第19話
「………」
あの衝撃的な夜が明けた朝。
しっかり布団にくるまり、熟睡したとばかりに眠気は無く、正に爽快という気分で目が覚めた。
そして直後に、普通あんなことされた後なら眠れないものじゃなかろうか?と自分に嫌悪を感じた。
「はぁ……」
しかし、しっかり睡眠がとれたおかげで昨晩のことをちゃんと理解している。
だからといってファルス様の凶行まがいのあれは、許されざるものがある。
そう、あれはちゃんと苦情を申し立てねば……
「…どこで…?」
この部屋を出れば、ファルス様がいるだろうがもちろんそこには護衛のための騎士もいる。
その話をしようとすれば、当然騎士にも話が聞こえてしまう。
それはまずい。非常にまずい。
色々理由はあるが、一番まずいのはファルス様とキスしたことを知られることだ。
そんなことを知られてしまえば、ますます逃げられなくなってしまう。
あまつさえ、それがただのキスではなく、そう…ディープキスだ。
人前でしゃべれるわけがない。
そう、だからまた二人っきりになったときに…そこでふと気づく。
(そういえば…あの時、もう…)
ボルス領での事案。
あの時にファルス様にキスされたとき、あれは公衆の面前だったと今更ながらに思い出す。
当然騎士もいた。
しかもあれは、見る人によっては私が先に目を閉じたことで、私がキスをねだったと見えなくもないかもしれない。
…つまり、私がファルス様とキスをしたことは今更、なのかもしれない。
が、それはそれである。
(だからといって開き直る気は…!)
そんなことはしない。
だから、後で、二人きりの時に、しっかりと、苦情を、言っておかないといけないのだ。
「よし」
身支度を整え、いざ部屋から出ようとしたとき。
ドアからノックの音が聞こえる。
「私ですが」
ファルス様だ。
瞬心臓が跳ねたけれど、落ち着くように深呼吸。
大丈夫。落ち着いた。何も動揺することは無い。
そう言い聞かせ、ドアを開けた。
「おはようございます、ファルス様」
「おはようございます、セーラ様」
にこやかに…というか晴れ晴れとしたような笑顔で挨拶をしたファルス様。
なんだかその笑顔がいつもの5割増しで輝いているようなのは気のせいだろうか?
「いい天気ですね。今日には王都に辿り着けそうですよ」
「そうですね」
「では行きましょうか」
そう言って右手を差し出すファルス様。
はて、この右手は何?
「何ですか?」
「エスコートしますよ」
にっこり言い放つファルス様に、顔が引きつる私。
その手を無視して部屋から出ると、空いたままの手が今度は私の腰に伸び、抱き寄せようとしてくる。
それを引き剥がす私。
そんなやりとりを、珍しく茶々を入れずに見守っているガリオン様。
…なんだか気持ち悪い。
朝食を済ませ、外に出て旅のための準備をしていると騎士たちとの距離感を感じる。
昨晩のあれのせいで忘れかけていたが、昨日はあの強力な魔獣『ヴァリアドレイ』に襲われたのだ。
昨日の今日でそんなすぐに変わることは無い。一方で昨日の今日で妙に変わったお方がいるのはおかしい。
「さ、行きましょうか」
そう言い、またもファルス様は右手を差し出した。
またも無視して御者台に乗り込む。
…そうしたかったのに、昨日まで私がいた場所に、既にガリオン様が座っている。
「悪いね~。今日はこの席は僕専用なんだ~」
にこにこと言い放ち、けれど絶対にどかないという意思がそこにある。
振り返れば、手を差し出したままのファルス様。
何が何でも一緒に馬車に乗れということか。
「私が外に居なければ対応が遅れます。それではファルス様の安全を…」
「もう王都の近くですから大丈夫ですよ。それに、セーラ様には馬車の中にいてもらいたいんです」
昨日襲われたばかりで大丈夫の保証がどこに?
わざわざ私を中に?
その意図を探ろうとして、またも嫌な考えが浮かんだ。
「…まさかまた私を婚約者に…」
「さぁ行きましょうか」
遮るように無理やり私の手を取り、腰に反対側の腕を回すと馬車に押し込められてしまった。
間違いない。絶対また私を婚約者として紹介する気だ。
馬車の扉が閉じられ、対面に座ったファルス様をぎろりとにらみつける。
…それすらも嬉しいとばかりに笑みを返してくるファルス様に、効果は無いと諦め、窓の外へと顔を向けた。
「昨晩はあんなに可愛かったのに」
ぽろっと言われた言葉に途端にあの時のことが頭に蘇り、口内を蹂躙された感覚が頭を支配、一気に顔が赤くなってしまう。
ちらりと、ファルス様の唇に目が行ってしまう。
めざとくそれに気づいたファルス様は、指を自分の口元に当て、挑発するように言い放った。
「おかわりが欲しいんですか?」
「だ、誰が…!」
思わず大きな声が出てしまい、しまったと手で口を隠す。
「いいんですよ、いつでも」
ちろりと見せられた舌先がどうしようもなく淫靡に見え、無理やり窓へと顔を向ける。
「…はぁ。可愛いんですから、ほんとにもう…」
呟くような小さい声は、しっかり私の耳に届いていた…
***
何度かの休憩を挟み、少し昼を過ぎたころ、ようやくガイオアス国王都に辿り着いた。
しかしながらその発展具合は到底我が国に及ばず、王都でありながらそれはかつてハンターとして活動していたボルス領を少し発展した程度。
しかし魔獣の脅威から、その城壁はボルス領よりもはるかに頑強。
高さは倍、厚さは3倍近いか。
それほどの城壁がある理由が、あのヴァリアドレイのような魔獣と対峙してからは当然にしか思えない。
さらに城下町は異質だ。
自国の兵士たちよりも屈強で逞しい肉体を持ったものが男女問わず、そこかしこで見受けられる。
彼らは体のいたるところに傷があり、それでいてその腕や肩には狩に使うためでであろう得物がぶら下げられている。
その得物の大きさは、獣ではなく魔獣を仕留めるためのものということが分かる。通常の倍以上のサイズがあるそれは、獣程度バラバラの肉片に変えてしまいそうだ。
これが、魔獣のいる国の国民。
そんな中を、豪奢な馬車が進んでいくのはとても異様だ。
誰もが興味深げに目を向けているのが分かる。
そんな視線は耐えられないとばかりに私は窓を閉じた。
「これが、ガイオアス国なんですね…」
ファルス様もガイオアス国は初めてのようで、その様子に驚きを隠せない。
そうして、いざ王宮へと入っていけば、当然のようにファルス様が先に降り、私に手を差し伸べる。
無視したいけれど、既にその先にはガイオアス国の歓迎の面々がそろっている。
余計な疑惑を持たせるわけにもいかず、素直にその手を取る。
「ようこそ、このような危険な国へ」
一同を代表して出迎えてくれたのに、ガイオアス国王アーサー・シェイド・ガイオアス。
街中で見た男たちよりもさらに屈強で、背だけならファルス様と同じくらいだが、肉体の分厚さは倍近く違う。
燃えるような赤く短い逆立てられた髪と瞳は、いかにも好戦的かつ豪快な印象を受ける。
ファルス様と握手を交わしたとき、その見た目通りの膂力が出たのか、ファルス様の表情が一瞬曇った。
「ところで…」
アーサー王の目が私に向く。
ベイルート国の時と同様だ。
ファルス様は独身で、婚約者もいない。にも拘わらず、連れてきた女性。
それでいて、今馬車を降りるのにファルス様にエスコートされた存在。
疑問に思うのは当然だ。
「彼女は私の婚約者であるセーラです」
「…そうか、ファルス殿は婚約者がいないと聞いていたがどうやら間違いだったようだな」
「仕方ありません。なにしろ決まったのはつい先日なもので」
促され、一歩前に歩み出る。
「セーラ・クルースでございます」
「ほほう。しかし、せっかく決まった婚約者殿を何故我が国に?」
「彼女には私の護衛も務めてもらっています」
「何?」
アーサー王の目に剣呑な光が灯る。
女に護衛させるなどと、とでも考えているのだろう。
失礼な話だ。
「詳しい話は中でいかがですか?報告したいこともございます」
「いいだろう。中でたっぷり聞かせてもらおう」
***
「…そうか。それはまずいな」
ファルス様からヴァリアドレイの件について報告を受けたアーサー王はすぐさま近くの兵士に指示を出した。
例の場所に不備がないか確認するためだ。
「しかし驚きだ。あの『黒き災害』を倒したものがいるとは」
「この国ではそう呼ばれているのですか?」
「ああ。あれに襲われて、生き残った町は一つとして無い。討伐隊を過去何度か編成したが、いずれも返り討ちにあった」
あの屈強な男たちを束ねても倒せない魔獣。
それが倒されたことに室内は驚き、ざわめいたまま。それも…
「まさかそれが、女一人に倒されるとは…な」
そう言い、こちらに目が向く。自然、ほかの者も。
見世物じゃないからやめてほしい。
「どうやって倒した?」
「魔法で」
「魔法で?馬鹿な、ありえん。魔獣にはろくな魔法が効かないはずだ」
確かにろくな魔法は利かないだろう。外からなら。
「セーラは魔獣の体内に向けて魔法を放ちました。いかに魔獣といえど、体内への攻撃には弱いのでしょう」
ファルス様には変わらず『雪華』の説明はしていない。
今のファルス様の話は、『視た』感想だ。
「だからありえんと言っている。外がだめなら内ならはと試したことはある。だが結果は同じなのだ。過去、魔法使いの一人が生きたまま喰われ、死に際に魔獣の体内で火の魔法を放った。しかし、魔獣は死ぬどころか弱ることもなく、口からその火を吐き捨てた。その際に魔法使いは自ら放った火によって灰となった。魔獣はその灰を吐き出し、残った獲物を食い殺した。人が灰になるほどの火を、体内に放たれても無事なのだぞ?」
その話に、今度はこちらがぎょっとする。
どんな生物と言えど、体内は弱い。それが共通認識だ。
だからこそ『雪華』を思いついた。
こうなると何故ヴァリアドレイに『雪華』が通用したのかがわからない。
もし『雪華』が通用しなかったら…そう考えるとゾッとする。
「しかし、現実として『黒き災害』は倒されました。死体がなによりの証拠です」
「…そうだな。今兵士が確認に向かった。その報告が正しければ、兵士の報告と一致するだろう」
そして話はいよいよ、ギルバート様の婚約者の話になる。
「我が妹、シルヴィアを貴国の第一王子妃として迎え入れる…だったな?」
「そうです」
「…確認するが、本気なのか?シルヴィアはすでに29だ。貴殿の兄はまだ19だろう?年上の妃を迎えることに抵抗は無いのか?」
「大いに抵抗しております」
「はっ?」
にっこりとファルス様は言い放った。
その言葉にアーサー王がきょとんとなる。
それもそうだろう。話を持ってきたのはこちらなのに、その当人が抵抗していると言われれば訳が分からないと思うに違いない。
「兄上は結婚を拒んでおりまして。もちろんそれは心に決めた、身分違いの女性がいるとかそういうわけではありません。ただ女性というものに嫌悪している、ただそれだけです」
「…なるほど。だが、そんな王子のもとに、我が大事な妹を嫁がせろと?」
「ええ。ですけれど、悪い話ではないでしょう?」
あ、黒ファルス様。
二コリと浮かべる笑顔の後ろにどす黒いものが見える。
「当人の人間性はともかく、我が国の第一王子にして王位継承権第一位。その妃となれば、未来の王妃となることは間違いございません。そうなれば、妃を輩出したガイオアス国にも便宜が図られるのも、当然でございましょう?」
確かにそれはそうだ。
そうなんだけれども…
「だが、そんな王子では、妃をないがしろにするのではないか?」
「ないがしろにされて黙っていられるような姫君ですか?」
その言葉に、アーサー王もニヤリと笑う。
「黙っていられるわけがなかろう。そんなことをされれば、自身がこの国を支配すると言い出すぞ?」
立派な侵略宣言である。
もちろんそれにファルス様も笑みを深めていく。
「やれるものなら構いませんよ?私たち『王宮魔法使い』を相手取る覚悟があるのなら」
仮にギルバート様が王になったとしても、ファルス様は王にならずとも団長は続けるだろう。彼がその立場にいるのは王族だからではなく、純粋な実力からだ。
今の言葉は、仮に王が暴挙に走ろうと、それを止める力を王弟が有していることだ。
いや止めるどころか、上回っている可能性すらある。
「いいだろう。妹が暴走して妙なことになるやもと思っていたが、貴殿がいるならその心配もなかろう。持っていくがいい」
「ありがとうございます」
どうやら話は着いたらしい。
そして、ようやく件の姫君が現れた。
「我が妹、シルヴィアだ」
「シルヴィア………です」
現れた女性は、兄同様燃えるような赤い髪ながら、長く、少し天然パーマのようでその先端はくるっと反り返っている。それがまるで燃え盛る炎のように見える。
その瞳もまさに兄とうり二つであり、眼光鋭く好戦的だ。
その体つきは女性らしい非常にメリハリのきいた身体なのに、淡い緑のドレスの上からでもわかるくらいに筋肉が付いていることが分かる。
…年齢差もあって、どう想像してもギルバート様がこの女性に敵う絵が浮かばない。
「よろしくお願いします、シルヴィア様」
「あ……ええ、よろしくお願い…いたします」
自然に接するファルス様に対し、シルヴィア様の方はどうにもぎこちない。
緊張している…というのとは少し違う気がする。
「私の婚約者のセーラです」
「セーラ・クルースです」
「…ええ、よろしく」
私に対しても同様だ。
「あの…」
ここでシルヴィア様から口を開いた。
「ギルバート…様は、お強い…のですか?」
その内容に、アーサー王は頭を抱えた。
小声で「そんなこと聞くな…」と言っている。
このシルヴィア様は強い男が好みなのだろうか?
「兄上…が強いか、ですか?」
「ええ、そうです」
そしてファルス様は少し考え込む。
ギルバート様が強いか…どうかは、私はさっぱりわからない。
魔法学校が卒業しているが、その成績が如何ほどかは聞いたことが無い。
剣も習っている…はずだが、その腕前も。
ファルス様がどんな回答をするのか、少しだけ興味がある。
「そうですね…騎士相手に互角の戦いを行うことはできるでしょう」
…なんとも判断に困る回答だった。
その言い方では、実際に騎士と戦ったのかわからない。
「そうですか…」
その回答に不満げなシルヴィア様。
すると、その眼が護衛として待機していた騎士に向く。
眼に、紅い光を灯らせたように見えた。
「そこのあんた、私と勝負しな」
「っ!おいシルヴィア言葉遣い!」
「あっ…」
騎士に向けて放った言葉。
その姫としてあまりにそぐわない言葉遣いに、(ああそういうことか)とさっきからぎこちない理由がわかった。
「ああ~、もういいだろう?疲れるんだよ、あれ」
「そういう問題じゃない!」
ガシガシと頭をかく様は、姫らしい慎ましやかさがまったくない。
が、逆にあのギルバート様の嫁としてならむしろこのくらいの方がありなんじゃないだろうか?
私と同意見なのか、ファルス様はシルヴィア様に落胆した様子はなく、むしろ嬉々としていた。
「確かに要人との会談の際には問題かもしれませんが、ここはいずれは家族となる者たちばかりです。いいのではないですか?」
「お、あんたは話が分かりやすくていいね~。あたしの男にならないかい?」
「残念ですが、私には心に決めた女性がおりますので」
そう言い、私を抱き寄せるのはやめてほしい。
…ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ落ち着かなくなる。
「…そうそう、あんたにも興味があるんだよね」
その赤く燃え滾るような眼が私に向く。
いい予感がしない。
「すみません。私、女性と結婚するつもりはありません」
「あたしだってねぇよ!?」
いい突込みである。
アーサー王はうなだれて顔を上げる気力も無いらしい。
「そういうことじゃないんだよ。あんた、『黒き災害』を倒したんだろ?」
ボケて流そうかと思ったがそういかないようだ。
やはりそっちのことらしい。
「どうやって倒したのか、後で教えてくれよ」
ずいとこちらに詰め寄られる。
正直圧が凄い。
「いずれ」
適当に濁しておく。
でないといつまでもしつこそうだ。
「そうだな。じゃ、まずはそこの騎士、私と手合わせ」
「やらせるわけないだろうがバカモン!」
ゴンという強烈な音が室内に響く。
かなり容赦のない、アーサー王の鉄拳がシルヴィア様の頭を打ち付けた。
「っった~!なにすんだよこの馬鹿兄貴!」
「バカはお前だ!この縁談の話をぶち壊す気か!黙って大人しくしていろ!これ以上嫁ぎ遅れたいか!?」
「あたしは一人でも生きるって言ってんだろ!」
「そういうわけにいくか!はっ?!」
言い争いが続くかと思いきや、突如アーサー王がさび付いた人形の首のようにゆっくりとこちらに向く。
その顔には冷や汗がだらだらと。
一方、ファルス様はこれ以上ないくらいににこにこしている。
その笑みの意味が分からないとばかりにアーサー王は首を傾げた。
「素晴らしい女性ですね!それでこそ、兄上にふさわしい!」
両手を上げ、歓喜を表現したそのポーズにアーサー王もシルヴィア様も唖然。
ファルス様は唖然としたままのシルヴィア様の手を取った。
「是非その調子で我が国に!兄上の良き伴侶として支配…もとい、支えてください!」
ちょっと待て今何を言ったこの王子。
ファルス様の様子についてこれたのは誰一人としていなかった。
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