第15話
翌朝。
食事と準備を終え、馬車へと向かえばそこにいたファルス様は昨日の晩と違い、いつも通りだった。
「おはようございます、セーラ様」
「おはようございます」
何気ない、いつも通りの挨拶。
昨日の晩は何だったのかと思ったが、ただの気のせいということにした。
「おはよう!」
突然左からの大声に、一瞬体をビクッとさせてしまう。
見ればそこにはガリオン様。
触れてしまいそうなほどの距離に……というか、いつの間にかガリオン様の手が私の腰をつかみ、抱き寄せるようにしていた。
瞬時に湧き上がる嫌悪感に、咄嗟に肘でガリオン様の脇腹を突く。
「おぐっ!」
さすがに鍛え上げた騎士らしく脇腹なのに硬い感触があったが、それでもダメージは受けたようだ。
蹲るガリオン様からすぐに距離を取る。
「…ガリオン、あなたは何をしているのですか?」
「あ、朝の挨拶ですよ~」
にこやかに笑みを浮かべたファルス様。が、その笑みがただの笑みではないことは、私はもちろん周囲の騎士も、そしてガリオン様も気づいたようだ。ただならぬプレッシャーも伝わってくる。
「すぐに準備に戻りなさい」
「は~い…」
有無を言わさぬ雰囲気に、さすがのガリオン様も素直に従う。
「い、いい肘だった…ぜ…」
そんな賞賛いらない。
未だ脇腹を抑えつつ、準備に戻っていくガリオン様。
そんなに効いたのだろうか?
定刻通り馬車は出発し、今日はまず隣国のベイルート国に入る。
そして翌日には王都に入り、挨拶をする。
その際には歓迎もあるようだが、そこには護衛の私はあまり関係ない。
女性の私が王宮内で護衛、というのはやはりというかあまりいい見方はされない。
なので、王宮内はガリオン様他騎士がメインとなり、私は一時待機となる。
そもそも私の護衛としての本番はガイオアス国に入ってからなので、しょうがない。
旅は順調に進み、特に盗賊などに襲われることもなく無事王都に到着した。
今回はただの通過扱いだがそれでも重要な隣国だ。
王子として外交もこなさなければならないファルス様は、王宮に着くなり関係者との面会に始まり、息つく暇もないようだ。
そんな中、特にすることがない私は護衛用の客室で待機となった。
ファルス様の警護にはガリオン様が付いている。
ここでも女性ということで他の護衛騎士とは別の部屋を用意してもらっていた。
なのだが…
「ちょっといいかしら?」
「はい、いかがされました?」
部屋には侍女。それはまぁ…わかる。が…
「何故私に3人も侍女が付くのかしら?」
護衛とはいえ客扱い。一人付くのならまだわかる。
だけれど、3人はあまりにも多すぎる。
「当然でございます。ファルス殿下の婚約者でいらっしゃいますから」
「………は?」
今何て言った?
ファルス様の婚約者?
どうしてそんなことになっているの?
「私はファルス様の婚約者ではありません」
きっぱり否定しておく。
「…かしこまりました。『そういう』ことでございますね」
果たしてどういう解釈をされて『そういう』ことだと理解されたのだろうか。
聞き出しておきたい。そしてきっちり却下しておきたい。
が、『すべて分かっています』的な雰囲気を醸し出すこの侍女に何を言っても無駄な気がした。
口元が笑っているのだ。
これは絶対『婚約者ではない』というのを否定と受け取ってない。
なので諦めた。
人間あきらめが肝心、とは前世でよく言われていた。
『そういう』ことなのだ。
しかし後に私は後悔する。
何が何でも婚約者であることを否定しておかなかったことを。
***
しばし紅茶を飲んで休憩していたところ。
「そろそろ準備をいたしますので」
と声をかけられる。
が、何の準備なのかと首をかしげる私。
「準備?」
「晩餐会にございます」
晩餐会。
晩餐会が開かれるのか。それはそうだろう。
他国の王族が来ているのだし。
「そう、いってらっしゃい」
そしてもちろん、護衛である私は晩餐会に関係ない。
ないはずなのに…
「何をおっしゃいますか?セーラ様の準備です」
「…何ですって?」
「ですから、晩餐会へのセーラ様の準備でございます」
「何故、私が晩餐会に向けて準備しなくてはならないのかしら?」
「問答無用にございます!」
言うや否や、私の体が持ち上げられそのまま浴室へとダイブ。
どこから現れたのか侍女数名に囲まれ、服を脱がされ、磨き始められた。
…そこまでの一連の流れは見事としか言う他なかった。
ハンターとして、少しは危機的状況に対応する能力が備わり始めたと思っていたのに、彼女らの動きに抵抗する術はなかった。
もちろん魔法を使えば止めることはできたけれど、それでは彼女らにけがを負わせることになるし、かといって私の身体能力は普通の令嬢より少し力がある程度。
複数で囲まれれば為す術なし…。
そしてこの状況。
これは絶対に護衛という立場に対して行われることではない。
明らかにこれは……
(やっぱり婚約者扱い…なのね…)
遠い目になりながら、私はきっぱり否定しなかったことを悔やんだ。
晩餐会に、それもファルス様の婚約者として出席すること。
ここまでお膳立てされてからでは、もう否定する隙もない。
他国の王族の前で婚約者であることを否定もできず、もはや今日という日が早く終わることを切に望むばかりだった…
磨き上げられ、香油を塗られ、いよいよ着替えとなった。
が、当然ながら私の荷物にはドレスは無い。
そんなかさばって、しかも不要なものなど持ってきてはいない。
なのに、すでにそこには一着のドレスがあった。
「素晴らしい出来ですね。さすがでございます」
「私が持ってきた覚えはないのだけれど?」
「ファルス殿下が、セーラ様に今日のためにと用意されたもの、とうかがっています」
(やっぱりあいつが元凶かー!!)
そう声に出して叫びたかったのを抑えた私を褒めたい。
用意されたドレスは、淡い水色をベースにすっきりしたシルエットになるよう仕立て上げられていた。
裾や袖口にはレースがあしらわれ、華美と可愛らしさの中間といったところ。
髪は編み込まれ、これもまたファルス様からの贈り物だという宝石をあしらった髪飾りが付けられた。
あしらわれている宝石はエメラルド。
当然、ファルス様の瞳の色と同じもの。
こんなものを付けてはますますもって否定できない。
そうして準備が整えば、タイミングを見計らったかのように…ではなく侍女が呼びに行ったのだろう、ファルス様が来た。
「入りますね」
そうして部屋に入ってきたファルス様は、やはり盛装しており、王子らしく煌びやかな服装になっていた。
濃紺を基調としながらその生地は最高級のもので光沢があり、ところどころに飾られた装飾は見事の他無い。
本人の容姿も、それに負けず劣らず、服を引き立て役にさらに際立つ美貌と化しているのだからさすがだろう。そこかしこで侍女がうっとりしている。
もちろん、私にはそんな美貌で落ちるようなことなどなく、むしろこの事態を招いた元凶としてしっかりにらみつけるようにして立っていた。
そんな私の表情に気づいているのかいないのか、ファルス様は呆然とした様子でそこにいた。
ぽかんと口を開けて放心していても絵になるのはさすがだけれど、いつまでその阿保面を晒す気なのだろうか。
「ファルス様」
「…あ、はい!」
名前を呼ぶと、やっと意識が戻ったようで変に大きく声を張り上げていた。
「このドレス、ありがとうございます。このお礼は後日、たっっっっっぷりいたしますね」
にこやかに言い放ち、とどめとばかりに魔力を解き放つ。
魔力が視えるファルス様相手だからこそ、そしてファルス様以外には見えない脅しである。
視えたであろうファルス様は、口元を引きつらせていた。
「え、ええ、いえ、そんな、大変、よく、似合っていますよ」
「そうですか、ありがとうございます」
にっこり。
だが、放つ魔力が多すぎたかほんのわずかにスカートの裾が揺らぐ。
ファルス様の顔には冷や汗が流れていた。
そうして開催された晩餐会。
ベイルート国の多数の王族と貴族に囲まれた晩餐会は、疲れたの一言だ。
主に精神的に。
会う人会う人に婚約者と紹介され、ずっと微笑みを維持しなくてはならない辛さは過去最悪。
ギルバート様と婚約していたときは、こんな風に紹介されていた期間はわずかだった。
なにせ私の夜会デビューのとき、彼は早々に私のもとから離れていった。
おかげで私に対する評価はその時点から、捨てられただの飽きられただのなかなかのものだった。
しかしその時と違うのは、片時もファルス様が私の傍を離れようとしないことだ。
どんな要人と会う時も、雑談を交わすときも片時も私から離れない、否離そうとしないのだ。
貿易の話が出ればそっと離れようとする私を目ざとく見つけ、腰を抱いて離さず。
男性同士での話し合いと相手に暗に示されても、全く意にせず私まで同席させようとする。
疲れたと言えば、一緒に控室に来る始末。
ちょっと待ちなさい、この晩餐会は貴方が主役でしょうが。
「せっかく王子直々の来訪に、多数の貴族の方々がいらっしゃるのです。交友を深めたほうがいいのでは?」
ここから出ていけという意思も込めて。
「大丈夫ですよ。護衛を務める騎士の中に外交筋の家の者もいます。むしろ彼の方がやり手でですから、私の出る幕はありませんよ」
この場から離れるつもりはないということか、そうですか。
いろいろな意味でうんざりし始め、ため息が漏れる。
そんな私の様子に気づいているのかいないのか、一緒にソファーに腰を下ろすとその距離を詰めてきた。
「それに、こんなに美しい婚約者を一人になんてしたら、どこの馬の骨ともわからぬものが寄ってくるのではないかと心配なのですよ」
その言葉に私のうんざり度は増していく。
なにせ、私がファルス様の婚約者などという事実はない。
もちろん、ベイルート国にとってもそれは同じで、『独身』のファルス王子が来る、というものだったのだ。
となれば、ベイルート国がとる手段。
それは未婚の令嬢を集めて、なんとかファルス様に見初めてもらい、つながりを作りたいという思惑があった。
そのため、今夜の晩餐会には外交筋の関係者のみならず、未婚の令嬢が多く参加していた。
そこに突然現れた『婚約者』の私。
まして、それも2年前までは兄であるギルバート王子の元婚約者。
これにはベイルート国の面々は驚愕し、それでも何とか動揺を隠していた。
独身と思われていた王子が婚約者を、しかもその婚約者は兄の元婚約者。
となれば、当然そのつながりを疑う者も多く、そのせいなのかファルス様の婚約者紹介は熱が入っていた…ような気もする。
それに対し、疑惑の念が消えないベイルート国側は未婚の令嬢を紹介しにきた。
なるほど、国としてのつながりを狙うだけあって紹介された令嬢は、身分も美貌も申し分ない者ばかりだった。
そんな中で、私を離して一人になれば、ファルス様は一気に令嬢たちに囲まれただろう。
なにせ私の背中にはそんな彼女らの視線が山ほど突き刺さっていたのだから。
そのまま穴を開けようとしているんじゃないだろうかと思うほど。
はぁ、とため息が漏れる。
「本当にお疲れのようですね。このまま部屋に戻りましょうか」
そう言い、一緒に立ち上がる。
「一人で戻れますから」
なにせ疲れの原因の一翼は貴方なので。
渋るファルス様を強引に引き離し、会場へと向かわせると私はあてがわれている部屋に戻ることにした。
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