第3話. 皇帝

「まずは、ルクス伯爵。前へ出なさい。」


「は、はっ! 陛下!」


ビリッ。


震えながら進み出るルクスに、またもや殺気が注がれる。

さっきの濡れネズミどもだな。毛がまだ乾ききっていない。


「主君の前に、跪け。」


「はっ!」


かくして、式典は本格的に始まった。


──恥ずかしくて幼稚なセリフがそこら中に飛び交っている。

貴族たちは皇帝に取り入りに忙しく、その合間に何度も目を覆いたくなるような場面も見た。


……狂ってやがる。

下の峰からも丸見えだぞこれ。

肉眼じゃ難しいにしても、望遠鏡くらいあるだろ。

俺は視線を逸らして、周囲の観察に切り替えることにした。


イエティどもを超えて視線を向けると、意外にも静けさが広がっていた。

晴れ渡る陽光が庭園を照らし、蝶がふわふわと舞い、花の蜜に降り立って優雅に交わっている。


──大魔導師の成果だな。

寒さを遮る魔法の効果による景色だ。


「ルクス、祝福を。」


その張本人が、今まさに跪くルクスの頭に水をかけて祝福していた。

ルクスの毛並みが逆立っている。

恐らく感動と喜びで涙を流しているのだろう。哀れなやつだ。

それが絶望へと変わるのも、もう時間の問題だというのに。


「以上をもって、式を終える!」


「うおおおおおっ!!」


皇帝の演説が終わると同時に、歓声が四方から沸き起こった。

ようやく終わったか。

赤いイエティがこっそりと近づいてきた足を、俺は軽くかわした。

ずいぶん嫌われてるようだな。

──と、その時。向こうから別のイエティがこちらへと駆けてきた。


「カルマ様ぁっ!」


ルクスの毛はすでに赤く染まっていた。

“染色”が完了したようだ。

ちなみに染色は身分昇格のチャンスで、唯一貴族になれる手段だった。


「これから昼食ですか?」


「はいっ! 陛下がぜひカルマ様もご参加をと仰っておりました!!」


──よほど気に入られたらしい。

ルクスが喜びに満ちた声で俺を誘う。

俺は軽く頭を振って歩き出した。


その時だった。


「うわああああっ!!」


――ギャアアアアア!!


断末魔の叫びが響いた。

赤いイエティが、皇帝のホットパンツにすがりついていた。

その必死の表情が、彼の心情をすべて物語っている。


「陛下……わたくしを、お見捨てになるのですか?」


「聞き飽きたわ! 粛清しろ!」


「はっ! 陛下ッ!」


そして、惨劇が始まった。


ザシュッ。


「ぐああ……っ」


切断された首から血と、かすれるような息が漏れ出す。

──なるほど。あれが、捨てられたイエティの末路か。


たくましいイエティたちがその首を槍に突き刺し、歓声を上げていた貴族たちは沈黙し、その光景を恐怖に満ちた目で見つめていた。


次は、自分かもしれない──

恐怖で忠誠心を植え付ける、残酷な手法だった。


そして、その対象はもちろん──


「カルマ様! さあ、ご一緒に!」


──ルクスもかと思いきや、違ったな?


小説には細かい性格設定なんてなかったから知らなかったが、

こいつ、どうやら相当なアホウのようだ。

もしくは、出世欲が感情をすべて潰したのかもしれない。


ともかく、ルクスの足音に合わせて、俺も皇帝が退場した方向へと歩を進めた。


***


しばらくして宮殿の奥に進むと、

巨大な扉が現れた。そこには「謁見室」と書かれていた。


「陛下! お呼びになられた者、到着いたしました!」


門番らしきイエティが、俺たちの身元を確認して声を張り上げた。


「なあ。」


「へっ? はい?」


「アレ、だよアレ。」


「……え、どれのことを──がっ!?」


ドガッ!


俺はルクスの脛を回し蹴りで思いきり蹴り上げた。

うずくまるルクスは、涙目で俺を見上げてくる。


「……もう話しかけんな。」


目の前の赤いイエティは、俺の暴挙を見ても何も言わなかった。

彼の名はエルド。『敵隊長』の一人。

七人いるうちの一人だが、当然、今の俺には到底敵わない実力者だ。

力で押し切られたら、間違いなく即・戦闘不能。

そして、そのまま皇帝に献上されるだろう。


「入れ。」


「はっ、陛下!」


「……っ」


心の中で舌打ちしながら、堂々と先を歩くルクスの背を追った。


***


「……すげぇ。」


またしても、感嘆の声を漏らした。

本当に驚くしかなかった。


室内はすべて真紅のステンドグラスに覆われ、

そこには無数のイエティが描かれていた。

ピンク色の光が差し込み、幻想的かつ不気味な雰囲気を作り出している。

まるで悪夢の中の世界のようだ。


「陛下に謁見いたします!」


「礼儀は要らん。食欲が失せるからな。」


横で三拝九叩しようとしたルクスを、皇帝が手で制した。

俺も軽く形式だけ挨拶して、静かに歩を進めた。


……その瞬間、ぞわりと鳥肌が立った。


心臓が跳ねる。

本能が、危険を全力で警告してきた。


「惜しいな。背が低くて座りにくいかと思ったが」

「はは……ご配慮、感謝します」


気配もなく背後に近づいた皇帝が俺を引き上げようとしたのだ。

慌てて椅子に腰掛け、ほっと息をついた。

一瞬でやられるところだった。


「つっ……そうだな。お前はドワーフだと言ったな?」

「はい、その通りです」


『種族』を正確に指摘した皇帝に、俺は正直に答えた。

低くて侮りがちだが、非凡な潜在力を持つ種族。

この世界観の六つの種族の一つだ。

実際、人間と大差はないが、適性値が高いのが特徴だった。

鉱物適合性も良い。


「カルビチムに……シンソル……バンオフェに……ヘムルパジョン? しかもパイナップルまで!」


冷や汗をかきながら落ち着いていると、隣でルクスの感嘆の声が聞こえた。

さすがは魔羅の膳にふさわしい素晴らしい料理たちだ。

バランスは全く取れていないが、こんな雪国で手に入れるのは難しいものばかりだ。

彼がどれほど贅沢を楽しんでいるか分かった。


「ふふ……そんなに気に入ったのか? ルクス伯爵。

わらわもそろそろ飽きてきておったところだ」


「え、いただいてもよろしいですか?」


「好きなだけ食べるがよい。お前もな」


プッ! 


果物の果汁だけを吸い取り、吐き出す皇帝の声が柔らかい。

隣からルクスのすすり泣く声が聞こえた。


「くっ……くははっ!」


感動と称賛だ。

彼はこの料理にかなり感動したようだ。

貧民だったのだから当然だ。

みんなそうだが、特にこのイエティ国の庶民はいつも飢えと空腹に耐えながら生きている。


「よく食べるな。可愛いのう。食べさせてやろうか?」


食べ物をたっぷりと押し込んでいるイエティの頭の毛を撫でながら、黒いイエティが深い微笑みを浮かべた。

本当に酷い光景を見せられそうだ。


「料理長のイエティを処刑したから、明日からはもっと珍しい美味が出るだろうな。一緒に食べようぞ」

「うわああん……! ありがとうございます! 陛下!!」


ルクスは嗚咽しながら、皇帝が差し出すおたまほどの大きさのスプーンをがつがつと食べた。

ついさっき斬首されたイエティが料理長だったようだ。

彼の遺言を思えば、料理長もまた尻を差し出すのは同じことだったのだろう。


ううっ、食欲がなくなる……。


「ん? お前は食べないのか?」

「腹を壊してしまって……申し訳ありません」

「そうか。大魔法使いか?」

「···はい、陛下」


いつの間にか青いイエティがすぐそばにいた。


「確か治療魔法にも長けていると言っていたな。お前が治してやれ」


適当に話していたら、後ろを掴まれた。

大丈夫だ。今、大魔法使いがいるのは好機だ。


『浄化を開始する。』


「ヒール。」


脳裏に声が響き渡り、俺と与えられた食器にも光が広がった。

浄化されたな。皇帝が媚薬を塗っておいたということだ。

料理長を処刑したのも、実際はこれが理由だろう。

断れば皇命違反として罰せられ、バレても料理長がそうしたと嘘をつけるからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る