第5話 種をまく者たち

 二人して医務室を出ると、要が改めて団のほうを振り返った。

「まだホワイトの内部、ちゃんと見てないよね? 案内してあげるよ!」

「えっ、いいんですか?」

「もちろん!」

 団はありがたくその申し出を受け入れた。基地はかなり広く、一人で見て回るには迷子になる自信があったからだ。

 二人は再び、冷たい空気の漂う地下廊下を進む。要は慣れた足取りで曲がりくねった通路を進み、団はその後を追った。歩きながら、要がふと口を開く。

「ホワイトが元々、異能の研究機関だったのは知ってる?」

「はい! 各国に研究施設が建てられて、異能とアストラルギーの研究が進められてたって習いました」

 団が頷くと、要は嬉しそうに言葉を継いだ。

「そうそう! でも、異能を悪用する人が増えたことで、だんだん今の組織体系に変わっていった感じかな。もちろん、今でも研究開発局はホワイトの心臓部なんだけどね」

 要はそう言って足を止め、笑顔で団を振り返った。二人の前には、他の区画とは違った雰囲気を放つ、重厚な二重扉が構えている。厳重なセキュリティが設けられていることが一目で分かった。

 要が認証パネルにIDカードをかざす。

「さあ、ここがホワイトの頭脳。アストラルギー研究・技術開発局だよ!」

 認証が通ると、扉は重々しい音を立ててゆっくりと開いていく。団は要に促されるまま、その中へと足を踏み入れた。むわっとした熱気に包まれる。無数のモニターが光り、奇妙な形の機械が所狭しと並び、あちこちで装置が唸り声をあげて稼働している。

 白衣の研究者たちが慌ただしく動き回り、薬品やオイルの匂いが充満する室内は、まさに化学と技術が渦巻くカオスそのものだった。

「お〜やおやおやおやぁ!? まさかまさか、新人さんじゃありませんかぁ〜?」

 機械音に混じって、やけにテンションの高い声が響いた。現れたのは、どこか狸を思わせる風貌の男だった。目の下には深い隈が広がり、白衣の裾からはふさふさの尻尾が覗いている。

 ……狸だ。狸がいる。どう見ても、変化の途中で止まったような男だった。そんな男に、要が手を振る。

「狸さん! お疲れ様でーす!」

 やっぱり狸だ! と団は目を見開いた。

「団くん、紹介するね。この人は狸さん。異界出身なんだ」

 そう聞いて、団は改めて目の前の狸をまじまじと見つめた。異界出身者自体は珍しくはないが、この顔色はさすがに心配になる。一体何日寝ていないのだろうか。

 要が続けて団の紹介を行う。

「この子は真田団くん。数日前にホワイトに入隊した新人くんです」

「真田くんだね、よぉうこそ、ホワイトへ。ここは素晴らしい発明を生み出す最前線であり、世界中の知識と技術が集う、魂燃える労働の場なのだよ! むっふふ、働くって、楽しいんだよぉお!」

 興奮したようにまくしたてる狸の目には、狂気じみた労働意欲だけが宿っていた。

「だ、大丈夫なんですか、この人……」

 思わず団が要に小声で問うと、要は肩をすくめて苦笑する。

「あはは……狸さんは研究に没頭しすぎて、ちょっと頭のネジが緩んでるっていうか……まぁ、ホワイトって常に人手不足だから、残業も仕方ないっていうか……」

 濁しているようで濁せていない言い方だった。団も苦笑する。

「あ、でも狸さんの異能、すごいんだよ! 『ぽんぽこぽん』って唱えると、物質の見た目を変えられる異能なんだけどね、それを利用して内部構造を可視化できるから、ここでは重宝されてるんだ」

「……ぽんぽこぽん……」

 聞けば聞くほど狸である。そんな狸が、ぽん、と手を叩いた。

「そうだ、真田くん! ちょうどいいから、これを試して感想聞かせてくれないかね?」

 勢いに押されて団の手に渡されたのは、金属製の手錠のような装置だった。だが、ただの手錠とは違い、複雑な構造をしていて、どこか物々しい雰囲気をまとっている。

「これは今、試験運用中の対異能者用拘束具なんだ。これがまたなかなかの出来でね! 異能自体を鎮静化させる効果があるのさ」

 そう言うと狸は再びガシャガシャと機械をいじり始め、説明を打ち切ってしまった。

 団は手元の拘束具を見下ろし、何とも言えない気持ちになる。そんな団に、要はくす、と笑う。

「貰っときなよ。狸さんの試作品ってことはたぶん仕掛けとかもすごいと思うし、役立つと思うよ」

 そう促され、団はこくりと頷いた。



 研究室をあとにし、再び廊下を歩きながら、要が軽く指を折って数えた。

「あとは……異能管理局に、広報・渉外局、あと俺のいる情報局くらいかな」

「そんなに色々あるんですね」

 団が感心すると、要は「まあね」とどこか得意げに笑う。

「さて、次はどこ行ってみたい?」

「えーと、じゃあ――」

 団が口を開きかけたその瞬間、ピリリ、と鋭い電子音が響いた。

「団くん、通信。鳴ってるよ」

「え? あ、わっ……!」

 団は慌てて隊服のポケットから端末を取り出す。液晶には『犬飼 武蔵』の文字。

「これ……どこ押すんだろ」

「この青いやつ。ほら、ここ」

 要が代わりにボタンを押すと、端末からホログラムが浮かび上がった。映し出された犬飼は、厳しい顔をしている。

「団、すまないが至急、報告室まで来てくれ――ん? 要か。ならちょうどいい、団を案内してやってくれ』

「了解です」

 ホログラムの中の犬飼は短く頷くと、すっと映像が消えた。

「……え、なんか、怒られるのかな」

 不安げに呟く団に、要は首を傾げる。

「怒られるようなことしたの?」

「うーん、怪我しちゃったし……」

 左腕をそっと押さえる団に、要はからりと笑った。

「それくらいで怒るような人じゃないよ、犬飼さんは。たぶん、藤崎の件で報告か確認があるんだと思う。特局って、犯人捕まえた後の対応がまた忙しいんだよね。警察とやり取りしたり、後処理とかもあるし」

「へえ……そうなんですね」

 二人は早足になりながら、基地の廊下を抜けた。



 報告室に入ると、背筋を伸ばして立つ犬飼が待っていた。

 扉の前で要が軽く手を振り、「じゃ、頑張ってね」と言って立ち去る。重い扉が閉じる音だけが、やけに大きく響いた。

 団は一瞬だけ逡巡し、腹を括って犬飼の前まで歩み寄る。

「……失礼します」

 犬飼はまず、団の左腕へ視線を向けると、「怪我は大丈夫か?」と労う。

「あ、はい。紗月さんに診てもらいました」

 団がそう答えると、犬飼は小さく頷いた。

「そうか。なら安心だ」

 その声音に、団の肩の力がわずかに抜ける。だが、次に向けられた問いに、表情をきゅっと引き締めた。

「……で、藤崎の件だが。現場での言動に、気になる点はなかったか?」

「ありました。いくつか、変なことを口にしていました」

 犬飼の目が静かに細められる。団は言葉を選びながら、慎重に続けた。

「“あの人に願いを叶えてもらう”とか、“選ばれる”とか……。山垣と似たようなことを言ってました。あと、“舟に乗る”って……」

 犬飼は無言で腕を組み直す。

「……“舟”か。初めて聞いたな」

 ぽつりと眉根を寄せながら犬飼が呟いた。

「なにかの比喩か……? 団、なにか心当たりは?」

 団はふるふると首を振った。

「そうか……ひとまず報告ありがとう。しばらくは養生してくれ」

「はい。わかりました」

 そのまま団は部屋を出る。しんと静まり返った廊下に、団の足音だけが小さく響いた。

 団は、そっと自分の左腕に目を落とす。痛みは引いてきていたが、あの焼けるような感覚と血の匂いは、今もなお感覚に残っている。団は小さく息を吐き、また歩き出す。

 あの人に願いを叶えてもらう。山垣も藤崎も、同じことを言っていた。それも酷く執着していたように見えた。

 ――まだまだ知らないことだらけだ。だからこそ自分に出来ることを。

 団は、ゆっくり廊下を進んだ。



 窓の外では、灰色の雲がちぎれ、薄く光の筋が差す。男は、ワインレッドの革張りロッキングチェアに静かに腰を下ろしていた。

 サイドテーブルに手を伸ばし、湯気の立つカップを手に取る。丁寧に挽かれドリップされたパナマ・ゲイシャ。

 揺れる液面に、薄く男の顔が映る。黒い髪をオールバックに整え、刻まれた皺ひとつひとつに知性と色気が漂う、四十がらみの男だ。顔立ちは精巧で彫りも深く、その佇まいは静かな威圧感を放っている。

 男は口角をゆるめ、ひと口味わった。

「……藤崎くんと山垣くん、捕まったんだってねぇ」

 部屋の隅に問いかける。その先には、白衣の男が、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を隠しもせずに突っ立っていた。深い緑に染まった長い髪をひとつに束ね、丸メガネをかけているが、涙の湿気で曇ってさえいる。

「……す、すみません……ちゃんと、育てていた、つもりだったんですが……」

 しゃくりあげながら謝罪する。

「いやいや、責めてなんかいないよ。むしろ感謝してるくらいさ。君はきちんと種を撒いて、芽が出た。ただ、花が咲くまえに枯れてしまっただけさ」

 男はくつろいだ仕草で足を組み替え、コーヒーのカップをくるりと回す。

「――“舟”に乗るには向いていなかった、それだけのことさ」

 ふう、とため息のように息を吐くと、カップをソーサーに戻す。

 それからゆるりと目を細め、穏やかな声で問いかけた。

「……ねえ、ペグリッフくん。まだ種は残ってるんだろう?」

 ビクリと肩を揺らし、ペグリッフと呼ばれた白衣の男は、うつむいたまま答える。

「……は、はい。一人……まだ子どもですが……いつでも」

 男はそれを聞いて静かにカップを置く。

「そうか、じゃあ――」

 腹の上で両手を組み、瞳を閉じた。

「またよろしくね。全ては方舟の日のために」

「―――はい、禍様……」

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