第5話 マネージャーはベストセラー作家です
午前の授業が終わると、教室の中は一気ににぎやかになる。弁当を広げる生徒、廊下へ出ていくグループ、教卓を囲んで雑談する数人──。その中で、結城天音は相沢ひよりと一緒に自席でランチの支度をしていた。
「ねえ、天音ちゃん」
ひよりがそっと声を落とす。
「主演ってすごいけど……これから、もっと忙しくなるんじゃないの?」
天音はふと手を止め、ふたを開けかけていたお弁当箱を見つめた。いちご柄の保冷バッグから取り出した、母が用意してくれたサンドイッチ。
「……うん、確かに忙しくはなるよ。でも、ちゃんと調整してくれてる。おじさんが」
「佐倉さんでしょ? なんかもう“専属”って感じだよね」
ひよりがそう言って笑う。実際、クラスメイトたちは皆、「佐倉おじさん」をよく知っていた。
運動会の付き添いも、保護者面談も、入学式の撮影も、いつも佐倉が来ていたからだ。学校からの連絡メールも、緊急時の連絡先も、すべて母と共に“佐倉陽介”名義で登録されている。
「……おじさんね、広告代理店の課長なんだけど、今は僕のスケジュールのほとんどを見てくれてる。映画の仕事も、“天音の体調が一番大事”って言ってくれてて……学校のこと、絶対におろそかにしないようにって。あっちの現場にも伝えてくれたんだ」
「そうなんだ……なんか、すごい人だよね。あの人」
ひよりはそう言いながら、ふと思い出したように続けた。
「ねえ、天音ちゃん。佐倉さんって、小説も書いてるんだよね」
天音が「うん」と頷くと、ひよりの目がまるくなった。
「そう。おじさん、会社員しながら小説書いてる。ベストセラー作家だったのに、本人は一発屋だって」
「兼業作家ってやつ? え、広告代理店の課長で、作家で、マネージャー? 何足わらじなの!?」
あっけにとられたようなひよりの声に、周囲の生徒も興味を持ち始めたのか、ちらちらとこちらを見てくる。
(……まあ、バレても困ることじゃないし)
天音は、ふっと苦笑してサンドイッチを口に運んだ。
「でも、たぶんね、おじさんって、僕が“なお”として芸能活動を始める時……本当はすごく迷ってたんだと思う」
「どうして?」
「……“子どもを売り物にする”みたいに見えるかもしれないって。そういうの好きじゃないんだって」
そのときの佐倉の言葉は、今でも心に残っている。
顔立ちがどうとか、性別がどうとか、関係ない。
「おじさんは、僕が“僕”のままで、舞台に立てるようにしてくれた。僕がまだ“僕”って言うのをやめられないことも、ずっと否定しなかった。女の子であることも、少年役をやることも、両方大切にしてくれた」
「……なんか、すごいね。そういう人が近くにいてくれるって」
放送のチャイムが鳴り、昼休みの残り時間が減っていく。
クラスのあちこちで声が飛び交い、笑いが生まれ、廊下からは次の授業の教科書を取りに走る足音が聞こえる。
その喧騒の中で、ひよりがポツリとつぶやいた。
「……ねえ、なおちゃん。ほんとは、すごくたいへんなことなんだよね。少年を演じるって。あたし、ちょっとわかるかも。だって“女の子らしく”とか、“こうあるべき”って、勝手に決められるのって、すごくしんどいもん」
天音は驚いたように顔を上げ、そして少しだけ笑った。
「ありがとう。……でも大丈夫。おじさんがいてくれるから、ちゃんと“僕”で立っていられる」
窓の外では、春の空に雲が流れていた。
――“僕”という一人称で、“少女”として日常を過ごし、“少年”としてカメラの前に立つ。
結城天音の物語は、その複雑さを抱えたまま、確かに続いている。
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