栞の沸騰する怒りは、どうやら抑えが効かなくなるらしい

──…………え?


 思考を回すその一瞬も待たず、地面に倒れ込んでいる自身の体。


 肌寒い夜のアスファルトに接地している右頬に冷たさを感じないのは、反対側が異常に熱を帯びているからだろう。


「ッ!……ウグッ」


 凛音の口から漏れ出るのは、言葉として形を成していない苦悶の声。強い衝撃に脳が揺らされた事によって、彼の頭は正常な動作を行えていない。


 まともに機能しない脳で、意味不明なこの状況を何とか把握しようとする凛音だったが、耳をつんざくような甲高い悲鳴と、遅れてやって来た左頬の強烈な痛みが、自身の置かれた現状を詳しく彼に教えてくれた。


「南君ッ!!」

「凛音さんっ!!!」


 痛みに悶える凛音をうれう、女性二人の叫び声。


 咄嗟とっさの出来事で身体が一瞬固まりながらも、すぐに倒れ伏している彼の元へと駆け寄ったルリア。


 栞も、彼女と同じように凛音の方に駆け出そうと体に力を込めたが、その願いは虚しく体格の良い男二人に抑えられ続けて、足の一歩も前に踏み出す事は出来なかった。


「凛音さん!?意識はありますか!?」

「……ッ、う、うん……大丈夫……」 


 自身の問い掛けに、辛そうながらも何とか言葉を返す凛音を見て、ルリアはひとまずはホッとして胸を撫で下ろす。


 そして、不安気な表情そのまま、彼の腕を自分の首元に上から掛けて、


「大丈夫……なはず、ありませんよね。立てますか?私が支えますので、一旦立ち上がりましょう」

「う、うん……」


 一般的な日本人の価値観ならば、殴られて悶えている相手をすぐに立ち上がらせることはしないだろう。理由は明白で、本人が辛そうだからと。


 しかし、ここ数十年は大きく括って平和と呼べるこの日本と違い、彼女は争いと命の駆け引きが常の世界で生を授かった。だからこそ、倒れている者の側でアタフタするのでは無く、何よりもまず立ち上がらせて、次なる危機へ備えられるよう行動の制限を無くすという行動を取ったのだ。


 ルリアの必死な協力に手を借りながら、フラフラと覚束ないながらも上体を起こした凛音。


「あ、ありがとう……ルリア……」

「いえ……脳の方に異常をきたしていなくて、ひとまずは安心しました……」


 男性一人の体重を支えながらも彼の不安を煽らないよう、ルリアは柔らかな笑みを浮かべてそう口にした。


 その優しい笑顔に中てられて、パニックになっていた胸中が少しだけ穏やかになったのを感じ取る凛音。心なしか、あれだけ激痛が走っていた左頬の痛みが、ほんのりと和らいだような気さえする。


 まるで砂漠に咲く一輪の花のように、彼等の織り成す空間だけは、こんな悲惨な現状だとしてもどこか仲睦まじい。


「…………チッ」


 しかし、そんな二人の様子に、面白く無さそうな表情を浮かべる不届き者も少なからずいる訳で。


 イラつきから大きい舌打ちを発した銀髪の男は、不機嫌なその顔付を隠すように無理矢理ニタニタと口端を上げて、


「彼氏クンさ、女に支えてもらって恥ずかしくねーの?ほら、俺は逃げも隠れもしないからさ、早くかかって来いって」


 目の前で睨み付けて来る凛音を貶すように嘲笑しながら、右手の平を天に向けて指をクイクイっと動かし、余裕な素振りで煽り立てるその男。


「……いいから。一条を離せ」


 しかし、当然そんな軽い挑発になど興味を示さない彼は、鋭い視線そのままゆっくりとそう口にする。


 すると、凛音の言葉を聞いた銀髪の男は、この場にそぐわない盛大な笑い声をあげて、ついには腹を抱え始めた。そのまま、踵を返しながら二人の取り巻きに向けて言葉を投げ掛ける。


「アハハハハッ!!コイツおもろ!!おまえら聞いた?ぶん殴られてやり返さない所か、ぶっさいくな顔面で女を返せだってよ!アハハハハッ!どう考えても返すわけねーじゃん!白馬のぶす王子かよ!」

「マジで頭湧いてんじゃね!?」 

「バカおもろいわ!もしかして芸人の卵とか!?俺等でプロデュースする!?」

「お、良いなそれ!まずはコイツ用のSNS作って、Shioちゃんのストーカーとして炎上商法させて知名度作ろうぜ!!」


 まるで王の顔色を窺う家来のように、リーダー格の銀髪男に合わせて汚らしい哄笑こうしょうを見せる金髪二人。


 何が面白いのか理解不能なその笑いに一区切りついた頃、物理的に強制で会話している男達の輪に入れられている──一切の言葉を発さない栞に視線を移して、銀髪の男は下卑たその口をもう一度開く。


「なぁShioちゃん、いい加減目を覚ませって?自分がこんな目に遭ってる時、口だけで何も出来ない彼氏とかマジでしょーもなくね?その点、俺ならShioちゃんの事危険に晒す奴とか全員ぶっ殺して守ってあげられるしさ?」

「…………」


 尚も、口を噤んで無視を決め込む彼女。


 その態度に、じゃっかん頬を引き攣らせる男だが、それでも一応は柔らかい声音を取り繕って、しぶとく口を動かし続ける。


「Shioちゃんはステ高い方の女の子なんだからさ、ツルむ相手は絶対考えた方が良いって」

「…………」

「あー、おっけぇ。沈黙は理解したって事だと思うから。んじゃ、ちょっと待ってて~。コイツサクッと半殺しにして、お気にの遊び場紹介したげるから~」

「…………あのさ」

「おっ!やっと喋ってくれた~。気付いた?そこでフラフラ立ってる自称彼氏クンが、実はクソダサい奴だったって!」


 何を勘違いしたのか、一人で盛り上がってそんな事を口にしている銀髪の男。


 栞は、そんな愚図を冷たい視線で一瞥いちべつすると、脳味噌が沸騰しそうな煮え渡る怒りそのまま、軽くスッと息を吸い込んで、


「お前の方がダサいから」

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