第22話
……気が付けば、朝を迎えていた。
目が覚めたという感覚に気づいたとき、自分の状態が分からなかった。
真っ先に理解したのは、目の前にファルス様の顔があり、その表情はとても穏やかに私に微笑んでいること。
「おはよう」
「おは…よう…?」
まだ頭が働かない。
何故目の前にファルス様が?
そもそもここはどこ?
どうしてファルス様が一緒に?
きょろきょろとあたりを見回し、そこが私が案内された部屋ではないこと。
ファルス様と一緒の布団に入っていること。
ちょうど朝日が差し込む時間だということ。
…そして昨夜、何があったか…いや、何をしてしまったか。
「っ!!」
すべてを思い出し、昨夜の自分の情けない姿に恥ずかしくなり、ぐるりと反対側を向くと布団に潜り込んだ。
(な、な、なんてことを…私は…!)
昨夜の自分のありさまに羞恥しか感じない私に、クスクスとかすかな笑い声が届く。
「笑わないでください…」
弱弱しい抗議の声はそれでも彼の耳には届いたようで、笑い声は収まり、そして彼が布団から抜け出ていく気配がした。
のそのそと布団から顔を出せば、こちらを見るファルス様の瞳とばっちり合い、やはり恥ずかしくてまた布団に潜り込んでしまう。
と、ふとその時思った。
男女が一つの布団で朝を迎えた。なら、もしかして…
慌てて布団を跳ねのけ、衣服に乱れが無いか確認する。
泣き始めてからの記憶が無い。まさか…という思いが湧き上がる。
衣服に乱れはない。
シーツは……普通に寝ればつく程度の皺があるだけ。シミは…ない。
行為後はしばらく体に違和感を感じるようになるという……そんなこともない。
「『して』いませんよ」
彼の言葉に顔を上げると、ファルス様は困ったような笑みを浮かべていた。
私の様子から何を思ってたのか察したのだろう。
つまり……そういうことだ。
そのことに、何ともモヤモヤしたものを抱えてしまう。
されなかったことを喜ぶべきか、それとも……
「昨夜、あなたは泣き疲れてそのまま寝てしまったのです。ですが、昨夜のあなたをそのまま部屋に戻すことはできませんでした。あまりにも…」
そこで言葉が途切れる。
その先を言いあぐねている。
「……さて。そろそろ部屋に戻りましょうか。このままでは誰かに見られてしまいますからね」
「そう…ですね」
(はぐらかされた…)
昨夜の自分は何だったのか。
…よくわからない。
聞き出したい気持ちもあったが、それよりも早く部屋に戻らないといけない。
ベッドから起き上がると、ファルス様が上着をかけてくれる。
「あなたの魔法ならだれにも気づかれないと思いますが、けれどそのままの格好で外に出てほしくは無いので」
「…はい」
その心遣いに胸が温かくなる。
一晩寝てすっきりしたからか、素直に今の自分の気持ちを受け入れられる気がする。
扉の前。
取っ手に手をかけ、開け…る前に、身体を反転させてファルス様へ向き直る。
「何か忘れものですか?」
「はい」
そう、忘れもの。
腕を伸ばし、ファルス様の顔に手を添えて、伸び突くようにして目を閉じ顔を近づける。
「んっ…」
唇を触れ合わせるだけの、軽いキス。
でも、今回はちょっとだけ時間は長めに。
3秒といったところ。
離れて目を開けば、驚きとそして真っ赤になったファルス様の顔。
私も少し赤くなっているけれど、感じるのはちょっとの羞恥と、目の前の人を…愛おしいと思う気持ち。
その気持ちに、素直になればいい。
自然と笑みがこぼれる。
「それでは、また」
そう言い、『隠密』を発動させる。
扉を閉めるまで、ファルス様の表情は驚きのまま固まっていた。
…自分からするときはあんなに情熱的にしてくるのに、されるのにはずいぶんと弱いらしい。
部屋に戻り、朝の支度を整える。
こちらの滞在は5日ほど。
姫の嫁入りが正式に決まり、そのための準備期間だ。
あまりにも短すぎるが、事前に通達はしてあったので大体の準備は終えていたのと、正式に国民に通達、出立の際に見送りも行うようだ。
そもそも国としての規模が小さいこともあり、その辺はあまり手間がかかりすぎないということもあるようだ。
さすがにその間、ずっとドレスで滞在しているわけにもいかず、私の今の服装は護衛用の動きやすいものだ。
とはいえ、ファルス様や一部の外交も務める騎士たちと違い、明確な役割があるわけではない。
一応の役割は道中の護衛だからだ。
なので、手持無沙汰でもある。
***
朝食も終え、さて何をしようかという時に声がかかった。
「あたしと一戦やらない?」
シルヴィア様からのお誘いだった。
そして場所は訓練場へ。
嫁入りの当人がここにいていいのかと聞けば、『邪魔って言われた』だそうだ。
ご愁傷様。
「それで、何故私と?」
「そりゃあ、あの『黒き災害』を倒した腕前を見せてもらいたいからに決まってるじゃないか」
そう言ってにやりと笑うさまは、女性なのにかっこいい。
生まれる性別を間違えたんじゃないだろうか?
まぁそれはともかく。
「…私は魔法使いです」
「ああ、聞いてる」
「魔法の威力は人に向けて放つものではありません。確実に命を奪います」
「ああ。じゃないと魔獣を仕留めるなんて無理だろうね」
「……私はシルヴィア様とは戦えません」
「えーっ?!」
ブーブーと文句を言われる。
だったら最初から断ればいいのだが、せっかくだから少しシルヴィア様とお話ししてみたいとも思ったからだ。
それに、今は人払いされ、訓練場にいるのは私とシルヴィア様だけ。
誰かが聞き耳を立てている様子もない。
戦う意思が無いと見たのか、大股でシルヴィア様が近づいてくる。
そして、グッとこちらの顔をのぞき込んできた。
「じゃあ『黒き災害』を仕留めた魔法を見せてくれよ?」
「それは…」
『雪華』のことか。
しかしあれは…
「兵士の報告じゃ、全身が凍り付き、口からは氷が飛び出していたそうじゃないか。どんな魔法を使えばそんなことになるのか、見てみたいじゃないか」
「………」
「な、いいだろ?そんくらいいいじゃないか!」
ぐいぐい来るシルヴィア様の目は子供のように輝いている。
…これは見せるまで引きそうにない。
「分かりました…」
「よっし!じゃあ早速見せてくれよ!」
「では…離れてください」
言葉に従い、わくわくした様子でシルヴィア様が離れていく。
『雪華』は着弾してからが本番の魔法だから、近くにいても問題はないけれど一応。
指を構え、近くの木に狙いを定める。
確実に狙いを外さないよう、『誘導』も発動させておく。
「『雪華』」
指先に生じた氷の弾丸が木の幹に直撃。
次の瞬間、弾丸は花開くように氷柱を咲かせる。
さらに木はミシミシと音を立てひび割れ、砕けた。
辺りに冷気の靄が立ち込め始める。
「お~……」
シルヴィア様の感嘆の声が聞こえる。
満足してもらえただろうか?
シルヴィア様はスタスタと砕けた木に近づいていく。
そして、砕けた破片を一つ掴むと、そのまま握りつぶした。
「なるほど…冷たいけどただ凍らせただけじゃないね。そもそも木が凍り付くなんて聞いたことが無い」
思いがけず聞こえた考察に、つい驚いてしまう。
「あ、その顔。あたしが筋肉馬鹿だと思ってたんじゃないかい?」
「はい」
素直に答えると目を見開き、そして大声で笑いだした。
「あっははははははは!あんたほんとにおもしろいね!そう聞いて『はい』なんて素直に答えた奴、あんたが初めてだよ」
「そう…でしょうね」
そうだろう。仮にも一国の王女。その相手に素直に筋肉馬鹿だと思ってましたと言える人はそういない。
なのに素直に言ってしまったのは、ただ筋肉バカではないそうではない一面を見たことと、昨晩のことと。
彼女とは上辺だけの付き合いをしたくない、そう思ってしまった。
「セーラ、やっぱりあんた気に入ったよ。ファルス王子も面白い、けどあんたがいるなら嫁に行ってもいいやって改めて思ったね」
「……」
その言葉につい視線を逸らしてしまう。
想いは自覚した。
しかし、私は未だに立ち位置を決めかねていた。
今の私は、クルース侯爵家の令嬢にして、王宮魔法使いの一員。
第二王子であるファルス様に嫁ぐには十分であるといえる。
しかも、ベイルート国とガイオアス国においてはもうファルス様の婚約者として紹介までされている。
外堀はもう十分すぎるほどに埋まっている。
残るは私の覚悟。
ファルス様の伴侶としての覚悟が……まだ無い。
情けない、と思う。
しかし、この世界に生まれて幼い心に感じた恐怖は、思った以上に根深く、結局ファルス様にはっきりと想いを告げていない。
告げれば…もう決まる。後戻りはできない。
それに、本当のファルス様の想いがまだ分からない。
仮に、それが偽りだったとしても……愛されなくても……そう思う心もある。
しかし本当にそうだった時、そう割り切れるのか?
その自信は…無い。
「な~に悩んでるんだい?」
「きゃっ!?」
いつの間にか目の前にまでシルヴィア様が顔を近づけ、のぞき込んできていた。
そのあまりの近さについ後ろに飛びのいてしまう。
しかしバランスを保てず、お尻から地面に倒れてしまった。
「いたっ!」
「おっと、大丈夫かい?」
転んだ私にシルヴィア様が手を差し伸べてくれる。
…その様がやけに似合っている。
「すみません」
「いや、こっちが驚かせてしまったみたいだしね。謝るのはこっちだ」
手を借りて、立ち上がり、泥を払う。
「しかし、『きゃっ』だなんてかわいい悲鳴じゃないか。これじゃああの王子もべたぼれになるわけだ」
「べたぼれ…」
「そうだろう?あそこまで甲斐甲斐しく世話する旦那なんて初めて見たよ」
「そう……ですか」
彼女の目にはそう映ったのか。
その言葉に、少しだけ心が軽くなる。
「…なんだか浮かない顔だね。もしかして……あんたは好きじゃないのかい?」
「………」
そんなことはない。
そう言えば良いのに、その言葉が出ない。
気持ちを確かめたはずなのに、確信したはずなのに、まだそれを外に出すことができないでいる。
どうしてなんだろう…
「…満更でもないように見えたけどね。どうなんだい?実は嫌なのかい?」
「それ、は……嫌…では…」
「じゃあ好きなんじゃないか」
「………」
「はっきりしなよ!」
その言葉に、私は弾かれたように飛び出した。
もうここに居たくない。
もうそれ以上聞かれたくない。
ただそれだけだった。
「ちょっ!?待ちなよ!」
シルヴィア様が追いかけてきた気配が分かる。
しかし、角を曲がった瞬間に『隠密』と『消音』を発動させ、姿を消す。
「いない!?そんなに足が速くは見えなかったけど…」
その声はすぐ後ろで聞こえ、あと少し発動が遅ければ消える瞬間を見られたかもしれない。
「ん?」
このまま逃げ続ける。
逃げ続けて……どうするのか?
見知らぬ土地で、やみくもに逃げて、それでどうにかなるのか?
そんなことを頭がかすめたけど、もうどうでもいいと思った。
「そこだ!」
しかし、すぐ後ろで声がしたと思った瞬間、私の体が抱きかかえられていた。
振り返ればそこにはシルヴィア様。
「やっぱりいたね!」
(そんな馬鹿な!?)
今の私は姿も、音も立てていない。
にも関わらず、シルヴィア様は私を捕えていた。
「もう逃がさないよ。さっさと姿を出しな」
もがいてもシルヴィア様の筋肉に敵うわけもなく、私は項垂れながら『隠密』と『消音』を解除した。
「魔法ってのはそんなこともできるんだね。面白いもんだ」
「………」
そのままシルヴィア様は腰を下ろした。
自然、抱きかかえられたままの私も下ろすことになり、そのまま抱っこされることになった。
「悪かったよ。無神経に聞いて」
「…いえ…」
そもそも、変にあいまいな態度を取らなければこんなことにはならなかった。
なのに、どうしてそうしてしまったのか。
…彼女があまりにもまっすぐで、その瞳に嘘を付けなかったのかもしれない。
だから、好きなのにその気持ちを外に出せない私の態度がそのまま出てしまった。
ぎゅっと、シルヴィア様に抱き寄せられる。
男性にではない、女性に抱きしめられるのはいつ以来だろうか。
筋肉はしっかりしているけれど、それでもやっぱり女性らしい柔らかさがそこにあり、そしてこの抱きしめられたままという体勢が、まるで母に抱きしめられているかのように錯覚させる。
自分もいい年で、相手もまだ未婚の女性なのに…
しかし、一度心の内をさらけ出しかけてしまっただけに、なかなかそれが押し隠せない。
甘えたい…そんな気持ちもあったのかもしれない。
「好き…なんだろ?」
同じ意味の問い。
けれど、さきほどとは違う、どこか少し揶揄うような含みもあった言葉が、まるで幼子に問いかけるような優しさが込められ、つい頷いてしまった。
「そっか」
それ以上は言わず、けれど抱きしめ続けてくれる。
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