第三章

第14話 出張

 ヴァルトのもとに、フェルシェルのとある村へ駐在している騎士から報告が届いた。


 村と西側の町を結ぶ唯一の橋が崩落したという。大きく迂回しなければならず、村の物流が滞って困っているとのことだった。


 人の往来だけなら、村人たちでも簡易な渡し橋を数日でかけ直せるだろう。

 だが――今回は事情が違う。


 その橋はもともと荷馬車も通れるよう造られていた。橋脚は川の流れに耐えるよう頑丈に作られていたが、今回の崩落で支柱を支えていた基礎まで流されてしまったという。

 川は流れが早く、素人には手に負えない。熟練の大工でなければ再建は難しいだろう。


 領主であるヴァルトが一度大工とともに現地を視察し、今後の方針を検討することになった。

 少なくとも数日間は村に滞在する見込みだ。


 そのため、フェルシェルの町を留守にする間の備えとして、騎士の派遣をずっと王都に要請していた。

 ようやく、今夜には騎士二名が到着するとの報が届いた。


「今晩、騎士が二人来る予定だ。イザベラ、彼らの世話を頼む」


 騎士たちは領主邸に数日滞在する予定だ。ヴァルトは食事や寝床など、日常の世話をイザベラに一任した。


「かしこまりました」


「よろしく頼む。――それから、リヴィアのことも任せる」


 リヴィアは流刑の身だ。逃亡の兆しがあれば、ヴァルトは領主として捕縛と処罰を行わなければならない立場にある。


 これまでリヴィアは逃げるそぶりすら見せたことはなかったが、ヴァルトの不在を狙って逃走する可能性がゼロではない。


 そんな心配を、イザベラはお見通しだった。


「心配いりませんよ。あの子に、逃げ出すような度胸はありません」


 ――それに、とイザベラは言葉を継ぐ。


「リヴィアの生活能力なんて、せいぜい幼子程度のもんです。逃げたって即飢え死にさ。あの子は賢くはないけど、馬鹿でもない。そこは理解してますよ」


 さすがはイザベラと言うべきか。リヴィアの性格を見抜いた上での言葉は、実に的を射ていた。説得力が違う。


 そこへ、ちょうどリヴィアがやって来た。


「領主様、もうお出かけですか?」


 掃除をしていたのだろう。頭にかぶっていた頭巾を外し、リヴィアは胸元のエプロンをぱたぱたと払った。


「いってらっしゃいませ」


 今やすっかり使用人らしい所作が板についている。そんなリヴィアの姿を見ていると、先ほどまでの心配が少々馬鹿らしくさえ思えてくる。


「……行ってくる」


 腰に剣を下げ、外套を羽織ったヴァルトは馬の背にまたがると、そのまま町を後にした。


 *


 ――その晩は、満月だった。


 月明かりが夜道を淡く照らし、あたりには虫の声が細やかに響いている。


 秋の気配が深まり、夜風はすでに肌寒い。



「……いらっしゃいませんね」


 リヴィアがぽつりと呟いた。


 本来なら今夜到着するはずの騎士たちの姿は、どれだけ待っても見えてこなかった。


「仕方ないさ、遠い道のりだからね。少しぐらいの遅れは、つきものさ」


 冷めきった二人分の食事を片付けながら、イザベラが落ち着いた声で言う。


「あたしはもう少し待ってみるよ。あんたは片付けを終えたら戸締まりして、先に休むんだよ。騎士様方がいらっしゃったら、明日から忙しくなるからね」


「……はい、わかりました」


 言われた通り、リヴィアは静かに食器を洗い終えると、蝋燭の灯りを手に屋敷を一巡りした。扉と窓をひとつずつ確かめて、しっかりと鍵をかけていく。


 その後、寝間着に着替え、髪を整え、枕元の灯りをふうと吹き消した。


 薄暗がりの中、リヴィアはふと小さく息を吐く。


 すっかりこの屋敷での暮らしに馴染みはじめていることに、思わず笑みがこぼれた。


 穏やかな静寂の中、リヴィアはそのまままどろみに沈んでいった。


 *


「リヴィア! 起きな!」


 微睡の中にいたリヴィアは、身体を揺さぶられる感覚と、イザベラの切迫した声で目を覚ました。


 見れば、イザベラは片手にランタンを掲げ、もう一方の手でリヴィアの肩を強く揺すっている。その顔には、これまで見たことのないほどの焦りが浮かんでいた。


「イザベラさん……? 何が――」


「何が、じゃないよ! 賊だよ、賊! 町が襲われてる!」


 その言葉に、リヴィアの眠気は一瞬で吹き飛んだ。


 慌てて寝台から飛び起き、窓を開けると、町のあちこちで灯りが揺れているのが見えた。たいまつの炎、怒号、騒ぎ――明らかに異常な光景だった。


「早く逃げるよ! 着替えなんかいい、すぐに!」


「はい!」


 リヴィアはすぐに羽織を掴み、イザベラと共に玄関へ駆け出す。


 だが、玄関先から――。


 「ドン! ドンッ!」と、扉を荒々しく叩きつける音が響いた。すぐに、木が軋み、割れるような音。扉が持たないのは明白だった。


「裏口から逃げましょう!」


 リヴィアはイザベラの手を取り、踵を返して廊下を駆け出した。


 そのとき――。


 「バァン!」


 乾いた破壊音と共に玄関が破られ、二人の男が中へと踏み込んできた。


「なんだぁ、女しかいねぇのか。こりゃ好都合だな。しっかし、領主の屋敷なら、もっと若くて美人がうじゃうじゃいると思ったのによぉ」


 片方の男が下品な笑みを浮かべ、こちらににじり寄ってくる。もう一人も、ニヤニヤと舌なめずりしながら肩に担いだ棒を振り上げた。


「イザベラさん、逃げますよ!」


 リヴィアは脇目もふらず、イザベラの手を強く引いた。


 背後からは、まるで獲物を追う狩人のように、男たちの足音が迫ってくる。

 かつて反乱軍から逃げ惑ったときの恐怖には、まだ“何をされるか”の想像がついた。

 だが今、目の前にいるのは――出会ったこともないような、下劣で下品な賊ども。

 何をされるか、まったく見当もつかない。だからこそ、足がすくみ、背筋が凍る。


「……あっ!」


 イザベラが足をもつれさせて倒れ込んだ。


「イザベラさん! 早く立って!」


 リヴィアは必死に抱き起こそうとしたが、イザベラは首を振った。


「リヴィア……あたしはもう駄目だ。足をくじいちまった。――あんただけでも、早く逃げるんだよ」


「嫌です! 一緒に逃げるって、決めたんです!」


 リヴィアは再び手を伸ばし、必死にイザベラを引き起こそうとする。


 だが、非力な彼女の腕では、どうにもならなかった。


「すっ転びやがって」


 男の一人がリヴィアの腕をねじり上げ、下卑た笑いをこぼす。

 もう一人はイザベラの髪を乱暴につかみ、容赦なく引き起こした。


 ふたりの口から悲鳴があがるが、男たちは意に介すこともなく、屋敷の外へと引きずり出した。


「お頭はなんて言ってた?」


「町の広場に全員集めろってさ。戦利品の品定めだとよ」


「ちっ、くだらねぇ」


 震えるイザベラの手をそっと握りしめ、リヴィアは無言で男たちに従い、町の広場へと歩みを進めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る