第13話交渉

 おばちゃんへの宣言はまごうことなき本心だ。

 しかし、何から何まで満足しているわけではない。

 この孤児院をもっと居心地のいい場所にすることが、今の俺のささやかな野望だった。


 そのための手段として、コンソメの素を作ったのだ。


 コンソメの素と食料品の交換。

 最初はうまくいかなかったが、評判になるにつれ食糧事情は改善された。


 3年前まで。お代わりなんて、夢のまた夢だった。

 今では皆が1度はお代わりを要求できる。


 そのころから、呼び捨てだったのが、君づけや、兄さん呼びになった。


 血のつながっていない、偽物の家族関係。

 それをいかにして本物にするか。

 この年で、俺は人生の課題を見つけ出したのだ。



「一つ確認したいんだけど、これで商売をやっていく気がないのかい」


「そうするのも悪くはないと思うんだけど、まだいろいろと問題が」


 具体的には三つ壁があった。

 1つは、俺の目標が孤児院の発展だというもの。

 2つは保存期間。

 冷たいところで密封すれば腐ることはないのだが、もう少し長持ちする工夫をしたかった。

 最後の問題が、前世での失敗だった。

 ネット広告で食っていけるという甘い見通しとたてた結果、失敗したのだ。

 増長ダメ絶対。



「そうかい。

 使っているけど、これといった問題点は見れないよ」


「そうかな?

 俺としてはまだまだ味も改良できると思うけど」


 最低でも、スーパーで売っている大量生産されたコンソメの素くらいの味は確保したい。

 あれと比べると、見劣りするんだよな。


 改良のためにはもっと多くの調味料と、材料が必要になるのだが……。


 ここで手に入るのは肉の断片と、野菜くずばかり。

 食品のロスが社会問題になっていた日本がどれほど恵まれていたのか。

 今さらながら自覚した。



「それってたんに自信がないだけじゃないのかい」


 声の質が明らかに変わった。

 今までの世間話から、こちらを諭す先生のような雰囲気に変わる。


「あんたはきっとわかっていないから言うけど。

 人生っていうのは思っているよりもずっと短いのよ。

 だからさ、行けると思ったら行きな」


「……」


 人生が短いということは俺だって知っている。

 おばちゃんの言葉を知識ではなく実感として理解できるからこそ、気軽に返答できない。

 さて、どうするべきか……。



「おお、これがこの村で評判になっているという、コンソメスープの元か!」


 考えるため沈黙を欲していたのに、なれなれしく騒がしい声が聞こえて来た。


 この声は――一体、だれだ!


 俺はおばちゃんを見た。

 彼女も首を傾げた。

 どうやら、知らないらしい。


 男は、えっちらおっちらその大きなお腹を揺らしながら走ってくる。


 禿げ頭だが、顔立ちはまだまだ若い。

 前世の俺と同じくらい。

 なので、お兄さんだ。誰がなんと言おうとも。



「そ……れひゃ」


「落ち着いて、話はあとでいくらでも聞くから」


 走ってきたせいで息が絶え絶え。

 自己紹介もできていないが、近場で顔を見たので名前が出てきた。


 行商人のゼニゲバだ。



「すこし、味を確かめさせてもらってもいいかね」


 と、礼儀正しくお願いしてるものの、彼の目の前には空になったコップが置かれている。

 俺がタダでいいといったから、もう3回もお代わりしていた。

 がめつすぎだろ。


「いや、こ……」


 これはおばちゃんのだから。

 と、却下の声を上げる前にゼニゲバは手を伸ばしてるし。

 がめつすぎだろ。


 おい泥棒!

 と指摘してもいいが、もともと上げるつもりだからどうにか飲み込んだ。


「っ‼」


 それに、さまざまな場所を渡り歩いた商人の評価が気にもなっていた。

 さぁ、どうだ!


 

 ――ゼニゲバは咳き込んだ。

 これでは味の評価などできるはずもない。



「コンソメの素は水に溶かしてスープにするか、味付け用のものだから。

 直かじりだと味が濃すぎるんだよ」


「なら、水をくれたまえ」


 はて?


「なら、いくら出す?」


「さっきまでは無料といっていなかったかね」


「その善意を利用して、3回もお代わりしといてよく言うよ」


「ならいらん。こんなしょうもないものに金を払うくらいなら、苦痛を我慢したほうがましだ」


「はぁ、筋金入りのけちだね。

 もういい。この2杯だけはただで」


 実際、がめついこいつを少し懲らしめたかっただけだ。

 元々、金を取るつもりはなかった。

 


「なるほど、道理で噂になっているわけだ!

 ただお湯で溶かしただけで、これほどとは!」


 どうでもいいけど、こんなに水を飲んでもなんともないのだろうか。

 ないだろうな。

 胃の容量大きそうだし。


「そんなにすごいものじゃないよ」


 実際、簡単に作れるのだ。

 直ぐマネできるだろうし、似たようなものはどこかで発明されていると思う。


「その一件すごくないものが、これだけの味を引き出せているのが素晴らしいということが分からないのかね。

 なぁ、ワシと一緒に、このコンソメでひと商売やらないかね」


 ぎゅっと、脂ぎった手が俺の拳を握りこんだ。

 気色悪い。なのに、俺の心臓は早鐘を打つ。



「ていうか、商売? これを? 本当にできるのか?」


 本音と反対の言葉が口から出た。


「当り前さ! ワシの嗅覚が教えてくれる、こいつは金になるぞ」


 間髪を容れずの返答。


「だから、ワシと一緒にきたまえ」


 脂を燃料に燃え上がる熱意は、俺の心をさらに熱くさせる。

 俺もまた、その手をさらにきつく握りしめ……。



「すいません。あなたのお願いは素直に嬉しい。でも、ここには家族がいて」


 でもダメだった。

 つないだ手を、俺は強引に振り払った。


「なら、このコンソメの作り方を教えてもらってもいいかね。

 金貨10枚でどうだ」


「そんなに!」


 この世界通貨は金貨、銀貨、銅貨の三種類。

 金貨が一万円。

 銀貨が千円。

 銅貨が百円くらいと考えればいい。


 つまり、金貨10枚は10万円だ。



「その、よろし……「まって、本当にそんなはした金でいいのかい」


 握手しようと伸ばした手を横から押さえられた。


「金貨10枚、それは幾らなんでも安すぎやしないかい」


 おばちゃんはもっと金をふんだくれると考えたのだろう。


「そうか、ケイデス君の将来性を考えて、色を付けた金額だったが……。

 納得できないというのならもういい」


 ゼニゲバが座っていた椅子がきしむ。


「あの、本当にそれでいいのかい」


 のしのしと俺たちから遠ざかっていくゼニゲバに、おばちゃんは困惑していた。


 実際のところ、俺はおばちゃんの狙いを理解していた。

 前世でいうところのフット・イン・ザ・ドア。

 つまり、ゼニゲバが最初に、最低値を提示し、徐々に金額を上げていくと考えたのだ。


 交渉する際のお約束の一つ。

 そのお約束に従って、おばちゃんは金額を吊り上げようとしたのに、ゼニゲバは初手で交渉を打ち切った。


 本当に自分が出せる最高額を誠意として示した可能性もある。

 あるいは立ち上がったのはブラフなのか。

 どちらか見極めようとするも、俺にどちらが正解など分かるはずもなく。


 少しずつ、その大きな背中が遠ざかっていくのを見つめるしかなかった。


「待ってくれ、あたしはこの子の意見を無視して話を進めてしまった。

 部外者だよ。その部外者の言葉で交渉を中断することはないんじゃないかい」


「確かに、君の言う事はもっともだ。

 でも、値段がね」


「金貨10枚だろう」


「改めて、それの値段について考えたのだがね。

 やはり、金貨10枚というのは高すぎると思うのだよ」


 こいつ!

 焦っているのを見て値切りってきやがった。


「そうだな、金貨7枚で納得してくれたまえ」


「さっき、10枚っていったよな」


 俺は思わず叫んだ。

 それを聞きつけ、ゼニゲバはくるりと反転。

 あっ! と、手で口を隠したがもう遅い。

 そのにやけ面はしかとこの目に焼き付いている。

 こいつは確信したのだ。俺がこのコンソメの素を売る気があることを。


 孫子だって言っている。

 兵士の陣形の究極は無形であると。

 つまり、俺たちはゼニゲバの動き、今後をまったく予想できていないが、向こうはこっちがコンソメを売りたいと知ったのだ。


「金貨7枚で納得してくれたまえ。

 ケイデス君だって理解しているだろ。

 他の商人に話をしても、これほどの値がつくことはないことを」


 ――確かに。

 納得しかけて、どこからか。

 ――本当に?

 という声がした。


「おいおい、それは幾らなんでも俺をバカにしすぎだろ。

 本当にそうかなんて、実際に試してみないと分からないはずだ」


 そっとゼニゲバの様子を窺うも、そこになんの反応もない。

 流石は商人。

 いまだに無形を維持している。


「なら、いくらでなら売ってもいいのかね」


 よし、交渉が一歩前に進んだ。


「金貨13枚」


「はぁ!」


 俺のがめつい要求に、ゼニゲバのポーカーフェイスが崩れた。


「本当の上限はここだよな」


「君は金貨10枚でも足りないというのかね。

 ワシが誠意をもって示した最高値を」


 前提条件。

 向こうは金貨10枚だと言っているが、その根拠などないのだ。


「最初は10枚、次に払っていいのは7枚まで。

 つまりだ、10枚を基準として、3枚までは儲けを上下させてもいいってことだろう」


 こっちはこっちで、ただの詭弁だが、おし通るしかない。


「なら、最大限の金を払えよ」


 俺が不敵に笑えば、ゼニゲバは何が面白いのか手を叩き大笑い。


「いや、気にしないでくれたまえ。

 ただ、ワシよりも強欲なその姿に驚いてしまってね」


 ここは誉め言葉として受け取っておこう。


「だがね、金貨10枚以上を払う気はない。

 ワシとしては13枚払ってもいいと思っているがね」


「なら、コンソメの素を1ダース」


「まだだ」


「ついでに、おばさん。金貨一枚上げるから、ゼニゲバさんに料理作って。

 それだと、コンソメの実践的な使い方が分かって便利じゃない」


「え! 私かい。まぁ、2、3日くらいならいいけど」


 ゼニゲバさんの太い眉毛がピクリと動いた。


「その時、おばちゃんにはゼニゲバさんが普段使うような材料での料理を作ってくれたら嬉しいな」


「注文が多いことだね。

 まぁ、それくらいならいいさ」


 よし、第一関門クリア。

 ゼニゲバは分かりにくい言い方だったけど、察してくれたみたいだね。

 半強制的におばさんがゼニゲバのところで食料を買いあさることになることに。


「ついでに、市で最初にゼニゲバのところに行くよ」


「なるほど」


 食費の節約。

 商品の売り込み。

 俺ができる限りの交換材料は提示した。

 さぁ、どう出る。


「なら、よろしくだ」


 こうして俺たちは、一度は振りほどいた手を、固く結びなおすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る