第38話 そして、お見合い同棲は終わった。

 白洲しらすさんは言葉にしない。でも、伝わる。


 夜の廊下での長すぎるハグも、視線をそらしながら見せるあの柔らかい微笑も、全部——。

 “好き”って言ってるのと同じじゃん、ばか……。

 だから私は今日もちょっぴりときめいて——


「……って時もあったんですけどね?」

「はい」

「ハグと優しい微笑だけじゃ、流石に私にも限界があります!!」


 なんてことはない平日の夜。

 晩御飯の後、イチゴのタルトと紅茶でほっこりするはずのティータイムで、私は不満をぶつけた。


「私なりに精一杯、頑張ってはいるのですが……」

「でもやっぱり、言葉が欲しいじゃないですか?」

「言葉……ですか。私はまだ、自分のこの気持ちにキチンとした名前を付けられて――」

「少女漫画のヒロインじゃないんだから」


 ポエミーなセリフは強制カットしておく。


「……行動で示す、というのも中々難しいですね」


 白洲しらすさんが真顔でそんなことを言う。


「行動……?求愛行動ですか?」

「いえ、そうではなく」

「……アリですね、それ」

「とても嫌な予感がしますね」

「ドキドキ!白洲しらすさんの求愛行動ショーの始まりですね!!」

「本気ですか?」

「本気です。……嫌なら、たった一言想いを伝えてくれても良いんですよ?」


 白洲しらすさんはふぅ……と息を吐き、そっと立ち上がる。


「そんなに言葉で伝えるのが嫌ですか……」

「違います。嫌ではありません。恥ずかしいだけです」


 ……求愛行動の方が、恥ずかしくない??

 二人でスマホを開き、“好意の示し方”“求愛行動”などを真剣に検索。

 そして、おバカな実践ターンが始まった。


「どれから行きましょう?」

「そうですね……あ、白洲しらすさんの大好きなイルカからで良いんじゃないですか?」

「分かりました」


 そう言うと白洲しらすさんは真顔で口をパクパクしだした。


「なんですか……それ……」

「イルカの求愛行動の一つです」

「えっ、不気味すぎて逆に面白いんですけど!!」

「ギャグになってしまっては本末転倒ですね」

「え?面白そうだから求愛行動ショーをしてるんですよ?」

「なんですって?」


 というか、真剣にしてたんだ、この人。


「でも、白洲しらすさんのそういうトコ……好きですよ?」


 そう言うと、白洲しらすさんは静かに微笑み、ポケットから何かを取り出した。


「……石?」

「ペンギンは求愛行動の一つとして綺麗な石を贈るそうです」

「……この石はどこで?」

「なぜかポケットに入っていました」

「……えっ、怖くないです?」

「呪いの石でしょうか……」

「無理無理無理!!怖いーっ!!」


 私はその石を庭にぶん投げた。


「私の求愛行動の証が」

「なんか申し訳ないですっ」

 

 白洲しらすさんはふふっと笑って、軽く首をかしげる。


「……それにしても、ポケットに入れた覚えは無いんですけどね」

「余計怖いこと言わないでくださいってば!」


 そしてまた笑い合う。

 

「……私は心愛ここあさんと過ごす、こういう時間が好きですよ」

「私も大好きですよ?白洲しらすさん」


 一歩が踏み出せなくてもどかしいけれど。

 この空気は……なんていうか、心地よかった。


「……いや、やっぱ私との時間より、私を好きと言って欲しいですね」

「次の求愛行動をしましょうか?」

「そっちじゃなくてっ!」


 気持ちは分かってるのに、言葉に出来ないまま。

 お見合い同棲は、残り僅かとなった。

 

 * * *


 これ最終日におじいちゃんがまた突撃してきて……。

 白洲しらすさんが「お付き合いさせていただきます!」とか、そういう流れになるのかな?


 いや、白洲しらすさんのことだしもっと淡々と、


『話し合いの結果、結婚を前提に同棲生活を継続させていただくことに——』


 とか言いそうなんだよなぁ……。


 この同棲生活の締めくくりはどうなるんだろうと、私は朝から頭を悩ませていた。


「朝から難しそうな顔をされていますね」

白洲しらすさんがハッキリしてくれないので、乙女は色々と大変なんですよ」

「なるほど。それではお詫びをかねて……夕方、少しお出かけしましょうか」

「今日はお仕事お休みですもんね。どこに行くんですか?」

「少しドライブでもして……ちょっといいホテルで、ディナーでもいかがでしょう?」

「そこはビシッと“デートしましょう”の方が良いと思いますけど?」


 ジトッとした目で訴えると、白洲しらすさんは一瞬困った顔をして——


「……そうですね。デートを、しましょう」


 目を逸らしながら、ぽつりと告げた。


 ——くっ!!

 今の、恥じらい白洲しらすさん……

 尊いィッ!!!


 ちょっと良い服を着て、私は白洲しらすさんと車に乗って、海沿いの道を滑るように走る。

 帰宅を急ぐ車列のヘッドライトは白く、行き先を示す尾灯は赤く、夜の道に細い線を描いていた。


「食事の前に、一つ寄りたいところがあるのですが良いでしょうか?」

「大丈夫ですよ。……どこへ行くんです?」

「水族館に行こうかと」

「え? もうすぐ閉館すると思いますよ?」

「大丈夫です」


 対向車の光に照らされた白洲しらすさんの横顔は、どこかぎこちなく影を抱えている。


「……まさか閉館後のイルカを遠目に見たいとかじゃないですよね?」

「その手がありましたか」


 もう一度ライトが流れ、同じ顔が穏やかに微笑んだ。


 * * *

 

 やがて車は、人影もまばらな水族館へと辿り着いた。

 駐車場の入口には『本日終了』の看板が、一日の務めを終えた門番のように夜気の中で静かに立っていた。


「ほら、やっぱり閉まってるじゃないですか……」

「もう閉館時間ですからね」

 

 白洲しらすさんは一切気にする素振りも見せず、そのまま車を敷地内へ進め――やがて、静まり返った入口の前でブレーキを踏んだ。

 

「水族館にドライブスルーはありませんよ?」


 私がそういうと、白洲しらすさんはとたんに関心したような顔をする。

 

「ユーモアある素敵な例えですね。私に欠けているものはそこかもしれません」

「感心されると逆に恥ずかしいんですけどっ!」


 そのやり取りの間、白洲しらすさんの指先は運転席脇のパーキングスイッチに何度もそっと触れていた。


 白洲しらすさんにエスコートされながら車を降りると、係員が当たり前のようにチェーンを外し私たちを館内へ迎え入れてくれる。

 ……えっ、どういうこと???

 

「まさかここって白洲しらすさんの所有物だったんですかッ!?」

「残念ながら私は富豪ではありませんし、ここは県営ですよ」


 ――たしかにッ!

 恥ずかしさの向こうで、私はツッコミを心の奥底に沈める。

 ……じゃあこれは、一体なんなの?

 不安と興奮が入り混じる奇妙な脳内パーティを繰り広げながら、私は静かに白洲しらすさんの背中を追って歩いていく。


 そして。


 私達がたどり着いたのは、大水槽の前だった。

 そこは、私が白洲しらすさんへの好意を改めて自覚してしまった場所であり――


「ここは私にとって、特別な場所になったんです」


 白洲しらすさんの声が静かに滲み、私の思考をゆっくりと遮る。


「思えばあの時から……あなたは私にとって大切な人となっていたのかもしれません」

 

 幻想的に揺れる青い光の中で、白洲しらすさんはゆっくりとこちらへ向き直った。


「恋、という言葉は今も分かりません。でも——あなたを失いたくはありません」

「あ……あぅ」


 え!?

 何!?

 ガチ告白!?

 いや、白洲しらすさんに限ってそんな――いやでもこの空気!?

 っていうか閉館後の水族館の謎はどこへ!?

 私の頭はアウアウと悶え死んで、変な声しか出せなかった。


「だから私に出来るのは、たったこれだけです」

 

 その言葉と共に、白洲しらすさんは胸元から小さな箱を取り出した。

 期待と、高揚感と、嬉しさと。私は色んな感情に溺れて息が上手くできない。


 落ち着け心愛ここあ。ヘルプミーッ!!


 箱の蓋が静かに開く。

 

 海の光に染められたような、透明で澄んだ輝きを湛えた――

 一つの指輪が姿を現した。

 

「私と――結婚してください」


 白洲しらすさんの視線は、真っすぐ私に向けられている。

 私が愛してやまない彼の穏やかな目は、とても真剣で。


 時間を止めて、その顔をずっと見ていたいのに……何故なのか。

 ぼやけちゃって、見えないのだ。


「はい、喜んで……ッ!」


 声にしたころには、頬を伝うものが止まらなかった。

 

 

 私達の関係はたぶん……いや、かなり歪なのかもしれない。

 言うなれば結婚以上、恋人未満。

 けれど――これだけは胸を張って言える。


 一生を、添い遂げられると。


 ……でも、もう一つだけ、証が欲しくなった。

 私は白洲しらすさんの首にそっと腕を回し、背伸びして顔を寄せる。

 白洲しらすさんの唇まで、あと数センチ。

 

「あ、いえ。その……そういうのは、まだ……ちょっと」


 寸前になって、白洲しらすさんは小さく身を引いた。


「え!? なんでですか!? 結婚するんですよ!?!??」

「流石に刺激が強すぎます……職員の皆さまも遠巻きに見ておられますし……」

「今更ぁぁーーッ!!」

 

 その後も必死に距離を詰めようとしてみたけれど。

 152cm+7cm(ヒール分♡)に177cmの唇は――どうにも遠かった。

 

「逃げないでくださいッ!」

「すみませんッ!」

 

 ……でも顔真っ赤だから、許しちゃう。


 * * *


 それから長く――はないけれど。

 お見合い同棲なる奇妙な生活はとっくに終わりを迎えた、そんな頃。

 

白洲しらす! おはよー!!」


 大学の昼休み。友人たちはいつも通り、私をニヤニヤしながら囲んでくる。


「まだ月城だもん。婚約しただけだもん」


 もう毎日のようにやっているこの下り。……あーっ♡ もう駄目ッ♡ 顔がニヤけちゃう!!


「しかし。まさか心愛ここあが学生結婚するとは……」

「ふっ。先に行って待ってるぜ」


 私は腕を組み、軽くて固いカフェテラスの椅子に踏ん反り返る。

 

「で、進展は?流石にもうキスくらいは……してるよね?」

「うぐっ……」

 

 痛い所を突いてきよる……。空気読んで1週間に一回しか突かれないけど、もう1年に1回ペースにしておくれよぅ……。

 しかしその……うん。

 真剣に様々な現状を解析した結果、誠に不本意ながら一つの可能性が浮上してきている。


 それは……。

 

「たぶん……結婚式がファーストキスになるかも」

「誓いのキス重すぎ!!」


 一斉に悲鳴と爆笑が巻き起こる。


「そーなった場合さ、そのあとすぐ初夜じゃん? どうすんの?」

白洲しらすさん、40歳だから……急がないとダメだとは思うけど……」


 私は、むーにむにと自分の頬を揉み解す。

 もう誓いの初夜とか、そういう風習誰か作ってくれないかなぁ?

 

「ま、妊娠して休学とか避けられて、逆に良いんじゃない?」

「そうだけど!! いやそうなんだけど!! 初夜イコール子作りじゃないからね!」

「うんうん。お互いを思いやる気持ちが大切だよ」

「そうじゃなくって! 私、もう20超えた大人なんだよ!? 既婚者になるんだよ!? 快楽を求めあうだけでも良いんじゃない!?」

「生々しい言い方。やめてくんない?」

 

 婚約した私達の道のりは、まだまだ長い。

 それはもう笑っちゃうくらい高くて、険しくて長ーい道のりだ。


「いってきます」

「いってらっしゃい」

 

「ただいま戻りました」

「おかえりなさい」


 私たちはこの先、数えきれないほどの挨拶を交わして。

 

 ――暮らしを重ねていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その恋、供給過多につき~性欲ゼロ中年と地雷系彼女の仮同棲~ 五月雨恋 @samidareren

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ