第9話幼少期(3)

「酒もってねぇか。

 さっきまで飲んでて酒瓶が空になっちまってね」


 この状況で、俺を励ますジョークを口にするとは。

 かっこいい!

 初めて、マダオを見直したぞ。


「それにしてもなんだぁ、この状況。

 朝から騒がしくしやがって。こっちは二日酔いで頭が痛てえんだぁ。

 村の連中に静かにしてくれねぇ。

 て、言ってこいよ」


 訂正!

 こいつ状況を一切理解していねぇ!


「お前、のんきかよ!

 少しは酒以外のことを考えろよ」


「チッチッチ! 俺はいかなる時でも酒のことだけを考えてるんだぁ」

 どんな状況でも酒を飲む。

 俺が酒を飲むのをやめるのは死ぬ時だぁ」


「すごい! 屑っぷりもここまでくると逆に清々しい!」


 まったく、うらやましくはないけど。


「でも、この状況でも、自分の意志を貫き通せるなら……、俺はお前を尊敬するよ」


 俺の宣言と共に、村を囲っている柵をぶっ壊して、オークが入場した。


「ああ、当然だ、俺はこの程度の状況で酒をやめな……、あれ、なんだぁ」


 とろんとしていた瞳が、現実に引き戻された。


「あれぇ!

 たとえどんな状況でも、酒を飲むのをやめないって言ってたよな」


「知らねぇのか、物には限度ってものがあるってね」


 見事な手のひら返し。その生存本能の高さにはあこがれちゃうね。

 俺の場合、意地を張り通したせいで一度死んだわけだし。


 死んでも酒を飲むのをやめないと宣言したノーデは、命の危機を感じ取ると瞬時に酒瓶を捨てて逃亡した。


「さっき、自分で言った覚悟を反故にするのかよ。

 死んでも酒を飲むのをやめないんだよな」


「ガキが!

 上げ足を取りやがって!

 大人の失言をあざ笑うのがそんなに楽しいのかよ」


「いや、ただ単に、その約束というか宣言を実行してほしいんだよ」


「俺に死ねと」


「あんたの覚悟はその程度の物なのか。

 酒を飲めないくらいなら、死ぬって言ったよな」


「言ってねぇ、記憶を捏造すんじゃねぇ!

 もう、お前の思いは分かった。

 俺におとりになってほしいんだな」


「はい!」


「うわ! こいつ俺以上のくずだぁ」


 走りながら、軽快なやり取りの連続。

 我ながら、驚きの肺活量だった。



「というか、黙って走りやがれ。

 ガイアの使徒がそこまで来ているんだぞ。死にてえのか!!」


 ガイアの使徒。

 それについては概要程度であれば知っている。

 神々が作り上げた封印装置、ダンジョン。

 その最下層。

 ハデスの世界である冥府に封印されし女神が作り上げた殺戮兵器。

 要するに魔物である。


 今の今まで作り話だと思っていた。

 中世の地図なんてもの、外洋にリヴァイアサンが真面目に描かれていたし。

 おばばのガイアの使徒の説明を聞いても、可哀そうに。作り話を信じるんだな。

 と、心の中でバカにしていた俺が真の間抜けだった。

 まじでごめんなさい。



「ぐおおおぉぉぉおおおッ‼」


 空想の世界に飛び出していた思考を、鼓膜の震えが呼び戻す。

 その声がもたらす振動と、威圧感はどこまでもリアルだった。


「と、とにかく逃げね」


 と言いつつも、ノーデは室内に入ると足を止めた。

 もしかして、籠城しようとしてる?



 ――ズドンッ!


 分厚い丸太に安心感を感じる。

 朝、おんぼろと思ってごめんなさい。


 板張よりもはるかに強度が高いので、そうそう壊されることはないはず。


 その計算が、すぐに誤りだと俺は悟った。


 オークが手にもった武器、丸太で扉を破壊した。

 オークが通るには小さにが、すぐに拡張されるだろう。


 やっぱり、この家はおんぼろだ!



「お、俺の家がぁ」


 ここから出てきたんだ。そういうことだよな。

 道理で部屋が汚いと思った。


「悲しむのはいいけど、後にしてよ」


 ぼうぜんとするノーデを俺は無理やり引きずる。



 扉から入って、窓から出る。

 時には、密集した住宅の狭い路地を利用する。


「見ろよ、あのでか物。

 建物に挟まって、動けなくなってるようだぁ」


「全くだ。自分の体の大きさも理解していないなんて間抜けだよな」


 意外なことに、追いかけっこはこっちが優勢だ。


 理由は簡単。

 ここが人間の村であり、化物の領域ではないからだ。


 オークの巨体では家の扉をくぐる事すら苦労するし、狭い通路ではそもそも入れないことすらある。


 それでも、向こうのほうが足が速く、多少の障害物は腕力で粉砕できるので、俺たちも油断できない。


 でも、この調子でいけば逃げ切れる。

 証拠に、だんだんと鐘の音が大きくなってきた。


 助かったぁ。

 そう思えば、速めのうれし涙が出てしまいそうだ。

 なにせ、俺たちの逃走成功は確実だし。



 さぁ、――速く、速く!

 見えてきた価値を前にしても、俺たちには油断も慢心もない。

 一刻でも早く安全圏に向かおうと、足を速める。


 その歩みがふいに止まる。


 ――ノーデの足が絡まり、地面に倒れこんだ。


 何かに、つまずいた。

 もしくはオークの攻撃か。


「……すまん、気分が悪くてね」

「後にしてよ」


 マジで、何なんだよ!

 このばぁーかは!



「こ、こっちはもともと二日酔いなんだぁ。

 酒飲みに対する配慮はないのか!」


「禁酒しろよ!」



 酒、アルコールを摂取した後で気を付けなければならないことが一つある。


 飲酒後の運動はダメ、絶対。


 アルコールは肝臓で分解される。

 しかし、運動中は血液の循環が早まる。

 脳にアルコールが届けられ酔いやすくなる。

 また、肝臓と筋肉が血液を取り合ってしまう。

 そのせいで、アルコール分解が遅れてしまう。


 飲酒後の運動は、ぶっ倒れることもある危険行為なのだ。


 という注意書きを、昔本で読んだのを思いだした。

 もう、手遅れだったけど。



「はっはっは。

 長年不健康な生活をしていたつけがこんなところでやってくるとはね。

 もう、こんななりだぁ。

 逃げられやしない。俺を置いて行け」


「ノーデさん」


 役立たずだと思ってごめんなさい。

 あんた、男の中の男だよ。


 大の男にそこまで言われたのだ。

 ここで、気を使うのは、相手の顔を潰すことになる。


 深い悲しみを飲み込み、前に行こうとしたのに……。

 その足はがっしりと掴まれていた。


「あの、ノーデさん」


「すまん。さっきの話無しだぁ。

 やっぱ俺死にたくなくて!

 引きずってでもいいから、避難所まで連れて行ってくれね!」


 と、大の大人がこんな小さな子供に泣きついてくる。

 そこにいるのは、ダメな大人の中のダメな大人だ!


 そして、こんな情けない姿をさらす男を俺は過去に一度見たことがある。

 金を使い果たして、途方に暮れる前世の俺だ。

 あの時、見捨ててきたやつらに俺は怒った。


 なら、見捨てていいはずがない。


 前世で、同じように腐った奴らを見捨てたことを後悔したのだ。

 今、それをやったら二番煎じとなる。


 でも、後ろからはオークが迫っている。

 大人一人抱えて逃げることなんて、できるだろうか。


 前世の最後でも、俺は結局あの女を助けられなかった。

 かっこつけて手を伸ばして、小さな子供を救えたけど。

 それでも、その子の人生に大きな影を残してしまった。


「俺はこの世界に転生したチートオリ主だ。

 ここは俺のスキル、もしくは魔法の力が覚醒する場面だ。

 さあ見よ! 俺の力を!」


 でも、今度こそ。

 ゲームでも、アニメでもこの展開は何度も何度も見た。

 なら、転生した俺にもできるはずだ。


「うをおおおぉぉぉ!」


 しかし、何も起きない。

 現実は非常である。


「おい、何で足を止めてんだぁ」


 引っ張ってもらってる分際で、うるさい!

 でも、焦る気持ちはわかる。

 のしのしと、破滅の足音が聞こえてくる。



 ――もう、いいんじゃないか。



 心の中の悪魔が、弱者を囮にしろとささやきかける。


 動けなくなったのも、避難していなかったのも、こいつの自業自得だ。


 俺がやるのは家の中に置いていくだけだ。

 運が良ければ見つからないかもしれない。


 でも、


 ――また、あなたは言い訳するのですね。

 と俺の中の天使がささやいてくる。


 そして、俺は――。

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