第10話 「運命の決着と新たな始まり」
悪霊を浄化してから三日後、蓮太郎は鬼族の領域で朱音との再会を果たした。分離の試練を乗り越えた二人の絆は、以前にも増して深く、強いものとなっていた。しかし、長老会からの次なる試練の通達は、すぐにやってきた。
「第二の試練『選択の試練』を開始する」
玄武の厳格な声が、鬼族の領域に響いた。蓮太郎と朱音は、長老会の前に立たされていた。五人の長老たちの視線は、依然として厳しく、特に朱音に向けられた視線には、複雑な感情が宿っていた。
「朱音よ」最年長の長老・蒼龍が口を開いた。「汝は今、選択を迫られる。人間界での生活を続け、人間として生きるか。それとも、鬼族の里に戻り、我々の一員として本来の力を存分に発揮するか」
朱音の小さな角が、わずかに震えた。蓮太郎は彼女の不安を、契約の絆を通じて感じ取った。
「ただし」蒼龍は続けた。「人間界での生活を選ぶなら、汝の鬼族としての強大な力の大部分を封印せねばならぬ。人間界で目立つことなく、静かに生きることを誓わねばならぬ」
「逆に、鬼族の里での生活を選ぶなら」別の長老・白虎が言葉を継いだ。「汝には鬼族の中でも上位の地位と権力を与えよう。母君・紅蓮の汚名をそそぎ、朱雀と並ぶ地位に就くことも可能だ」
蓮太郎は拳を握りしめた。これは明らかに、朱音を誘惑する選択肢だった。鬼族として生まれた朱音にとって、力を封印されることは大きな制約を意味する。一方で、鬼族の里での地位と権力は、彼女の母の名誉を回復する道でもあった。
「時間は一刻与える。よく考えるがよい」玄武が告げた。
朱音は静かに頷き、蓮太郎と共に別室へと案内された。二人きりになった瞬間、朱音は蓮太郎の胸に身を寄せた。
「蓮太郎……」朱音の声は震えていた。「私、迷っている。母様の名誉を回復したい気持ちもあるし、でも……」
「でも?」蓮太郎は朱音の髪を優しく撫でながら尋ねた。
「あなたのそばにいたい。人間界で、あなたと一緒に除霊師として働きたい。人間と鬼族の架け橋になりたい。でも、力を封印されたら、本当に役に立てるのかしら」
蓮太郎は朱音の顔を両手で包み込んだ。「朱音、君の価値は力の大きさじゃない。君の心の美しさ、人を思いやる気持ち、そして君がいてくれることで僕が得られる勇気。それが何より大切なんだ」
朱音の瞳に涙が浮かんだ。「でも、母様の……」
「紅蓮さんの名誉を回復する方法は、鬼族の里に戻ることだけじゃない」蓮太郎は静かに言った。「君が人間界で幸せに生きること、人間と鬼族の架け橋として活動すること。それも、お母さんの選択が正しかったことを証明する道だと思う」
朱音は長い間、蓮太郎の胸の中で考え込んでいた。やがて、彼女は顔を上げた。その表情には、迷いを振り切った決意が宿っていた。
「私、決めた。人間界で、あなたと一緒に生きる。力が封印されても構わない。あなたがいてくれれば、私は何でもできる」
蓮太郎は朱音を強く抱きしめた。「ありがとう、朱音。君の選択を誇りに思う」
一刻後、二人は再び長老会の前に立った。朱音は背筋を伸ばし、凛とした表情で答えた。
「私は人間界での生活を選びます。力の封印も受け入れます。人間として、蓮太郎と共に生きていきます」
長老たちの間に、複雑な表情が浮かんだ。蒼龍は深くため息をついた。
「そうか……汝の選択は理解した。しかし、これで終わりではない。第三の試練『犠牲の試練』が残っている」
今度は、玄武が蓮太郎の方を見据えた。「蓮太郎よ、汝への試練だ。朱音を真に愛するなら、汝が最も大切にしているものを一つ、我々に差し出せ」
蓮太郎の心臓が高鳴った。「最も大切にしているもの、とは?」
「橘家に代々受け継がれてきた除霊師の血統と伝統。それを放棄し、一般人として生きることを選ぶか」白虎が冷ややかに言った。「それとも、汝自身の記憶を代償にするか。朱音以外の全ての記憶を失い、彼女とだけの新しい人生を歩むか」
朱音が息を飲んだ。「そんな……蓮太郎にそんなことを求めるなんて」
「朱音」蓮太郎は静かに彼女の名を呼んだ。「大丈夫だ」
蓮太郎は長老たちを見回した。「僕は……僕は橘家の除霊師としての血統を手放します。でも、記憶は残させてください。家族の記憶、朱音との思い出、全てを大切にして生きていきたい」
「蓮太郎、だめ!」朱音が蓮太郎の袖を掴んだ。「あなたの家族の伝統を、私のために捨てるなんて」
「朱音」蓮太郎は振り返り、微笑んだ。「橘家の伝統は確かに大切だ。でも、君を失うことと比べれば、何でもない。それに、除霊師としての能力がなくなっても、君がいてくれれば、別の形で人の役に立つことができる」
朱音の瞳から涙が溢れた。「蓮太郎……」
「それが汝の答えか」蒼龍が重々しく尋ねた。
「はい。僕は橘家の除霊師としての血統を手放します。朱音と共に、新しい人生を歩みます」
長老たちは互いに視線を交わした。長い沈黙の後、玄武が口を開いた。
「……十分だ。汝らの愛の深さ、そして互いを思いやる心。それは真実であることが証明された」
「え?」蓮太郎と朱音は同時に声を上げた。
蒼龍が立ち上がった。「我々は、汝らが真に愛し合っていることを確認したかったのだ。朱音よ、汝の母・紅蓮も、人間を愛した時、同じような犠牲を払おうとした。そして蓮太郎よ、汝もまた、愛する者のためには全てを投げ出す覚悟を見せた」
白虎が続けた。「しかし、真の愛は、相手に犠牲を強いるものではない。互いを高め合い、支え合うものだ。汝らは、それを理解している」
「だから、我々は汝らの関係を認める」玄武が宣言した。「朱音の力の封印も、蓮太郎の除霊師としての血統の剥奪も、必要ない。汝らは、そのままの姿で、人間と鬼族の架け橋として生きればよい」
朱音は信じられないという表情で長老たちを見つめた。「本当に……?」
「ただし」蒼龍が付け加えた。「汝らには責任がある。人間と鬼族の平和的な共存のために働くこと。そして、汝らの愛が真実であることを、これからも証明し続けることだ」
「はい!」蓮太郎と朱音は同時に深く頭を下げた。
「それでは、この審問を終了する」玄武が告げた。「朱音よ、汝は正式に人間界での永住を許可される。そして蓮太郎よ、汝は鬼族と人間の架け橋として、我々からも認められた存在となる」
長老たちが退席した後、蓮太郎と朱音は抱き合った。三つの試練を乗り越え、ついに長老会からの承認を得ることができたのだ。
「やったね、朱音」蓮太郎が朱音の頭を撫でながら微笑んだ。
「うん……でも、これで終わりじゃない。私たち、これからが本当の始まりだから」朱音が蓮太郎を見上げて言った。
数日後、二人は人間界へと戻った。橘家の人々は、二人の帰還を温かく迎えてくれた。千代子は安堵の表情を浮かべ、蓮太郎の父・一郎は満足そうに頷いた。
その夜、蓮太郎は朱音を庭に呼び出した。満月が二人を優しく照らしていた。
「朱音」蓮太郎が振り返ると、朱音は少し不思議そうな表情を浮かべていた。
「どうしたの、蓮太郎?」
蓮太郎は深く息を吸い、朱音の前に片膝をついた。朱音の目が大きく見開かれた。
「朱音、僕たちは契約結婚から始まった。でも、今は違う。僕は心から君を愛している。君も僕を愛してくれている。だから……」
蓮太郎は内ポケットから小さな箱を取り出した。それは、蓮太郎の祖母から受け継がれた、橘家の女性たちが代々身に着けてきた指輪だった。
「朱音、僕と結婚してくれませんか。今度は契約ではなく、本当の夫婦として。君と一緒に、新しい人生を歩みたい」
朱音の目から涙が溢れた。彼女の小さな角が、喜びで輝いて見えた。
「蓮太郎……」朱音は手を震わせながら、蓮太郎の頬に触れた。「もちろん。私も、あなたと本当の夫婦になりたい。契約なんかじゃない、愛し合う夫婦として」
蓮太郎は朱音の手を取り、指輪をはめた。指輪は朱音の指にぴったりと合った。
「きれい……」朱音が指輪を見つめながら呟いた。
「君に似合うよ」蓮太郎が立ち上がり、朱音を抱きしめた。「愛してる、朱音」
「私も愛してる、蓮太郎」
二人は月明かりの下で口づけを交わした。その瞬間、朱音の力が優しく蓮太郎を包み込み、蓮太郎の愛情が朱音の心に温かく流れ込んだ。二人の絆は、もはや契約を超えた、真の愛の絆となっていた。
翌日、二人は区役所に婚姻届を提出した。正式に夫婦となった二人は、新しい人生への第一歩を踏み出した。
「これからは、橘朱音さんですね」蓮太郎が朱音の手を握りながら言った。
「うん。橘朱音……いい響きね」朱音が微笑んだ。
二人は手を繋いで、夕日の中を歩いて行った。人間と鬼族の架け橋として、そして何よりも、愛し合う夫婦として、新しい未来へと向かっていく。
これまでの困難や試練は、二人の絆をより強固なものにしてくれた。これからも様々な困難が待ち受けているかもしれないが、二人なら必ず乗り越えていけるだろう。
朱音の小さな角が、幸せそうに輝いていた。蓮太郎の心にも、深い満足感と希望が満ちていた。
真実の愛を見つけた二人の物語は、ここで一つの完結を迎えた。しかし、これは終わりではない。橘蓮太郎と橘朱音の、新しい人生の始まりなのだ。
夕日が二人の影を長く伸ばしていた。その影は、まるで一つに溶け合うように寄り添っていた。人間と鬼族の愛が結んだ、美しい未来への第一歩だった。
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