第30話告白

「「あっ!」」


 孤児院に返ると、驚きの声が重なった。

 成人式の日からめっきり顔を合わせなくなった、サキスがそこにいたからだ。


「その、ひさしぶり」

「ど、どうも」


 ほんの数日前まで、毎日顔を合わせていたから、あいさつなんてしなかったのに……。

 今では小さくではあるが会釈をする。

 数歩の距離なのに、俺とサキスの距離は思っているよりも遠かった。


「最近どうだ。元気にしてたか。

 こっちは、忙しくて、ゆっくり休み暇もないよ」


「これが大人になるってことじゃない。

 忙しいのは仕方がないと思うけど」


「そうだな、ああ、たぶんそうだな」


 昨日までの俺なら、今の説明に納得していただろう。

 大人は暇ではないのだから。

 前世の俺は暇人だったけどね。


 しかし、今は違う。

 ネトラの一件で意図的に避けられているのではと感じるようになった。



「「……」」


 両者、静かに相手の様子をうかがう。

 数日前までは当たり前のように話せたのに、いつの間にか出来上がっていた心の壁が俺の行く手を遮っていた。


「「少し中で話さないか」」


 声が重なる。

 俺たちの間にできた壁はもう崩れることはない。と、錯覚したが勘違いだったらしい。


 弟と少し話すだけなのに、こんなにも身構えてしまったことが途端にばかばかしくなって笑ってしまう。

 サキスも同様らしい。

 毒気を抜かれたのか、表情から険しさが抜けている。


「ほい」

「ああ」


 俺が無言で開けた扉をサキスが通り、すたすたと台所に向かっていく。


「皆きちんと掃除してくれているようだな」


 最近は忙しく、俺の庭であった台所の整理整頓を他人任せにしていた。

 不安があったが、以前と変わらぬ清潔さを保っている。


 物の位置も変わっていないからか、サキスはてきぱきと作業を進める。


 これなら、手を出す必要はあるまいと、椅子に座り待つ。

 すぐに、温かみのある木のコップが机に置かれ、サキスが向かい側の椅子に体を預けた。



「赤ワインか」


 コップにぶどう色の液体を注いでいく。

 鮮やかな色に味が楽しみだ。


「もしかして俺が作ったやつか。

 昼間から酒を飲むのはどうかと思うが……。

 まぁ、思い出の品だし、兄弟で初めて杯を交わすんだ。

 記念としては悪くないよな」


 サキスは離れている間も俺のことを気にかけていたのだ。

 兄弟の絆はなんと尊いものか。

 と思ったが、


「いや、これはぶどうジュースだけど」


「……そうか」


 俺はしょんぼりした。


「ごめんね。空気を読まずに、変なものをもってきて。

 兄さんとはじめて飲むんだ、兄さんのワインのほうがよかったね。

 気が利かなくてごめん」


「いや、ここにはガキどもも多いんだ。

 ジュースのほうが正解だよ。

 それにしても、今の時期でも、新鮮な果物が残ってたんだな」


 また、ネガティブスイッチが入りそうなので、慌てて話題をそらす。


「寒い季節だし。

 腐っていることはないと思うけど」


 サキスはコップに鼻を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぐ。

 俺もそれにならったが、新鮮な果実の匂いしかしなかった。


「大丈夫そうだな」


「うん。ぶどうの匂いだ。発酵もしていない」


「ワインかどうかわからなかったことに呆れてるのかよ」


「兄さんは酒職人だったとおもってたけど」


「違うよ。

 そっちの道に進むのかどうかも決まってないんだ。

 酒自体も、趣味で一度作っただけだし。

 達人扱いはやめてくれよ」


「そうだね、達人でも何でもないから、間違えるのは仕方がない。

 兄さんが間違えたのも当然すぎる」


 あれ? もしかしてフォローされてる!

 こういう時は笑ってくれよ。

 気づかわれると、余計気まずくなるから!



「それにしても、今日お前と会えてよかったよ」


 気まずさを吹き飛ばすべく、あえて笑顔を作る。


「俺は来月ここを出る。

 仕事の関係で家の建設を優先してもらったんだ。これからますます忙しくなるだろうし、一度ゆっくり話せる機会が欲しくてね」


 成人した者の中で、住む家を持たないものには町から家が与えられる。

 複数人いた場合、その順番はくじ引きで決定される。


 俺はその順番を無視していた。


「仕方がないよ。新規での商売を始めるためには、早々に新しい拠点が必要になる。

 この村の中で、ディオニュソス様の加護を持っているのは兄さんだけだ。

 我がままではなく、必要だから順番を変えられたのは仕方がないと思うけど」


「それでも、おまえには迷惑をかけたわけだしな」


 自分でお願いしたわけではないが、ルールを無視してしまったのだ。

 罪悪感があり、俺は謝罪する。


「気にする必要なんてないけど。

 何せ、僕も来週ここを出るし」


 サキスはほんとうに気にしていないのだろう。俺の謝罪にむしろかしこまっている。


 というか、今なんて!


「え! 家はどうするんだよ?

 建設中の家なんてあったか?

 それとも、誰かの家が空く予定があるのかよ?」


 小さな町だ。家を作っていればすぐにわかる。

 その痕跡がないのだ。

 どこかの家に引っ越すのだろうが、どこだ!


「エイダさんのところでお世話になる」


 どんな手品を使ったのかと思ったが……、どうやら女の家へ転がり込むらしい。


「マジで」


 おかしいな?

 ネトラと婚約したはず。

 いや、情報源のエールはそもそも信用できない語り手だ。

 勘違いだったという可能性も。

 だとしたら、おばばの態度に説明が……。


 いや、ネトラの件は勘違いだ。

 最近モテキに突入したからと言っても、新婚早々に別の女に粉をかけるなんて不義理をサキスが働くわけがない。


「おまえ、あんなタイプがタイプだったのかよ。

 まだ30前半とは思えないほどに若々しいのは知っているけど」


 エイダは今年32歳になる女性だ。

 村の外からここに流れ着き、2年前この村出身の男と結婚。

 1年後には夫が山の中で魔物の襲撃に会い死亡。

 以来、男が残した屋敷に一人で暮らしている。


 年齢こそ、30前代だが、肌にはシミ一つないし、長い茶髪は絹のように滑らかだ。

 年齢よりもはるかに若く見え、確かな美貌を持つ女性だった。


 ネトラとはあまり似てな……。

 いや、同じ茶髪だし、胸がそれなりに大きいということを考えると……、いや、でも……。


「そういうわけじゃないけど。ただ、向こうがぜひにというから……」



 気がつけば、俺は机を叩いていた。


「冗談でもそんなこと言うなよ。これから妻にする女に」


「そうだね、冗談を言うべきじゃなかった」


 忠告すれば、サキスは素直にうなずいてくれた。


 今日ここに来たのはこういったことを話すためではなかったのに。

 たった数日会っていないだけなのに、話したいことが山のように積みあがっていた。


 やらないといけないことがほかにあるのに、気がつけば脇道に足を踏み入れている。


 机の上をトントンと叩く指の速度が上昇していく。


(ああ! もう!)


 もう、回りくどいことをしても意味はない。

 コップの水を一気飲みする。


 コップを手に取ったのはサキスも同時だった。

 しかし、こちらはグラスに唇を付けているだけのようで、一向にぶどうジュースは減っていない。


「「ネトラのことで話したいことがあるんだ」」


 これまで、全くかみ合わなかったのに、奇麗にかみあった。

 お互いに、言いたいことは同じだったらしい。


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