ex.黎明(中編)
目が覚めて隣にかの美しい姿がないことに、ヨハンはここが都にある実家の邸であることを思い出して嘆息した。
キリエが腕の中にいない夜の眠りは、酷く空虚だった。
体温の低い細い身体を温めるように抱きしめて、何度伝えても飽き足らない思慕を口にして、許されれば快楽に耽る。そうして緩やかに二人で眠りに落ちていくのが日常になっていた。
たった一日キリエと離れただけでこの為体。ヨハンは自らの辛抱のなさに苦笑する。いつの間に、自分はこんなに弱くなったのか。
今頃キリエはどうしているだろう。自分と同じように、寂しがってくれているだろうか。
そんな埒が開かないことを考えながら、ヨハンは王国騎士団の盛装に袖を通し、胸元に昨晩トマスより与えられた白百合の徽章を飾った。
今日の叙任式典で、ホーフハイマー家は正式に伯爵位を与えられる。式典後の夜には新伯爵の名の下に夜会が開催され、そこで継嗣テオバルトとクララ姫の婚約が公表される。ヨハンは特別大役を担っている訳ではないが、それでも長い一日になることは明らかだった。
式典はともかく、夜会はヨハンのもっとも苦手な貴族の慣習だ。基本的に嘘をつくことが不得手で、咄嗟に気の利いた世辞も社交辞令も言えないため、話し掛けられても会話が続かないのだ。──キリエを褒める言葉に関してならばいくらでも出てくるのだが。
できることなら、叙任式典が終わったらすぐに別邸に帰りたい。そんな途方もないことを考えていると、部屋の扉が二回叩かれた。
『ヨハン、起きているか?』
「はい、起きています」
珍しい人物の訪いに返事をすると、扉が開かれた。
相変わらず貴族らしい華やかな風貌に、洗練された身のこなし。首の後ろで一つ結ばれた鳶色の髪は柔らかに波打ち、青色の瞳には鋭い光と深い知性が宿っている。
貴族の男子の正装に身を包んだこの貴公子こそ、ヨハンの兄であるテオバルトだ。
幼少期はそれなりに仲が良かったが、大人になった今は互いにつかず離れずの距離を保って過ごしている。そんな兄が朝早くから訪ねてくるなど、珍しいこともあるものだ。
「朝早くから御用ですか、兄上」
「用もなく弟に会いに来てはいけないのか?」
「そういうわけではありませんが」
「昨夜はろくに話ができなかったからな。久しぶりに、兄弟二人で話したかっただけだ」
そう言ってテオバルトは近くにある長椅子に腰を落とす。こうなると兄は梃子でも動かないことをヨハンは知っていた。
「神子様はご健勝か?」
「キリエはもう神子ではありませんよ」
「失礼、そうだったな。それで、キリエ殿は?」
「日々見聞を広められたり、調子が良い日は一緒に遠出をして過ごしています。もともと好奇心が強い方ですから、最近はフェリクスからもいろいろと教わっているようです」
「典礼のときに遠目に見ていたあの神子様が、まさか義弟になるとは夢にも思わなかったが、お前の話を聞いているとキリエ殿もやはり人なんだと思えるな。一度ゆっくり話しをしてみたいものだ」
それに関してはヨハンも同じことを思っていた。事が落ち着いた頃に、改めてキリエを肉親たちに紹介したい。
元神子としてではなく、自慢の伴侶として。
「兄上こそ、クララ姫とは如何ですか?」
昨晩は侯爵家との晩餐会が開かれた。とはいっても侯爵夫人はヨハンたち兄弟にとっては伯母にあたる人で、従姉妹であるクララとも幼い頃から面識があった。古い付き合いである家同士であることもあって、どことなく砕けた雰囲気の場になった。
昨晩の主役であったテオバルトとクララは、途中から席を立って二人の時間を過ごしていた。暫くしてから戻ってくると、クララは少女のような笑みを浮かべてテオバルトに腕を預けており、テオバルトもまた優しい眼差しで彼女を見つめていたようにヨハンには見えていたのだが、はたして。
「とても素晴らしい女性だよ」
臆面もなく語り出したテオバルトの表情は、この上なく輝いていた。
「二人きりになったとき、彼女は自分に自信がないのだと告白してくれた。美しさも知性も思慮も、何一つ姉に敵わないと」
クララの姉は、エミリア現王妃だ。
清楚な美しさと優しい心の持ち主であるエミリアは、現国王の初恋の相手であり、長きに渡るその想いを一途に貫いて妃に迎えられた話は、国内外でも有名な語り種だ。
革新的な政策の余波で国王の人気が落ちている一方、世継ぎを生んだ王妃の人気は依然として高い。クララにとってエミリアは自慢の姉であると同時に、自分自身は『王妃の妹』として常に比較され、何人もの貴族たちに値踏みされてきたのだという。
「私は、自身の立場を甘んじて受け入れてきたクララをとても強い人だと思う。謙虚な態度は美徳であるし、一歩引いたところから冷静に物事を見つめる姿勢は、まさに私が理想としている妻そのものだ。打てば響くような小気味良い話し振りも、頭の回転が早い証拠であるし、それに……」
それまで澱みなく言い連ねていたテオバルトが、不意に言葉を詰まらせた。何事かとヨハンが兄の顔をよく見ると、心なしか耳が赤い。
「兄上、どうかしましたか?」
「いや……クララの笑顔を思い出して、何も言えなくなった」
その気持ちはヨハンにもよくわかるものだった。
離れたところで帰りを待ってくれている愛しい人のことを想うだけで、一刻も早く戻ってこの腕に抱きしめたい気持ちが湧き起こってくる。
「その……何よりも、クララは笑顔がとても可愛い。彼女は自身の容姿を平凡だと言っていたが、私には可憐な花のように見える」
そこまで言われればテオバルトの想いはもはや明らかだ。本当に好きでなければ、そんな気持ちを抱くはずがない。
「兄上、完全に惚れていますね」
率直な感想が無意識に溢れたが、テオバルトは素直に肯定した。
「一日も早く夫婦になりたいと伝えたところ、彼女も同じ気持ちだと言ってくれた。今夜の夜会では一緒に踊る約束もしている」
兄とクララ姫が相思相愛であることに安堵しつつ、とことん惚れ込む気質が自身とも共通していると、改めて自分たちが兄弟であることをヨハンは再認識した。
「兄弟揃って深く惚れ込む性質なところは、父上譲りなのかもしれないな」
「まったく同じことを考えていたところです。素敵なお相手で良かったですね、兄上」
「お互いにな。……ところで、夜会のことでお前に一つ提案があるんだが」
「なんですか?」
二人で抜け出したいから手伝って欲しいとでも言われるのだろうか。それならば喜んで御膳立てをしよう。
そんなことを暢気に考えていたのだが、テオバルトの提案は予想外のものだった。
「お前も、この際に婚約を公にしたらどうだ」
「…………はい?」
「真面目なお前のことだから、きっと今夜の主役は父上と私だとでも考えているんだろう。言っておくが、父上はお前さえ良ければ、今夜のうちにお前のことも公表するつもりでいるぞ」
どうやらヨハンの知らないところで話しは進んでいたらしい。しかし、神子復帰を願う国民が多い中で、そんなことして大丈夫なのだろうか。
「キリエ殿にはもう神子としての力がないのが事実だ。復帰を願われたところでどうしようもないのだから仕方がないだろう」
「どうして私の考えていることがわかるのですか……」
「何年お前の兄をやっていると思っているんだ。難しく考えすぎるのが、昔からお前の悪い癖であることくらい熟知している」
ぐうの音も出ないとは、まさにこのことを言うのだろう。
言い返せずに黙り込むヨハンに、テオバルトはさらに畳み掛ける。
「今日の叙任式で、父上は正式に伯爵位を得る。それにより、我が家は名実ともに大貴族の仲間入りだ。しかし父上は、本来ならば譲渡されるはずだった伯爵領と邸宅を辞退し、改築と増築の上医院として運用することを陛下に進言された。この発案は国民から絶大な支持を受けている」
これら一連の話しは、トマスからも手紙で報されていた。父とテオバルトが国王の改革の柱となって、この先の国政に大きく関わっていくことになるであろうことも想像に難くない。
「父上の評判は既に高い。それに加えて私の結婚により、我が家は王妃の生家と姻戚になる。今後大きな力を持って国政を動かしていくに違いない家の直系、それも未婚の男子を、他の権力者たちが放っておくと思うか?」
ヨハンとは異なり、貴族の社会で揉まれてきているテオバルトの指摘には重みがあった。
現実を語るテオバルトの口調は真剣味を帯びて、ヨハンに貴族の世界の生々しさを突きつける。長らく政争から離れていた所為か、自身の立場をわかっていなかったことをまざまざと思い知らされる。
「私も、父上の意見に賛成だ。この状況で元神子との婚約を公表するのは、確かにいろいろと面倒なことが起こるかもしれないが、お前なら何があってもキリエ殿を守るだろう」
「当然です。そのために私がいるのですから」
「わかっている。そんなお前だからこそ、父上も私も大丈夫だと思ったんだ」
ヨハンの思考を読んで的確に立ち回るテオバルトは、やはり一枚上手だ。こういう兄だからこそ父の右腕として辣腕を振るい、名家の姫を妻に迎えることができるのだろう。自分には逆立ちしてもできない芸当をやってのける兄を、ヨハンは改めて尊敬した。
「本当に、兄上には敵いません」
「武芸に関しては、私もお前には敵わないさ」
テオバルトは自身の胸を人差し指で示す。そこはヨハンの胸で白百合の徽章が咲く位置だ。
「それにしても、真面目で堅物なお前をここまで惚れさせるとはな。キリエ殿はいったいどのような魔法をお持ちなのか」
「魔法なんて使われていません。ただ……」
「ただ?」
言い掛けて、ヨハンは口を噤む。思い出すのは、初めて言葉を交わしたあの日の夜のことだ。
思い返せば、恋の始まりはきっとあのときだった。彼の名を告げられたとき、そして彼の名を呼んだとき、運命が変わっていた。
「いつの間にか……気づいたときにはもう、神子ではないキリエが、私の心の中にいたんです」
想わないときなど、片時もないほどに。
そう、今だって。
◆
薄寒さを抱えながら休んだせいか、朝起きてすぐに顔を合わせた夫妻から、顔色が悪いと心配されてしまった。
ヨハンが隣にいないからかあまりよく眠れなかったのだと、今思うと子どものようなことを言ってしまったと思うが、夫妻は納得した上で、少しでも具合が悪くなったら必ず声を掛けてほしいと言ってくれた。
朝食の粥を残さず平らげたキリエは、書庫へと足を運び、昨日の続きを始めることにした。
自分がいったいどこから来たのか、その手掛かりを探すために。
「……よしっ」
地歴に関する蔵書が収められている本棚を見上げ、キリエは眦を決する。この数ヶ月で肩下まで伸びた髪を髪紐で後ろに纏め、常設されている梯子を使って昇り、上段の本から順に広げ始めた。
昨日はプラエネステ王国近隣諸国を中心に探したが、今日はさらに遠い国にまで視野を広げてみる。
キリエの知らない国や文化が本の中に描かれている。もはや想像が及ばないそれらに、まるで違う世界を覗き見ているように錯覚する。
自分はこの異世界のようなどこかから来たのだろうか。言い知れぬ高揚感に衝き動かされ、いつしか梯子の昇降ですら疎かにしながら、キリエは一心不乱に文字を追っては頁を捲った。
それをいったいどれほどの間繰り返していたのだろう。
キリエの目が、ある記述を捉えた。
「これ……」
「キリエ様!」
本に没入しかけていたキリエの思惟を、フェリクス氏の声が遮った。
弾かれたように声がする方へ顔を向けると、梯子の中段で本を広げるキリエを見上げるフェリクス氏の姿があった。
「勉強熱心なのは結構ですが、梯子の上で読書されるのはいただけませんよ」
「ご、ごめんなさい」
本を抱えたまま、キリエは慌てて梯子を降りた。
「梯子から落ちてお怪我でもされようものなら、皆が悲しみます。今後は必ず、梯子を降りてから本をご覧くださいませ」
降りてすぐ、フェリクス氏から注意を受けた。決して強い語調ではないが、普段の優しい姿を知っているからこそ、堪えるものがある。
「はい、気をつけます」
「それで結構です。……それで、何か見つけられたのですか?」
瞬時に切り替えて訊ねてくれたフェリクス氏に、キリエは先ほど見つけた本の記述を見せた。
「【稀なる白銀の髪の一族】、ですか」
「これ、僕と関係があると思いますか?」
キリエの容姿と特徴が一致している一族の記述。
逸るキリエの気持ちとは裏腹に、フェリクス氏の判断は冷静だった。
「ふむ、確かにキリエ様の特徴と似ておりますが、さすがにこれだけでは可能性がある、としか申し上げられませんね」
「あ、そっか……」
あくまで淡々としたフェリクス氏の意見に、それはそうだと思う。本はあくまでも存在の事実を記述しているだけで、キリエとの繋がりを裏付けるようなことは書かれていない。
しかし英明な師は、悄然とするキリエに新たな道筋を示すことを忘れていなかった。
「この記述を手掛かりに、一族について調べていくことはできます。それについては、キリエ様がご納得いくまでなされるのがよろしいかと存じますよ」
「……もっと知りたいです」
結論を出すのに、迷いはなかった。
やれることはやってみたい。そう思った。
調査の続きをするに辺り、キリエはフェリクス氏と二つの約束をした。
一つは、本を読むときは必ず梯子を降りること。もう一つは、寝食を疎かにしないことだ。一度フェリクス氏に叱られたことが堪えたキリエは、二度と同じことを繰り返すまいと心に誓った。
白銀の髪の一族の記述を見つけてからというもの、以降の調べは難航した。「稀なる」という枕詞が示す通り、様々な本をひっくり返してみても、関連がありそうな記載は見つからない。
途中休憩を挟みながら調べ続けているうち、キリエは歴史や文化を扱うすべての蔵書に目を通し終えたことに気づいた。
ここまで来れば、視点を変えて調べるのが良さそうだ。しかし、
「ちょっと疲れた……」
集中して本を読み続けたせいか、こめかみのあたりが鈍く痛む。文字を読もうにも頭に入ってこず、視線が紙面を滑っていくばかりだ。
少し休憩しようと、キリエは机の上に顔を伏せた。目を閉じて仮眠しようとするものの、妙に思考が冴えていて、眠気はまったく兆してこない。間違いなく疲れているはずなのに、考えることをやめられなかった。
考えることといえば、やはり白銀の髪の一族のことばかり。
稀なるという枕詞がつく彼らに纏わる記述が極端に少ないのは、いったい何故なのだろう。
ごく少数の民族なのか、はたまた世に隠れた一族なのか。仮に少数の民族であるならば、それだけ人の目に触れる機会も少ないだけのこと。
では、世に隠れた一族であるならば、それはまた何故なのかという疑問が出てくる。憚られる理由があるのか。その理由によっては、もしかすると、
「……僕は、ヨハンに相応しくないかもしれない」
あくまでも推測の域を出ない話ではあるが。
かつて神子であったものの、今や何も持たないキリエの出自が世を憚るべき一族と繋がるのであれば、どう考えても大貴族の直系であるヨハンとは不釣り合いだ。
机の上で顔の向きを変えてキリエは自身の左手を見つめる。その薬指にはヨハンから贈られた指輪が嵌まっている。
やはりあのとき、ヨハンの手を取ったのは間違いであったのだろうか。子を成すこともできない同性である上、ヨハンに未来を与えられない自分が、彼と共にいたいと願ったのは傲慢だったのだろうか。
そこまで考えてキリエは思考を止め、嫌なことを考えるのは疲れているせいだと無理矢理に思い直した。
「……今日はもうやめよう」
これ以上続けたところで、気落ちする一方だ。
机の上に積み上げた本を片付けるべく、キリエは立ち上がった。
◇
厳粛に執り行われた叙任式典を終え、夜会が始まるまで自由な時間を得たヨハンは、装いを身軽なものに変え、街へと繰り出していた。
まずは市場に向かい、バルトルディ夫妻から調達を頼まれていた香辛料に茶葉、刃物の手入れに使う砥石といった細々としたものを揃えていった。
途中見かけた装飾品が並ぶ屋台を見て、先月キリエと二人で旅行した温泉地での出来事を思い出した。土産物を売る露店を流し見ていた際、キリエが特産品の糸で組まれた髪紐に興味を示したのだ。
キリエの淡い色の髪にさぞかし映えるだろうと、ヨハンはその場で髪紐を買い求めてキリエに贈った。以来、キリエは結べる長さになった髪をその髪紐で纏めるようになり、それを夜毎解くのがヨハンの楽しみにもなっている。──この髪紐がラウム公国時代から受け継がれる工芸品であり、古くから男性が意中の人に贈る風習があることを、キリエも今後学んでいく中で知ることになるだろう。
次に向かったのは都で一番大きな本屋だ。教本から流行作家の最新作まで幅広く揃えらているそれらを、ヨハンは丁寧に吟味していく。
別邸で待つキリエの好みの傾向を分析し、ヨハンは流行作家の読本を数冊、著名作家の最新作、そして新進気鋭の作家数名の処女作をそれぞれ手に取った。本当ならキリエと共に訪れて一緒に選びたいところだが、世間の状況を鑑みて、それはもう少し先になりそうだ。
いつか来るその日を楽しみに勘定を済ませ、気づいたときにはいよいよ両手が塞がりつつあった。
「さすがに買いすぎたか?」
そう一人ごちるが、とはいえどれも必要なものばかりだ。誰かのことを想いながら買い物するのがこんなに楽しいことなのかと、ヨハンは初めて知った。
キリエと出逢い、恋に落ちてからというもの、まるで生まれ直したかのようにヨハンの世界は新鮮なものに彩られている。それらは決して輝かしいばかりのものではないが、この気持ちを知らなかった頃に戻りたいとは露ほども思わない。
ヨハンにとってキリエは、忠誠を尽くす崇敬の存在であり、命を賭して守りたい最愛の人なのだ。
今朝方、兄と交わした会話を思い出す。深く惚れ込む気質は、ホーフハイマー家の血がなす業なのかもしれない。
そんなことと考えながら、 ヨハンは両手の荷を抱え直し、歩を早めた。
邸に帰る前に、あと一軒寄りたい店があった。
◆
ヨハンが都に発ってから二日。今日は待ち侘びた、ヨハンが帰ってくる日だ。
昼下がり。ヨハンが帰ってくるまで、キリエは書庫に籠もって例の件の調査の続きをしようとしていた。しかし、殆どのめぼしい本には昨日のうちに目を通してしまっており、もう一度開いてみたところで目新しい記述は見当たらない。
昼食と合わせて休憩を挟み、セシル夫人の勧めで紅茶を飲んでから仮眠を取った。その効果で頭が冴えているのだが、やはり欲しい情報は手に入らない。
いよいよ手詰まりかもしれない。そう諦めかけたとき、書庫の扉が開いた。
「キリエ様、進捗は如何ですか?」
キリエの姿を見つけるなり訊ねてきたのはフェリクス氏だった。
「昨日から一通り目を通してみましたが、あれ以上のことは見つけられなくて」
「ふむ、どうやら手強そうですね」
「はい。でも、できることはやりたいんです」
これで諦めたくないと、キリエは勉学の師に解決の糸口を乞う。
「もっと手掛かりが欲しいとき、フェリクスさんならどうしますか?」
「ほ……おもしろい質問のされ方ですね」
キリエは敢えて近道を聞き出すのではなく、自らが打てる次の一手の助言を求めた。
フェリクス氏、ひいてはホーフハイマー家の伝手を利用すれば、あっさりと答えを得られるかもしれない。しかしそれでは意味がない。この件に関しては、キリエ自身が納得のいく方法で解決したかった。
「そうですね……月並みではありますが、私なら図書館に行って同じように手掛かりを集めますね」
「図書館……聞いたことはあるけど、行ったことない」
都には王立図書館があり、プラエネステ王国で発刊されているすべての書物が収められていると聞いたことがある。そこに行くなら一度都に赴く必要があるなどと考えていると、フェリクス氏はさらなる助言をくれた。
「王立図書館の蔵書量とは比べるべくもありませんが、ここから一番近くの街にもそれなりの規模のものがございますよ。それに、あの街でしたらラウム公国時代からの史料も残っているでしょうし、意外な手掛かりが見つかるやもしれません」
「あ……!」
ただ単に答えを教えるのではなく、答えの求めるための方法や手段を提示する。フェリクス氏の助言はまさにキリエの欲しているものだった。
かの街にはかつてヨハンと共に赴いたこともあり、一日で行って帰ってこられる距離であることもわかっている。王立図書館に赴くのは近隣で調べ尽くしてからも遅くはないはずだ。
「ありがとうございます。今度、ヨハンにお願いして行ってみます」
「お力になれて幸いです」
次に打つ手が見つかったことに喜んでいたそのとき、遠くから馬の嘶きが微かに聞こえた。咄嗟に振り向いた窓の外には姿こそないが、確かに聞こえてくる。
「もしかして……!」
手に持っていた本を慌てて棚に戻し、キリエは書庫を飛び出した。逸る気持ちで外に出ると、蹄が大地を蹴る音が風に乗って届いてきた。
音がする方へとキリエは足を向ける。ほどなくして丘陵を駆け上がって現れたその姿に胸が高鳴った。
馬に跨る王国騎士は、器用に駆けるままの馬の上から降り、走り寄るキリエをその胸に抱き留めた。
「おかえりなさい、ヨハン」
「ただいま戻りました、キリエ」
会いたかった、恋しかったと、強く抱きしめる腕が伝えてくる。
吹き抜ける風の中、二人は暫し抱き合っていた。
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