第27話(最終話)
翌朝。
宛がわれた王宮の一室で一晩過ごした私は、部屋を訪れたファルス様を招き入れた。
もう、彼を拒む理由は無い。
「おはようございます、よく眠れましたか?」
「おはようございます。ええ、おかげさまで」
昨日、自分の気持ちをはっきり示しそれにファルス様も答えてくれた。
そのことに不思議な高揚感と落ち着きがあった。
相反するはずの感情が同時に存在する。そして、安心があった。
とはいえ、昨日の時点では私とファルス様の婚姻はまだ正式に認められてない。
あくまでも昨日はギルバート様とシルヴィア様がメインだ。
結局昨日はあれからギルバート様は失神したまま。
勝負に負けた彼が、大人しくシルヴィア様を迎え入れるのか、それはわからない。
あの場には陛下もいたとはいえ、だからといって素直にはいと頷くような物分かりのいい人間ではないことはよく知っている。
「ギルバート様は目覚められたのですか?」
「ええ。そして散々暴れました」
その言葉に苦笑する。
やはりというか、予想通りだ。
「それで、どうなったのですか?」
「目覚めたことを知ったシルヴィア様が部屋を訪れまして。『男のくせに言ったことも守れないのかい?』と挑発されまして……そのあとは予想しているとおりです」
「承諾されたんですね」
「ええ」
あのギルバート様がそんなことを言われれば、条件反射で答えるにきまってる。
堅物で生真面目が服を着て歩いているようなものだから。
「それで、ですね…」
「まだ後があるのですか?」
「その……兄上はそこで、『ほんとうは男だろう?あの強さはあり得ない』とぽつりと呟いてしまい…」
「………」
「それを聞いたシルヴィア様は目が据わってしまい……二人きりにさせろと申し付けてそのまま…」
「……何をしたんですか?」
男だと言われ続ければ、シルヴィア様とて何をしてしまうか…
ギルバート様は無事なのか。
「…………………………営みを」
「………………………えっ」
今、何と言った?
「……その、翌朝、といいますか今朝なんですが、搾り取られた哀れな兄上と、溌溂なシルヴィア様が」
「…………」
開いた口が塞がらない。
そう言われたからといって、そこまでしてしまうものなのか?
ファルス様もきまずそうにしている。
「さらにシルヴィア様もそのことを包み隠さず堂々と発言されるから、まあ城内は次代は安泰だなと、ほっとしておりますので…」
「………そうですね」
婚姻どころか婚約すらない状態だった第一王子に、婚姻をしたどころかもう…子供まで期待できる状態になったのだから、安心も一入だろう。
「その…している最中も完全にシルヴィア様主導だったようで、そのことが完全に兄上を尻に敷いていると、兄上の手綱を握る次期王妃に城内の期待も高まっております」
たった一日でそこまで城中に期待されるシルヴィア様…恐ろしい。
「…ファルス様の予想どおりですか?」
シルヴィア様をガイオアス国から連れてくる際、そんなことを言っていた気がする。
だとすればこの状況は、彼の予想通りだといえよう。
「…まさかここまでとは思っていませんでしたよ。最初はもう少し大人しくしていると思っていましたので。まさか初対面の日の夜に初夜を迎えるとは思いません」
「そうですね……」
見た目も中身を肉食系女子。
とはいえ、まだ未経験なことにコンプレックスを抱いており、それでいくら立場で割り切っていようとそこまで行動できるとは思えなかった。
「知りたいかい?」
乱入する声に扉へと振り返ると、そこには当の本人であるシルヴィア様。
…確かに、ずいぶんと溌溂としているように見える。
「なんであたしがそこまでしちゃったのか、を」
「ええ、知りたいです」
「セーラ?」
珍しく好奇心をむき出しにした私が珍しいのか、ファルス様がこちらを不思議そうに見る。
一応私だって年頃の女子だ。
こういう話題には興味がある。
「それはね~」
「それは?」
「……意外に好みだったんだよね、ギルが」
「えっ?」
「だから、見た目が好みだったの」
「………」
「………」
「あんたは全然好みじゃないんだけどね、なんかギルはこうズギューンときちゃってさ。もう絶対にこの男逃がすもんかって思って、もう既成事実作っちゃえばこっちのもんだし」
「………」
「………」
まさかの事実に私もファルス様も開いた口が塞がらない。
見た目が好み?それだけであそこまで行動できるの?
というかさらっと愛称呼びになってる。
「いや~、普段は目を吊り上げて周囲を威嚇してる猫みたいだけど、ベッドの上じゃ途端におろおろして、でも精一杯虚勢張ってきて。こっちも初めてだったのに」
「……兄上は、その…本来はそういった訓練を行うのですが、それすらも拒否されていたので…」
「そうだと思ったよ。全然女の体のことも、触り方もなっちゃいない。まぁそれはこれからあたし色に染めていきゃいいんだし」
ニヤリと笑うシルヴィア様の表情には、以前にはない妖艶さが漂っていた。
一晩でずいぶんな変わりようである。
「しかし安心しました。兄上のこと、宜しくお願いします」
「おう、任された」
男らしい返事である。
しかし、すぐに爆弾が投下された。
「で、あんたらは『した』の?」
「えっ?」
「えっ、じゃないよ。したの?って聞いてるの」
「その、何を…」
分かってる。シルヴィア様が何について聞いてきたのか。
……わかってるからってそんなことはっきり言えるわけがない。
「分かってんだろ、エッチだよ」
「………」
「………」
もうこの人やだ。
なんでこんなはっきり口にできるのか。
これが経験した人の余裕なのか。
「その、それはですね…」
「したの?したんだろ?」
何故したこと前提なのか。
「私たちには私たちのペースがありますので」
そうファルス様が返す。
そうだ、私たちには私たちのペースがある。
「なんだ、まだなのかい」
「………」
「………」
そういうことは言わないでほしい。
私もファルス様も顔が赤く、きまずい雰囲気になってしまう。
***
気まずい空気を察してか気づかずか、シルヴィア様は去っていった。
…その時、歩き方が少しだけおかしかった。
そして残された気まずいままの私たち。
こんな状況で、何を言い出せばいいのか。
「セーラ」
「っ!ひゃい!」
いきなり名前を呼ばれ、変な声が出てしまった。
それにファルス様がくすっと笑い、恥ずかしくなる。
「そう緊張しないでください。…というのも無理ですね」
「…あんな話をした後では無理です」
意識するなというほうが無理だ。
ファルス様は私をそういう相手として見ているのだろうか?
…そもそも、一度押し倒されかけてた。
「実は貴女に伝えなくてはならないことがあるんです」
「伝えなくてはならないこと…?」
何だろうと思う。
しかも、それを言おうとするファルス様の表情は真剣だ。
つい、つばを飲み込んでしまう。
「それは…?」
「…私とセーラの結婚式は、兄上の結婚式の後、1年以上間を空けろという陛下の指示がありました」
「えっ?」
「立て続けに王族が結婚すれば、それに掛かる費用も倍増してしまう。だから、十分に期間を空けろということです」
「あ、そうなんですか」
それは納得だ。
王族、それも未来の王である第一王子の結婚とあれば国を挙げてのお祝い事だ。
そこに第二王子まで結婚となれば、第一王子の結婚ときほどとはいかないが、それでもかなりの規模になるだろう。費用を懸念するのもわかる。
「そうなんですか…って、それだけですか?」
「? ええそうですけど」
至極当然な理由だ。
納得もした。
しかし、ファルス様はそれがどうも気に入らないらしい。
珍しく拗ねたような顔をしている。
「私は…今すぐにでもセーラと結婚したいんです!今すぐに!」
「えっ」
「なのに兄上のせいで1年も待たされるなんて…いや、いっそ二人だけで結婚式だけでも執り行って…いたたた!」
「何を言ってるんですか」
何を拗ねているかと思えば、今すぐ私と結婚できないことが不満らしい。
だからといって、王族の結婚という祝い事をこっそり執り行えばどうなるかわからない。
なので、口封じに頬をつねっておく。
腹がずいぶん黒いと思っていたけれど、こういうところはなんだかかわいい。
「1年なんてあっという間ですよ」
「ですが…」
「ん…」
「!」
まだ何か言いたそうな唇を、私の唇でふさぐ。
数秒の短いキスだけれど、それだけで目の前の愛しい人は顔を真っ赤にして黙ってしまった。
相変わらずされるのには慣れてないようだ。
「待ちましょう。ね、旦那様?」
「~~~~~!!」
ちょっと恥ずかしかったが、一足先に呼び方を変えてみた。
それが予想以上に照れ臭いのか、ファルス様は床で悶絶してしまった。
***
1年後。
ギルバート様とシルヴィア様の結婚から1年。
今日、ようやくファルス様と私の結婚式が執り行われる。
あれから1年。
私はクルース侯爵家令嬢…としてではなく、王宮魔法使いとして日々を過ごした。
魔法使いとしては奇特な私の魔法は、王宮魔法使いたちに賛否両論だった。
教えを請おうとする者、どちらが優れているか勝負しようという者、我関せずという者、様々。
たまに王宮内を歩いていると、かつての護衛隊の一人、ガリオンと遭遇し、結構ちょっかいをかけてくる。そして一度だけ言われた。「僕、狙ってたんだけどなぁ」と。
…もちろん私にその気はなく、真顔で拒絶する。
たまにその現場を目撃した文官や侍女がファルス様に報告し、嫉妬の炎(本人否定)に焼かれたファルス様がガリオンを追い回す姿が目撃される。
そうなるとなかなか収まらないので、仕方なくファルス様の頬にキスをして宥めた。
すると途端に機嫌がよくなるのだが、そうしたら以降、キス以外では宥められなくなってしまった。
人前でキスされる悦びを感じているとか。
…罰として一週間キス禁止にしたこともある。
ギルバート様とシルヴィア様は、なんともう第一子が誕生していた。
その報に国中は湧き上がり、これに一番喜んだのはなんとギルバート様だった。
初対面以降、尻に敷かれっぱなし、手綱を握られっぱなしのギルバート様だが、実は思いのほか純で、あこがれの結婚生活というものがあったらしい。
それが夫婦睦まじくというもの。
最初こそ抵抗していたギルバート様も、あれこれと世話してくれるシルヴィア様との生活になれ、言いたいことを言ってくれる彼女の存在を受け入れていった。
そして、時折夜の伽では彼が主導権を握ることも増えたとか。
…シルヴィア様、そんなことまで報告しなくていいです。
とにかく。
今では周囲も羨む(ファルス様含む。対抗してあれこれしようとしなくていいです)夫婦である。
そして嬉しい誤算は、夫婦として互いを認め合えることができたギルバート様は、民にも部下にも慕われるようになった。
……少し変わり過ぎではないのだろうか?と思ったけれど、これもシルヴィア様曰く、
「ギルは最初から理想が高すぎたんだ。自分にも周りにもそれを求めた。だから周りとの軋轢が生まれた。けど、お互い人間だ。できることもできないこともある。それを認め合えたから、ああなれたんだよ」
本当にこの人を連れてきてよかったと思う。
ただ、鍛錬と称して勝手に訓練場に行って兵士に稽古をつけるのはやめてほしい。
「セーラ」
この1年を振り返っていた頭が現実に戻される。
今、私は教会の前で職人が贅の限りを尽くした豪奢なウェディングドレスを身に纏っている。
そして、私を新郎であるファルス様のもとへと送り届けてくれるのは…父であるクルース侯爵。
「はい」
「お前はお前の道を歩め。これまでも、そしてこれからも」
「えっ?」
「行くぞ」
今の言葉は何?
これから、ならまだ分かる。けど、これまでも…?
(もしかして…)
父上はこのことを分かっていたの?
今思えば、いくらギルバート様に婚約を破棄されたからといって、それだけで家から勘当するのは重すぎた。王族との縁は作れなくても他の家との縁を作るのには使えたはずなのに。それに私が王宮魔法使いになり、すぐに侯爵令嬢に戻してくれたおかげで、今こうしてファルス様との結婚において問題だった身分という壁をあっさり解消することもできた。
事実は変わらない。
けど、ふと見方を変えた瞬間、それら全てが私のためだったようにも思える。
家を出たがっていた私に、その立場で余計な問題が起きぬようにあえて侯爵家の看板を外させた。
戻ってきた私に、身分の問題が起きないようにすぐに侯爵家に戻してくれた。
私の腕を引き、エスコートしてくれる父上の横顔を見ても、それは分からない。
いつもの、険しい顔のままだ。
ファルス様の前に辿り着き、エスコートしてくれる相手が父上からファルス様へ変わる。
向かい合う形になった父上に、私は言った。
「ありがとうございます」
その瞬間、一瞬だけ父上の険しい顔が緩んだ気がする。
「……娘をよろしく頼みます、ファルス王子」
「はい。全身全霊を賭して幸せにしてみせます」
そして、祭壇の前へ。
神父様の言葉に誓いの言葉を述べる。
そして…
「綺麗ですよ、セーラ」
「ありがとうございます。ファルス様も、とてもかっこいいです」
「ありがとうございます。では…」
顔の前のヴェールが上げられる。
近づくファルス様に、私も背伸びして自分から顔を寄せる。
触れ合う唇。
もう何度も交わした口づけ。
でも、ファルス様との新しい関係の始まりのためと思うとまた特別な気持ちになれる。
「愛しています、セーラ」
「私も愛しています、ファルス様」
互いに気持ちを告げ合うと、高まった気持ちが再び二人を口づけへといざなう。
予定にない行為だけれど、神父は微笑み、出席者の一部からわずかに感嘆の声が上がる。
「行きましょうか」
「はい」
ファルス様と共に歩みだす。
新たな人生へと。
……人生は分からない。
前世は男として生きた私が、貴族を拒否し、王族を拒絶した私が。
女として、貴族として、王族と結婚した。
何一つ思い通りにならなかった人生。なのに、今私はとてつもない幸福感に包まれている。
その幸福感を与えてくれるファルス様との出会いは、果たして必然だったのか偶然だったのか。それは分からない。
でも、分からなくていいと思う。分からなくても大丈夫。幸せになれるから。
それを噛みしめ、私はまた一歩を踏み出した。
~終~
逃亡中の侯爵令嬢 蒼黒せい @sei_aodama
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