのことだった。確かに、普段のトレーニングでもすることがある。
「最初はハングクリーンを行って、その後にスナッチです。参考にした資料が五年以上前のものなので、最適なウェイトは分からなかったのですが………」
「それは俺が分かるので大丈夫です」
プレートを持って来てシャフトに嵌めて行く。大量に嵌めすぎると外れ防止のカラーを以てしても危ないので、少し控えめに。
凄く重いですね、と麗奈さんがシャフトを持ち上げようと屈みこみながら言う。俺も最初はここまで持ち上がらなかったし、普段トレーニングをしない人からしたら確かに重いだろう。
「歴ですね。続けていれば慣れますよ」
「ふふふ、本当ですか?」
指示された回数だけバーベルを持ち上げて、セットをこなしたら休憩を入れる。
少し体は温まるが、やはり負荷は足りなかった。段々と途中で作業になって来る。他のことを考え始めて頭を振った。
不思議そうな顔をした麗奈さんの視線から逃れるように、残りのセットも終わらせた。
「あまり大きな負荷にはなっていなさそうですね………」
「そう、ですね」
まあ分かっていたことです、と麗奈さんが呟く。ウェイト関連の負荷が足りないことは、既に麗奈さんに何度か相談していた。
「今日はウェイト系にしますが、これからはスプリント中心でトレーニングした方がいいかもしれませんね」
「お願いします」
結局その日は、いつも通りのウェイトと同じような結果だった。物足りなかったので、適当に泳いでから帰ることにする。水着を持って来ておいて良かった。
暑いからだろうか、プールに入るとだいぶ気分が良い。
それにしても、クロール以外の泳ぎ方を覚えるのも楽しいかもしれない。現状は力任せの自由形でしか泳げていないから。
水泳が終わったら、アイスを買って帰った。家に着いた時間は夜の八時だった。汗をシャワーで流して、パジャマに着替える。
その後は特に何もしないで、食事をして布団に入った。
何が理由かは分からないが、やけにすっきり眠れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます