第3話 任務
「私は何も聞かなかった」
僕の報告を聞き終わったハイネルン魔術学院の長は目を閉じ、疲れ果てた様子でそう言った。
新米学院長。
オリーブ・レイ・アウルベルナ。
二十七歳。
通称『
涼やかな切れ長の目の女性だ。オリーブ色の長い髪を縛ることなく垂らしている。格式高いスーツ姿ではあるのだが、崩しきった着こなしのせいで台無しだった。
こう見えてここアウルベルナ帝国の皇女である。五十三番目の。
「ならもう一回話してあげようか」
「勘弁してくれ。あんなのは一度聞いただけでお腹いっぱいだ」
オリーブは小さく首を振った。その仕草にも普段の疲れがにじみ出ている。
「そう。冬の魔神を封印してるなんて、面白い生徒がいるもんだね」
「何も面白くない。ただでさえ仕事が山積みなのに、こんな規格外の面倒事まで……どうしたらいいんだ!」
「取り返しのつかないことになる前に気付けて良かったじゃないか。何も知らないまま世界が氷漬けになるよりずっとマシだ」
「そうだけれど……うわあああああ!!」
散らかった机に突っ伏し、オリーブは動かなくなってしまった。
皇子皇女はいくら下の子といえども、なんらかの政治的な役職やら立場やらに就くのが普通だが、オリーブは長く探索者としてフラフラしていた。
彼女は僕が生まれた頃に僕の両親とパーティーを組んだ。「アルヘムの音楽隊」という、探索者の間では名の通った一団だ。
魔術修行のためにパーティーから離れたことも二度ほどあったが、オリーブは両親に続いての最古参メンバーだったのだ。
僕にとっては叔母――というと怒られるが、昔は親戚のお姉さんだと勘違いしていた。正体を打ち明けられたときは接し方で迷ったが、「今までどおりで」と言うのでそうしている。
そして数か月前、オリーブの魔術の師匠である前任学院長が病で急逝したために、その後釜に座ることになったのである。
今回の能力測定の仕事も、オリーブが回してくれた依頼なのだ。
「エディ……。実は、昔から私の夢は先生になることだったんだ。でもいきなり学院長になるとは思ってなくて。想像してたのとはぜんぜん違うんだ」
「だろうね。管理職ってイメージだし」
「というか、私がなりたかったのは、託児所の先生なんだ」
「なら致命的に間違ってるよ」
一緒にしてはいけない職種だろう。
「私は学会では実績もなくて。学院長になれたのも皇族だからだろ、師匠の弟子だからだろ、という雰囲気をひしひしと感じる。探索者に戻りたくなってきてしまった」
「なら戻ればいい。オリーブは自由にやってるのが性に合うよ」
「エディ、違う。ここは励ましてくれ。君ならできるよって。師匠の遺言で学院長になったんだから、そう簡単に辞められるわけないだろう」
机の上で手を組み、小動物のような目でじっと見つめてくるアラサー女性。めんどくさい……。
「オリーブならできるよ」
「ほんとにできるかな」
知らないよ。
「んで、魔神の件はどうすんの」
話を戻すと、オリーブは背もたれに首を預け、天井を見上げた。
「冬の魔神……。どう扱えばいいのか。検討もつかない。おとぎ話でしか聞いたことないからなあ」
「――アルマは封印とか鎮静とか、そちらの系統への適性が飛びぬけてる。七百年間封印を継承してきたおかげだろうね」
僕は鑑定士としての意見を述べた。
人が持つ魔力の質は環境によってゆっくり変化すると言われている。生まれた時から腹に魔神を封じている、ということを何代も繰り返してきたのだから、家系の適性がそれに寄るのはごく自然だ。
ただ、本人にとって不幸なのは、普通の魔術師として生きる上では封印魔術の使いどころなんてまったくないということだが。
「私たちはアルマ君に感謝しなくちゃいけないようだ。とりあえず――色んな方法で検査してみて、それから文献漁りだ。七百年間なにもなかったわけだし、今日突然どうにかなるということはない、と信じよう」
「この学院に置いておくつもりなの?」
「ああ。よそには預けられない」
そう言うオリーブの眼差しには覚悟のようなものが伺えた。学院長あるいは皇女として使命感を抱いているのかもしれない。
「なら頑張ってよ。僕にできることがあったらまた依頼して。お友だち価格にしとくから」
「ちっちゃなエディがいつの間にそんな頼もしいことを言うようになったのやら。ならさっそく依頼がある」
茶化し、悪魔的に口角を上げるオリーブ。
嫌な予感がする……。これは面倒ごとをおしつけてくるときの顔だ。
「簡単な話だ。アルマ・スノウフィアの護衛と監視をしてもらいたい」
そう来たか……。
少し考えて、答えを出す。
「受けられないよ。護衛も監視も鑑定士の領分じゃない。もっと適任の人がいるだろ」
それに責任が重すぎる。失敗したらどうなってしまうのか想像もできない。
「監視はともかく護衛については、何度も私を守ってくれたじゃないか」
オリーブは政治的敵対者などに狙われることも多く、僕たちパーティーはいつも一定の警戒をしていた。そういう意味では護衛の経験は豊富だ。
もっとも「僕が守った」というよりは「オリーブ含めたメンバーみんなで襲撃者を返り討ちにしていた」という表現が正しい。
「それはそうだけど……今回とは別物だろう」
「これは超重要な案件なんだ。素性も経歴も明らかで、権力とも変な団体とも繋がりがなく、能力も充分。そんな人材、私の人脈にもそういない」
「持ち上げたってやらないよ」
これは長時間拘束されるタイプの仕事になる。
僕は現在、鑑定士として独立して働き始めたばかりなのだ。本業でない依頼にかかりきりになってる暇はない。
「彼女を怖がらず、悪いことに利用せず、誰にも秘密を漏らさない――私がそう保証できるのなんてエディくらいだ」
「絶対やらないから」
オリーブは僕に頼めば何でも頷くと思っている節がある。ゴリ押ししてくるのが常だが、今回だけは頷いてはいけない。
伝手を使って僕より相応しい人を探せるはず。重要な案件であればあるほど、僕のような一介の民が受けるべきではないのだ。軍属魔術師とか教師陣とかから選べばいい。
「私が世界で一番信頼している人間は誰かといえば、エディ、もちろん君だ。赤ん坊のときからずっと見てきて、あらゆる面で信頼してる」
立ち上がったオリーブは僕の肩に手を置き、必死な顔で頭を下げた。
「頼む! 少しの間でいいから! エディの力が必要なんだ!」
「……少しだけだよ」
「ありがとう!!」
受けちゃった……。
オリーブの頼みを断れない。悪いところだと分かっているのに。
……まあ、いい。この人には昔からよく助けられたし、恩返しのようなものだ。多少の面倒は引き受けよう。そう納得することにする。
「エディ! 愛してるよ!」
抱きつき、頬をすり合わせてこようとするオリーブを押しのける。もうそんなスキンシップをする歳ではない。
「ただし期限を作っておこう。一週間だ。その間に急いで次の人を見つけてよ」
「分かった。一週間でもすごく助かるよ」
笑顔で約束してくれるが、あんまり信用はできない。延長を頼まれたら絶対に断ってやる。
「監視と護衛って、具体的にどうするの」
「エディには二年Fクラスに転入してもらう。それが一番自然に彼女の側にいられる」
「転入? 離れたところから見守るだけじゃないの?」
「親しくならないと行動をコントロールできないだろ。危ないことをしようとしたら未然に止めるのも役割だ」
「なるほどね……。それでも、一週間監視するためだけに転入なんて無駄じゃないかい」
「ううん。少し考えがあるんだ。ぜひエディには転入してもらいたい」
「考えってなに」
「それはまだ教えられない」
ただ微笑んでいる。ものすごく怪しいが、秘密主義はいつものこと。人を駒のように扱うのもこの人の悪癖だ。しかし不運にもオリーブは僕にとって姉代わりなのだ。
「それにエディも一度くらい、同い年の少年少女に混じって生活してみればいいと思うんだ。いい経験になる」
「……分かったよ」
余計なお世話だと言いたくなるが、純粋に心配してくれているのだろう。素直に受け取っておくことにする。
「私の使い魔もつけておく。数日間は一人で一人を監視するという無茶な体制だけど、夜は寝ていいから」
過酷だな……。
「それから――諸々の事情は本人にバレてはいけない。自覚させるのは避けよう。『見るは封を解くに等し』という古い言葉もある」
閉じられた箱を開けることを我慢できる人間はいない、という意味の格言だが、この状況にもあてはまるか。
知ってしまえば軽い気持ちで、あるいは嫌気がさして、アルマ自身が封印を解こうとするかもしれない。
知っているからこそ危険を避けられるという考えもあるが、そこは僕がサポートすることで補える。
秘密を知る人数はなるべく減らすべきだ。本人も含めて。
「一週間と言ったけど、後任が用意できたらすぐ代わっても僕は困らないからね」
「なるべく急いで探すさ」
言って、オリーブは窓の外に視線を飛ばす。
ここ、ハイネルン魔術学院は高台に位置しており、その本校舎四階にある学院長室からは周囲の街を一望できる。学院地区などと呼ばれる、様々な教育機関、研究機関が密集している地域だ。
日はすでに沈んでいた。今日は寒かったが、夜はさらに冷えそうだ。分厚いコートを羽織った市民たちが家路を急いでいる。
「それから、これは冬の魔神とは関係ないただの偶然かもしれないけど、伝えておく」
オリーブは言った。
「寒すぎるんだ。もう五月なのに、三月並みの気温が続いている。例年より十度も低い。とっくに咲いているはずの木花も開花しない。つまり――春が来ていないんだよ」
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