第4話 初任務と初邂逅

 ホワイトの制服に袖を通した団は、タブレットを手に慣れない手つきで操作していた。

 万年貧乏人の団にとって、支給された備品の数々はどれも立派すぎていまだ馴染めない。だが、胸の高鳴りは止められない。団にとって今日は、ホワイトでの初任務の日だ。

 タブレットには、今回のターゲットである異能犯罪者――『藤崎』のデータが映し出されている。

 彼の異能は、血液を刃物のように固化させ、それを自在に操るというものだった。だが厄介なのは、その能力だけではない。

「厄介だよなー、この藤崎の異能……っていうか、手口?」

 団は、数メートル離れた壁にもたれかかっている右京に向かって、熱心にタブレットの情報を読み上げた。

「自分の血液を相手に強制的に注入するってのがヤバい。拒絶反応を起こして、激しい痛みとか倦怠感、最悪の場合は死に至る可能性もあるって。……毎回、追い詰めたヤツらを嘲笑うように逃げてるらしい。幸いまだ死者が出てないのが、唯一の救いってとこかな」

 右京は一切反応を示さない。壁にもたれたまま視線も向けず、欠伸すら隠そうとしない。

(――この二人、本当に大丈夫だろうか)

 少し離れて様子を見ていた犬飼は、早くも胃がキリキリと痛み出すのを感じていた。

 右京は根本的に他者という存在に興味がない。団の潜在能力を評価しているのは事実だが、それは人間性に関心があるということとは別だ。

 ヘルマンが期待するような「良いバディ」には、どうにも程遠い。

 とはいえ、団自身は右京の無関心な反応をさほど気にしていないようで、タブレットの操作に戻った。

 ――そのとき、ピコン、と通知音が鳴った直後、けたたましいサイレンが響きわたる。

『緊急連絡、緊急連絡――全隊員は直ちに状況を確認してください。和睦商店街にて、逃走中の異能犯罪者である藤崎を確認。繰り返す、和睦商店街にて……』

「……行ってきます!」

 すでに右京の姿はない。団は律儀に犬飼へ一礼すると、駆けるように現場へと向かった。



 和睦商店街は、昼間の賑わいが嘘のように消え失せていた。人々はパニックに陥り、店のシャッターや路地裏に身を隠している。

 血の、鉄錆びたような匂いが、団の鼻を突いた。

 商店街の中央、アーケードの真下――男が一人、怯える女性の首に腕を回し、もう片方の手から歪な血の刃を突き出している。藤崎だ。

 団と右京の隊服姿を見て、藤崎の顔が明確に強ばる。

「お、お前ら、ホワイトだな!? こっ、これ以上近づけば、この女を殺すッ!」

「ヒイ……ッ」

  藤崎の恫喝に、女性は恐怖で顔を青ざめさせ涙を浮かべていた。団は悔しげに奥歯を噛みしめる。

 人質がいる。犯罪の中でも最も厄介な状況の一つだ。

 藤崎の異能は遠距離でも十分に危険だ。対する団は、基本的に身体一つでの接近戦が前提。懐に飛び込むにはタイミングが要るが、この状況では無理がある。

 決定的な隙が必要だった。

「……おっさん、人質を離せ!」

 団は声を張りあげ、藤崎の注意を自分に向けようとする。藤崎はギラついた目で団を見つめた。

「いいや、いいや、ぜってぇ逃げ切る……オレには……約束があるんだよ……“あの人”が言ったんだ。“願いを叶えてやる”ってな……!」

 その声には、どこか陶酔すら感じさせる狂気が滲んでいる。

(あの人……?)

 団が訝しんだその時、視界の端で右京がわずかに指先を動かしたのが見えた。本当に一瞬の、見落とせば終わるような仕草だ。

 藤崎が団を威嚇しながら、人質ごと後退しようとした、その瞬間。

「ぐっ……!?」

 藤崎の足がつんのめる。何かに引っかかったようにバランスを崩し、腕にかけていた女性がふっと自由になる。

「きゃあっ!」

 女性はその隙に、するりと藤崎の腕を抜け出して駆け出した。

「くそッ、くそお、逃がすか!」

 藤崎が体勢を立て直し、血の刃を振りかざそうとした瞬間、右京の手がすでに彼女の肩を掴んでいた。

「あ、ありがとうございますっ!」

 女性は感謝を口にしたが、右京は顔を見ようともしない。

「邪魔だよ」

 それだけ言って、女性を安全な場所へと押しやると踵を返し、再び団の隣に戻った。

 視線の先――藤崎の怒りは臨界点に達していた。

「クソ、クソがァアアッ!」

 人質という盾を失った藤崎に対し、団はすぐに突撃を開始。血の刃をかわしつつ障害物を利用して懐に飛び込む。

 藤崎もまた、靴を乱暴に脱ぎ捨て、自身の肉体を傷つけながら血の刃を生成し、狂ったように斬撃を繰り出してくる。

 激しい攻防の末、藤崎がわずかにふらついた。血液の過剰消費による貧血か――団はその隙を突こうとしたが、相手が壁の陰に滑り込んだため、追撃をためらった。

 そのとき、右京が囁くように言った。

「ねえ君、恩着せがましく言うつもりもないけど……本当に偶然、あんないいタイミングで風が吹いたと思ってるの? ソイツが転んだことも、ただ“ツイてる”とでも?」

「風……?」

 脳裏に浮かぶ、廃工場街の出来事。あの時も、不自然なまでに都合のいい“風”が吹いた気がした。

 そして今、藤崎の脱ぎ捨てた靴。よく見ると、靴底に薄く霜が張っている。

 全部、右京が……?

 その一瞬、思考が逸れた団の隙を、藤崎は見逃さなかった。

「死ねえええっ!!」

 物陰から飛び出した血の刃が、団の左腕を深々と貫いた。

「ぐっ……あぁっ……!」

 焼けるような痛み。熱い異物を注入された不快感、拒絶反応のような吐き気と倦怠感が全身を襲う。

 視界が揺れ、膝が沈む。

「オレは……あの人に“選ばれる”んだ……舟に、舟に乗る……!」

 藤崎は不気味に笑いながらぶつぶつと呟いた。

 そのときだった。右京が、おもむろに右手を掲げた。その指先から放たれた冷気が、微かな光を帯びた氷のつぶてとなり空気を震わせる。

「――終わりだよ」

 ぱきぱきと音を立てて拡がる氷の粒子が、藤崎の全身と血の刃を瞬く間に包み込む。

 藤崎は、叫ぶ暇もなく凍結し、そのまま商店街の中心に氷像として立ち尽くした。

 団は、震える手で左腕を押さえながら、白く曇った息を吐いた。焼けるように熱い。全身の血液が逆流するような不快感に、脂汗が止まらない。

 霞む視界の端で、右京が通信機に触れているのが見えた。

「……対象の無力化は完了したよ。位置情報を送るから回収よろしく」

 淡々とした報告。右京は通信を切ると、団の方へ視線を向けることもなく踵を返した。

「あ……おい」

 団が声を絞り出す。だが右京は足を止めることなく、冷たい声だけが降ってきた。

「生きて帰るまでが任務だよ」

 それだけ言い捨て、振り返りもせず人混みの中へ消えていく。

 残された団は、遠ざかる右京の背中を見つめながら、震える脚に力を込めた。



 なんとかホワイト基地までたどり着いた団は、一般用の入口ではなく、事前に教えられていた職員用の通路へと向かう。慣れない認証機に手間取りつつ、地下へと続く無機質な廊下を進む。痛みは増すばかりで、全身の倦怠感がひどい。

 すれ違う隊員たちは皆、団の怪我を見てはいるようだが、誰も立ち止まって声をかける者はいない。彼らにとっては見慣れた光景だと言わんばかりの無関心さだった。

 団は朦朧としながら廊下を彷徨う。もう限界かもしれないと思った、その時だった。

「でえええ! 団くん!? その腕どうしたの!」

 明るく、しかし驚きと心配の色を多分に含んだ声が響いた。団が痛みに霞む視線を向けると、情報局の要が目を丸くして立ち尽くしていた。他の隊員とはまるで違う、心底心配そうな表情だ。

「時親さん…………」

 団が名を呼んだ瞬間、緊張の糸が切れたように全身の力が抜けた。要は慌てて団の体に駆け寄り、肩を支える。

「ちょ、しっかり! 大丈夫!?」

 要は団の腕を丁寧に確認し、その顔色を見てすぐに事態の深刻さを悟ったようだ。

「すぐ医務室行こう! 動ける?」

 その言葉に、団の胸にようやく温かいものが満ちる。団は要の温かい手に支えられながら、朦朧とする意識の中で、ようやく人心地ついたような安堵と共に感謝を伝えた。

「……すみません、ありがとうございます」

「いいからいいから! 大丈夫だよ、すぐそこだからね。一人でここまで来たの? 無茶するなあ、もう」

 要の明るく、弾むような声が、じんわりと心に染みる。医務室の方向へ、団は意識を失いそうになりながらも足を進めた。



 冷たい空気の地下廊下を少し進んだ突き当りに、『Medical Hub』とシンプルなプレートを掲げた扉が見える。

 要が軽くノックしながら、扉を開いた。

「紗月さーん、いる?」

 部屋の中は、外の無機質な廊下とは対照的に、落ち着いた清潔感に満ちていた。

 白い壁、整然と並べられた書類や機器、消毒液の匂い。カーテンの向こうはベッドが並んでいることが安易に想像つき、学校の保健室を思い出した団は少し安心感を覚えた。

「要? 珍しいな、お前が来るなんて……」

 その奥から、一人の女性が顔を覗かせた。肩まで伸びた薄い茶髪をひとつに束ね、白衣を身にまとった女性は、ひと目で医療関係者だとわかる位で立ちだ。

「俺じゃなくて、この子。団くんが怪我しちゃってるんだよ」

「……団……あぁ、例の新人か」

 女性は団の腕に目をやり、すぐに事情を察したように椅子を指し示す。

「団くん、この人はかずら 紗月さつきさん。うちの医療班のエース!」

「あ、えっと、団です。お願いします」

 紗月は短くそれに応えると、静かに団の傍に近づき、要の支えでようやく椅子に腰を下ろした団の腕を確認する。

「あー、酷いな……」

 紗月は団の顔色と、力なく垂れ下がった左腕を見るなり、すぐに判断を下した。

「紗月さん、お願いしますね! 僕はちょっと報告だけ済ませてきます!」

 時親は団に「あ、手当終わっても待っててね」と言い残し、医務室から出て行く。

 紗月は、棚から救急箱を取り出すと、テキパキと手当の準備を始めた。傷口周辺の服を丁寧に払い除け、消毒液を含ませたガーゼで腕の傷口を拭う。

 ひんやりとした感触の後、じん、と傷口に染み込む痛みを感じた。団は思わず息を呑む。

 紗月はそんな団の様子に気付くと、少し顔をあげて談話見た。

「痛むか?」

「うー、はい、結構……」

「そうか、でもこればかりは仕方ない……で、これはどんな異能にやられた?」

「あ、えっと……藤崎っていう異能犯罪者で……」

「あぁ、血液操作の……なるほど」

 彼女はそう言いながら、団の左腕にそっと手をかざす。その途端、ほわりと温かい光が紗月の掌から放たれる。白くて淡い光が、やがて団の左腕を包み込むにつれて、ズキズキとした、内側から何かが這いずるような痛みが団を襲った。

 団は思わず歯を食いしばり「ぐう」とくぐもった唸り声をあげる。

「すまんが我慢してくれ。――まずは、異能による副作用を取り除かなければ」

 焼けるような不快感、体のだるさ、込み上げる吐き気。その光に触れている箇所から、それらが吸い出されていくような、あるいは溶けていくような感覚が走る。

「うッ……」

 反射的に腕を引っ込めようとして、紗月に睨まれる。

「暴れるなよ。藤崎の血液に溶けたアストラルギーが、お前の体内で私の治癒の力と反発しているんだ」

「……はい」

 ほどなくして、激しく裂けた傷口が細い糸が伸びて紡がれるように、みるみるうちに塞がっていくのが見えた。痛みの中でも、団はその驚異的な光景から目が離せなくなる。

 やがて光が収まると、傷口は完全に塞がり、血は止まっていた。赤く痕が残ってはいたが、痛みはずいぶん和らいでいる。

「よし、これで大丈夫。表面は閉じた」

 紗月は額に滲んだ汗をそっと拭い、団に安堵の微笑みを向けた。

「ひとまずこれで様子を見よう。これ以上悪化することはないが、内部はまだ回復途中だからね」

 紗月は団の腕を優しく撫でながら、念を押すように告げる。

「しばらくは安静にしてて」

 その言葉を聞きながら、団は改めて自分の腕を見つめた。ついさっきまで酷い痛みに苛まれていた左腕の傷。跡は残っているものの、完全に塞がっているのだ。

「凄い……」

 感嘆の声が漏れる。紗月は団の素直な反応に、少しだけ困ったように微笑んだ。

「治癒に特化したアストラルギーを、お前に流し込んだんだ。その力で組織の再生を一時的に活性化させて、強引に傷口を閉じたってわけさ」

 紗月は医療器具を手際よく片付けながら、団に語りかける。

「ところで君は、アストラルギーについてどれくらい知っている?」

「えっ、アストラルギーについて……ですか?」

 紗月の予期せぬ質問に、団は目を瞬かせた。正直なところ、授業で習うような一般的な知識しか持ち合わせていなかったのだ。

「えっと、異能を使うために必要なエネルギー……としか」

 団の正直な答えに、紗月はふむ、と頷いた。

「ああ、その通り。異能の発現にはアストラルギーが触媒として必要不可欠になる」

 紗月は器具を元の位置に戻しながら、背を向けたまま話を続ける。

「だが、アストラルギーはただの燃料という訳では無い。多様な性質を持つ、本当に不思議なエネルギーなんだ」

 そう前置きし、紗月は続ける。

「どうして発生したのか――その根源はまだ謎に包まれていて、ホワイトの研究開発局でも日々解明しようとしてるんだけどね。まあ、謎ばかりだけど」

 彼女はそこで少し間を置き、団に微笑みかけた。

「その発現の仕方は能力者によって、本当に千差万別でね。色んな可能性がある。私の異能も、アストラルギーの持つ『治癒』に特化したものを体内に溜め込んで、組織の再生を強制的に促すってわけ。とはいえ万能じゃないし、今回も表面を閉じただけだから、完治するまではあまり無理をするな」

 なるほど、と呟く団に、紗月はくすりと肩を竦めた。

 そのタイミングで、医務室の外から要の声が聞こえた。

「紗月さーん、団くん!」

 すぐに扉が開き、時親が笑顔で顔を覗かせる。

「紗月さん、手当ありがとうございます! 団くん、もう大丈夫そうかな?」

 団は頷く。まだ体のだるさは残るが、腕の激痛は消え、意識もはっきりとしていた。

「はい! ……紗月さんの異能、凄かったです!」

「はっはっは、紗月さんのは異能の中でも珍しい部類だからね!」

 要は満面の笑みだ。紗月は呆れたようにため息を着き、「ほら、もう終わったんだから出てった出てった」と背中を押しやられてしまった。

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