第31話兄弟喧嘩
「僕はネトラにプロポーズをした」
男らしくプロポーズをしたとサキスは報告する。
やっていることは勇ましいが、その態度は情けなく、下をむき祈るように手を組んでいた。
「ありえねぇ」
「そうだよね」
「エイダさんというものがありながら、次の女に手を出すなんて!
せめて、結婚生活が安定してからやれよ!」
「そっち!」
予想外! という反応をするサキスが本当に腹立たしい。
「そっちも何も、それ以外の何があるんだ?」
もしかして、俺は何か勘違いしている?
「一つ確認だが、これからエイダさんのところに住むんだよな」
「そうだけど」
「それって、結婚だよな」
「……あぁ」
消え入りそうなほど小さな肯定を、俺の大きなため息がかき消す。
「新婚生活が始まるのに、早速別の女にプロポーズ。
男として気持ちはわかるが、筋を通せよ!」
本日2度目の台パン。
大きな鈍い音が響く。
「ネトラを横からかっさらった形になるし……」
「俺は思うんだ。
BSSってさ、寝取られたほうが悪いって」
「そもそもBSSって何?」
僕の方が先に好きだったの略だよ。
「なら、孫子の言葉を引用しよう。
戦争でまずいところがあっても、早く切り上げ、うまく行くことはある。しかし、長引かせてうまく行ったことを見たことがないと。
恋愛でも戦争でも早い者勝ちなんだよ。
今回の場合は、好感度稼ぎなんてすっ飛ばしてさっさとプロポーズするのが正解。
俺みたいに、キープでいいやとずるずると関係を引き延ばすのは悪手なんだ」
「ものすごくいいこと言ってるのは分かるんだけど、孫子がだれか分からないから、話が頭の中に入ってこないんだけど」
「全く疑問が多い奴だ」
「それは兄さんのせいだから!」
座ってお話をしているだけなのに、いつの間にかサキスは息切れしていた。
すぅ、はぁと深呼吸を数度繰り返し、呼吸を落ち着かせれば、今度は神妙な態度で、
「もっとないの、おまえみたいなのが、何人もの女を侍らすなんてとか」
いつも通り、ネガティブさを発揮した。
「まったく、俺はいま家族から結婚報告を聞いてるんだよ。
めでたい席なんだから、眉間にしわを寄せるのは禁止だ」
一度暗くなってしまうと、サキスは奈落の底まで沈んでしまう。
どうにか、引っ張り上げなくては。
ほら笑えと、俺は指先で自分の頬を引っ張り上げ笑顔を作った。
「でも、僕が。僕なんかが……」
おまえ、そんな調子でよく何人もの女を落としたな。
あれか、母性本能的なやつか。
「ストップ。これから一家の主になるんだろう。そんな卑屈でどうするんだ」
家族の前だからとりつくろう余裕がないと思うことにしよう。
その光景を見たことはないが、女の前では甘い声で歯の浮くような台詞を口にしているに違いない。
そうでなければ、サキスがここまでもてるのに説明がつかない。
早く、女の前で見せているかっこいい姿を見せてくれ。
「あのさ、僕はネトラを奪ったんだよ」
そう願ったものの、その願いが神に通じることはない。
俺の方が祈りたい側なのに、サキスの姿は神の己の罪を告白する子羊のようだった。
だが、俺は神ではない。
罪に罰を与えることはない。
しかし、人として、その罪を晴らすことはできる。
それは、兄である俺にしかできないことだった。
「俺にとってネトラは妹みたいな子だ。信用ならないやつとの結婚なら反対するが、弟ととの結婚なら賛成するし、祝福もするよ。
だから、おまえはそんなに気に病む必要はないんだ」
意図して明るく言ったが、内心は暗くよどんでいた。
どうやら、俺は自分が想像していたよりも、ネトラのことを気にかけていたらしい。
ただ、この感情は恋ではない。
俺は心の底から、こいつらの未来を祝福できた。
2人の結婚が、心の底から嬉しいのである。
「おめでとう、おまえたちの将来を心の底から祝福するよ」
俺の妹を頼む。
満面の笑みで差し出された手は、いつの間にか払いのけられていた。
「兄さんは、兄さんはいつもそうだ」
勢い良く立ち上がったせいで、サキスがすわっていた椅子が吹き飛ばされ、床にたたきつけられた。
「ど、どうしたんだよ。いきなり大声を出して」
百点の対応を取っていた自信があったからこそ、どうして怒っているのかが分からない。
「何でもない、何でもないよ!」
倒れた椅子を元の位置に戻し、ゆったりと弟はそこに座る。
器に注がれたぶどうジュースの水面が小刻みに揺れていた。
「いや、そんなわけないだろ」
「何でもない、ただ僕は兄さんに……。
兄さんに……」
「どうして欲しかったんだ」
「そんなの分からない!」
床が大きくゆれ、ぶどう色の液体が机に零れ落ちる。
「ちょ、部屋が汚れるだろ。
もうちょっと落ち着いて」
慌てて、ふきんを手に取り掃除を始める。
ついでに、サキスへのお説教を口にするのだが……。
「さ、サキス……」
気がつけば、何も言えなくなってしまう。
十年以上ともに生活しているのに、俺が見たことのない表情をしていたからだ。
怒っているようで悲しんでいて、それでいて何かに後悔しているような……。
「ごめん。どうにも忙しいせいでイライラしているみたいだ。外で頭を冷やしている」
このまま行かせたら、まずい。
弟の思いが全く理解できないポンコツなお兄ちゃんでもそのくらいは分かる。
「ま、待って」
手を伸ばすも、俺は遅すぎた。
――バタンッ。
力強くドアが絞められた。
扉が閉まった後も、チャイム用に設置されている安物のベルが小さな振動を断続的に続けていく。
一人になった部屋で、俺は弟を追いかけるべきなのに、追いかけることができなかった。
「訳が分からん!」
弟が消えると、怒りが沸き上がる。
その怒りを発散すべく、机に向かった手を寸前で膝に持って行く。
これ以上者に当たるのはどうかと思ったからだ。
たったそれだけの揺れでも、余震が続いていたのか、コップが再度ゆれだした。
こぼすわけにもいかないと、残りを一気に飲み干し、洗い場に持って行く。
「サキスを追うべきだよな。でも……」
単純作業しているうちに、頭が冷えた。
追いかけ、声をかけよう。
扉に手をかけるが、そこまでだった。
(今なら、十分間に合うはずなのに)
俺の足は止まっていた。
サキスになんていえばいいのか分からなかった。
(そもそも、あいつはどうして怒ったんだ?)
分からないままに声をかけたら、きっとまたサキスを怒らせてしまう。
「俺もヘタレだな」
やるべきことから逃げ出す理由を求め、掃除でもするかと家を見渡す。
家の柱には、俺たちの身長がどれだけ伸びたのかを確かめるための切り傷がつけられていた。
扉の横には外の寒さから守るために鉢植えが置かれていた。
俺は食べられるものがいいと言ったが、サキスの勧めもあって、花を植えたんだっけ。
今は冬ということもあり、とっくに花は枯れ、緑の葉っぱだけになっていた。
それだけではない。
この屋敷にはサキスとの思い出が詰まっていた。
あんなに一緒だったのに、あいつが何を考えているのかが分からない。
「最近は慣れていたからか、弟によりそこなうのが足りなかった、それとも俺があの時から成長していないからか」
分からないことだらけの俺。
ただ、分かることがあるとすれば……、致命的な何かを間違えたということだった。
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