第14話
休憩も終わり、馬車が出発したが、空気は気まずいまま。
いや、気まずいのは私のほうだけで向かいのファルス様は普段よりもニコニコしている…多分。
直視できない、ファルス様のことを。
しかし、その漂う空気が表情を予測させる。
どうしたらいいのかわからない。
「セーラ様」
「っ!」
ファルス様に名を呼ばれ、体をビクッと反応させてしまう。
「ふふっ」
こちらの反応を楽しんでいるかのような含み笑いに、またもや頬が熱くなる。
どうしてしまったというのか、私は。
こんな、名前を呼ばれただけで頬を熱くし、動悸を激しくさせるなんて…
まるで…恋をした少女のよう。
(違うっ!)
強く、そう思い込む。
恋なんてするはずがない。
面倒な王族相手に恋なんてしない。
それが嫌で、ずっと逃げるための準備をしてきた。
その努力を、苦労を、すべて水の泡にしてしまうようなこの感情は決して有り得ない。
そう、そもそもファルス様が本当に私を好きなはずがない。
好意を見せても、その裏には何かがある。
王族を辞めようとしてでもやろうとする裏が。
それに、ファルス様には多数の…それこそ国中の未婚女性からの熱いラブコールが来ている。
なにせ、本来最も人気となりうる王妃…その座を得るための相手となるギルバート様。
しかし、そのギルバート様はほとんどの令嬢を拒絶している。
そうなれば、この国で二番目に結婚相手として有望なのはファルス様だ。
立場だけではない。
見た目も、流れるように煌めく金髪に、深い碧の瞳。
細身ながらも鍛えられた体躯から生み出される優雅な動きは令嬢の目を惹きつけてやまない。
ついでに言えば、王宮魔法使い団長でもあるというのだからこれ以上結婚相手として何を望むというのか。
ファルス様を望む相手には先日のマリーや、私と同じ侯爵家の令嬢もいる。
…わざわざ立場を捨て、家から逃げ出した私に政治的価値は無い。
そんな私に固執する理由は依然として不明だけれど、最も有り得ないのが結婚相手として、だ。
もはや醜聞の塊の私。
ハンターとして血なまぐさい仕事をこなし、第一王子から婚約破棄を衆人環視の前で告げられた令嬢。さらに侯爵家からも勘当された、ともはや普通の令嬢なら生きることを諦めるだろうというものだ。
そんな私と結婚しようものなら、国内外の貴族王族から叩かれるのは必至。
現在は王宮魔法使いでこそあるものの、令嬢にはあまりに似つかわしくない。
貴族と同程度の立場であれど。
そう、ありえないのだ。
……私がファルス様と結婚するなど。
ならばこんな感情は不要だ。消し去ってしまえばいい。
深呼吸し、動悸を落ち着かせれば自然と頬の火照りも冷めていく。
顔を上げると、ファルス様の顔が目に映る。
大丈夫、もう動悸はない。
そのまま、何もなかったように視線を窓の外へと向ける。
「セーラ様?」
ついさきほどの私との変化の違いを感じ取ったのあろう。訝し気に名を呼んでくる。
「何でしょうか?」
「…いえ、何も」
普段通りの声が出せた。
あんな、落ち着かず、らしくない私はもういない。
心の片隅でほっとすると、視界の端で何かが動いた。
ギシと席がわずかに傾く。
向かいに座っていたファルス様が私の隣に移動してきた。
馬車は王宮のものだけあって内装は豪華で広い。
もちろん片側の席に二人など余裕で座れるが、二人しか乗らない馬車でわざわざ片側に二人とも座る必要はない。
「……」
「……」
お互い何も発することはなく。
私は窓の外を向いたまま。しかし、ファルス様の視線は私を見ているだろうと思う。視線が刺さる。
しかしその視線も、隣に座られたことにも何も動じない。
いつも通り。
何も問題ない。
***
そのまま、何もなくその日の宿にたどり着いた。
国境近くの街には王族が泊まるための豪華な宿は無く、街で一番の宿に泊まることとなった。
中流貴族がお忍びで泊まる宿ではあるらしく、内装は充実していた。
湯あみをすることができ、部屋の広さもちょうどいい。
ご一行唯一の女性である私は、ファルス様と同様、個室を与えられた。
…いくら粗暴なハンターといっても、女を捨てた覚えはない。
この処置は有難かった。
食事は各自の部屋でとることになったのだが、やはりというかそうはいかなかった。
「セーラ様、一緒にいかがです?」
「結構です」
当然のように誘ってくるファルス様。
もちろん断る私。
「じゃあじゃあ俺とは!?」
「結構です」
おまけでガリオン様まで出てきた。
断る選択肢しかない。
「うっそー!?昼間あんなに顔真っ赤にしてたのにどういうこと?ファルス様、何やらかしたの?」
「何もしていません」
「すっごくいい雰囲気だったじゃん?それが今はこれ?ありえねー」
「……」
…少々、いやだいぶ明け透けな性格のようだ、ガリオン様は。
というか王族相手にこの言葉遣いはいかがなものか。
…人のことは言えないか。
それはそれとして、だ。
「人の部屋のドアを開けっ放しにして、いつまでもいないでください」
お二人には丁重にご退出いただいた。
出ていかないなら…という威圧的な魔力も込めて。
それを視たファルス様は苦笑しながら、ガリオン様を引っ張っていった。
***
部屋で夕食をとり、湯あみを済ませるとドアをノックする音が響く。
「私ですが」
ファルス様だ。
近くに置いていた上着を羽織り、ドアを開ける。
「どうかしましたか?」
「…………」
ドアを開ければ、そこにはもちろんファルス様。その後ろには護衛の騎士もいる。
何か用事があって来たのだろう、そう思いドアを開けたのに、ファルス様はドアを開けてからずっと固まったままだ。
「ファルス様?」
「…はっ!?え、ええと、湯あみは済ませたのですか?」
「? ええ」
それがどうかしたのだろうか?
しかし、急に顔を赤くさせ、視線があちこち泳いでいる。
「ファルス様、何し…おおっ!セーラ様色っぽいねぇ~」
するとまたもやガリオン様が現れた。
色っぽい?私が?
今私が着ているのは、令嬢が着るような薄い夜着ではない。
保温性と丈夫さに優れ、色気よりも実用性を優先させた、前世でいえばパジャマである。
…令嬢なのだからと薄いキャミソールの夜着を持たされそうになったが、「護衛なのだから」と全力で拒否した経緯はあったが。
それは置いておくとして。
そういうファルス様も、湯あみを済ませたかはともかく部屋着なのか普段よりもずっとラフな格好をしていた。
普段は首元まできっちり締められたボタンもいくつか外され、わずかに胸元が見える。
豪奢な衣装ではなく、シンプルな服装姿は見たことが無かったので新鮮である。
…つまり、私も今そう見られているということか。
客観的な見方はできた。が、それを意識すると途端に…何故か、遠慮のないガリオン様の視線に嫌悪を覚えた。
「ファルス様、何かあるのでしたら中へどうぞ」
いつまでもドアの前で王族を立たせたままにはできない、というものと。
ガリオン様、ついでに言えば後ろの護衛騎士もガリオン様の言葉にこちらに視線を向けている。……それも嫌だ。そんな視線から逃れたいという思惑も含めて。
「あ、はい、では…」
「じゃあ俺も~!」
「ガリオン様は招いておりません」
「ええ~?あ、もしかして二人だけで…」
言い終わる前にドアを閉める。淑女らしくなど捨て、思いっきり音を立てて。
「すみません、ガリオンが。悪いやつではないのですが…」
「そうですか」
仮にもこの護衛に選ばれた人間だ。
変な悪意などないだろうし、以前のやり取りからもあれが素なのだろうと思う。
ただし、それを受け入れるかどうかは別である。
「どうぞ」
「あ、はい」
席を勧めると、ファルス様は遠慮がちに席に座った。
(何かしら?)
先ほどからどうも挙動不審だ。
一体どうしたというのか。
まさか女性と部屋でふたりっきりだから緊張…などということはあり得ない。
普段女性と会話したことが無い初心な少年ということもない。
むしろ、自分から抱きしめたりキスまでしてきたのだ。
訝しげに思いつつ、自分も席に着く。
「それで、どうされたのですか?」
席に座ってから黙りっぱなしのファルス様にじれったくなり、こちらから声をかける。
「いえ、その……」
言葉が続かない。
これ以上は急かしても無理だろう。
何の要件かは分からないが、長丁場になるかもしれない。
私はそっと席を立ち、備え付けのティーセットに向かった。
侍女ほどの腕は無いが、飲める程度には淹れられる。
二つのカップを用意し、それぞれに紅茶淹れると一つをファルス様の前に置いた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
お互いに、一口紅茶を飲む。
温かいものを飲めば落ち着くだろうと思ったけれど、そう簡単にはいかないらしい。
何かを言いかけてこちらを向いてはすぐに目をそらし。
それを何度も繰り返すうちに、紅茶は無くなっていた。
「お注ぎします」
「あ、いえ、もう結構ですよ」
そう言い、すぐさま立ち上がった。
「夜遅くにすみませんでした。それではおやすみなさい」
「…おやすみなさいませ」
そのままドアの方へと歩いていき、廊下へと出て行った。
振り向きざまにこちらを見るも、ほんの一瞬だけ。
結局何だったのだろうか?
首をかしげても答えは出てこない。
空になったカップが、そこにあるだけだった。
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