ex.黎明(後編)

 帰ってきたヨハンの愛馬には多くの荷が乗っていた。それらはすべて都で買い求めてきた品だという。

 旅装を解いたヨハンは、キリエとバルトルディ夫妻を談話室に招き、荷を広げ始めた。

 まずは書庫に追加するという本。それぞれ流行作家の読本、著名作家の最新作、そして新進気鋭の作家数名の処女作だという。それなりの厚さがある本ばかりで、これだけでも相当重量があったに違いない。

 次に香辛料と茶葉。こちらは夫妻はヨハンに調達を頼んでいたものだという。他には刃物を手入れするための砥石と上質な布地。布地はホーフハイマー新伯爵夫人から夫妻への日頃の感謝の贈り物だそうだ。

「後日、仕立て屋を遣わすとのことだ。ぜひそこで新しい服を作ってほしいと、母からの言伝だ」

「まあ、奥様から」

「お心遣いに感謝致します」

 夫妻は丁重に礼を述べて布地を受け取った。

「都でのお務め、お疲れさまでございました。どうぞ夕食の時間までお寛ぎくださいませ」

「ありがとう。そうさせてもらう」

 ヨハンがそう応えると、夫妻は一礼したのち去っていく。談話室に残ったのはヨハンとキリエの二人だけだ。

「……さて」

 一息ついたのち、ヨハンはキリエを抱き寄せ、長椅子に隣り合うように座らせた。

 節度として、二人は夫妻の前や廊で睦み合うようなことはしない。しかしこうして部屋の中で二人きりになったときは話が別だ。

 長椅子に並んで腰掛けたまま、キリエはヨハンに抱き締められていた。

「これで遠慮なくこうしていられます」

 先ほどまでの毅然とした姿から一転、悪戯をする子どものような表情でヨハンは笑う。抱き寄せられるがままにキリエが身を委ねると、ヨハンは腕の力を強くしてくれた。

「会いたかった、ヨハン」

「私もです。ずっと貴方に会いたかった」

 静かに視線が絡み、やがて引かれ合うように唇が重なった。互いの存在と温度を確かめ合う口づけはただひたすら優しく、心の空虚を満たしていく。

 今はここまで、続きは夜にと、互いの心に小さな火を灯して唇を離す。そうして再び見つめ合い、二人はくすくすと笑った。

「私が不在の間、何か困ったことはありませんでしたか?」

「うん、大丈夫だったよ」

「どのようにお過ごしに?」

「いつも通りだよ。ホーフハイマー家がラウム公国の諸侯の血筋で、この辺りがかつてラウム公国の領土だったこととか、フェリクスさんから教えてもらった」

「さすが、勉強熱心ですね」

 ヨハンはキリエを抱きしめる腕を解き、再び荷を広げだす。興味を惹かれるままキリエは身を乗り出した。

 取り出されたのは長細い木箱で、ヨハンはそれをキリエに差し出した。

「こちら、お土産です」

「お土産……?」

「はい。日々勉学に励んでいる貴方の役に立てるものをと思い、選んできました」

 箱を受け取り、キリエは開けても良いかと視線で訊ねる。ヨハンが首肯するのを見届けて、キリエはその箱の蓋を取った。

 中に収まっていたのは木軸のペンだった。手に持ってみるとほどよい軽さでほんのり温かく、まるで誂えられたかのようにしっくりと手に馴染んだ。

「凄い……なんだか不思議」

「私がずっと贔屓にしている工房のものです。長時間書き続けても疲れにくいのですよ」

 つまり、ヨハンが使っているペンと揃いということだ。ヨハンの愛用のペンは確か、今もらったものと比べて軸が太く少し重めであったとキリエは記憶している。

「ありがとう。大切に使わせてもらうね」

「ええ、ぜひ」

 ヨハンからもらった宝物がまた一つ増えた。しかし、どんどん彼の対になっていっていることを実感する反面、胸の内に凝るものが心を重くする。

 この先、キリエがどこから来たのかを知ることで、自分が本当はヨハンに相応しくない人間であることを知ってしまうかもしれない。このまま何も知らずにいた方が幸せなのではないか、と。

 思い沈むキリエの手からペンが消えた。ヨハンによって取り上げられたのだと気づいた次の瞬間には、キリエは再び彼の腕に抱かれていた。

「すみません。私から贈っておきながらどうかとも思いますが、今日はもうお勉強のことは忘れていただけますか?」

 そうヨハンに乞われれば、キリエの心はたちまち彼へと傾く。

 溢れる憂いに蓋をして、キリエはヨハンに身を委ねる。窓から差し込む陽が、少しずつ傾いていった。


 ◆


 いつもより沐浴に時間をかけ、支度を済ませたキリエは、寝室の扉を開く前に呼吸を整えた。

 寝室はもちろん、いつもヨハンと二人で過ごす方の部屋だ。

 心を落ち着かせてからそっと扉を開くと、ヨハンは寝台に腰掛けて茶を飲みながら寛いでいるところだった。

 キリエと目が合うなり、ヨハンがはっと息を飲む声が届いてきた。その反応が悪いものではないことに、キリエは内心で安堵した。

「これは……今夜はまた、一段と素敵ですね」

「……ありがとう」

 沐浴を終えたあと、キリエはセシル夫人に頼んで髪を結ってもらっていた。視界に掛かる後毛を髪紐で緩やかに結い上げ、月の光を遮ることなく、愛する人を見つめていられるように。

「セシルさんに頼んでやってもらったんだ。……どうかな?」

「とても美しいです。いつも綺麗ですが、今夜はまるで月の精かのようです」

 茶器を置いたヨハンが、両腕を広げる。キリエはその腕の中に引き寄せられるかのように、寝台に乗り上げ、頬を手繰り寄せられるがままに顔を伏せた。

「ん……」

 互いに惹かれ合うかのように唇が重なり合う。角度を変えながら何度も重ねては啄み合い、呼吸も忘れて夢中になる。いつしか逃げ道を断たれるように腰を引き寄せられ、キリエはヨハンの膝の上に乗り掛かる体勢になっていた。

 ヨハンもキリエも、気持ちは同じだった。たった三日間離れていただけなのに、この夜が待ち遠しくて仕方なかった。会いたくて、抱き合いたくて、堪らなかった。

 一頻り貪った唇が離れていくのが名残惜しく、未練がましくヨハンの濡れた唇を見つめてしまう。しかしキリエには、理性を手放す前にヨハンに伝えたいことがあった。

「……あのね、ヨハン。話しておきたいことがあるんだ」

「どうしました?」

 神妙なキリエの声色と表情に、ヨハンは真剣な話だと悟ったようだ。

「僕ね、この家に来てからたくさん勉強をさせてもらっているうちに、自分がどこから来たのかが知りたくなってきたんだ。だから、ヨハンが留守にしていた間、僕に似ている特徴がある人たちのことを調べてみた」

「何か手掛かりはありましたか?」

「はっきりとした確証はないけど、もしかしたらと思うことがあって。でも……」

 言わなければいけないとわかっているのに、いざ口にしようとした途端に言葉が出ない。

 もしヨハンに嫌われてしまったら生きていけない。今もこうして絶えず髪と頬を撫でてくれるこの手を、失いたくない。

「何か気掛かりが?」

 柔らかく問われ、堪えきれずにヨハンの肩口に顔を埋めた。この沈黙は肯定したも同然だ。

「ヨハンは……本当の僕を知っても、好きでいてくれる?」

「当たり前です」

「もしかすると本当の僕は、ヨハンに相応しくないかもしれない。神子の力もなくなって、何もできないし、何も持っていないのに……」

「そうやって狂おしいほどに私を想ってくれる貴方を、手放せるはずがありません」

 そっと顎を持ち上げられ、再び唇を奪われた。離れてほしくなくて、自ら唇を開いて舌を迎え入れる。

「ん……ぅ……」

 無意識に甘い喘ぎが溢れる。自ら舌先を絡めると、強く抱きしめられ深く絡め取られた。

 ──こうして舌先で誘うとヨハンは更に情熱的に口づけてくれることを、ヨハンと何度も抱き合ううちにキリエは知った。

 ヨハンの吐息が熱い。その熱に呼応して、キリエの冷たい身体もまた熱を帯びていく。

「それに、貴方こそ、もう私から逃れられませんよ」

 殆ど唇を触れ合わせたまま、ヨハンが低く告げる。その眼差しは、猛禽が獲物を捕らえるかのようで、キリエはぞくりと背筋を震わせる。

「どういう、こと……?」

 ほんの僅かな畏怖を感じて声が掠れる。しかし、それ以上に感じるのは得体の知れない昂揚と蟲惑。普段優しいヨハンの獰猛な姿に、キリエは静かな興奮を覚えていた。

「昨日の夜会で、貴方と私の婚約を公表してきました」

「え……?」

 確かに婚約自体は既に内々で交わしていたが、それを公にするのはまだ先になるとばかり思っていた。

 それを、どうして。

「父と兄に言われたんです。表向き未婚のままでは、私のことを権力者たちが放っておかないだろうと」

「うん……」

 いくらキリエが世事に疎くとも、この件に関してはそれはそうだろうと思う。

「だからといって、今貴方と私の婚約を公にするのには懸念があったのも事実です」

「……うん」

 そのあたりについては正直なところ、よくわかっていない。もしかすると、キリエが元神子であることが弊害になっているのかもしれないと考えてはいるのだが、ヨハンは頑なに教えてくれようとしない。

「しかし、私は貴方に仕える騎士であり、伴侶です。その役割をまっとうし、貴方を守れば良い。それだけのことだと気づきました」

「……っ」

 その言葉に、キリエは何も言えなくなった。ヨハンはこともなげに「守る」と口にするが、それはきっと並大抵のことではない。

 キリエの預かり知らないところでいったい何が起こるのか、まるで想像がつかない。キリエ一人のために、ヨハンが、一族が、大変な憂き目に晒されているのかもしれない。そう思うと心が締めつけられるようだ。

 しかし、複雑なキリエの胸中に反し、不意にヨハンが笑った。

「でも何より、兄が羨ましくなったんです」

「お兄さん……?」

 ヨハンの兄といえば、王妃の妹と婚約すると聞き及んでいた。貴族同士、しかも後継者の婚姻であるから、まごうことなき政略結婚だ。

「兄夫婦ははたから見ていても相思相愛とわかる、とても似合いの二人です。そんな二人の姿を見ていて、私も貴方の手を取って、胸を張って歩きたいと思ったんです」

 それはキリエも同じ気持ちだ。しかし、そう思えば思うほど、自分が本当にヨハンに相応しい存在なのかがわからなくなる。だからといって、ヨハンの手を離すことは堪えられず、二律背反の堂々巡りに陥っている。

 キリエが何も言えずに唇をはくはくとさせていると、ヨハンの指にそこをなぞられた。

「誰がなんと言おうと、貴方が何者であろうと離しません。──貴方を愛しています」

「……っ、ヨハ……」

 言い募ろうとしたキリエの声は、唇と共に再び抑え込まれた。

 激しく貪られ、求められて、キリエの心は恋に陥落してしまう。

 キリエはもうヨハンなしでは生きられない。彼と離れることは心を引き裂かれることと同義だ。

 二人を引き裂けるものは死による別離だけ。そんなことはとっくにわかっていたはずなのに、自分はいったい何を考えていたのだろう。

「あ……っ」

 口づけに濡れたヨハンの唇が、キリエの喉を辿り、首筋へと吸いついた。剣を振るうしなやかな手が、キリエの身体をまさぐり、官能を引き出していく。

「あ……、ぁ……っ」

 ほんの僅かな刺激にさえあえかな喘ぎが溢れてしまう。待ち焦がれた快楽への期待に、もう堪えてなどいられなかった。

 ヨハンの首に両腕を絡げ、キリエは呂律の甘くなった舌で乞う。

「もっと……して……」

 ヨハンはキリエの胸元を暴くと、そこへ顔を伏せ、乳嘴へとしゃぶりついた。音を立てて吸われ、舐られ、官能の炎が煽られていく。

「あ……、ぁ、ん……」

 眩暈がするほどの快感に、キリエは置き去りになっているもう片方への愛撫を強請るように身を捩る。得たりとばかりに、ヨハンの長い指は硬く尖ったそれを摘み、やわやわと弄ばれる。

「あ……んっ、んん……!」

 刺激を与えられるたびに震えてしまう身体を、キリエはヨハンに縋りついて支える。

 前戯だけでこんなにも感じているのに、この先にはさらなる愉悦がある。理性も何もかも壊れるほどの、甘くて深い──。

「やっ……い、痛い……」

 すっかり敏感になった乳嘴に歯を立てられ、甘く霞んだ思惟が引き戻された。

 ヨハンの唇から溢れて見える胸の尖りは、唾液に濡れそぼり、しゃぶりつくされて赤く腫れている。それでも尚ぴんと勃ち上がっているその様相は、男を誘い、愛撫を乞う形状そのものだ。

「あ……あ……」 

 キリエの胸を貪り続けるヨハンの双眸が上向き、視線が絡み合った。先ほど垣間見た、猛禽が獲物を捕らえるときのような眼差しに、キリエの背筋はぞくりと震える。

「ふふ……」

 ヨハンのその忍び笑いにキリエは悟る。自分はとうに捕食されているのだと。

 そしていつも優しいヨハンの獰猛な姿に、キリエもまた煽られ欲情しているのだと。

「……っ、あぁっ……!」

 ヨハンに再び胸を吸い上げられ、キリエは堪えきれずに高い声を上げていた。感触を楽しむように舌先で転がされ、押し潰され、時折唇で柔らかく喰まれる。過敏になったそこはヨハンの舌と唇の動きをつぶさに捉え、その動きの淫猥さをキリエに思い知らせる。

「……都にいる間、私が何を考えていたかお教えしましょうか」

「え……?」

 突然何を言い出すのか。何か話しを始めるのかと思いきや、ヨハンは再びキリエの赤く熟れた尖りに口づける。

「んっ……」

「帰った日の夜は、貴方を抱くと決めていました。貴方の胸をこうして啄んで、背中に触れて……」

 キリエの背を支えていたヨハンの手が、かろうじて肩に掛かっていた夜着を落とし、露わになった上体を這う。背骨を数えるようにそっと撫で下ろされ、キリエは喘ぎ混じりの溜息を溢す。

「一晩中貴方を離さず抱きしめて、溶け合いたい……そんなことばかりを考えていました」

 こんなにも劣情を持て余している身で、かつて自分が聖堂騎士であったことが信じられない。ヨハンはそう自嘲する。

「たったの数日離れただけなのに、貴方のことが恋しくて堪らなかった……」

「……同じ、だよ……」

 キリエは囁き、胸元に伏せられているヨハンの頭をそっと抱きしめる。

「僕も同じ……いないとわかっているはずなのにヨハンを探して、そのたびに寂しくなってた」

 見送ったあの日も、本当は行かないでと言ってしまいたかった。

 一人で夜を過ごし、ヨハンの腕と胸の温かさの記憶をよすがにして眠りについた。

「一人には慣れているはずなのに……おかしいよね」

「……おかしくなんてありません」

 募る言葉の数々は再びの口づけによって封じられる。唇を唇で甘噛みされるような口づけだった。

「私は貴方と出逢って、恋をして、人とはこんなにも変わるものなのだと身を以て知りました」

「そう、なの……?」

「思い出してみてください。かつての私は、貴方を崇敬し守るための騎士でした。そして貴方は、民に身を尽くす無垢な神子だった」

 遠い過去のことのようだが、それはまだほんの数ヶ月前までの話なのだ。

 神聖であるはずの大聖堂、その奥で繰り返された血を流し続ける日々。命が尽きるのも遠くないと諦観していた中で、キリエはヨハンと出逢い、そして救われた。

「しかし今、私はこうして貴方に欲望を向け、貴方はそれを感じて昂っている……変わっていないなどと、どの口が言えるでしょう」

 聖堂騎士と神子が禁断の恋に落ち、使命から解放された今、こうして愛淫に耽っている。大した変容と堕落ぶりだ。

「私を恋と色に溺れるただの男にするのは、貴方だけですよ」

 そんな男にまっすぐに見つめられ、胸の奥が疼く。恋と色に溺れているのはキリエも同じだ。

 この男に抱かれたい。一分の隙間もないほどに溶け合って、愛し合いたい。

 今宵は誰にも邪魔されない、まごうことなき二人きりの夜。愛されることを覚えたこの身には、言葉よりも雄弁に語るすべがある。

 見れば見るほどに端整なヨハンの唇。また欲しくなって、キリエは自らの唇を寄せた。触れ合うだけだったそれはやがて水音を纏い、舌が絡む濃密なまぐわいへと変わっていく。

「んっ……ヨ、ハ……」

 紡ぐ声もが搦め取られ、やがて口腔内を犯される。感じやすい口蓋を舐め上げられ、ぞくぞくとした快感が裸の背筋を駆け上がってきた。

 無意識に逃げを打とうとする腰を再び抱き寄せられたそのとき、キリエの内腿に触れるものがあった。

 布越しでもわかるほどに熱く張り詰めた充溢。呼応するかのようにキリエの奥が切なく蠢く。

「凄い……貴方も、もうこんなに」

 キリエがヨハンの欲望を感じ取っていたように、ヨハンもまたキリエから等しい感情ものを気取ったようだ。

 互いにもう、欲しくて堪らないのだと。

 それならばとキリエは手を伸ばす。真上を向いていきり立つヨハンの欲望へ。

「っ、キリエ……」

 触れられて感じたのか、ヨハンが息を詰める気配があった。キリエの手の中で、肉欲が少し嵩を増す。

「ヨハンのこれ……挿れて……」

「……っ、挿れるなら、柔らかくしないと……」

 後ろへと伸ばされようとしたヨハンの手をそっと掴んで、キリエは首を振った。

「もう、入るから……さっき、柔らかくしてきたから……」

 ヨハンが息を呑む気配。張り出た喉が上下に動いている。

 長湯をしたのはこの準備をするため。少しでも早くヨハンと繋がりたくて、香油を使って後ろを解したのだ。

 とうに柔らかく解けている後孔は、満たされることを待ち侘びて切なく蠢いている。それは飢餓感として降りつもり、今にも限界を迎えようとしていた。

「だから、ねえ……欲しい……!」

「……っ!」

 言葉にならない唸りめいた声に、キリエの言葉尻は掻き消える。

 ヨハンの性急な手つきに夜着の裾を捲り上げられ、腰から下が露わにされる。同じ形状の夜着を纏うヨハンもまた裾を広げて、その欲望の形を露わにした。

 天を衝くように隆起し赤く張り詰めた肉欲。嵩張っている先端からは既に蜜が溢れ出ている。

 腰を浮かせる体勢で身体を支えられ、後ろの窄まりに切先が触れる。そのまま身体を下ろされると、熱く濡れた充溢が隘路を掻き分けて入ってきた。

「あ、あぁ……っ!」

 ずっと求めていた熱と圧倒的な肉欲に満たされていく感覚に、キリエは恍惚の声を上げる。後孔はヨハンに纏いつき、きゅうきゅうと締めつけては快感を取り込んでいく。

「っ、キリエ……っ」

 ヨハンもまた強い快楽を感じているのか、中で脈打ち、質量が増す感覚があった。ヨハンの形にぴったりと添いながら、キリエの虚ろは満たされていく。

「あ……あっ、もう……っ!」

「くっ……!」

 互いに満たし満たされた瞬間、キリエは昇りつめ、ヨハンもまたキリエの中に放っていた。

 数日間の禁欲の果て、繋がっただけで迎えた極みは長い余韻と凄まじい甘美さを伴って二人に降りそそいだ。

 強烈な快感と愉悦に全身の震えが止まらない。自力で身体を支えていられず、キリエはヨハンの身体に縋りつく。

「ヨハンの、熱くて……気持ちいい……」

 まるで内側から快楽の炎に炙られているようだった。快美と熱に浮かされ、少し身じろぐだけで全身に快感が走る。

「私もです……柔らかくて、あたたかくて……」

 ヨハンが良くなってくれているのが嬉しくて、キリエは後孔を締めつける。ヨハンと何度も愛を交わすうち、彼に悦んでもらいたくて身につけた手管だ。

 包み込んだ肉欲は未だ力を持っている。共に深い快楽へ堕ちていこうと、キリエはヨハンを誘う。

「……っ、キリエ……」

「……ふふ……」

 彼が感じてくれたことを気取り、キリエはひそやかに微笑む。

 ヨハンの双眸に、あの鋭い光が宿った。

 本当の快楽はここからだ。

「……もう、動いても?」

 そう訊ねながら、ヨハンの手はキリエの腰へと添えられる。耳に触れるヨハンの吐息が荒く、熱い。

 ヨハンの瞳を見つめて、キリエは乞う。

「……動いて」

 ひゅ、と一呼吸。そして、次の瞬間。

「……っ、あ、あっ、く……!」

 対面に抱き合ったまま、キリエはヨハンの膝の上で揺さぶられた。それは息つく間もない速度を保ったまま、間断なく繰り返される。既に一度放たれているヨハンの精が二人の交媾をより滑らかに、そして深くしていた。

「あ、んんっ……深い……っ」

 上に乗ってヨハンを包み込むこの体勢は、自重を以て深く受け入れることができる。一際感じやすい奥を穿たれ続けながら、キリエは感じるままに乱れた。

「奥……、もっと、強く……欲しい……!」

 そう強請った刹那、さらに強く揺すり上げられた。深く狭いところがこじ開けられる感覚と共に、視界が明滅する。

「あっ……く、んんっ、あ、あぁ……っ!」

 さらなる深みへとヨハンが入ってくる。溶け合い、一つになっていく。

 キリエの中で絡み合う媚肉と欲望が精を纏い、ぬちぬちと音を立てた。

「あ……あっ、そこ、気持ちいい……!」

「そう、ここ……貴方の好きなところ……」

 キリエが顕著に反応する箇所をヨハンは集中して攻め立てる。寝台が軋みを上げるほどに激しく揺さぶられ、キリエは再び絶頂へと昇り詰めていく。

「あ、あんっ、あっ……、激し、すぎ……!」

 ヨハンを深く咥え込み、腰を押さえられているキリエに逃れるすべはなく、欲望と快楽を叩きつけられるばかりだ。

 指先まで快感が満ちてくる。命が欠けた冷たい身体が、こんなにも熱い。

「や、あっ……なに、これ……」

 絶頂感とは異なる、奥底から侵食されていくような感覚。突かれるたびに極めたときのような浮遊感があるのに、そこに放出は伴わず、無意識のうちに後孔はさらなる快楽を欲してヨハンを締めつけてしまう。

「ヨハ……こわい……、おかしくなる……」

「大丈夫、そのまま感じていてください……!」

 ヨハンの両腕がキリエの背中を抱きしめてくれる。しかしそれは同時に、キリエを縛りつける枷にもなった。

「あ、んっ、や……あっ、ああっ、あ……っ!」

 ヨハンの腕に囚われ、肉槍に激しく突き上げられる。ヨハンに操られるまま、キリエは絶頂への階を昇り詰めていく。

「いく……っ、また……いっちゃう……!」

「達ってください……私と……、っ!」

 唸りと共に、ずくんと重いひと突きがキリエを貫いた。

 信じられないほどの深みを穿たれ、串刺しにされる。逃れることができないキリエは、齎される凄まじい快感に惑乱するしかない。

「やっ、あ……ん、あっ……あ、ああぁ……っ……!」

 二度目の絶頂を共に迎えようと、ヨハンが激しく腰を使う。限界まで張り詰めた欲望に再び最奥を突かれ、そして、

「キリエ、っ……!」

「あ……!」

 名前を呼ばれた刹那、キリエはヨハンのものを締め上げ、身体を仰け反らせながら達していた。

 ヨハンもまた、再びキリエの中に精を注ぎこむ。二度目とは思えない量のそれは、奥の方までキリエの胎内をたっぷりと濡らしていた。

 共に迎えた極みの果てで墜落の甘さも味わい尽くす。少しずつ戻ってくる理性の中で、キリエは自身の胎内でとぷんと波打つものを感じた。

「ヨハンの……たくさん出てる……」

 中に注がれた精は、ヨハンがキリエに向ける欲望の証であり、そして生きて在る証だ。そう思うと愛おしく、溢れ出ていく一雫すら惜しい。

 離れたくない。繋がったままでいたい。心の内が伝わったのか、ヨハンの手がキリエのうなじに添えられ、気づけば唇が重なっていた。

 こんなにも深く交わっているのに、飢えと渇きは癒えずに募っていくばかりだ。まだ足りない、もっと欲しい。

「ヨハン……」

 舌を絡めながら囁き、身体を繋げている男に乞うように見つめる。水面のような静かな瞳の奥に、再び情欲の炎が揺らめくのが見えた。

 下肢の繋がりはそのままに身体を返され、柔らかい寝台に沈み込む。全身で覆い被さってくるヨハンを、キリエもまた全身で受け止めた。



 翌朝。

 明け方近くまで絡み合い、いつもより遅く起床したヨハンとキリエは、バルトルディ夫妻の格別な機転により、ぬるめの湯で沐浴を楽しんでいた。湯あたりを防ぐためにと用意された麵麭パンには凝乳クリームと蜂蜜がたっぷりと添えられており、色疲れが残る身体に染み入るようだった。

「痛むところはありませんか?」

「大丈夫だよ」

「腰とか、背中は?」

「本当に大丈夫だよ。……少し怠いだけ」

 そう言われながら背後から抱きしめられ、湯の中でゆっくりと撫でさすられる。その拍子に髪から滴り落ちた雫が、ぴちゃんと音を立てて波紋を描いた。

 丹念に身体を洗われたのち、キリエはヨハンに背後から抱え込まれる形で浴槽に浸かっていた。最初は自分で洗うと言ったのだが、夜に無理を強いてしまったから世話を焼かせてほしいと言われ、結局されるがままになっている。

 湯に浸かって体温が上がっているためか、身体中に咲く紅い痕がくっきりと浮かび上がっている。特に胸──執拗にしゃぶられた乳首が真っ赤な果実のように腫れていて、視界に入るたびに情事の記憶が甦り気恥ずかしくなった。

 ヨハンに身を任せていると、彼の指がキリエの背中をなぞった。

「傷、大分目立たなくなりましたね」

「えっ、本当?」

 嬉しさと驚きで思わず問い返す。

 キリエの身体には数え切れないほどの傷痕がある。それらは大聖堂にいたときに育ての親からつけられたもので、上半身を中心に背中や肩、腕、首にまで及んでいる。特に深かったのが右の肩甲骨の下のあたりだ。

「まだ完全に消えたわけではありませんが、確実に薄くなってきていますよ。……気にされていたようだったので、よかったです」

「……気づいてたの?」

「ええ」

 神子として生まれた自分が、誰かと結ばれる日なんてきっとこない。ヨハンと出逢うまで、ずっとそう思って生きてきた。にも関わらずキリエは今、ヨハンと愛し合ってここにいる。

 誰かとこうして結ばれるのなら、傷のない綺麗な身体でいたかったと初めてヨハンと身体を繋げたときに心の底から思った。

「美しさにますます磨きがかかる貴方を側で見られるのは、伴侶の特権ですね」

「っ、もう……」

 ヨハンがキリエの容姿を褒めそやすのはもはや日常茶飯事だが、これに関してはいつまで経っても慣れない。自身の容姿を美しいと思ったことなどないキリエは、どう反応すれば良いのかわからないのだ。

 再び背後から強く抱きしめられた。ヨハンの裸の胸が背中に当たり、力強い鼓動が直接響いてくる。それに呼応するように、キリエの鼓動もまた高鳴り重なっていく。

 命が欠けた冷たい身体。しかし、こうしてヨハンと触れ合うときだけ熱を帯びる──生きていることを自覚できる。

「キリエ、貴方が調べているという件についてですが」

 突如ヨハンから切り出された話題に、キリエは無意識に身を固くする。

「貴方の手を煩わせずとも、都の文官に頼んで調査することもできますよ?」

 きっとそれがもっとも早く答えに辿り着く手段だろう。

 ヨハンの申し出はありがたい。しかし、それをわかった上でキリエは左右に首を振った。

「ありがとう。……でも、できるところまで自分で調べてみたいんだ」

 どんなに時間が掛かってもやり通したい。その気持ちだけは揺らがない。

「僕、今まで自分の力だけで何かをやり遂げたことがないから。こんな僕でも、やれることを精一杯やって、どこまでいけるか試してみたい」

「……なるほど、そういうお考えだったのですね」

 もしや止められるのかと身構えていたが、ヨハンの声音はどこまでも穏やかだった。

「そういうことでしたら私も協力を惜しみません。お手伝いが必要なときはなんでも言ってください」

「ありがとう……!」

 ヨハンの協力を得られたとなるとやはり心強い。しかしそれ以上に、キリエ自身の考えと気持ちを汲んでもらえたことが何よりも嬉しかった。

「……大好き」

 無意識に、心からその言葉が溢れてくる。

「私もです。愛しています」

 ヨハンの唇はキリエの耳元で囁き、頬に触れた。

「ほっぺにだけ?」

「……いいえ」

 誘い水を向けてみると、頤を持ち上げられるまま唇を重ねられた。しっとりと濡れた唇で啄み合う、戯れのような口づけを繰り返す。

 離れていくのが惜しくて、そのたびに追いかけて再び唇を乞う。時間も忘れて二人は口づけに耽った。

「……先に謝っておきます」

「ん……なに……?」

 ひそやかな会話の合間にも口づけは止まらない。それどころか、互いの瞳の奥に揺らめく炎が見える。

 これは昨夜の残火か、それとも。

「このあと部屋に戻ってからは、一歩も出して差し上げられそうにありません」

 その言葉の意図がわからないほどキリエはもう初心ではない。昨夜の色疲れはまだ残っているが、キリエも最初からそのつもりだった。

「部屋から、だけでいいの?」

 言外に望むところであると滲ませて挑発してみる。すると、ヨハンの双眸が猛禽の如き眼光を帯びた。

「……訂正します。寝台からも出しません」

「ふふ……」

 色欲を一切隠さずに二人は誘い合う。濃密な夜の続きが約束された。

 今はこうして二人、少しでも離れていた時間を埋めていたい。

「お勉強の続きは、明日からということで良いですか?」

「……いいよ」

 囁く声に艶が混じる。再び触れた唇は、しっとりと濡れていた。

 

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神子は聖なる血を流す 紗々匁ゆき @yuki_ssm

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