ある日、心の奥深くに封印されている神の力が発現してしまった男の話

現代ヒーラーA

第1話 視える僕と栗色の少女


 千駄ヶ谷駅。

 電車が止まり、僕はこの魑魅魍魎が蠢く車両から降りようとする。

『こいつら』で視界がかなり遮られていて、

 目の前に栗色の髪の長い女性が立っていることに気付くのが遅れた。


 身体を傾けて避けようとする。


 唐突に耳元で。

「君」


 すれ違いざまのささやくような声。


「――『視え』てるよね?」


 そう言った。

 彼女の存在によるさざ波が圧となり、駅のホームや電車の中の不要なバグであるというように、魑魅魍魎がおとなしくなっていく。ただ自然体でいるだけで、場が調律されるような感覚。

 電車の人々の顔に生気が戻り、座っている人の殆どが眠たげに朦朧としはじめた。


 背は高いが、幼さもある。少し年下だろうか。

 確信めいた眼差しで問いかけてくる。

 はっきりとわかった。一般人には視えない『こいつら』が視える同類。初めて出会った世界の裏側の住人だ。

 思わず息を吞み込んだ。



 これは、世界の裏側に迷い込んでしまった僕が、

 あまりに大きな、神のごとき力と付き合っていく話だ。


 人間の誰しもが持つが、奥底に封印されている力。


 いにしえの賢人たちが気付き、あらゆる宗教の聖典に書き残していたが、

 象徴的な物語やファンタジーとして真に受けられていない力。


 本来ならば何段階もかけて師と共に開いていく力。


 不幸にも段階を吹っ飛ばしてしまった一般人が僕だ。






 突然だけど、僕は死んだ。

 まだ一般的に自然死する年齢ではないので、突然なのは当たり前か。


 とてもありふれている、ただの交通事故だ。


 きっと50年後くらいには自動運転が当たり前で、交通事故で死ぬことがよくあることとは思えないだろうけど、

 今の時代はまだ人間がなんと生身のままで外をうろついていて、

 自動車という鋼鉄の箱を乗り回していた。

 野蛮な時代というなかれ、今の時代に最適化された形で社会は動いている。



 身体に走る衝撃、意識が遠のいていく瞬間、僕は深く深く海に沈んでいった。暗くて冷たい、何も見えない奥底。孤独。暖かさはなく、宇宙は僕自身を歯牙にもかけていないという冷たさを身をもって味わう。

 恐怖。仰向けに沈みながら手足をバタバタさせる。その時、背中にぶつかる板のようなものがあった。触る。ドアノブのようなものがある。扉だ。この空間で唯一の、触れるものだ。無我夢中で、重い扉を開いた。そして、向こう側に吸い込まれ、身体の中心が緩み、何かとつながるような感覚がして、そのまま僕の意識はブラックアウトした。



 話を戻すと実際は、死ななかった。

 奇跡的に目が覚めることができた。

 事故のことはほとんど覚えていないが、運転手がすぐに通報してくれたらしい。意識が戻ったときには、病院のベッドで点滴に繋がれていた。

 後で聞いた話だが、警察も介入していて、運転手の保険で入院費用はまかなわれていた。


 交通事故は普通はショッキングな出来事だと思う。でも、世界の見え方が変わってしまったことに比べると、些末なことで、どうでもよくなってしまった。


 目が覚めると、空間を漂い、人間や動物、植物に寄生する魑魅魍魎ばけものが視えるようになっていたのだ。

 姿かたちは様々。ある程度のパターンはあるようだが、蟲と言えるような何本も足をもった気持ち悪いものから、のっぺりした石のような質感を持つ立体構造物と幅広い。


 目を覚ますと同時に、看護師さんの肩に半径3cmほどの針を刺した50cm大の蜘蛛がいて、思いっきり悲鳴を上げてしまった。その声に驚いたのか、蜘蛛も怯えたように少し小さくなり、看護師さんの血色が良くなった。


 一旦、こいつらのことを虫っぽくないものも含めて、『むし』と呼ぶことにする。

 日本で有名な漫画の蟲の姿と似ていると思ったからだ。




 この蟲が、人に害を与えていて、取り除く力が僕にあることを明確に知ったのは、職場での出来事だった。


 退院後、僕は職場に復帰した。

 千駄ヶ谷に居を構える小さな広告代理店だ。


 大抵の人は何かしらの蟲に寄生されている。

 それは虫の生物のようなときもあれば、蔦のような植物で覆われていることもあれば、

 入れ墨のように身体に黒い文字が書き込まれていることもある。

 鉄格子で身体を押さえつけられている人もいる。


 職場の後輩は、長いムカデのような蟲に全身を縛られていた。それは上司に叱られるほどに大きくなり、動きが活発になっており、相対的に後輩の身体は小さくなって視えた。日々日々大きくなり、押しつぶしそうだった。


 小さなことで𠮟責を飛ばしている上司にも大きな蜘蛛の怪物が頭上についており、毒を体内にまわしているのが視える。

 この上司は、過去に何人も後輩や委託先の担当者を辞めさせてきたという噂があった。


 休憩時間、偶然ランチの場所が被り、隣のテーブルに後輩がいて、ぐったりしていた。


 僕はいたたまれなくなり、

「もう見てられない」

 と思ったその瞬間、身体の奥底から熱が走った。


 脳にスイッチが入ったような感覚。


 気付けば僕は後輩を視界に捉え、「去れ」と呟いた。

 長いムカデがびくんと跳ね、後輩の背中から剝がれていく。

 熱い棒で焼かれているようにくねくねしつつ、僕の方に向かってきて、僕の腕に触れた途端、砂のようにさらさらと崩れていった。

 この時、後輩が上司を父親に重ねて怯えていたことが伝わってくる。


 後輩は先ほどまで暗い顔だったのに、今は明るい表情を讃えている。

 一瞬で別人になったようだった。

「あれ……」

 きょとんとして、周囲を見渡している。

 きっと、今まで頭の中を支配していた自分を責める思考が消え、身体も軽くなったのだろう。


 僕にはわかった。

 蟲とは、人を縛り、害をなすものであり、人々の不調やおかしさと関連している。

 蟲を祓うことによって、取り除くことができる。

 そして、僕には視るだけでなく祓う力が宿っているということ。



 その日から、僕は積極的に蟲を祓っていった。

 その後輩もムカデが無くなった後も、小さな蟲が体内に張り付いていたが、それらも祓い、

 上司の頭の上にいた蜘蛛も「去れ」と思うだけで祓うことができた。


 その結果、職場はとても円滑になった。

 前までのギスギスした空気が嘘のようだ。

 日々、大変なこともあるし、きついこともある。

 目標数字に焦ることもある。やりたくない嫌なこともある。


 しかし、日々みんなに溜まるゴミのようなものを、僕は祓い続けた。

 前日の疲労も残らないようで、毎日彼らは元気に仕事をしていた。



 通勤の満員電車でも、僕は祓い続けた。

 車両を覆う蟲たちを、消し飛ばした。


 僕は救世主にでもなったような気分だった。

 暗い顔が明るくなっていく。

 悩み事がなくなる。

 身体を覆う緊張を取ることができる。


 過去に癒しの奇跡を起こしてきた人たちのことが頭をよぎった。

 ファンタジーや物語ではなく、実際に起こったことなのではないか、と思うようになった。


 自分の周囲の範囲、自分が街を横切るだけの範囲でも、元気になっていく。それが楽しかった。




 職場で急激にモテ始めた。

 日々蟲を祓っているからだろうか。

 彼女らは僕がやったと認識していないはずなのだが、無意識が感じ取っているのだろうか。


「すごいね」「優しいね」「あの人がいると安心」

 別に仕事ができるようになったわけではない。

 でも、職場や取引先など周囲から頼りにされるようになった。


 同僚の子たちが毎日ランチに誘ってくるようになり、

 取引先の女性が営業目的ではなく個人的に話しかけてくるし、

 前までの空気のような扱いから一変してしまった。


 今まで積極的に好かれたことがなかったから、とても心地いいし、気持ちよかった。

 自分が愛され、慕われているんだと思えた。




 しかし――。



 職場も活気にあふれ、僕は街でもモテるようになり、

 周囲によって持ち上げられていった。

 力が足りないにも関わらず、プロジェクトリーダーを任されるようにもなった。

 それを周りがサポートしてくれるうちは良かった。クライアントの期待に応え、社会に貢献している実感が得られた。人のためになることができて、人に好かれるということは本当に嬉しかった。


 ただ、どこかでボタンを掛け違えたのか……。



 ある時、いつものように力を使って蟲を祓っていると、

 身体が大きくなったような感覚が訪れた。

 一瞬のことだ。

 錯覚なのかもしれないが、視界が上から見下ろすような瞬間があった。

 そして、身体から出る力が大きく増したことを感じた。


 なんだったのだろう、と思いつつ、力を行使していると、

 明らかに相手の身体の奥まで触れられるようになった感覚だった。

 表面的なところを祓うのではなく、奥底まで手が届き、がちんと取り外せた。

 そのことによって、みんな、更に元気になり、言いたいことが言い合えるようになった。


 そして、下り坂が訪れる。


 まず、職場から退職者が続出した。

 人事によると、みんな「本当にやりたいこと」に気付いたとして、辞めていく。

 その人事も「これ以上、真実の瞬間を過ごしていないことに耐えられない」と言ってやめてしまった。

 既に動いている案件が炎上していく。

 社会の歯車として動き始めていたプロジェクトが、急激に動きを止め、社会に穴をあけてしまった。


 更に、女性たちの好意が暴走を始めた。

 取引先の女性に夜道で待たれていたり、実家にまで手紙を送る人が現れたり。

 カフェで話しかけられただけの子が、家まで押しかけてきたこともあり。

 仲の良かった女性同士が僕を巡って絶縁していたことも知った。

 職場の上司の奥さんに関係を迫られたこともあった。



 ――医師の言葉は簡潔だった。

「周囲の期待や変化にあなたの心が追い付いていない」


 そうだろうな。

 でも、それだけでもない気がする。

 そもそも、それらを引き起こしたのは自分だった。


 医師に勧められ、職場に休職願いを出し、ストーカー行為を受けている家を引き払い、別の小さなアパートに引っ越した。

 突然人生を探索し始めた同僚たち、期待を裏切ってしまったクライアント、異常な執着をさせてしまった女性たち、誰とも連絡を取ることが怖くなり、

 スマートフォンの電源を落とした。




 朝から晩まで、

 パソコンだけが世界とつながる窓になった。


 アニメや動画、アイドル。

 何でもよかった。

 人と、人の生み出した創作物に触れること。

 それも僕から踏み込むこともなく、あちらから踏み込まれることもない。

 消毒された楽しさや悲しみを消費する。



 元々引きこもりだったのに、社会復帰として就職し、

 そこで妙な力を手にしてしまい、正しいことと疑わずに考えなしに行使してしまった。

 その報いだろうか。

 そんなことを考えつつ、誰にも会わない日々が続いた。



 そこに転機が訪れた。

 胸をざわざわする存在との出会い。

 パソコンのモニター越しにみたアイドルの一人。

 やけに目を引いた。

 その笑顔に。その明るさに。そのパフォーマンスに。あでやかな黒髪の美貌に。

 そして何より目を引いたのは、周囲から何千本もの鎖が縛っていることだった。

 縛ったうえで、よどみなく、動いている。

 無理に動かせば身体が引きちぎれるような物量の鎖があるのに、

 何の気もなしに踊っている。


 喉にべたべたと張り付くものがあり、赤黒くなっている。

 しかし、その歌声は透き通り、のびやかで、僕の心を震わせた。



 僕は彼女に囚われ、魅了された。

 そして、この鎖が無くなった時、彼女はどのような存在になり、周囲を照らすのだろうか。

 そんな好奇心が、僕を満たした。


 鎖に触れたい。

 僕の意図が、生まれ、発動し、それは空間を超えて届く。


 今まで視界に入る人の蟲しか祓ってこなかったので、そういうものだと思い込んでいた。

 でも、この力に本当は空間の制限なんてなく――



 ばきん、と。

 彼女を縛っていた鎖が外れる。

 一瞬のこと、彼女の身体が浮遊する。


 そして、彼女のもつエネルギーが内側から膨張し、爆発した。ように見えた。

 何が起こったかわからない表情で、そのまま斜めに倒れていく彼女。


 ばたんという音がステージに響き、観客が異常に気付き、静かになっていく。

 音楽は続くも、まったく立ち上がらない彼女。

 周囲から駆け寄ってくる人々がおり、ライブ配信はそこで終了となった。



 その後、病院搬送されたという記事が出て、

「過労か?」などとSNSで騒がれている。


 でも僕にはわかっている。

 あれは、僕が触れたから、ぎりぎりで保っていたバランスが崩れてしまったのだと。

 周囲の手足を引っ張る呪いに常に対抗していた彼女の力が、均衡を失ったことで内側から彼女をずたずたに切り裂いたのだと。


 初めてだった。

 距離を超えて力が届いてしまう。

 どこまで届くのかもわからず、良かれと思っても何が起きるか予測できない。

 全くの無知のままに、扱えない力を持つ存在になってしまったことを、深く思い知った。


 神のような力。ほしくなかったと言えばうそになる。

 昔からヒーローに憧れもあった。

 でも、実際にもってみると、その器でないことを思い知った。


 彼女の無期限休止の発表がされ、僕の心は折れた。

 僕は大して考えることもなく、再度力を使うことを恐れ、自らの安全圏へ逃げ込んだ。


 力を使わないようにしよう。

 人と関わることもやめよう。

 引きこもっていた、目立たない世界に帰ろう。

 誰にも気にされなかった過去へ。




 そして──あの栗色の髪の“彼女”と出会う。




 しとしとと雨が降るけだるい暑さの残る日。

 冷房の効いた部屋にいる僕に、

 ふと、身体にノックされるような振動が響いた。

 とん、とん、とん。

 定期的なリズムでの、振動。


 千駄ヶ谷の映像がちらちらと視界に映る。

 そこに呼ばれていると直感。

 なぜだろう。自然とパソコンを閉じて出かける準備を始めていた。



 千駄ヶ谷に向かう電車の中。

 向かっていくにつれ、邪気のようなものを感じる。

 空を浮かぶ蟲も増えている。




 そして、千駄ヶ谷駅で電車を降りるとき、栗色の髪の“彼女”に出会った。


「君」

「――『視え』てるよね?」


 言葉が残響のように耳の奥から脳全体へと響く。

 時間が止まったかのようだった。

 僕らがいる空間が異世界に切り離されたようで、音が消える。

 彼女の存在に恐れをなして、蟲たちは小さくなり、離れていく。


 一般人と存在感が違う。

 大きな声ではないのに、確かに耳に届く。

 幼さと艶っぽさが載った神秘的な声色で、心地よさとこの世のものではない奇妙さにより、妙にざわざわする。

 ライトで七色に光る弦のように視える声だ。



「説明は向かいながらするね」

 そういって彼女は階段を降りていく。僕は逆らうこともなく付いていく。

 言葉にしなくても、同じ目的地であることがわかった。


 駅を降りると、久々に見た千駄ヶ谷駅は様相が異なっていた。

 路上に奇妙な人たちが増えている。

 サラリーマンや家族連れ、女子大学生が多かった千駄ヶ谷に、目が虚ろなまま笑顔を張り付けた年配の女性や目が遠くを見ている男性が多かった。

 服装も一見普通のようだが、節々に共通のモチーフをつけている。



「私のことは『Kisaki』と呼んで。」

「千駄ヶ谷は今、超能力信仰のカルト宗教が急激に増殖しているの。」

「あなたにも視えている通り、千駄ヶ谷のあちこちで霊障が発生している。気が狂う人が増え、障害行為が急増しているわ。」

「起点はあなたの職場の元後輩。」

「調査によると、あなたの気を浴びすぎて、まだ弱いけど力が開いてしまった。」

「無意識が力を使いたいと虚無感を抱き、自己啓発・精神世界系セミナーを転々とし、そこで周囲を癒すことや幻覚を見せることができてしまい、祭り上げられていった。」


 近づくにつれ、悪い気に当てられているのか、恍惚とした表情で焦点があっていない人が増えていく。


「今では高額なお布施と引き換えに超能力と称して幻覚能力を与えるカルトと化し、拡大していっているわ」

「まだクローズドで勧誘しているので表には出ていないし大事にはなっていない。でも疲れが取れた、前世が視えた、と体験談がSNSで広まり始めている。」

「今のうちに止めないと、国家権力の介入や、私たちとは別の使い手の組織からの介入も招いてしまう。」

「私は霊障の発生状況から気付いて、使い手のコミュニティから派遣されたの。」


 驚く間もなく、矢継ぎ早に説明される。


 自分以外に蟲が視える人間が現れただけでも驚きなのに、

 後輩がカルト宗教、というのも、

 そしてその原因が僕の無思慮な行動による結果であることも、

 使い手の組織があることも、

 情報が処理しきれない。


 非日常が当たり前のように話されていて、目の前の現実が現実でないように浮遊感をもってくる。



「着いたわ。ここに発生源がいる。彼から力を奪い、霊障の発生を抑える必要がある。」


 雑居ビルの前だった。

 蟲がビルを覆っている。ここに何かがあることをこれ以上ないほどに伝えている。


「信号に応えてここまで来てくれたけど、ここで選択肢があります。」

「一つ。その特殊な目を閉じ、力を封印し、一般人の世界に戻って暮らすこと。青い道。」

「二つ。その開いてしまった目と力に相応しい存在となり、視えないものが視える狂人として、同じ世界だけど違う世界を生きること。赤い道。」

「力の覚醒が限界まで来ているの。もうこれ以上経つと、封印ができなくなってしまうわ」

「もしその力と共に生きることを選んだら、あなたは二度と元の世界の住人たちと同じ視点で生きることはない。強すぎる力は、人間社会では敵視される。そして私たちは圧倒的少数派。異物を排除することにかけての人間の本能の執着心を体感することになる。」

「何人、過去に火あぶりになってきたと思う? 力を持っていても私たちだけで社会を構成できない以上、隠れて生きることを求められる。」


 脅されている。

 しかし、これは彼女の優しさなのだと感じた。

 同時に、残酷な聞き方だと思った。


 実際に選択肢などないのだ。

 アダムとイブが知恵の実を食べてしまったように。


 一度、この世界の裏側を見てしまった。

 僕が前は、人間たちが欲望のままに生きていると思っていて歪んでしまった社会になっているのだと思っていた。

 実際にはそれだけではないのだ。

 正体はわからないが、人ならざるものがある。

 それが社会や、個人をゆがめている。

 その歪みが新たな歪みを再生産している。


 知ってしまったのだから、二度と戻れない。


 自分の力が怖くてしばらく引きこもっていたくせに、はっきりとそう思った。

「ふざけるなよ」

「戻れるわけないだろ」

 と。



「赤を選びます」

 そうはっきりと答えていた。



「そう。何度も後悔するだろうけど、今あなたは確かに生き方を決めました。」

「その決意に敬意を表しサポートします。後輩君をしっかり解放してあげてください。」

 Kisakiさんは答えを予想していたのだろう。驚く様子もなかった。



「はい!」

 言葉を発した瞬間、身体から力があふれ出る。

 一歩踏み出す。その度に一歩分の蟲たちが吹き飛んだ。





 雑居ビルの中は深い変性意識に入っている人々であふれていた。

 無理に超能力を覚醒させられ、身体や精神が追い付いていないために、現実と幻覚の境目がわからなくなっている人もいる。

 蟲がついていないのにおかしくなっている人が一番哀れだ。

 元に戻れるのだろうか。


 中は予想以上に広い。

 力を感じる方向に向かっていくと、人々は僕とKisakiさんを避けていく。

 モーセの海割りのように人波が割れていく。


 階段を上がり、最上階に達する。

 そこではチベット仏教風の曼陀羅であったり、カバラ風な図柄や座布団、道具が飾られ、立ち並んでいる。


 そして、

 彼がいた。

 僕の後輩だ。

 白い衣をきている。頬には刺青がはいっている。


 最も早い時期に僕が蟲を祓い、最も早く会社を離職したのが彼で、

 その後の行方が知れなかった。


 彼の身体の周囲には多くの蟲がいた。

 うねり、後ろに巣を作っているようだ。


「先輩、久しぶりです」


 弱気な笑顔。

 確かに面影があった。


 ただ、笑顔の奥に何かがない。

 この世と接続していないような空虚な声。


「先輩のおかげで、俺、みんなの不安や恐怖が視えるようになったんです。そして、俺が話すと、みんなの不安が呑み込めることに気付いたんです。そうすると、みんな楽になるんです。 辛いことばかりの世の中だけど、幸せになれるんです。 俺にありがとうって言ってくれるんです。」


 そういう彼の言葉は早口だ。

 きっと、おかしなことに気付いている。


「彼は、中途半端に目覚めた状態で他人の邪気を回収し、それが容量の限界を超えてしまったようね。 自分で浄化が間に合わず、邪気がもう魂と癒着を始めている。他人の邪気も祓えているようで、むしろ狐霊や小鬼と信徒を契約させてしまっているわ」

「魔境に入り込んでしまっている」


 Kisakiさんの分析の声が聞こえる。



 彼の様子を見ていて伝わってくる。

 善意がいつのまにか承認欲求にすり替わってしまった。

 邪気を吸収するうちに、自分を蝕む蟲たちを視えなくなってしまっている。



 彼の後ろにとぐろを巻く蟲たちが、僕に向かって這い始める。

 反射的に、そこに力の意識を向けた。


 白い光の網が広がり、蟲たちがひしゃげて消えた。


「うああああああああああ!!!」


 後輩が悲鳴を上げ、倒れる。


 この身に宿った力は強い。

 後輩に巣食う虫たちを祓うことは容易い。

 でも、この彼の苦しみ様は……。


「予想以上に癒着しているわ! 力づくで祓うと精神ごと吹き飛ぶわよ」


 そうだ。

 一歩間違えば、彼を壊してしまう。


 リフレインする。

 職場とプロジェクトを崩壊させたこと。

 健全に生きてきた女性たちをおかしくさせてしまったこと。

 そして、アイドルの彼女を無期限休止に追い込んだこと。



 この力について何も知らない。

 知る努力もしてこなかった。

 無邪気に振るっていた。


 後輩のようにならなかったのは、、、ただの偶然、ボタンの掛け違いなのだろう。


 そのとき、肩にそっと手が置かれた。


「一人で背負わないで。私たちはコミュニティ。繋がりの中で生きている。いつでも力を貸すわ」


 Kisakiさんだった。

 その声は静かで、奥に火を秘めていた。


「力を制御するには、目的と指向性。

 何のためにやるのか、そしてそのために最適な形にする必要がある。」


 彼女の両手が僕の手を包む。


「あなたの触れる力は鋭すぎ、切断面が大きすぎる。

 私の『目』と『手』を貸すから、彼の心を開いて、できるだけ傷つけないように奥の奥の根本原因を切除して」


 僕の視界が変わる。

 ARグラスのように、僕の視界に彼女の視界が覆いかぶさる。

 彼女の視界は、とても澄んでいて、でもキラキラしている錯覚を覚えた。

 僕のおおざっぱな視界と異なり、彼の蟲と心の境界がはっきり見える。

 そして、僕から延びる透明な手が、優しく繊細に彼の心をつかみ、

 鋭利なメスで身体を開くように、すっと心を開いていく。


「先輩っ!! はいってくるなぁぁあああ!」


 心に踏み込まれた不気味さ、気持ち悪さが、繋がっている僕にも同調で伝わってくる。吐き気がしてくる。


「壊さずに救いたい、頼むから……任せてくれ!」


「今、情動の発生を抑えたわ! いまから目的しか見えなくなる」

 すぐにKisakiさんにより、何かしらの力が発揮されたことを知る。気分が晴れた。


「いま、触れるよ――! 届いてくれ……!」


 心の奥底、魂の奥底に触れた。

 そこには、小さな、白い芋虫のような蟲がいた。

 外にいる蟲たちと比べるとあまりに弱弱しい。


 優しくつまむ。


 ――ぶわっと押し寄せてくる。彼の痛み、絶望。


「父さんに認めてほしかった」

「上司に認めてほしかった」

「みんなの役に立てるお前はすごいって、言ってほしかった」

「これだけみんなの辛さを消したんだから、褒めてくれるよね」

「あの人が、俺には役目があるって言ってくれたんだ」



 ありふれたパターン。

 アダルトチルドレンの承認欲求。

 そういった言葉で片づけられるのかもしれない。


 でも、彼は本気で祈っていた。

 誰かを傷つける意図もなかった。


 歪めてしまったのは――

 僕の無鉄砲な祓いと、

 親から引き継がれた毒、

 そして、彼の力と心の傷を利用した『誰か』。



その瞬間、視界が白くなり、

心の中の「ずっと言えなかった言葉」が彼の中に響く。


『君は、そのままで生きていい』

何かをせずとも、愛される君なんだ。


 彼の心の奥底の空虚さ。

 そこが満たされない限り、彼に救いはない。


 彼は意識を失っていた。

 気付けば蠢いていた蟲たちは消えている。


僕も膝をつき、涙が流れた。

「これが……人の心に触れる感覚……本当の癒し……」



いつの間にかKisakiさんが後ろから肩を抱いてくれていた。

「お疲れ様。空いた穴は私が仮埋めするわ。」

 そういってKisakiさんが彼の開いた心の傷跡に、桃色の液体の気を流し込む。気が穴を埋めていき、固まっていく。


「私たちにできるのはここまでよ。

 心の穴を何で埋めるか、それは彼が自分の意志で決めること。私たちは、本人が望んでいないものを外し、変なものが入ってこないように仮埋めすることだけ。」


 きっとそうなのだ。

 あとは彼が過去の親から解き放たれ、フラットな視点でもって、自分で埋めていく。

 そうしなければ、今度は僕たちが彼を縛ってしまう。

 彼の親がしたように。


「でも、彼が新しい人生を歩むために、確かにあなたが癒したのよ。それだけは真実よ。」


 彼は眠っていた。ほっとしたような笑顔で、目の端に涙を浮かべていた。



 -----



 外に出ると空気が澄んでいた。

 雑居ビルを覆っていた蟲は消え去っている。空が広い。

 がやがやとした音がしない。



「ほかの仲間が来て、これから記憶の消去処理を行うわ。」


「ありがとう、Kisakiさん。 手助けしてくれて…」


「もう仲間なんだから当たり前よ。」


「…どうして僕は仲間になれるんですか? 彼とボタンの掛け違いでしかなかったのに。すべて忘れさせられることも考えていたんですが。」


「使い手には使い手の器がわかるの。」


「……」


「本当よ? 

 納得できないなら、あなたの動機を考えて。 同じ弱さを持つ人間であっても、正気を失っていても、行動は異なる。 あなたはどこまでも自分の利益に呑み込まれなかった。 彼は同情すべきところがあったとしても、自分を癒すための行動だった。

 結果じゃないの。あなたの中にあるアルゴリズムが大事」


「そういうものですか」


「そう。あなたが目覚めてしまった力は、霊障を祓うといっただけのものではない。『思ったことが叶う力』なの。だから、私たちは常に、何のためにやるのかと、それが与える世界への影響を意識しないといけない。 濁ってしまうと極めて危険。 無知も同じく危険。 歪んだ認識がそのまま投影されてしまうのだから。」


 Kisakiさんから驚愕の事実が出てくる。

 だとすれば、僕の願いが歪んでいたから、職場の崩壊もおこったのだろうか。


「歴史上も力を手に入れて、魔境に落ち、邪神や悪魔、鬼といった存在に取り込まれた人々はいたわ。その度に人類社会に対して大きな損害を与えてきた。

 今もその悪影響は社会に蔓延する毒となって残っている。

 私たちはそれが視えてしまい、取り除くことができるから、その役目を果たしている」


 Kisakiさんの説明を聞きながら思う。

 たくさんのことを学ぶ必要がありそうだ。

 この力を制御するために。


 でも今は恐れだけではない。

 彼の心に触れ祓ったとき、僕の中で人生の歯車がカチッとはまった音がした。


 世界と僕との間のずれが解消し、僕の人生のハンドルに僕が関われるのだと、そう思えた。


 人々と違う世界線を生きることになっても、僕らにしかできない役目がある。

 それも僕一人ではない。非日常の世界を生きる、仲間がいるらしい。


 僕の心は高鳴り、

 無知で犯した罪に向き合うこともできると、思うことができた。

 今回裏で糸を引いて彼を操っていた人間も誰かわからない。


「行きましょう。私たちは新たな使い手の誕生を歓迎します。」

「私たちの真の敵は、古来から続く支配の構造と再生産され続ける呪い。 敵は強大。 根本的解決の糸口も見えない。 だからこそ、仲間は大切にします。 一生、よろしくね。」


 Kisakiさんが歩き出す。

 目線が交錯する。

 僕も自然と一歩を踏み出した。

 世界が色付きだす。瑞々しさが現れた。




















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ある日、心の奥深くに封印されている神の力が発現してしまった男の話 現代ヒーラーA @modernhealer

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