第3話 送迎
玄関のドアが閉まると、外の春風が制服の裾をふわりと持ち上げた。
結城天音は、きゅっとリュックの肩紐を引き直して、ゆるやかな坂道の向こうに視線を向けた。そこには、佐倉陽介の運転する黒いセダンが、いつものように待っている。
助手席に乗り込むと、すぐにエンジンの音が静かに重なった。
「シートベルト、よし。行くぞ、少年探偵」
ハンドルを握る佐倉の声に、天音は小さく息を吐き、わずかに笑みを浮かべた。
「……やっぱり、それでからかうつもりだね?」
「違う違う。敬意を込めて言ってるんだ。“小林少年役の三浦なおさん”、ね?」
「やめてよ、その“さん”付け。気恥ずかしいって」
車はゆっくりと坂を下り、住宅街を抜けていく。車窓を流れていく街の景色は見慣れたはずのものなのに、今朝はどこか違って見えた。
もしかしたら、“自分の名前”が全国に出たからかもしれない。
あるいは、ここに写る誰かが、すでに記事を読んでいるかもしれないと、そんなことを考えてしまうから。
「……ねえ、おじさん。僕って、やっぱり変わってる?」
不意に口をついた言葉に、佐倉はバックミラー越しにちらりと目を向けた。
「そうだな。普通じゃない。でも、それは“普通じゃないほど面白い”って意味だぞ」
「……そう?」
「芸能事務所にも入ってないのに、映画主演が決まった中学生って、なかなかいないからな」
天音は口元を引き結び、視線を窓の外に戻した。
彼女は芸能事務所に所属していない。代わりに、彼女をマネジメントしているのは、広告代理店だった。佐倉陽介が所属するその会社が、なお=天音と正式に“専属契約”を結んでいる。
「変って言えば……広告代理店と直接契約してる芸能人なんて、聞いたことないよね」
「そうだな。俺たちのしていることは実験みたいなもんだ」
元々は企業キャンペーン用に“モデル案件”として依頼された撮影だった。だがそのときの彼女の写真が予想を上回る反響を呼び、事務所を通さずに直接運用する形でプロジェクトが続いていった。
「普通の芸能事務所に入った方が、仕事の幅は広がるんじゃないかって思うこと、あるよ。……でも、おじさんがマネージャーでいてくれて、僕はすごくやりやすい」
「ありがとう。でもそれ、他の人には絶対言うなよ。職場でからかわれるから」
佐倉の苦笑に、天音は思わず吹き出した。
車は大通りに出て、学校の近くへと差し掛かる。通学中の生徒たちの姿が見えはじめると、天音はふと背筋を伸ばした。
「あの記事、もうみんな見たかな……」
「見てるかもな。でもそれは、なおが注目されてる証拠だ。胸を張れ」
(……でも、やっぱり少し怖い)
“女の子なのに”“少年役を”“主演で”――そんな言葉が、どこかから投げられるかもしれない。もう慣れたはずだった。
(“僕”であること。“女の子”であること。そして“少年”を演じること。それって全部、ちゃんと両立できるんだろうか)
車が停まり、学校の門が見えた。
「なお」
佐倉の声に振り向くと、彼は穏やかな目をしていた。
「役者ってのは、自分と違うものを演じる仕事だ。“自分とは違う何か”を、まるで“自分のように”生きる。それができる人間を、みんな役者って呼ぶんだよ」
天音はゆっくりうなずいた。
「……うん。ありがとう、おじさん」
リュックの紐を引き直し、ドアを開けた。
「迎えは三好さんか日向さんが来る」
「うん。行ってきます、おじさん」
最後にそう言って、天音は車を降りた。
校門をくぐる背中はまだ小さい。でもその胸の奥には、少年としてカメラの前に立つ覚悟と、少女として生きる日常と、どちらも抱えて歩く“俳優”の佇まいがあるように佐倉は感じた。
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