第26話

朝。

目覚めた私は、朝から頭を抱えていた。


(どうしてあんなことを……)


言ってしまったのか。

今になってそれを悔やんでしまう。

そこまで拒絶するつもりはなかった。

ただ……少しでもいいから、優しくしてほしかった。

シルヴィア様との関係をギクシャクさせたくない。

そう思っていた矢先に、ファルス様ともギクシャクさせてしまった。


私は、何をやっているんだろう…



***



帰国の道中。

馬車にはファルス様と私が、シルヴィア様は相変わらず馬に乗っている。

朝の挨拶も、道中の会話も何も普段と変わらない。

なのに、何かが違う。


分かっている。違うのは私。

目を、合わせられない。


言葉は交わしても、視線が交わらない。

どんな表情をしているのかわからない。

普段通りに微笑んでいるのか、それとも目を合わせない私に苛立っているのか、もしくは…


謝ればいい。

ただ、昨夜のことを謝れば、それでいいはず。

……なのに。その一言が出てこない。


「…昨夜はすみませんでした」


その言葉はファルス様だった。


「貴女を怖がらせるつもりはありませんでした。ただ……」


ただ?その先は何?


……聞きたくない。


「もういいです」

「えっ?」

「聞きたくありません」


言ってから気づくも、もう遅く。


「…わかりました…」


車内の空気は重くなり。

私は内に抱える感情に弄ばれていた。

不安?苛立ち?恐怖?悲しみ?

そのどれもが正解で、どれもが不正解で…


そんな空気のまま数日が過ぎ、ついに我が国へと帰り着いてしまった。



***



「お疲れ様でした。みな、ゆっくり休息を過ごしてください」


王宮に入ると、護衛隊は解散。

数日の休暇が与えられた。

各自が自分の部屋に戻ろうとし始めた直後。


「ようやく帰ってきおったな馬鹿者め!」


怒声の方向に目を向ければ、そこにはギルバート様。

そしてその後ろに令嬢。…どこかで見覚えがあるような。


「ただいま戻りました、兄上」

「何日も政務をさぼり、よくもぬけぬけと言えたものだな!」

「…陛下には許可を頂いております」

「許可の話ではない!だから貴様には王族たる義務感が無いのだ!この愚か者!」

「…申し訳ありません」


何なのだろう、これは。

目的のため、命を懸けてきた人に対する言葉だろうか?

その言葉は、今回旅を共にしてきた一行の空気を変えた。

護衛隊は私を除けば騎士だ。

主たる王族に対して不敬な態度はとれない。

しかし、漂う空気はもはや一触即発といっていい。


「そもそもそのさぼりの理由が私の嫁探しだと?そんなくだらない理由で政務をさぼったなど、私が王なら今すぐその首、刎ねてやるわ!」

「………」

「…そこの女が、まさか私の嫁、などというのではあるまいな?」

「その通りです」


視線がシルヴィア様に向く。

シルヴィア様の表情は、一言で言って『無』だった。

しかしだからこそ、恐ろしい。

果たしてその胸中はどんな感情が渦巻いているのか。


「女?これが女?貴様、私に男を娶れというつもりか?」

「彼女は女性です。兄上、それはあまりにも失礼です」


まさかの言葉に唖然としてしまう。

どうやらギルバート様の目にはシルヴィア様が女性には映らないらしい。


「こんな筋骨隆々な女がいるものか!」

「…ギルバート様」


ここでシルヴィア様が口を開いた。

しかしその声は、いつぞや聞いた、怨霊のような地を這う声。


「お初にお目にかかります。ガイオアス国第一王女、シルヴィアにございます」


丁寧なあいさつが逆に恐ろしい。


「…よく来たな。だが私は貴様に用は無い。帰れ」


ブチッ


何かが切れたような音がした…気がする。

しかしそれに気づかないのか、ギルバート様はさらに続ける。


「そうだファルス。このようなことをしてくれた貴様にこちらからも用意したものがある」

「兄上…?」


ギルバート様が用意したもの?

こんな状況で?

どう考えてもそれがファルス様の為になる気がしない。


「貴様はわざわざ、わたしの花嫁を連れてきてくれた。だから…」


すると、先ほどまで後ろに控えていた令嬢が前に出てきた。


「貴様にも私が用意してやったぞ!花嫁をな!」

「!!」


まさかの事態にギルバート様と令嬢を除く全員が驚愕する。

…そしてなにより。私にとって一番恐れていた事態。


「お久しぶりですわ、ファルス様。覚えていらっしゃいますか?」

「……ええ、覚えていますよ。マリー・トゥースパ様」


そうだ、彼女は以前私に突っかかってきた令嬢。

あの時はまったく気にもしていなかったが、まさか…


「まさか断るまい?貴様が断るなら私も断る。その…女は貴様が責任もって帰らせろ」


しかも、まさかの条件を突き付けてきた。

ファルス様の表情が苦渋に満ちる。

その表情をマリーが見逃さない。


「ファルス様、まさか私との婚姻はお嫌ですか?」

「…いえ、そういうわけでは」

「でしたら何も問題ございませんね♪」


そう言い、マリーはファルス様の腕に自分の腕を絡めていく。

その光景に、自分の中に何かどす黒いものがたまっていく。

ふつふつと湧き上がるそれは、到底自分に抑えられそうもない。

……抑えるつもりもない。そちらのほうが本当かもしれない。


「さぁどうする?貴様がやってくれたことの礼だ」


そう言うと、ちらりと私を見た。

汚らわしいものを見るような目で。


「兄上…!」


それに気づいたファルス様の表情が怒りに変わる。

ファルス様が怒りをあらわにするなんて見たことがあっただろうか…

…その表情に、逆に落ち着く私がいる。

その怒りの理由が私だから?だとしたら…なんて自分勝手なんだろう…


「ふざけんじゃないよ!」

ドン!!


怒声と、王宮を揺るがすような地響きを起こすほどの足踏み。

その発生源に、全員の目が向く。

注目を集めたシルヴィア様は、表情のみならずその周囲に怒気を漂わせている。

赤い髪が、その怒気に従うように揺らめていてさえ見える。

その迫力は、シルヴィア様の眼光をまともに受けたギルバート様を後ずさりさせるほどにすごい。


「き、貴様、何を…!」

「あたしと勝負しな、ギルバート!」

「何だと!?」

「あたしが負けたらとっとと国に帰ってやるよ。ただし!ファルス王子とそこの小娘との婚姻も無しだ!だが!あたしが勝ったら潔くあたしと結婚だ!」

「だ、誰がそんなことを…」

「逃げるのかい?この腰抜け!」

「っ!いいだろう!そこまで言うなら私の剣で貴様を地に帰らせてやる!」


…勢いのまま、ギルバート様とシルヴィア様の決闘が決まってしまった。

それに慌てたのはマリーだ。


「ギルバート様!?ギルバート様が勝者となっては私とファルス様の…!」

「黙れ小娘!」

「ひっ!」


完全に頭に血が上っているのか、マリーを気遣う素振りもない。

…これでは、ただマリーも利用されただけ。少し、哀れにも感じる。




***




そして、場所は訓練場。

前代未聞の、王子と王女の決闘が始まった。

それも、王女が勝てば二人は婚姻。負ければ国に帰る。

何もかもがあり得ない。


決闘の場に相まみえる二人。

その手にあるのは模擬剣。

ギルバート様は本物の剣を手にするつもりだったようだが、騎士たちに全力で止められた。

…シルヴィア様もだったのは、ある意味似た者同士かもしれない。

事態が事態だけに、陛下も駆け付けた。

万が一、姫に何かあれば国際問題に発展するからと危惧しているのだろう。


だが、今回の旅を共にした者たちにその心配は微塵もない。


「相手が『参った』と言った時点で終了。それ以外は?」

「言い訳が必要なら今から考えておけ、女」

「シルヴィアだ。それはこっちのセリフだよ」


シルヴィア様の全身から闘気がみなぎる。

その迫力に、騎士や兵からも感嘆の声が上がる。


ファルス様は、その様子を大人しく見守っている。

その隣にマリーもいるが、その手がファルス様へと伸びる様子はない。


「はじめ!」

「はっ!」


開始の合図と同時。

シルヴィア様のあの圧倒的な機動力から繰り出される、突進と突き。

それにギルバート様は…


「………」


勝負は終わった。

シルヴィア様の突きはわずかにずれることもなくギルバート様の体をくの字に折り、その勢いで壁にまで叩きつけれるほどに突き飛ばした。

そのまま地面に倒れ伏したギルバート様に、ピクリと動く様子もない。


「ギルバート!?」


王の悲痛な叫びに、近くにいた騎士が近寄り、その安否を確認する。


「…呼吸はあります。が、意識はありません」


騎士の報告に王の安堵の息が漏れる。

そして、シルヴィア様へと目を向ける。

その目を、シルヴィア様はまっすぐ見据える。


「見事であった。さすがは、ガイオアス国の王女だ」

「あんたんとこの王子はポンコツのようだけどね」


王への返答。そのあまりの無礼さに騎士たちが殺気立つ。

しかし、王が手をかざし、騎士を抑える。


「よい。この有様では何も弁明できぬ」


そう言い、未だ気絶したままのギルバート様を見る。

起き上がる気配のない息子に、ため息が漏れている。


「あれほどの大口をたたいてこのざまだ。本人にとってもいい薬になろう。感謝する」

「それはどうも、お義父様」


ニヤリと笑みを浮かべて言い放つシルヴィア様。

そうだ、彼女が勝ったのなら、シルヴィア様とギルバート様が婚姻する約束だ。

そのことに陛下の顔が引きつった。


「あ、ああ」


ギルバート様は現在19歳。シルヴィア様は29歳。

10も上の姉さん女房になるわけだが、いろんな意味で上下関係が決まったといえよう。

どんな我儘を言おうとも、尻に敷かれる将来しか見えない。


けれど……


「…ギルバート様がシルヴィア様とご結婚なさるのなら、私とファルス様も結婚ということでよろしいのですのよね!」


マリーの声が高らかに響く。

ギルバート様の要求とはそういうことになってしまう。


ファルス様が結婚。

…私以外の人と。


(…嫌……そんなの嫌……)


もう、今までの我儘が言える状況じゃない。

先日の言い争いは、何も解決していない。

…もう、ファルス様に愛想をつかされたんじゃないかと。

そんな考えすら生まれてきてしまう。

それでも、結婚さえせずにいてくれれば、いつかはと思えるだろう。


だが、結婚されればもうそれも無い。

解決はするだろう。

けど、その後の二人の関係は……何もない。

終わる。完全に。


「…そういうことになるな。ファルス、それで…」

「お待ちください!」


陛下の言葉を、無礼と知りながらそれでも止めた。

その先を、絶対に聞きたくないから。


全員の視線が私に向く。

もちろん、ファルス様も。

その表情は、驚愕していた。


「…陛下のお言葉を遮ったこと、その無礼をお許しください」

「よい。して、何だ?」


陛下の声色が、少しだけ優しいような気がするのは私の気のせい?

気のせいでも、なんでもいい。

発言する許可を頂けたのだから。


「ファルス様とは私が結婚します」


はっきりと、ファルス様を見て、私は言った。


もう逃げない。

もう迷わない。

もう躊躇わない。


私の言葉に、ファルス様の表情は驚きから、唖然としたものへと。

しかし、私のまっすぐな視線に表情を引き締め、まっすぐに見返してくれた。


そこに、マリーの声。


「何を言っておられますの?貴族でも何でもない貴女にそんな権利があると思いますの!?」

「いや、ある」

「えっ?」


確かに彼女の言う通り、ただの平民の身分では難しいだろう。

けれど、それを陛下が否定した。


「セーラ・クルースは、クルース侯爵家令嬢にして王宮魔法使いである。その身分も地位も、なんらファルスの相手として不足ない」

「彼女は勘当されたはずでは!?」

「…クルース侯爵によってその件は取り消された。彼女は現時点で立派な貴族だ」

「う……そ……」


どうやら彼女は知らなかったらしい。

…父があえて情報を流し、王宮魔法使いを輩出した貴族として売っていたはずだが、それでも知らないあたり、相当情報に疎いようだ。


「ギルバート様もそんなこと…」

「…ギルバートはセーラ嬢を毛嫌いしておるからの。誰もそのことを伝えなかったのだろう」


十分にあり得る。

おそらく世界で一番ギルバート様に嫌われてるんじゃなかろうか。


崩れ落ちるマリー。

しかし、すぐに隣にいるファルス様にしがみつく。


「ファルス様!ファルス様は私をお選びになってくれますよね!?」


そんなマリーを、ファルス様は一度目を瞑り、そして開くとマリーの目を見る。

そのことにマリーは喜色の笑みを浮かべる。


「…申し訳ありません、マリー様」

「えっ?」


ファルス様からの謝罪の言葉に、マリーは意味が分からないという表情になる。


「私が愛しているのは、セーラ、ただ一人です」


そう言い、しがみついてきた腕をそっと外した。

外された腕を唖然と見つめるしかないマリーは、泣き崩れてしまった。


マリーから視線を外し、ファルス様がこちらを見る。

そして、一歩、また一歩と私へ歩み寄ってくれる。

その姿に私の足も自然と動き出し、二人は歩み寄っていく。

距離を詰めた私たちは、どちらともなく抱きしめ合った。


「私から、言いたかったんですよ」

「えっ?」

「セーラ、貴女と結婚したい、と」

「…じゃあ今言ってください」


私の言葉に苦笑するファルス様。しかし、すぐに表情を引き締め直し。


「セーラ、私と結婚していただけますか?」

「喜んで」


瞬間、湧き上がる歓声。

ポンと背中を叩かれ、振り返るとそこにはシルヴィア様。


「よくやったよ。最後の一歩、自分から踏み出せて大したもんだ」

「シルヴィア様…」

「これからよろしく頼むよ、義弟に義妹」


(まぁ、そうなるのよね…)


「よろしくお願いします。お義姉さま」

「……セーラ、もう一回言ってもらっていい?」

「えっ?」

「そこまでです」


義妹扱いされたのでだったらとお義姉さまと呼べば、何故かアンコールされてしまった。

しかしそれを遮るようにファルス様が私をかばう。


「義姉上はそこで伸びてる夫のことを気遣っていただけますか?」

「もう嫉妬かい?」

「ええ、もちろん」


にこやかに言い放つファルス様に周囲は呆れ気味だ。

……私は嬉しい。


「はぁ…相思相愛で羨ましいねぇ。さて、そこで伸びてるバカを起こしますか」

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