第18話

何故ヴァリアドレイに襲われたのか。

私たちが今通っている道は、国の主要道路だ。

そのため、ヴァリアドレイ避けとして、嫌う臭いのものが設置されているはずだ。

道中でも確認している。

それなのに襲われた。


「報告しておく必要がありますね。このままではいずれ被害が出るでしょう」


ファルス様に相談すれば、そのような返答があった。


その日の晩。

街の宿に一泊しているファルス様一行は、日中の疲れをいやすように、各自の部屋でくつろいでいた。

と、私の部屋のドアをノックする音が響く。


「私です」


ファルス様だ。

最初の晩以来、夜に私の部屋に来ることは無かった。

どうしたのか…十中八九あのことだ。


上着を羽織り、以前と同様夜着を纏ったままドアを開ける。


「いかがされました?」

「…聞きたいことがあります」


やはり。

ファルス様を部屋に招き入れ、席へと促す。

紅茶を用意し、お互いの前に置き、私も席に着く。


「お呼びいただければこちらから行きますが?」


一応は王子。

なのに毎度王子側に訪問させるのは少々…いや、かなり問題だ。


「いえ、それには及びません。それに…」


ちらりとファルス様の視線が下がる。

今日も以前と同様の夜着…パジャマだ。

色気も何もないのだが、そういえばと先日の夜のことを思い出す。

あの時のファルス様はかなり挙動不審だった。


「…セーラ様の、そのような姿を、ほかの方にはお見せしたくありません」


(お見せしたくありません…か)


二つの意味にとれるが、どちらなのか。


…それがわからないほど馬鹿のつもりもない。

男の独占欲、というものだろう。


(…本当に、私のことを好き、なのだろうか…?)


ふとよぎった思考を、紅茶を一口飲んで打ち消す。

そんなことを考える必要はない。

そんなことを考えても意味は無い。


「それで、今日はどうしたのですか?」


まさか私の夜着を見に来た、などということもないだろう。

私の問いに、ファルス様は少し顔を横に向けると、口元に手を当てちらりとこちらを見た。


「セーラ様の夜着を見たくて…」

「っ!げほっ!」

「セーラ様!?」

「っ!っ!!」


喉を通しかけた紅茶が気管に入った!

思わぬ言葉に動揺し咽る私に、ファルス様が椅子から立ち上がり、背中をさすってくれる。

咄嗟にハンカチを取り出し、口元に当てる。


1分ほどか、ようやく落ち着いた私はハンカチを口元から外す。


「…お見苦しいものをお見せしました」

「いえ、それは…」


気まずい空気が流れる。


顔が熱い。

きっと咽込んで、みっともない姿を見せて恥ずかしいからだ。

…断じて、ファルス様の言葉のせいではない。


「…今日はどうしたのですか?」


さっきのは聞かなかったことにした。

席に戻ったファルス様に再度尋ねると、やはり本題は違ったのか、真剣な面持ちでこちらを見た。


「魔獣……ヴァリアドレイ、でしたね?あれを倒した貴女の魔法。それについて教えていただきたいのです」


やはりそうきたか。

半ば予想はしていた。

今日の討伐直後、聞かれながらも拒否したがそれですんなり諦めるとは思っていなかった。


「秘密です」


前回と同様の回答を私はする。

教えたくない。たとえ、相手が誰であっても。


私の魔法は、現状ファルス様たち魔法使いからすれば未知のものだ。

この世界では、魔法が『文』で成り立つのに対し、私は『単語』だ。

ささいな違いではあるが(そう思うのは私だけかもしれないけれど)、それが常識であればあるほど、その違いは大きい。

また、私が使う魔法の大半はこの世界に存在していない。

魔法に求めるものが根本的に違うからだ。

根本的に違うからこそ、その視野の狭さも際立つ。

如何に『破壊』できるか。それが基準だ。


しかし私は違う。

姿を消す。

音を消す。

回転する。

浮く。

狙う。


いずれも破壊に結びつかない。

魔法としてあり得ないのだ。

それが彼らの常識。


…もちろん、こうして彼らの前で魔法を見せる機会が増えれば、自ずと彼らにも今までの視野の外が見えてくるだろうと思う。

時間の問題だと思う。


だがそれでも教えたくない。


それは、私にとって魔法とは、『身を守る最終手段』だからだ。

前世を知り、前世の価値観を知り、前世の世界を知り、そして今世を生きる私には、この世界はあまりにも危険で信用ならない。

…私は常に怯えている。この世界に。この世界に生きる人間に。生物に。


だから私は属することを辞めた。

侯爵令嬢にして未来の王妃という輝かしい未来さえ、私にとってはいつ閉じられるかわからないアイアンメイデンに等しい。

その権力が、その責任が、私を背後から串刺しにする剣にしか見えない。


面倒。

もちろんそれもある。

だけれどそれは表面的な思い。

5歳にして、私の深層に芽生えたのは『恐怖』だった。

世界に殺されるという恐怖。

その恐怖を覆い隠すように、『面倒』という蓋を作った。


だから言えない。相手が誰であろうとも。


「……………」


私の返答に、ファルス様は沈黙。

しかしその瞳はまっすぐにこちらを見据え、外さない。

さっきとはまるで違うその瞳に、私の方が視線を外してしまう。


沈黙が場を支配する。

どれくらい経ったのか。

10秒か、1分か、それとも10分か。

静かな一室。


「…私は、王宮魔法使い団長です。国内で使用される魔法に対し、すべての責任があります」

「……ここは国外です」


単なる揚げ足取り。ささやかな反抗。

それが分かっているのだろう、ファルス様に特に気にした様子もない。


「あなたの魔法は大変素晴らしいものです。魔獣すら容易く屠るほどの。…だからこそ、皆に知ってほしいのです。気づいているはずです。騎士たちの…貴女を見る眼に」


「………」


怯え。ややもすれば…恐怖。

それが、騎士たちが私に抱いたであろう感情。

それは……


「……私も、貴女が怖い。普通の、可憐な女性としての一面を見せてくれる一方で、私すら及ばない『未知』を秘めている」


怖い。

しかし、そう語る彼の瞳はそれでも私から逸らすことは無い。

その瞳に込められた力強さに、私はまっすぐ見返すことができない。


「買いかぶり過ぎです。……私は、ただのハンターです」


そう返すのが精いっぱい。


「貴女の言葉はただの謙虚にも聞こえます。しかし…私は、あの魔法を見て感じたのです」

「…何を?」

「貴女の魔法には、明確に『敵』が存在する、と」

「っ!!」


ファルス様の言葉に息が詰まる。

見透かされたことに。


そう、私の魔法はすべて『敵』を想定している。

『敵』を仕留めるため。

『敵』から逃れるため。

『敵』から守るため。

敵など関係なく、『破壊』を目的としたこの世界の魔法の常識とはずれている。


「『セッカ』…そう言っていた魔法。あれは、生物以外には効果が無いのではありませんか?」


その通りだ。

多少の影響はあるだろうけど、例えば建築物を対象とした場合、あまり効果は無い。

『敵』となる生物に対してのみ、甚大な効果を発揮する。


「けれど、生物には絶大な威力です。だからこそ、あなたの『敵』に対する執着の強さがうかがえます」


やめて。

これ以上、『私』に踏み込まないで。

これ以上踏み込まれたら…


「…私は、それが知りたい。貴女の魔法の源泉。あなたは一体何を…」

「やめてぇ!」


もう踏み込まないで。

これ以上聞こうとしないで。


体を震わせ、縮こまらせ、耳をふさぎ、外を拒絶する。

もう聞きたくない。

もうここにいてほしくない。


なのに…


「…大丈夫です」


いつの間にか席を立ち、私の前にいたファルス様が、そっと私を抱き寄せた。


「離して!」


『敵』がこんなにも近くにいる!

私を暴こうとする『敵』が!

全力で引き離そうとしても、私を抱きしめる腕はびくともしない。

それどころかさらにその抱擁を強めてくる。


「聞こえますか?私の鼓動が」


気づけば、私の頭はファルス様の胸に押し付けられていた。

服越しでもわかる、硬く鍛え上げられた筋肉。その下にある心臓の鼓動。

伝わる心臓の一定の鼓動が、引き離そうとした腕の力を弱めてしまう。


「離…して…」

「離しません」


何故なの?

どうしてなの?

どうしてこの人は…

何か…まだ言葉にならない、定まらない感情が、私の奥から出てこようとする。


「私…は…」

「はい」

「私……」


(…待って。今、私は何を言おうとしているの?)


口から突いて出てきた言葉。

それは、何に繋がろうとしているのか?


自分が分からない。

自分はどうしてしまったの?

今、私はどうしようとしていたの?


私を抱擁するファルス様の腕。

その腕の皮膚を……つねった。


「いっ!?」


痛みで緩んだ抱擁からすぐに抜け出す。

抜け出した勢いのままに壁に手を突き、背を向けたまま私は言った。


「…もう、何も話すことはありません」


これ以上、この方と一緒にいてはいけない。

この方には裏がある。

私を好きだと言いながら、その裏が。きっと。

……なのに、今、私は、裏があると知りながら……


「そうですか」


そう言い、ファルス様が歩く気配がする。

部屋から出ていく。そう思っていたのに、私に影が覆いかぶさる。

何故?

すると、壁についていた腕を掴まれ、強引に引っ張られると無理やりに向かい合う形にさせられた。

向かい合い、互いの顔を見つめ合ったのもつかの間。

ファルス様の顔が近づいたかと思うと、その唇が私の唇に合わせられた。


「っ!?」


驚きで目を見開く私に対し、ファルス様はその眼をじっと見つめてくる。

それなのに、合わせられた唇からは、今度はぬるりとしたものが私の口内に侵入してくる。


「!!??」


触れあっていただけの唇は、これ以上ないほどに密着し、それでいてそのぬるりとしたもの…ファルス様の舌は、私の口内のすべてを嘗め尽くそうと縦横無尽に暴れまわる。


先日の、唇が合わせられただけのキスとは全く違う。

口の中すべてを支配されてしまいそうな、初めての感覚。

引き離す力も、つねる力も、それどころかこの一方的に行われる行為を、拒絶する意思すら生まれてこない。

たかが口の中。それなのに、まるで体全体を支配させてしまったかのように力が入らない。

力が抜け、離れてしまいそうになるとファルス様の手が私の後頭部を掴み、無理やりにキスを続ける。


ようやく離れたのは、どれくらい経ってからだろうか。

それも、口内から消えた暴力的な支配者による蹂躙を寂しいとさえ感じてから気づいた。


「………」

「………」


見つめ合う二人。

ファルス様の口元からは唾液が零れ、それが照明に照らされ、輝く。

きっと、自分も同じような状態なのだろう。

その姿がこれまで感じたことが無いほど綺麗と感じていたけれど、そのファルス様の瞳は、まるで情欲に支配された獣のように獰猛な光を携えていた。

その瞳に見つめられ、私は捕らえられたかのように指一本まともに動かせない。

身体を拘束しているものは何一つとしてないのに。


気づくと身体を横抱きにされ、柔らかなベッドにその身を下ろされる。

すぐさまファルス様が覆いかぶさる。


蹂躙するようなキスの後に、このような体勢になれば次はどうなるか…身体は未経験でも、前世の記憶が教えてくれる。

しかし、そんなものは何の役にも立たなかった。


あのキスを、前世では経験したことはなかった。知識としてはあった。

それがどうだ?

たかがキス。ただ唇を合わせるだけ。ただ……舌を絡めるだけ。

ただ、それだけ。それだけだと思っていたのに、頭は痺れ、思考は麻痺し、身体は動かない。

知識があろうと、未知は未知。

経験なくしてそれは語れない。

それを知った。


だから…知識があっても、『次』を知っていても、未知でしかない。

未知ゆえに……不安と、恐怖。


眼を閉じ、口元を引き締め、両腕で体を抱いた。

考えた行動ではなかった。

ただ自然と体がそう動いた。


すると、ファルス様が大きく吐息を吐いたのを感じた。

同時に、両脇から感じていた圧迫感が消える。

恐る恐る目を開ければ、覆いかぶさっていたファルス様はその手にハンカチを持ち、そっと私の口元に当てた。

零れた唾液をぬぐい取ると、そのままくるりと背を向けた。


『次』が来ると思っていた。行為を予感、いや確実視させたあの獰猛な瞳。

しかし、今その瞳は力なくこちらを一瞥しただけだった。


そのまま彼は一歩を踏み出した。

その姿に、今までまともに動かなかった体が不意に動いた。


「えっ…?」


ファルス様の驚く声が静かに響く。

動いた体は起き上がり、離れようとしたファルス様の上着の裾を掴んでいた。

何故そんなことをしたのか、分からない。


『次』をしてほしい?そんなことはない。


では何故?

離れようとした背中に何を感じた?

何を感じてしまった?


分からず、戸惑い、裾を掴む手は離れず、しかし顔を上げることはできずにうつ向くだけ。

それにファルス様も戸惑う雰囲気が伝わってくる。


時が硬直する。

何もかもが停止した時。

しかし、その硬直を解いたのはファルス様の私を呼ぶ声。


「セーラ…?」


敬称を付けなかったのは余程彼も戸惑っていたのだろう。

だが、名を呼ばれたことがまたしても私の体を動かした。


顔を上げれば、戸惑う表情のファルス様。

その唇に、届かない分をつま先立ちで補い、彼の肩に手を乗せ、自分の唇を合わせた。


「ん……」


ほんのわずか。

1秒触れていたかどうかの、先ほどの蹂躙されるようなキスに比べればあまりに幼稚なキス。


なのに、たったそれだけで、私が感じていた何かは落ち着き、今度は私が背を向けた。


「おやすみ、なさい…」


それだけを呟くように発した私の顔は、信じられない程熱い。

鏡を見なくても顔が真っ赤になっていることがわかる。

自分からしたことなのに、自分でしたことが信じられなくて、今更に恥ずかしさがこみ上げてくる。


元令嬢だから?はしたない?

そんなことは関係ない。

ただ自分からしてしまった、それだけが猛烈に恥ずかしい。


「おやすみなさい、セーラ」


ドクン、と心臓が跳ねる。

返された挨拶に、敬称を付けずに呼ばれた自分の名前に、そのどれもが私を落ち着かせない。


ドアの閉める音が響き、ようやく部屋に一人になると、私は力なくベッドに倒れ込んだ。


「…………」


今、

何が起きたのか、

何をされたのか、

何をしたのか、

何を感じたのか…


そのすべてを覚えているのに理解できない。

何がきっかけだったのか?

どうしてこうなってしまったのか?

思考が現実に追いつかない。


「わたし…は……」


力なく吐き出された言葉に続くものはなく。

つい、自分の唇に指を添えてしまう。


これではまずい。

そう囁く理性の言葉が、今は果てしなく遠くで響いている…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る