第34話新居

 ――すーはー、すーはー。


 胸を大きく逸らし、深く息を吸い込む。

 杉の木の匂いがなんとも芳しい。

 それもそのはず。

 今日、俺は新居にいるのだから。



 朝は本当に大変だった。

 うちのガキども。

 サキスとエリザさんが手伝ってくれなければ、今も休むことは難しかっただろう。



 そう、俺はサキスと仲直りできた。

 けんかしてから3日後のことだ。

 最初は会えないことにいらいらしていたが、そのころは心配、不安に感情の波が大きくなっていく。

 恥も外聞も捨てておばばに捜索を頼もうかと考え始めたころ、向こうの方からこちらに顔を出した。


 サキスは謝罪し仲直りしようと提案した。

 どうしてサキスが怒ったのか、まだ理解できてはいない。

 しかし、結婚前だ。

 時間がない。

 細かいことは水に流すことを決めた。


 最終的に、思春期によくあるあれだと勝手に納得した。


 今でも、サキスと話していると違和感を感じることがある。

 不安はあるが、時間が解決してくれるだろう。

 何せ、俺たちは兄弟だ。



 肩の荷が下り、自由な空間を手に入れたせいで、俺は浮かれていた。

 家そのものが痛むかもしれないのに、スキップしたり、床が汚れていないので、寝っ転がってバタバタと手足を動かしたりと。

 幼子のようにすごす。



 とはいえだ。

 遊んでばかりではいられない。

 商売を始めることを条件に、家の建設を優遇してもらったのだ。

 商売の準備をしなければならない。


 開店予定は3日後。

 それまでに、在庫を確保しなければならない。



「ああ、せっかくの匂いが」


 何かを得るということは何かを失うということ。

 離れの小屋に残る杉の残り香が、煙によって台無しにされる。


 煙の先には鹿肉がつるされていや。

 燻製にはナラやケヤキといった樹脂が少ない広葉樹が使われる。


 俺が今回使ったのは、この世界でリンガと呼ばれる、リンゴのように赤い木の実を実らせる広葉樹だ。



 知っているか!

 煙って調味料なんだよ。


 使用する木によって、味も臭いも変化する。

 リンガの木で燻製を作った時、俺はそれを知った。


 どこか甘く、それでいて香ばしいにおいが鼻を刺激する。

 これが肉に刻み込まれるのだから、今からでもどんな味になるのだろうかと楽しみだ。


 あとは待つだけ、少し暇だなと思ったころだ。

 俺は異変を感じた。


「ノックか……」


 離れにいた上に、目の前の作業に熱中していたのだ。

 鐘の音を聞き逃していたのはしょうがないと自分に言い分けをする。


「これ以上待たせるわけにはいかないよな」


 速足で進む。


「というか、このベル気合が入っているよな」


 鐘は止まらないし、力強い。

 音を聞きつけてから、短くはない時間が過ぎているのに、鳴り響き続けている。



 違和感を感じる。

 でも、

(客を待たせていい理由にはならない)


 扉につくと、意識して奇麗な笑顔を顔に張り付ける。


「お待たせしてすいませ……」


「邪魔するっす」


 俺の人工物とは違う、自然な笑顔が扉の向こうにあった。


 エールの笑顔が深まる。

 俺の笑みが凝り固まった。


「邪魔するなら帰れよ。今仕込みをしてるんだ」


 新築の家だ。

 その祝いに人がよるのは珍しいことではない。

 そうおもって油断した。

 あわてて扉を閉める。


「はいっす」


 向こうも、俺に厄介ごとを持ち込んでいる自覚があるのだろう。

 回れ右だ。

 今まで、散々話が通じないと内心で思っていたが、思ったよりも随分といいやつだ。


 そこで、手を緩めたのが悪かった。


「って、こういう時はふつう引き留めるやろ」


 まさに、扉が閉まるというタイミングで、靴が差し込まれた。


「僕はお客様やで」


「アポもとっていない分際で、何言ってんだ。

 今は仕事中だ。

 おまえに構う暇がないんだ」


「アポなら取ったすよ」


 まじか。


「いつだ、もしかして見逃してた」


「心の中で!」


「それ、単なる思い込みだよな。知ってるぞ。

 おまえのスキルがテレパシーでないことを」


「でも、お母さんならわかってくれるっすよ」


「それはエールのお母さんがすごいだけだ」


 こいつの母親は相当苦労しているのだろう。

 思わず同情してしまった。



「それで、ここに来た目的はなんだ。

 俺の引っ越し祝いだよな、引っ越し祝いだろ、というか、引っ越し祝い以外なら帰れ。

 引っ越し祝いでも、さっさとみやげだけおいて帰れよ」


「ひどくないっすか」


「正常な反応だ」


 こいつがただ引っ越し祝いに来たとは思っていない。


「引っ越し祝いっすよ、だから、扉を……」


 こいつの言葉を俺は信じない。


「本当にそれだけだな、本当にそれだけが目的だな」


「も、もちろんや」


 扉を閉めたい俺と扉を開けたいエール。

 二人の目的はキレイに正反対。

 

 力は拮抗していた。

 腕力だけなら俺の方が上だが、身長と体重は向こうが上だ。


 なので、この戦いは力比べというよりも、意地と意地とのぶつかり合いになっていた。


 力が始まってから数10秒。

 綱引きは互角。

 いや、じりじりと扉は俺の方にやってくる。

 勝ったな。



「久しぶりだなぁ」


 勝利宣言に考えを巡らせた時だ。

 扉に第3者の腕が差し込まれた。


 あと少し、たった数ミリで終了しただろう勝利が、一気に遠ざかる。

 扉が開くと、光とともに煙の臭いが家の中に入り込んで来た。



「何で、ノーデがここにいるんだよ」


 その手の持ち主は、オーク襲撃のとき、俺が助けてやった、元村一番の飲んだくれだった。


「まさかと思うけが、ノーデも一夫多妻制廃止協会に参加しているのかよ」


「こいつの意見に心を動かされてな」


 ノーデはエールの肩に手を置いた。


「邪魔するぞぉ」


「邪魔するなら帰れよ」


 同じやり取り。

 前回と違いがあるとすれば、向こうが俺のやり口を学習したことだ。


 俺ととくに親密なこの二人だけではない。

 彼らに続くように、続々とエールの連れが俺の家に侵入してくる。


 数は全部で5人。

 追い出そうとするのを見越して、追い出されないように数を送り込んだな。


「まだ新築なんだ。できればタバコはやめろよ」


 追い出すのはもうできそうにない。

 勝利よりも、嫌がらせを実行すべくノーデに難癖をつける。


 それにしても、こいつには困ったものだ。

 酒をやめれば次はタバコとか。

 つくづく、健康的なという言葉と縁がない男である。


「煙の臭いなら、そっちの方が」


「それもそうだけど、あっちの匂いは俺的にはありなんだ。タバコはなし」


「まったく、変なこだわりだな」


 いうほど変か?


「それで、これは一体何の集まりなんだ」


「新築の祝いだぁ」


 ああ、うん。嘘だよね。


「それだと、お祝いの品がないのが気になるんだが」


 だが、これだけの人数だ。

 エールが勝手に進めている計画とは無関係という可能性も十分ある。

 というか、そうであってください。


「もちろん、一夫多妻制度撤廃の集会っすよ」


 期待を込めて、エールを見たがやはりそうか。


「おかえりください。商売の準備とかで忙しいんだよ」


「そんなつれないことを言うなや。

 怪しまれないで、大人数が集まるのはここくらいなんやで」


「今日は引っ越し初日。

 片付けとか、店の準備で目が回る思いだ。

 頼むから帰ってくれない」


「でも、今日だけなんや。

 大人数で集まれるのは。

 他の日なら怪しまれる」


「今日、大人数で押しかけても、俺の引っ越し祝いだと周囲が勝手に納得してくれるしな。

 で、俺の迷惑を考えたのか」


「そんなん気にしてるわけないやろ!」


 ひっぱたいてやろうか、こいつ。


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