第10話幼少期(4)

「見捨て、られるかぁ」


 歯をギシリと噛みしめ、ノーデの服をぎゅっと握りしめた。


 もう、後ろから迫る足音は俺に届かない。

 前だけ見て、足を進める。


 初めは牛歩のように、それがいつもの足取りに、やがて早歩き、そして最後には小走りできるようになった。



「まじか! まじでこんなところで魔力に目覚めるなんて!」


 ノーデの驚きの声と共に、俺は覚醒を自覚した。


 さっきまで、あんなに重かったノーデの身体が、今では軽い。


 よし、これならいける!



「……?

 急に立ち止まってどうしたんだぁ?」


「決まっている。

 オークを始末するんだよ。

 さぁ、魔法なりスキルよ」


 うおおおぉぉぉ!

 燃えて来たぁ!


「ちなみにだが、魔法もスキルも神の洗礼を受けないと使えねぇんだぁ」


「……え!」


 ノーデの呆れ声に俺は凍り付いた。


 180度反転したうえで、

「気を引き締めて、ここが最後の踏ん張りどころだよ」


 と、何もなかったことにする。

 力に覚醒したのに、このていたらく。

 どうやら俺は主人公ではなかったらしい。


 

 俺にできるのは尻尾を巻いて逃げることのみ。

 口の中は血の味しかしない。

 ぜぇはぁぜぇはぁと、肺がキャパオーバーし、呼吸もまともにできない。


「なぁ、もう俺を放したらどうだぁ」


「そうするつもりだったけど、ノーデがしがみついてきたんだろ」


「呼び捨てか、……まぁ、この状況だぁ。気にしねぇよ」


 ああ、そう。


「気がついてんだろ、俺は足を引っ張てるだけだぁ」


 ささやき声を無視して、俺は掴んでいる服をさらにきつく握りしめ、体に密着させる。


「このままだとさ、オークに追いつかれね」


「気が散るから、お前は黙ってろよ!」


 うぅ。叫んだせいで、口の中に血の味が余計に広がった。


 ――あと少し。あと、少しなのだ!


 実際、神殿はすぐそこだ。

 ここまで来たのだ。今さら見捨てられるか。


 と、決意するも……。

 足音が少しずつ大きくなっているのも事実だ。


 ノーデが冷や汗をびっしりと掻きながら、ちらちらと後ろを見ている。

 それだけで、状況のまずさが分かった。

 が、それが諦める理由になるかといえば、否だった。

 気合で曲がり角を曲がれば……。


「速くこっちへぇ!」

「坊主! 大丈夫かぁ!」


「神殿はまだのはずなのに」


 俺はついにたどり着いた。

 防衛線が神殿まで押し込まれてはいなかったらしい。

 重要拠点はほかにもあるから当然だけど。


「助かる! あそこに逃げたら助かるよ!」


 皆の姿を見たとき、不覚にも俺はうれし涙が流れるのを止めることができなかった。

 さっきは我慢できたのにな。


 そこには激しい戦いの跡が見え、後ろのとは別のオークの死体も見える。

 つまり、オーク1匹くらいなら問題なく駆除できるのだ。


 へとへとだったのに、ゴールが見えたとたん活力が戻る。

 白い靄のような力、魔力が勢い良く吹き上がった。


 地面を力強く蹴り上げ、前に進もうとしたのに……。


「うわぁぁぁあああ!」


 ノーデの悲鳴とともに、俺の足が止まる。

 何が起きたのかは容易に想像できた。

 あと少しだったのに、俺たちは捕まったのだ。


 これまでか。

 あとちょっとだったのにな。


 恐怖から逃れるために、俺は瞳をぎゅっとつむった。


 後にして思えば、これは失策だった。

 急に、ノーデが軽くなり、俺は前のめりに倒れたのだから。


「いててっ」


 と、擦りむいた膝をさすりつつ、何を起きたのかを見る。


「あ、あぶねぇ!」


 目の前に矢が突き刺さっていた。


 見晴らしのいい屋根の上で、弓を構える若い男衆が見える。


 放たれた矢の一本がオークに刺さったのだ。

 でもこれ、俺に当たらなかったの奇跡だよね。

 瞳をつむったせいでよけようがなかったし。


「助かったぁ、助かったぁ!

 あと少しだけだ、少し進むだけでいける」


 もちろん、文句はない。

 このままだと黙って死ぬしかなかったのだから。


「やし生け、このままこの豚面どもを、吠え面をかかせるんだぁ」


 ノーデがこの状況を歓迎し吠えた。

 助かったのだ。喜ぶべきなのに、俺の心には虚無感がくすぶっていた。



「魔法は、魔法はないのかよ」


「大丈夫だ。祈祷者もいる。その火力でオークどもを一掃してくれるはずだぁ』


 俺の意見を、火力不測からくるものと思ったのだろう。

 ノーデは励ましてくれた。

 いい人だ。でも、事実は違う。


「そ、っすね」


 いまさら、ただ魔法を見たかったなんて言えない。


 何せ、異世界だよ。

 魔法があるんだよ。

 誰だって使ってみたいと思うはずだ。


「おお、見ろ!

 さすがはうちの若い衆だ。日頃の積み重ねをいかんなく発揮してやがる」


 ノーデは正確にオークを狙い撃ちする狩人をほめたたえた。


 進行方向を制限し、俺たちに近寄らせていないのだ。

 前世なら、大道芸として食っていけるだろう。

 それほどまでの神業だった。


 ――でも、これだと魔法が見れない。


 このままだと、矢程度でオークが死んでしまう。


 頑張れオーク。

 お前は矢なんかでくたばる玉じゃないはずだ。


 そして、願いが天に通じた!

 オークが対策を講じたのである。


 放置されていた荷台を手でつかみ、盾とする。

 これでは矢が意味をなさない。


「糞、これじゃあ矢でも。

 というか、俺たちが盾になってないか」


 それってどういうことだ。


「いや、俺たちがオークの近くにいるから、魔法を遣うのをためらってね、ってことだぁ」


 お前!

 もっと早くに知りたかったよ。


 俺は走った。

 自分でも、もう体は限界だと分かっているのに。

 どこから力が出ているのか。


 そんなの決まっている。


 ――俺に魔法を見せてくれぇ!

 

 力の源泉は単なる好奇心ですが、何か。


「よし、坊主。そのまま走るんだ」


 これまで、後方で指示を出していた、仕立てのいいトーガを着込んだ老婆が前に出た。


 皆からは神官様。俺はおばばと呼んでいる、この村のまとめ役だ。


 この状況で、ただの人間が前に出るはずがない。

 つまり、おばばが祈祷者なのだ。


「ガルガピアノ谷間 五拾の猟犬 月女神の禊

 詛呪(そじゅ)の足枷 闇夜の追跡者 鹿の贄 メランポスの牙

 駆けよ駆けよ駆けよ

 プロキオンの咢よ その罪を濯げ」



 瞬き一つせず、俺はこの光景を目に焼き付ける。


「これから魔法で殲滅するんだろう。

 だったら、伏せるなり、家の中に隠れたほうがいいんじゃないか」


「うるさい。

 今いいところなんだ、黙れ」


「え……、えっ!」


 まったく、少しは空気読めよ。


「これが、アルテミスの……月女神の魔法」


 危険だからと、見せてもらえなかったが……。


 キラキラと、おばばの周囲には月明かりを押し固めたような塊が浮かぶ。

 その一つ一つが、散弾のようにオークせまり、肉を穿つ。



「これが、魔法」


 無数のつぶてが、盾を貫通してオークを絶命させる。


「すごい、すごい、すごい!」


 あまりの光景に、俺はもう、それしか言えなくなっていた。



 同時に。

 そこが俺の限界だった。


 体中の力を使い果たし、もう一歩も動けない。

 その場に大の字になって、寝っ転がる。


「まったく、こんなガキに助けられるとは、俺は自分が情けなくて仕方ねぇよ」


 そのねぎらいの言葉を聞いて、ようやく俺は前世とは違って、大人も子供も、皆を救えたんだと自覚した。


 でも、おっさんに褒められてもうれしくねぇよ。


「よかった、よかったぁ。ケイデス無事だったのね」


 そんな微かな不満を帳消しにするように、可憐な乙女が俺に抱きついてきた。


「ごめんね。

 警報が鳴ったから、あわてて飛び出して。

 あんたを迎えに行く暇もなくて」


「助かったんだから、いいよ。リース姉ちゃん」


 と感動の再会をしていたのだが……。

 おばばがリースを押しのける。


「一つ聞きたいんだが。

 他の子供たちは」


「草原にある窪地で隠れてるよ。

 ほかにも、オークがいるかもしれないから、早く迎えに言ってくれ」


「まぁ、オークどももあらかた片付いた。

 村での被害も……」


 といったところで、おばばは固まった。


 村の一角。

 具体的には、俺の家がある方向から煙が上がっていた。


「なぁ、姉ちゃん。

 火の始末はしたんだよな」


「その、急いでいたし、ね」


 こうして俺は家なしになった。

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