第15話 盗賊

 町の広場は、まるで地獄絵図だった。

 男たちの中には怪我人も多く、あちこちからうめき声が聞こえる。女たちのすすり泣きや嗚咽が混ざり、空気は重苦しく淀んでいた。


 本来ならば、この広場は炊き出しが行われ、話好きなご婦人方が笑い合う憩いの場だ。それを賊たちは、まるで自分たちの祝賀会であるかのように奪った酒を飲み、収穫されたばかりの食糧を貪っている。

 その光景は、見ているだけで吐き気がした。


「おい、これで全員か?」


 賊の頭目らしき男が、怒声を張り上げた。

 その男は、他の下劣な男たちの中でも群を抜いて不気味だった。血走ったギョロついた目に、黄ばんだ歯を覗かせた気味の悪い笑み――まさに、悪夢のような存在だ。


「領主の屋敷にいた女も連れてきやした。これで全員ですぜ」


「間違いねぇな? 領主に連絡なんぞされたら厄介だからなぁ」


 その言葉で、リヴィアは悟った。

 賊は偶然この夜に来たわけではない。ヴァルトの不在を知った上で、計画的にこの夜を狙ってきたのだ。

 橋の崩落や代わりの騎士が到着しなかった件も、もしかすると……。


 ――信じられないが、計画的な犯行。賊の分際でそこまで頭が回るとは思い難いが、可能性はある。


「よし、お前ら! 男と老人は片っ端から始末しろ。

 女はアジトに連れて帰って、“働いて”もらう。

 子どもは売り物だ。傷をつけるんじゃねえぞ」


 最低最悪の命令が、平然と下された。

 人々の間に悲鳴と叫び声が広がる。


 一人の若い女性の腕を、頭目が無造作に掴み、無理やり引きずっていった。


「お前は俺の女にしてやる。感謝しろよ」


 下卑た笑いを響かせるその男に、女性は泣き叫び、必死に抵抗していた。


 ――もう限界だった。


 リヴィアは立ち上がり、人々をかき分けて前へ進もうとした。


「どこへ行く気だい!?」


 イザベラがその腕を掴んで、慌てて制止する。


「離してください、イザベラさん。……あの男のところへ行きます」


「駄目だ! 殺されちまうよ!」


 リヴィアはふわりと微笑んで、イザベラの手を優しくほどいた。


「そうかもしれません。でも、これは私がやらなきゃいけないことなんです」


 そう言って、リヴィアはイザベラを残し、人々の前へと踏み出していった。


 (あんたまで……あんたまで、行かないでおくれ!)


 その背に、イザベラは――かつて失った息子の姿を重ねた。


 ――逃げるだって? 俺は医者なんだ。母さん、傷ついてる人を放っておけないよ。


 ――これは俺がすべきことなんだ!


 そう言って駆け出していった息子は、二度と帰ってこなかった。



「その薄汚い手を、お放しなさい」


 頭目の前に、女が一人進み出た。質素な夜着をまとい、結い上げた髪はところどころほつれている。足元には、くたびれた革靴。

 一見すれば、どこにでもいる平民の女だった。だが、不思議なことに――粗末な装いの下からにじみ出る、気品、優雅さ、そしてどこか傲慢な物腰。

 賊たちはもちろん、周囲の領民たちまでも、その女から目を離せなかった。


「その手を離せと、わたくしは命じたのですけれど? 聞こえませんでしたか?」


 いつもは伏し目がちな瞳が、今は真っ直ぐに相手を見据えている。背筋は凛として、声はまるで高貴な貴婦人そのもの。


「……誰だ、お前は」


「まあ、このわたくしを知らないとは、なんと無礼な下郎でしょう!」


 リヴィアは高らかに笑い声を響かせた。


「お前のような者が、このわたくしに拝謁する栄誉を得たことを、光栄に思いなさいな」


 そして胸を張り、堂々と名乗りをあげる。


「わたくしは――リヴィア・ミレイユ・エルセリオ。カリクスト二世の息女にして、第二王女リヴィアとは、このわたくしのことですわ」


 ざわめきが起こる。

 傍らにいたアンヌは天を仰ぎながら、「……嘘だろう」と呟いた。


「嘘つけ! 王女がこんな場所にいるわけねぇだろ! だいたい、セレスティア王女以外の王族は処刑されたはずだ!」


 ――処刑されたことになっていたのか。リヴィアは初めてそれを知った。

 だが、今さら引き下がるわけにはいかない。この芝居は、領民たちの命を賭けた一世一代の大博打だ。


「その我が姉セレスティアは、わたくしを殊のほか愛しておりましてよ。密かにこの地に逃がし、援助してくれていたのですわ」


 もちろん、まったくの作り話である。

 セレスティアは正妃腹の王女、リヴィアは妾腹。王女の称号を得たのも、父王の気まぐれに過ぎなかった。

 姉妹としての交流などほとんどなく、言葉を交わした記憶すら曖昧だ。


「証拠にもならねぇ! 王女を騙る偽者かもしれねぇだろ!」


 リヴィアは一歩前に出て、布切れを取り出した。


「これは……ハンカチか?」


 それはリヴィアにとって、唯一無二の宝物。

 幸福な記憶の名残であり、幻の恋を偲ぶように、いつも肌身離さず持ち歩いていた。


「これは、姉セレスティアから贈られたハンカチです。ご覧なさい、この刺繍。セレスティアの『S』とリヴィアの『R』が並び、そして忘れな草――“私を忘れないで”という意味を込めておりますの。刺繍糸は金糸、布は上質な麻。この辺境でこれを持てる者が、果たして他にいるかしら?」


 偶然にも、セレスティアとシリウスの頭文字が同じだったことから、とっさに思いついた作り話だった。だが、それは思いのほか強い説得力を持ったようだった。

 リヴィアは思い出していた――クーデターの際、ヴァルトに捕らえられたときも、彼はリヴィアの絹のドレスを見て、嘘を見抜いた。ならば今度は、服ではなく言葉と芝居で信じ込ませる。


「……その、リヴィア王女サマが……俺たちなんかに、なにかご用で?」


 驚きから我に返った頭目は、様子を伺うように問いかけてくる。


 リヴィアは、男が掴んでいる女性を一瞥すると、鼻で笑った。


「そんな鶏がらみたいな女をさらって、どうするつもり? もっと価値のあるものが目の前にあるっていうのに――気づかないほど、お前は愚か者なのかしら?」


「……は? 価値のあるものって、何のことだ」


 ――掛かった!


 リヴィアは内心でほくそ笑む。あとは自分の演技次第で、この賊どもを釣り上げることができる。


「さすがは下郎ね。想像力が欠如しているわ。目の前にいるのは、正真正銘この国の王女。わたくしを人質にすれば、姉セレスティアは山ほどの金銀財宝を支払うでしょうね」


 リヴィアは、例のハンカチをひらひらと振りながら、余裕たっぷりに笑った。


「女や子どもを引き連れて逃げるですって? その間に、わたくしを守るよう命じられた見張りが軍勢を引き連れて、あなたたちを一網打尽にするわよ。なにせ、わたくしはセレスティアがこよなく愛する妹なのですもの」


 もちろん、すべて嘘だ。リヴィアに見張りなどついていない。厳密には、ヴァルトがリヴィアを監視している立場にあるが、彼は今ここにはいない。


 すべて、ただのハッタリ――でも、それを信じさせることができれば勝ちだ。


「わたくしを連れて、ただちにここを離れなさい。さもないと……」


「わかった! おい! お前ら、逃げるぞ!!」


 頭目は女性の腕を乱暴に放り出し、今度はリヴィアに手を伸ばした――。


 その手を、リヴィアは即座に払いのけた。


「わたくしに触れるな、この下郎が! わたくしは逃げも隠れもいたしません。貴方たちのアジトとやらへ、連れて行くがいいわ!」


 頭目とリヴィアの視線が激しくぶつかり合う。

 相手はならず者の頭目だ。気まぐれでリヴィアを殺すことなど、造作もないだろう。

 だが、リヴィアは怯える心を奥底に押し込み、傲慢な王女の仮面を被り続けた。命をかけた虚勢だった。


 先に視線を逸らしたのは、頭目のほうだった。


「……チッ。いい度胸してやがる」


 舌打ちしながら、頭目は部下のひとりに命じた。


「馬を一頭、寄越せ!」


 若い賊が近くの木に繋いであった馬の手綱をほどいてくる。

 どうやら彼らは、襲撃後の運搬用として何頭かの馬を用意していたらしい。


 リヴィアは頭を高く掲げたまま、賊たちの目の前をゆっくりと歩いていく。

 誰もが目を見張っていた。夜着に乱れた髪、履き潰された靴――それでも、彼女の姿はなぜか堂々としていた。


「乗れ」


 馬の横に立った頭目が短く言う。


「補助もないの? さすが下郎ね。お姫様に乗れとは、どういう礼儀なのかしら」


 軽口を叩きつつも、リヴィアは自分の足で鐙に爪先を掛け、ぎこちなく馬に跨がった。動揺を悟られないように、背筋を伸ばすのに必死だった。


 背後では、解放された女性が呆然とリヴィアを見つめていた。

 何が起きているのか理解できていないようだったが、自分が助けられたことだけはわかったらしい。


 ――よかった。


 リヴィアは内心で小さく安堵する。賊たちは見事に、彼女の大嘘を信じ込んでくれた。

 あとはヴァルトや騎士たちが、残された領民たちを守ってくれると信じるしかない。


 もちろん、セレスティアが自分のために金銀財宝など差し出すはずもない。

 やがて賊たちは、リヴィアの言葉がすべて虚構だったことに気づくだろう。

 そのとき、自分の命がどうなるか――考えるまでもない。


 恐怖で喉が張り裂けそうだった。叫び出したい気持ちを、奥歯を噛みしめて押し殺す。


 せっかく演じきった芝居を、今さら自ら壊すわけにはいかない。


 リヴィアは覚悟を決めた。

 たとえこの身がどうなろうとも――最期の瞬間まで、王女として堂々と散ってみせる。

 そう決意した、まさにそのときだった。


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