第37話 お見合い同棲が終わる前に。(2/2)

——白洲さんの「はい」が落ちた瞬間、時間が止まった。

おじいちゃんは満足げにニヤリと笑い、私は反射的に首を90度回して隣を見る。


「……へ!?」


 遅れて口から漏れたのは、それだけ。

 白洲さんの顔はほんの少しだけ桃色に染まり――やがて青白く変色していく。

 

「ほう……そうか」

 おじいちゃんは顎に手を添え、ゆっくりとニヤリと笑った。


「では、心愛。見合い同棲も残りわずかだ。——それまでに、考えておきなさい」


 それだけ告げると、どこか“勝者の風格”を纏った背中のまま颯爽と立ち去っていった。

 対照的に白洲さんは、椅子に座ったまま——まるで石像のように固まっていた。

 

 * * *

 

 玄関の扉が静かに閉まり、家の中に再び静けさが戻る。二人きりになった空間に、妙に重い沈黙が落ちた。

 ……いや、その沈黙いらないんですけど!?今の「はい」について詳しく!!もっと説明して!!

 私が頭の中だけフィーバーしながら、空気を読んで黙っていると——石像だった白洲さんが、ようやくゆっくりと動き、沈黙を破った。


「あなたが、家からいなくなった時——私は、寂しいと思いました」


 静かな言葉。けれど、嘘偽りのない声だった。


「あなたが怪我をしたと聞いたとき、不安でした。その時から、守りたいと強く思うようになりました」

「そして、先ほど。あなたに次の見合い話が出たとき——」


 言葉が止まる。白洲さんの喉が、かすかに動いた。


「……失いたくない。そう、思いました」


 私はそっと息を呑む。……いや本当はガバっと行きたい。けれどそんな空気じゃない!!

 

「……それって?」


「普通なら、“恋”と呼んだりするのかもしれません」

「しかし、私は不完全人間です。恋愛感情なんてものは、一切ありませんでした。……思春期すらあったのかどうか」

「なので、この気持ちに——名前を付けようがないんです」


 苦笑のようで、でもどこか柔らかい声だった。

 その横顔を見ながら、私は小さく首を振る。そうだ、空気に合わせろ心愛……! でも、言うべきことはちゃんと言うんだ。


「人って、誰でも不完全だと思うんです」

「だから、その欠けた部分を、互いに埋めるのが……恋なんじゃないかな、って。私は、思います」


 私がそう言うと、白洲さんはゆっくりと視線を落とし——そして、穏やかな笑みでこちらを見つめた。


「なるほど……。欠けたところを、自分で埋めなければと、ずっと思っていましたが……そういう考えも、あるのですね」


 優しい笑み。その視線の温度に、胸がふわっと熱くなる。

 私はガバッと行きたい気持ちをなんとか押しとどめながら、この“良い感じの空気”を大切に守った。

 

 ——が。

 良い感じの雰囲気は、その後もガバっとした空気には変わらず。結局いつもの空気へと静かに溶けていった。

 ……もう一押しくれませんか!? 白洲さん!!

 

 * * *

 

 その日の夜。二階の廊下で、いつものおやすみの挨拶。


「おやすみなさい、白洲さん」

「おやすみなさい」


 私がそういうと、ほんの数秒見つめ合う形になった。

 ……え?このタイミングでガバっとチャンス!? 落ち着け心愛、まずはジャブだ、ジャブ……!


「もう、同棲生活も残り少ないですし。……ハグでも、いっちゃいますか〜?」

「……そうですね」


 まるで、それが自然であるかのように、白洲さんはそっと――私を抱きしめてくれた。


 それは、驚くほど長い。こっちが息を止めてしまうくらい、優しい抱擁だった。

 ゆっくりと身体を離しながら、白洲さんは柔らかく微笑む。


「では、また明日」


 そう言って、自室へと静かに入っていった。


 廊下にひとり取り残された私は、ドアの前で固まる。

 ――特大のカウンターやん、これ。


 だって今、言葉にはしていなかったけど。


 抱きしめられた瞬間――“好き”って、聞こえちゃったんだもん……。

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