第3話 鞍馬山での修行
山を下る道すがら、陽翔は何度も息を吐いた。
鞍馬山の空気はどこか異様に澄んでいて、深く吸うと頭が冴えるような感覚すらあった。夜が明け、雲の切れ間から朝日が差し込む頃、ようやく山門が見えてきた。
寺の入り口には道範が立っていた。
老僧は静かに、だが確かに陽翔の姿を見つけると、深く頷いた。
「天狗に会えましたか?」
「うん。なんていうか、すごかった。……化け物じみてたけど、話はちゃんと通じたよ。」
「それは何より。では、次は――」
「しばらくここに通うよ。天狗が鍛えてくれるって。ほら、俺は刀とか握ったことないし!」
「……なるほど、では武者修行ですな。」
道範は腕を組み、しばらく目を閉じていた。
「牛若丸――遮那王は、このまま寺にいれば、やがて隠れて生きる道もあったでしょう。だが、そなたは“進む”ことを選んだ。」
「進まなきゃ、何も変わらないだろ?」
軽く笑って言った陽翔の目には、昨夜よりも確かな光が宿っていた。
道範はふところから小さな袋を取り出し、手渡す。
「路銀と、護身用の小太刀です。武士の世の道は、言葉より先に刃が交わる。……ご武運を。」
「ありがとう。……最初に出会うのがあなたで良かったよ。」
「これからですよ。今から始まるのです。」
――言葉の余韻を残して、道範は笑った。
⸻
陽翔は鞍馬山で天狗と毎日のように
修行した。
刀の使い方、身体の動かし方から
間合い、戦い方の全てをその身体に叩き込んでいた。
そして、ある日
天狗はいなくなっていた。
翌日も行くが、そこには天狗はいない。
まるで、最初からいなかったかのように。
「行ってこい。ってことだよね。
京の街に降りてみるか。」
陽翔は決心して京の街に繰り出すのであった。
街は思っていたよりも生き生きとしていた。朝市の賑わい、鴨川のせせらぎ、町娘たちの笑い声。
スマホも信号もない、だけどどこか“人間らしい”熱がこの世界にはあった。
(歴史の授業じゃ、ただの年号だった世界だ。……でも、ここに生きてる人間は、ちゃんと“今”を生きてるんだな)
街に入ってまず耳に入ったのは、ある噂だった。
「また橋で斬られたらしいよ。夜な夜な現れては、武者狩りするってさ。」
「一本目百、百本目には鬼になる――って、ほんとに百本集める気なのかねぇ。」
「五条大橋の“鬼若”だろ? もともと比叡山の坊主だったって話よ。」
「手にした薙刀、まるで人間の振るもんじゃねぇってさ。」
橋の名に耳がぴくりと反応する。
(五条……。なんか言ってたな。あーそうだ、天狗が言ってた、“弁慶”ってやつか?)
夜な夜な武者を斬っては刀を集めている。人々は彼を「鬼若」と呼ぶ。
陽翔の記憶の片隅にあった教科書の一節――“弁慶、千本の刀を集めるも、最後の一本は義経から奪えず”――がぼんやりと重なった。
(じゃあ……俺が“最後の一本”ってわけか)
陽翔は、五条大橋を目指して歩き出した。
⸻
陽が落ち、月が昇る頃。
五条大橋にたどり着いた陽翔は、欄干の上に腰を下ろし、夜風に当たっていた。
周囲には誰もいない。ただ、水面に揺れる月の光が、彼の心をゆっくりと沈めていく。
(まるで“ステージ”みたいだな)
目を閉じると、風の中に重い足音が混じる。
カン、カン……と木の下駄が橋板を踏み鳴らす音。
それはゆっくり、だが確実に近づいてくる。
「……出たな」
陽翔が立ち上がった時、月明かりの中に“それ”は現れた。
身の丈六尺を超える大男。
肩幅は尋常でなく、金色の数珠を首にかけ、手には異様な長さの薙刀。
不揃いな刀が帯から何本も下がっている。
「貴様……何者だ?」
男の声は低く、重く、獣のようだった。
陽翔は息を整えながら答える。
「……旅の途中の者だよ。“弁慶”って名前を探してる。」
男はギラリと目を光らせた。
「鬼若……が、かつての名。今は名乗る必要もない。“最後の一本”を抜かせるまで。」
「最後の一本……」
陽翔は、小太刀の柄に手をかける。
男は薙刀を構え、にやりと笑った。
「その面……どこかで見た気がする。まさか――“遮那王”か?」
陽翔は何も言わず、足を少しずつ開いた。
ゲームのボス戦を前にした、あの感覚。手汗、緊張、そしてどこかワクワクした心。
天狗から教わったものがどこまで通じるのか。初戦だしな、そこまでだろ。
そんな心の余裕もあった。
「ならば、よい。貴様を倒せば、俺の収集は“完成”する。」
「そっちがその気なら……こっちも本気でいくよ。」
夜風が鳴り、橋がきしむ。
五条の橋の上、伝説の戦いが、今始まろうとしていた。
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