第6話 父のこと、おじさんとの出会い

 香山篤志──天音の実の父は、かつてはテレビドラマで主役級を演じたこともある俳優だった。洗練された顔立ちと、少し影のある芝居が魅力とされ、週刊誌では「次世代の演技派」として紹介されたこともあった。


 だが、栄光は長くは続かなかった。数年のうちに話題性は薄れ、役のオファーも減り、メディア露出も少なくなっていった。


 それでも、香山は変わらなかった。いや、変わろうとしなかった。娘が生まれても、自身のライフスタイルを一切改めることはなく、夜遅くまで飲み歩き、業界関係者との会合を優先し、自宅にいる時間も少なかった。


 ――まるで、“独身貴族”気取りのままだった。


 母はそんな香山に何度も働きかけたという。娘のために、少しでも時間を割いてほしい。家族としての責任を果たしてほしい。だが、返ってくるのは曖昧な笑みか、芝居じみた言い訳ばかりだった。


「俺に家庭なんて、似合わないだろ?」と言う言葉と裏腹に、


「この子には表現者の血が流れてる。父親として伸ばしてやりたい」

 

「やっぱり芸能は若いうちに仕込まないとね」


 そう言って、香山は娘をあちこちに連れ回すようになった。撮影所、知人のバー、映像関係者の飲み会……子どもを連れて行くにはふさわしくない場所に、ためらいもなく同伴させた。


「うちの娘、映えるでしょ? 」


 そう語る父の横で、天音はただ黙って座っていた。彼女自身の意思や気持ちは、そこに存在していなかった。


 ――僕は、父の“所有物”だったんだ。


 天音にそう思わせる行動が、決定打になった。天音がまだ小学四年生のとき、母は離婚を決断した。法律上の手続きだけでなく、娘の心を守るために、親権を強く求めた。


 だが香山は、そこで諦めなかった。むしろ“手に入らなくなった”ことで、娘をより強く求めるようになった。


 そんな日々が続いていた、ある日の下校途中。天音は通学路の角で、香山に呼び止められた。


「たまにはお父さんの家に来ないか」


 香山は柔らかな笑みを浮かべていたが、どこか焦りを帯びていた。仕事も、評判も、家庭も、失った今、自分に残された唯一の“成果物”が天音だと思っているかのように。


 腕を取られそうになった、そのときだった。


「やめてください。何をしてるんですか」


 落ち着いた、けれど揺るぎのない声が割って入った。声の主は、スーツを着た中年男性──そして彼の隣には、立派なジャーマンシェパード犬がいた。


 佐倉陽介。その日が、天音と佐倉との最初の出会いだった。


 大きな犬を連れていたのに、不思議と怖くなかった。むしろ、その存在が天音の周囲に結界のような静けさを与えてくれていた。


 香山は自分が父親だと説明した。しかし、佐倉は引かなかった。


「親権があるかどうか、確認させてもらえますか?」


「それが無いのであれば、これ以上の接触は児童福祉法に抵触しますよ」


 香山は憮然としながらも、何も言い返せずにその場を去った。天音はその背中が見えなくなるまで、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「……ありがとう、ございます」


 ようやく声を出したとき、佐倉は穏やかに頷いた。


「大丈夫。怖いことがあったら、またここを通ってごらん」


 その言葉に、胸の奥で何かが、ほっとほどけるような気がした。 


 佐倉は毎朝、通学路に立っていた。自分の子どもも同じ小学校に通っていたと言っていた。子どもは中学生になったが、地元の愛犬家や保護者と共に毎朝、犬の散歩をする習慣は残ったそうだ。


 ――あの日、僕を守ってくれた人がいた。今でも、あのときのジャーマンシェパードが産んだ子犬たちと戯れている。

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少年探偵になった女の子 佐倉陽介 @since20250322

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