第25話

ついにシルヴィア様が出国される日が来た。

小国といえど一国の姫。

その見送りには王都中に人間が集まった。

いや、これは彼女の人望のたまものなのだろう。

彼女の姫という立場にはそぐわない快活さは、国民にとってはとても親しみやすいものだから。


シルヴィア様が笑顔で国民に向かって手を振る。

…馬車ではなく、騎乗して。

腕も肘をきっちり伸ばして、ふりふりではなくブンブンと。


もちろん、それを咎める者はいない。

アーサー王も、王宮から見守っている。


城下町を抜け、森の中への道へと入っていく。

今回は姫の出国ということで、道路に配置された魔獣除けはしっかり整備されている。

万が一にでも、魔獣に襲われる危険が無いように。


「この目で『黒き災害』を倒す瞬間を見たかったんだけどねぇ」


シルヴィア様の言葉に護衛の騎士や兵士、それにガイオアス国の歴戦のハンターたちが顔を引きつらせる。

私としては『雪華』と『羽衣』が通用したのでそこまでの恐怖は無いが、だからといって何度も対峙したくはない。

単純に見た目が怖い。大きいし。


「変なことはやめて下さいね」


ファルス様が馬車から首を出して釘を刺す。

シルヴィア様は頑として馬車に乗ることを拒み、今も馬の上だ。

私も万が一のための警戒で御者台にいる。

一応役目は護衛だから。


「へーい」


気のない返事に苦笑するしかない。

ちなみに、今この一行に侍女や侍従はいない。

シルヴィア様は侍女を連れてはこなかった。

何故?と問うたときの返答はこうだった。


「自分のことくらい自分でできる。それに、そっちでいろいろ用意してくれるだろ?」


ニヤリと笑顔を浮かべて答えてくれたが、本心はそうでもないだろう。

もちろん、侍女の中にはシルヴィア様についていきたいという者もいた。

危険な道中を、戦う術はなくとも彼女についていきたい。そう思われるのは彼女の人望だろう。

しかし、ガイオアス国は小国。そして、彼女についていきたいと申し出た侍女たちは優秀な貴族の子女ばかり。それも婚姻済みか、婚約者がいるかだ。

国としても、彼女らに国を出ていかれるのは大きな痛手となる。

それがわかるからこそ、シルヴィア様は彼女らを連れてこなかった。


「それにあんたもいるしね」


そう言われこちらを見られる。

何故?の問いに、これには彼女は笑ってそれ以上は答えなかった。



***



数日後、国境を越え、ガイオアス国の護衛たちとも別れた。

護衛の数は減ったが、ベイルート国ならば襲ってくるのは野生の獣か、盗賊程度。

魔獣がいる森とは比較にならないほど危険は小さい。


改めて見ると、魔獣の住む森とそうでない森は、その鬱蒼具合に大きな違いがある。

魔獣がいる森はひどく暗い印象があった。

それに比べて、魔獣がいない森は。木々の隙間から木漏れ日が差し、ずいぶんと明るい印象を受ける。

魔獣がいるからそうなのか、それとも森がそうだから魔獣がいるのか、どちらなのかは分からない。


「な~に難しい顔してるんだい?」


ふと、シルヴィア様に顔をのぞき込まれる。

のぞき込んできたシルヴィア様を、ファルス様がぐいっと押し返した。


「そんなに警戒しなくても何もやらないっての」

「貴女には前科がありますので」

「信用ないね~」

「この点については」


そんな、シルヴィア様とファルス様の会話を人ごとのように聞く。

ベイルート国に入りめったな危険もないということで、私は御者台から車内のほ

うへ(強制的に)移らされた。

すると、同時にシルヴィア様も馬から車内のほうに移ったのだ。

私とファルス様が横並びに座り、対面にシルヴィア様。

私の腰にはしっかりとファルス様の手が添えられ、十分に広いはずの席がやたらと狭く感じる。

その手をなんとか強引に引き剥がそうとするも、優しく添えられてるようでその実がっしりと固められており、全く剥がせる気がしない。

諦めのため息が零れる。


「愛されてるねぇ」


ニヤニヤとシルヴィア様の笑みがいやらしい。

その笑みに、まぶしいほどの微笑みを浮かべて。


「愛してますから」


と、ファルス様が返す。

その言葉は、今の私にはすんなりと受け入れられるものになった。

だから、私も返す。


「はい、私も愛しています」

「………」

「………」


途端にピシリと固まる二人。

はて、私は何かおかしなことを言っただろうか?


「ファルス様?」

「……セーラ様、今何と?」

「愛しています、と」


この距離で聞こえなくなったのだろうか?

まだ固まったままのファルス様に、今度はちゃんと聞こえるように耳元に口を寄せる。


「愛しています、ファルス様」


次の瞬間、ファルス様は天を仰いだ。

目はきつく閉じ、身体はフルフルと震え、何かをこらえているように見える。


「…セーラ様、もう一度お願いします」


何故?

訳が分からない彼の要求に首をかしげながらも、今度はちょっとした悪戯心が起きる。


「愛しています。ん…」


言葉を告げるとすぐに唇を下ろし、頬に軽くキスをした。


…これはこれでどこか新鮮な気持ちになれる。


「あー……はいはい、もういいよ。あたしは外に出てる」


そう言うと、シルヴィア様は早々に馬車を止め、外に出てしまった。

彼女は何故車内に来て、そして早々に出ていったのだろうか?

疑問に首を傾げるも、当人はいない。

後で聞いてみよう。


それよりもファルス様である。

頬へのキスから再び硬化し、そのままだ。

どうしたものか…そう思い始めたところで、いきなりこちらにぐら~っと倒れ掛かってきた。


「ファルス様?」

「っ!はぁ~~~~~…」


支えようとして腕の中に収まったファルス様に声をかけると、ファルス様は大きく息を吐いた。

息まで止めていたのだろうか?


「やっと……聞けました…」


何が?と聞くほど察しは悪くない。

そう、私は初めてファルス様に対し、その自分の好意を示した。言葉で。

行動でそれらしく示したことはある。

でも、言葉では初めてだ。


ずっと待ってくれていた。

ひどい態度を取ろうとも、その腕から逃げ出そうとも、それでも待ってくれていた。


(多少…いや、かなり強引だったではあるけど)


それを思えば、今のこの体勢も許せる。

…見ようによっては、自分の胸にファルス様の顔を押し付けているような、もしくはファルス様が私の胸に顔を埋めているような。

でも許そう。うん。


ちょっとだけ、抱きしめる力を強くする。


「…ん?」


ふと、胸に違和感を感じる。

抱きしめたことによる胸への圧…とは違う感じ。

そう、これは…揉まれているような…


「………」

「………」


直後。

ファルス様の頭を掴み、顔をこちらに向けさせれば悪戯がばれたような子供のような表情。

その両手は、しっかりと私の胸を包み込んでいる。


「………」

「………あははは」


私の顔から表情が消える。

それに気づいたファルス様の苦しまぎれの笑い声。

そして響く、紅葉の産声。


「…そういうのは、まだです」


かなりの勢いでやったせいで私の手も痛い。

しかし、それだけにファルス様の頬にはくっきりと私の手形が。


(少し気を許せば…!)


この有様である。

そもそもこの男は一方的な好意の時点で抱きしめたりキスしたりしてきた前科もちだ。

気を抜いたら何をされるかわからない。


距離を置き、守るように胸を腕で覆い隠すと、そこにまだファルス様の乾いた笑い声が届く。


「『まだ』……なんですね」


その言葉に今更自分の発言の意味を理解し、頬が熱くなる。

『まだ』。

それはつまり、いずれは…ということ。

それを自分から認める発言だったわけで…


「~~っ!!」


本日二度目の紅葉の産声が、車内に響き渡った。



***



今日の宿に到着し、車内から出てきたファルス様を見たシルヴィア様が一言。


「何やらかしたの?」

「あはは…」

「……」


苦笑するファルス様と明後日を向く私。

その二人の距離はちょっとだけ…遠い。



その夜。


「あはははははははははは!!」


シルヴィア様の豪快な笑い声が部屋中にこだまする。

場所は宿のシルヴィア様に宛がわれた部屋。

そこに招かれ、私とシルヴィア様が二人っきりで椅子に座って向かい合っている。


「そこまで笑わなくてもいいと思います…」

「いやー、だって、ねぇ?」


ようやく笑いが収まったシルヴィア様が目元を拭う。


「……泣くほど笑ってくれてありがとうございます」

「悪い悪い。しっかし、ほんと初心だねぇ。いっそ押し倒されればよかったのに」

「…………」

「だから悪かったって」


ジト目で睨めば気のない謝罪。

しかし、先日『その先』を受け入れてしまってもいいというのがあっただけに、少し複雑である。


「ま、仕方ないしねぇ。『まだ』シたことないんだろ?」


慎みという言葉がこの人にはないのだろうか?

しかしこのまま言われっぱなしなのも癪である。


「シルヴィア様も、その年でまだなんでしょう?」


ビシリ。

完全にシルヴィア様が固まった。

現在29歳。私より12も年上。

しかし姫であり、そしてどこかに嫁いだこともない彼女は未だ真っ新なはずだ。

そうでなければ逆にそれはそれで問題だけれど。


ゆらり。

シルヴィア様が椅子から、そう表現するような立ち上がり方をすると、一歩、一歩距離を詰めてくる。

垂れた前髪が顔を隠し、その表情は分からない。


「…言っちゃ、いけないことを、言ったね…?」


なにこれ怖い。

まるで怨霊のような地の這う声に、私もガタンと椅子から立ち上がり、後ずさりしてしまう。

捕まったらまずい。逃げないとまずい。

でも扉はシルヴィア様の後ろ。

窓から逃げる?夜着でそれはまずい。

『隠密』で?シルヴィア様にはもうそれは通用しない。


一歩、また一歩と近寄られ、その度後ろに下がる。

が、ついに壁を背にしてしまった。

その間にも、シルヴィア様は着実に距離を詰めてくる。

そして二人の距離が人一人分しかないほどに詰まったとき。


ダン

顔の後ろの壁にシルヴィア様が音を立てて手を突き立てる。

いわゆる『壁ドン』である。

しかし、状況が状況だけにときめくようなものは何もない。

むしろ恐怖である。


「シルヴィア様、あの」

「…私だって…ね………したくないわけじゃないんだよ…」

「えっ…」

「相手がいないし…どいつもこいつもすぐ逃げるし……逃げない奴はあたしを男扱いしかしないし……好きでこんなことになってんじゃないんだよ…」

「…………」


とんでもない地雷を踏んでしまった。

そうとしか思えない。


ダン

反対側も壁ドンされた。

もう逃げ場はない。

せめて距離を開けておこうと、手で『待った』のポーズ。


「申し訳ありません。そんなつもりでは…」

「この前のもね……あれがあたしのファーストキスだったんだよ」

「………」


まさかのカミングアウトである。

というか自分からしたのでは?

あれはむしろ私が被害者だし。

そもそも同姓をファーストキスの相手に何故したし?

というか重い。想いが重い。


「…れろ」

「ひっ!?」


『待った』で出していた指が唐突に舐め上げられた。

その感触に総毛立つ。


「な、何を」

「あむ」


今度は咥えられた。

口内の生暖かな空気、その中で舌がぞろりぞろりと指を舐めまわしてくる。


「んふ…ぴちゃ……れろぉ…」

「な、あ、ま…」


まずい。すごくまずい。

どんどん状況が悪化してくる。

指を舐められる感触に、今まで感じたことのない感覚が湧き上がる。


「やっ…やめてください!」


決死の思いで指をシルヴィア様の口から引き抜く。

咥えられた指が唾液で光っている。


危なかった…そう思ったのがまずかった。

『待った』が消えたことでさらにシルヴィア様は距離を詰めてきた。

目と鼻の先のシルヴィア様の顔。

吐息がかかるほどの距離。

息が荒く、頬が紅潮し、眼が危ない光を放っている。

シルヴィア様が興奮しているのがわかる。


「誘ってんの?」

「そ、そんなわけありません!」


まさかの言葉に全力で否定する。

しかし、シルヴィア様はそれを意に介していないのか、ぺろりと舌なめずりする。


「あんた、わかってんのかい…?今自分がしてる表情が、どれだけあたしを刺激してるのか」

「…わ、わからないので鏡で見にいきます」

「ダメにきまってんでしょ」


脱出阻止されてしまった。

というか近い。本当に近い。この距離ではまた…


「ああ……ファルス王子があんたに夢中になるのもわかるわ。普段はそっけない表情の癖に、こんなときにはこれほどに蠱惑的な表情見せるんだから」

「………」


人を怪しい人物みたいに言わないで欲しい。

…というか、たまにファルス様が急に襲い掛かってくるのは私がそういう表情をしているから?


「他の男のことなんか考えてんじゃないよ」


女性のあなたに言われたくない。

そう言い返そうとして、さらに距離が詰まっていることに気づく。

特に、唇と唇が。

数秒もない時間で、また奪われようとしている。




それだけは、もう許せなかった…




(ごめんなさい)


心の中で謝罪しつつ、これは正当防衛だと言い聞かせる。


「いだっ!?」


触れる間際。

発動させた『雷装』がシルヴィア様を痺れさせる。

痺れ、立てなくなったシルヴィア様が崩れ落ちると同時にその場から走り、扉の取っ手に手をかける。


「…………」

「あだだ…何だい、今のは?」

「…魔法で、少し痺れてもらいました」

「そっか………悪かったね」


ようやく正気に戻ったようだ。

のそりと立ち上がり、ソファーにどっかりと座り込む。


「いえ、私の方こそ申し訳ございません」

「いや、私が悪いんだよ。……事実だしね」

「………」

「おやすみ」

「…おやすみなさいませ」


扉を開け、廊下に出る。

上着を室内に忘れたままだが、さすがに今戻るのは気まずい。


足早に部屋に戻ろうとすると、部屋の前にはファルス様。


「あ、セーラ様」


こちらに向き直ると、にこりと微笑む。その頬にはいまだに紅葉が咲いたまま。


「何か御用でしょうか?」

「いえ、特には…。セーラ様はどちらに?」

「…シルヴィア様のところへ」


本当は少しおしゃべりするだけだった。

それだけのはずだったのに思いもよらない事態を招いてしまい、明日どうシルヴィア様と顔を合わせたらいいのだろうか。

それが顔に出てしまったのか、ファルス様が怪訝な表情になる。


「…『また』シルヴィア様と何かありました?」


その言葉に体がびくりと反応する。

それを是と受け取ったのか、ファルス様が大股でこちらに歩み寄る。


「あなたはどうにも無防備すぎる。私がそれが心配なんです」


その言葉に何も返せずにいると、腕を掴まれ、強引に私の部屋に連れていかれる。

そしてすぐさま壁際に押し付けられた。

……本日二度目の壁ドンである。うれしくない。


「今度は何をされました?」

「………何も」


壁ドンされたとか、指を舐められたとか、咥えられたとか、またキスされそうになったとか。

そんなことは何もなかった。

…そんなこと言ったら、それこそまた目の前の猛獣に何されるか分かったものじゃない。

それが怖くて、ファルス様の顔を見れない。


しかし、ファルス様は言葉通りに受け取ってくれなかった。


「嘘ですね。何もなかったのなら貴女はもっとまっすぐ私を見ます。そうでない時点で、何かあったと言っているようなものです」

「………」


そんなに私は分かりやすいのだろうか?

つい先ほども似たような評価を受けた気がする。


「もう一度聞きます。何がありました?」

「………」


……どうして私が責められてるようになっているんだろう。

さっきのにしても、その前のにしても、どちらも私がされてることばかりなのに、何故私が責められてる?

そう思うと、途端に怒りがこみ上げてくる。

さっきのにしてもそう。

無理やりこんな状況にさせられ、その上詰問までされて。


(私が何をしたというんだ!)


私の方が被害者なのに。まるで加害者のように扱われる。

そんな状況に怒りが爆発した。


「離してください!」


壁ドンしていた手を払いのける。

その私の行動に唖然としたファルス様を押しのけ、そのまままっすぐ布団に潜り込んだ。


「せ、セーラ…様…?」


その声を無視する。

布団を頭まで被り、もうファルス様が見えないように。


「出ていってください」


そう告げる。

なるべく感情を殺して、でも溢れる怒りはにじみ出て。


「…わかりました」


ファルス様もそれだけ言い、部屋を出ていった。

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