第2話 アルマ・スノウフィア

 つい、向かいに座る少女、アルマ・スノウフィアを凝視してしまう。


 魔神。

 災いをもたらす神。

 多くの伝承にて災厄の権化として登場する存在。


 冬の魔神といえば、『七百年前、不老不死の巨人王とその軍勢を操って北方七つの州を滅ぼしたのち、当時の皇子に封じられた』という有名なおとぎ話で語られる存在だ。


 そんな伝説的怪物を前にして、僕の胸は高揚感でいっぱいだった。


 すごいの見つけちゃった……。


 僕は鑑定大好き人間なのだ。珍しいものを見かけると鑑定欲が抑えられない。こういう掘り出し物と出会うのが人生最大の喜びである。


 魔神なんて超貴重。

 これだから鑑定はやめられない。


「………………」


 僕は一度目を閉じて、ミントキャンディを口の中へ放り込んだ。独特の香りと清涼感が頭の痛みを和らげてくれる。


 アカシックレコードに長時間繋がると人間の精神は壊れてしまうのだ。そうならずにどこまで潜れるか、それが鑑定士としての腕前である。


 先ほどの鑑定で分かったのは、冬の魔神が封印されているということだけ。


 人の知恵の保管庫アカシックレコードとは、全人類が無意識よりさらに下の領域で共有している精神の原点――『集合的無意識』である、という説が最も有力だ。


 つまり鑑定魔術とは、誰かが知っていることを知る技術ということ。


 知りたいことを何でも教えてくれるわけでなく、むしろ無駄で不要な情報ばかりだ。その中から必要なものだけを選び取るのが鑑定士の仕事である。


「鑑定士さん」


 アルマが声をかけてくる。


「わたしの鑑定結果、どうでしたか。おかしなところはありませんでしたか」


 心臓がどきんと跳ねる。

 僕が知ったことに、気付かれたか?


「……特には見当たらなかったけど」


「そうですか……」


 アルマはぽつりと呟いた。


 口封じしてくるのかと思ったが、そうではなかったようだ。というかそもそも自覚がない可能性もある。


 どちらにせよ、軽々しくこの件を口に出すわけにはいかない。下手に刺激して魔神が目覚めたら笑えない。


 僕は唇を舐め、アルマの様子を伺いながらゆっくりと尋ねる。


「どうして、そんなことを聞いてくるの?」


「……実は、自分は他の人とは何かが違うという感覚が昔からあるのです」


 アルマは教室を見渡して誰もいないことを確認し、声を落とした。


 これだけ聞くと思春期特有の痛々しい台詞だが、本物だから困ってしまう。


「これは内緒でお願いしますが、もしかすると、わたしはどこかの高貴な血を引くプリンセスなのかもしれません……」


 いや、普通に痛々しい女の子だった。


「魔力量も桁外れだし、魔力の性質も珍しいです。それに意味深げな夢を繰り返し見ます。――白く霞む雪原、山のような巨人の亡骸、円筒状の建造物、美しい女性の氷像……。そういう風景の夢を」


 ふむ……。

 どういう意味なのだろう。夢占いはできないので分からないが。


「しかもわたし、お腹にいわくありげな魔法陣も刻まれてるのです」


「魔法陣?」


「はい。一族代々、母から娘へ受け継いできたものだそうです。でも母も祖母も詳しいことは何も知りません。娘を産むと魔法陣が移るとか」


 一子相伝の術は珍しくもないが、出産で引き継ぐというのは聞いたことがない。むしろ呪いというべきか。


 まず間違いなく魔神関連だ。


「いやでなければ、お腹を見せてもらっていいかな?」


 アルマは少し躊躇ったが、頷いて制服をまくり上げた。


 つるりとした美しいお腹の上に、広げた手のひらほどのサイズの赤い魔法陣がある。顔料は掠れて薄くなっていた。


 僕は魔術の専門家ではないので、見ただけでどうこうは分からないが――


鑑定ダイブ


 意識をアカシックレコードへ。

 また深く深くへ潜る。


 これは――

 永界封印術という名の魔術。

 約七百年前に描かれた魔法陣だ。

 受け継がれ、永続する特性。

 不死の存在を封じるためのもの。

 中にいるのは冬の魔神。


 やはりこの魔法陣を媒介として冬の魔神を封印しているということらしい。


「どうでした?」


 待ち切れないという様子のアルマ。


「ん、ええと、娘へ引き継がれる以外に効果はないようだね。たぶん先祖伝来の刺青みたいなものだ」


 魔神が封じられていると知らないのであればなおさら教えるわけにはいかない。適当に誤魔化すと、アルマは残念そうに顔を振る。


「そうですか……。代々魔術師の家系なので何か訳アリなのかなと思っていましたが……」


 魔術師とは、魔術によって生活を豊かにし、市民を魔獣などから守るものたちである。


 魔術をまったく使えない人間というのはまずいないので、広義では全人類が魔術師といえる。


 しかし職業的な意味での「魔術師」は、魔術の研鑽に人生を捧げ、数千にも及ぶ術式を自在に操ることのできる人間のことを指す。


「ところで――鑑定士さん。わたしの生徒としての能力測定の方はいかがでしたか。前回と比べて成長していますか」


 制服を着直したアルマの面持ちはより一層真剣味を増している。


 頭から消えていたが、僕の本来の仕事はそれなのだ。魔術師としてのアルマの鑑定結果を成績表に書き連ねていく。


 そして前回測定時と比較。


「成長は……ぼちぼちだね。悪くないんじゃないかな。見てみたら」


 成績表を渡すと、アルマは鼻がくっつきそうな距離で目を通し、


「くうううううう!!」


 唐突に奇声を上げ、椅子の上で体を悶えさせた。


「ど、どうしたの!?」


「すいません……。悔しさのあまりに取り乱してしまいました……」


 桃色の瞳が剣呑な光を宿している。

 怖い。おかしな人の目だ。


「ここに書かれている通り、今のわたしは落ちこぼれという恥辱を甘んじて受け入れているのです。このままでは退学という可能性さえあります。そこで鑑定士さんにお願いがありまして」


 アルマは指をピシリと僕に突き付けた。


「測定結果を盛ってください!」


「………………」


「………………」


「………………」


「なんて頼むつもりはありません! 不正をしてまで学院にしがみつこうなんて、そこまで堕ちてはいませんので!」


 アルマは指を引っ込め腕を組み、良い決め台詞を放ったとばかりに堂々胸を張った。なぜだ。


「いや、僕が頷かないから方向転換したよね」


「し、してません。言いがかりはやめてください。そんな曲がったことはしないです」


「こういうのは学院側に報告するように言われてるんだけど……」


「待ってください! 一瞬、それもありかと思ってしまっただけ! 気の迷いというやつです! 学院には言わないでください!」


 アルマは両手を机につけ、身を乗り出すようにして僕へ懇願した。


 真面目っぽい雰囲気だけど、意外と四角四面でもないらしい。あるいはそれだけ切羽詰まっているのか。


「そういうことにしておくね……。嘘を報告はできないんだ。それに、すぐバレるし意味ないと思うよ」


「ええ、もちろんですとも。分かっていただきありがとうございます。となれば、盛るのではなく――わたしの魔術を見てください!」


 鼻息荒く主張してくるアルマ。


「見てもらえれば分かるはずです、わたしには計り知れない才能が眠っているのです。まったく起きてくる気配はありませんが」


「ならダメじゃないか」


「とにかく一度見てください!」


「まあ、そこまで言うなら見させてもらおうか。才能を感じたら一筆書き添えておくよ」


 彼女の言う通り、実際に魔術を使っているところを見なければ分からないこともある。ちょっと贔屓ではあるが、熱意に免じてこのくらいは許されるだろう。


「話が分かりますね!」


「甘い評価はしないからね」


「えっ」


 なぜ驚く。


 僕は魔術師ではないが、多くの魔術師を見てきたし鑑定してきた。そこそこ審美眼は養われているつもりだ。


「純粋に、僕が君と戦うことを考えて脅威と感じるかどうか。それを基準にするよ」


「おや、鑑定士さん。もしかして腕に覚えがあるのですか?」


 アルマが挑発的な笑みと共に言った。


「ここの優秀な魔術師見習いさんとは比較にならないけど、僕は探索や討伐に同行するタイプの鑑定士だからね。そこそこ経験はある」


「謙遜はやめてください。学院に入った外部の業者さんは、魔物の巣に入り込んだかのように怯えているのが普通です。しかしあなたは違う。――どうでしょう。我が学院の伝統に則り、決闘で白黒つけませんか」


 唐突な提案に面食らってしまう。


「決闘? 僕と君で?」


「揉め事は決闘で解決する。それがこの学院での決まりです」


「揉めてはいないけど……」


「わたしが勝ったら『僕はアルマ・スノウフィアに敗北しました。とても有望な生徒です』と書いてもらいます!」


 そういう趣旨か。

 よほど自信があるらしい。


「僕が勝ったらどうなるの?」


「『ぎりぎりで勝ちましたが、危うく負けそうでした。とても有望な生徒です』と書いてくれませんか?」


「勝ち負けの意味ないじゃん。……それはできないかな。鑑定士としての信用にかかわるからね。ま、僕が勝ってもなにもなしでかまわないよ」


「いいえ。それでは決闘とはいえません。何か考えてください」


「そうだね……。なら、僕が勝ったら二時間ほど時間をくれ。個人的な興味が湧いたので君を鑑定させてもらいたい」


 もちろん魔神について調べるため。


 しかしアルマの頬が紅潮していた。別の方向に勘違いされてしまったかもしれない。


「か、構いませんが、鑑定するだけですからね」


「もちろん。君は座ってていい――別に本を読んでてもいいし、魔術の練習をしててもいい。僕が勝手に鑑定するから」


「……それが報酬になるんですか?」


「僕たち鑑定士は鑑定すること自体に喜びを見いだしてるんだ」


「マニアックすぎます……!」


 さらに誤解が深まったようだが、解くのは面倒なので放っておく。もう会うことはないだろうし。


 アルマは赤い顔を誤魔化すように咳払いし、


「その条件で決まりです。ではさっそく始めましょうか。場所はここで。周りのことを気にする必要はありませんよ。どれだけ壊しても勝手に直ります」


 どこかに直してる人がいるんだろうなあ……。


 アルマが短杖を構える。利き手を前にした半身の姿勢。魔術師らしい堂々たる佇まいだ。


 ヒューマンは魔力を別のカタチに変換するための器官を生まれつき持っていない。それを補うのが『魔導器』だ。


 魔導器なしで魔術は使えない。


 そして原則、一つの魔導器で使える魔術は一つだけだ。つまり火の玉を放つ魔導器ならそれしかできない。


 しかしアルマの持つ杖は例外。ハイネルン式魔導杖と呼ばれる、世界一有名な杖の型である。なんと四つもの魔術を行使できるのだ。


 この杖の製法を開発したからこそ、ここハイネルン魔術学院は世界最高の誉れを得ている。


「先にどうぞ。まずは君の魔術を見させてもらうところからだ」


 体内魔力を練る。僕は主に剣で戦うが、今日は持ってきていないので魔術のみでやり合わなければいけない。


「ありがとうございます。しかし後悔することになりますよ」


 杖が振り上げられる。


 瞬間、悪寒が身を貫く。


 空気の色が変わった。

 そう錯覚するほどの濃密な魔力。


 常人の何倍もの圧倒的なエネルギーがアルマの内で膨れ上がり、唸りを上げる。

 

 この魔力は……異常だ。濃すぎる。人のものではない。魔神の魔力だ。


 まずい。教室ごと、あるいは校舎ごと吹き飛ばしかねない力だ。本気で対処しなければ――


 アルマが瞳を輝かせる。


竜の息吹ヘル・フレイム!」


 ……何も起こらない。


 と思ったら、一拍遅れて、杖先が小さく爆発した。火花がアルマの顔に跳ねる。


「あちっ!」


「……なにしてんの?」


「う、うるさいですね! 黙って見ててください! 竜の息吹ヘル・フレイム!」


 決闘なのに黙って見てろとは……。


 アルマが再度詠唱するが、今度は杖の先がぼわっと爆発するだけだった。


「なるほど。毎日のように暴発ってのはこういうことか」


「ッ、手加減はここまでです……! 吹き飛ばしてやりましょう! ――竜の息吹ヘル・フレイム!」


 そして派手に暴発した。アルマは勢いよく吹き飛び、窓ガラスを破って外へと消えていく。


「あ、あるまっ!?」


 慌てて窓から下を覗くと、舗道沿いの生垣に少女が突き刺さっていた。生白い足がバタバタ動いている。


「まだ負けていませんよ……っ!」


 なんてやつだ、アルマ・スノウフィア。魔神はとんでもない少女に封じられている。

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