第12話 祭祀への誘いと覚悟

大晦日の午後、水瀬家の屋敷は、祭祀の準備が最終段階に入り、張り詰めた空気に満ちていた。琴音は自室で、ただ静かに座っていた。昨夜から何も口にしていない胃が痛み、頭は重く、身体全体がずっしりと沈み込んでいるかのようだった。悠真の必死な声が耳に焼き付いて離れない。彼を傷つけてしまった罪悪感が、琴音の心を深く覆い尽くしていた。


薄暗くなり始めた部屋に、ノックの音が響いた。


「琴音、そろそろ祭殿へ行く時間だよ」


母の声が、襖の向こうから聞こえる。その声は優しかったが、有無を言わせぬ響きを含んでいた。琴音は、ゆっくりと立ち上がった。足元がおぼつかない。部屋の隅に置かれた鏡には、高校の制服に身を包んだ自分が映っていた。清純無垢な象徴であるはずの白い制服が、今の琴音には、まるで囚人服のように見えた。


琴音は、重い足取りで襖を開けた。廊下には、すでに父と母が、厳かな表情で立っていた。母は、琴音の顔色を見て、心配そうにその手を握りしめた。


「大丈夫、琴音。私たちがついているから」


母の声は震えていた。その笑顔は琴音を安心させようとしているように見えたが、琴音の心には届かない。母の手は温かかったが、琴音の心はひどく冷え切っていた。父は、静かに、しかし有無を言わせぬ視線で琴音を見つめている。その瞳は、琴音に逃げ場がないことを、はっきりと告げていた。


三人は、無言のまま祭殿へと向かう渡り廊下を歩き始めた。屋敷の外に出ると、雪はすでに止んでいたが、あたり一面を銀世界に変えていた。冷たい空気が肌を刺す。琴音の足元には、降り積もった雪が軋む音が響く。その音は、まるで琴音の心の悲鳴のようだった。


祭殿の入口が、遠くに見える。そこには、祭主と、一条慧が、すでに厳かに控えているのが見えた。慧の姿は、村の未来を背負う者としての威厳に満ちている。彼の存在が、琴音自身の運命を、より一層確かなものとして認識させた。


琴音は、自分がこの運命から逃れられないことを悟った。悠真の告白も、自分の淡い恋心も、この巨大な因習の前では、あまりにも無力だった。制服の袖を握りしめる手が、激しく震えている。涙は、もう枯れ果てて、瞳の奥はただ虚ろだった。


抗えない運命を前に、琴音は全ての抵抗を諦めた。身体中の力が抜け、ただ祭祀の場へと足を踏み入れる。その瞳の奥には、絶望と、そして深い諦念だけが宿っていた。

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